テストを一通り作り終える頃には、時計は7時を大きく回っていた。職員室にはまだ残っている先生方もチラホラいらっしゃるが、お先に失礼をして帰途につく。
校門を出ていつもの坂道を下っていく。どうも首筋のあたりがちくちくするのだが、どうやら誰かが見張っているようだ。
家に帰れば新良の弁当が食えるのでスーパーに半額弁当を漁りに行く必要もなくなった。が、今日はちょっと寄り道をする。
どこにしようか迷って、近くの公園に行くことにした。
公園のベンチに一人座って待っていたがなかなか下りて来ないので、腹が減った俺は弁当を取り出して食い始めた。
うん、新良の弁当はマジで美味いな。うすうす感じていたことだが、新良は女子力というやつがかなり高いようだ。
「ちょっと、夜の公園で一人でお弁当食べるとかマジで変質者すぎるんだけど」
その声は上の方から聞こえてきた。見上げて姿を確認したいところだが、もし向こうが初等部の制服のままだとすると罠にかかるので顔は下を向いたままだ。
「少しは反応してよね、つまんないでしょ」
「どうせ上を見たらスカート覗いたとかいちゃもんつける気だろ?」
「うっわ、そこに気づく自体変態なんだけど。っていうかわたしが空飛んでても驚かないワケ?」
「いや、飛んでるかどうか見てないから分からないけど」
「ホントムカつくおじさん先生だねっ」
そう言うと、リーララは俺の目の前にストンと着地した。思った通り初等部の制服だが、背中に半透明の翼のようなものを広げている。かなりの魔力を感じるのでその翼で空を飛んでいたということだろうか。いずれにしても彼女は自分が普通ではないことを隠すつもりはないようだ。
「で、おじさん先生はいったい何者なの? 学校で使おうとしたのって魔法でしょ。清音にいったいなにをしたの?」
「俺は元勇者だ。清音ちゃんに使ったのはただの回復魔法だな」
「まあ正直に言うつもりはないんだろうから、ちょっと痛い目みてもらって……って、なに言ったの今?」
「だから俺は元勇者だ。清音ちゃんに使ったのはただの回復魔法」
正直に包み隠さず答えてやったのに、リーララは「はぁ?」とか言って首をかしげる。しかも全然可愛くない顔で。
「おじさん先生やっぱり頭おかしくない? まあでも魔法を使うのは嘘じゃないよね。すっごい古い魔法だったけど確かに使おうとしてたし。あれなんの魔法だったの?」
「あれは悪い子に怖い夢を見せる魔法だ。しかし古い魔法っていうのはどういう意味だ?」
「どうもこうもないでしょ。想起してた魔法陣自体時代遅れのやつだったし。そもそも魔法陣を想起するってところからして古くさいからね」
「なに……?」
デコピンをくれてやりたくなるリーララのドヤ顔はともかく、言っている内容はかなり気になるところがあった。
確かに俺の……というか『あの世界』の魔法は、まず脳内に正確な魔法陣を想起するところから始まる。その魔法陣は発動する瞬間空間に現れるのだが、基本的には不可視だ。
その魔法陣が見えるらしいリーララはそれだけで特殊な人間である。しかしそれ以前に魔法発動のやり方を知っていて、なおかつそれを「時代遅れ」と断じるということは……
「君はもしかして『あの世界』の人間なのか?」
「なによ『あの世界』って」
「俺が召喚された、剣と魔法と魔王とモンスターの世界だ」
「全然違うし。確かに魔法、というか魔導技術は発達してる世界だけど、モンスターとか魔王とかとっくの昔に駆逐されてるから」
「ああそうか、なるほど……なるほどな……」
まさかとは思うが、リーララは『あの世界』の未来人、なのだろうか。なんかとんでもない話がいきなり湧いてきたぞ。
「それで君はなにしにこっちの世界にやってきたんだ? 先生方は知っているんだよな?」
「あれ、おじさん先生ってそっち側の先生なんだ。まあそれはそうか、一応魔法は使えるみたいだし。そうね、わたしのことは校長先生とかは知ってるから。わたしがこっちに来た理由はそのうち分かると思うよ。そろそろだしね」
「そろそろ? なにがだ」
「あそこ、分かる?」
リーララが指したのは夜空の一点だった。星がぼちぼち出ているだけで特に変わり映えはない。
しかし目を凝らすと、星の光を掻き消すようになにか黒いものが広がっているのが見えた。夜空よりも黒い、円形の穴のようなものが上空にぽっかりあいているらしい。
その穴や、穴周辺の魔力の流れには強烈な既視感がある。というかあれは……
「空間魔法か?」
「近いかな。わたしたちは『次元環』って呼んでるけど、要するに二つの世界をつなげる通路みたいなもの。原理的には空間魔法の別空間を定義するやりかたに似てるから」
リーララが急に頭がよさそうなことを言い出したのにビックリしていると、その『次元環』とやらの奥から強烈に嫌な魔力があふれ出してきた。『魔王』の魔力とはまた違った、ドロドロしたヘドロみたいな魔力だ。
「なにか出てくるのか、あそこから」
「出てくる前になんとかするのがわたしの役目」
リーララの背中の翼が光を増した。その小さな身体がすうっと宙に浮かぶ。
空中でその姿が光に包まれたかと思うと、次の瞬間リーララは妙な格好に変身していた。
白いレオタードをベースに、ヒラヒラした布とか、ちょっと鎧っぽいパーツがついたような、一言で言えば女児向けアニメの戦うヒロインみたいな格好だ。いや、俺はそういうアニメは見たことないけど。
「ヘンな目で見るなヘンタイ。そこで待っててよ、話はまだ終わってないんだから」
手に持った、弓を模したような魔道具を一瞬だけ俺に向け威嚇して、リーララは空に開いた穴に向かって飛んで行った。ちなみに『魔道具』とは、『あの世界』にあった魔力で動く道具の総称だ。
「待っててと言われても、さすがにこれはちょっと興味湧くよなあ……」
俺はリーララの翼が発光した時に見えた魔法陣を脳内に想起する。確かにこれは俺の知らない魔法陣だ。
魔法陣に魔力を流すイメージ。すると身体が軽くなっていくのが分かる。そのまま魔力を強くすると遂に身体が浮かび上がった。
ほうほう、これは便利だ。なるほど魔力に指向性を持たせればそれだけで機動できるのか。
空を数回旋回してみると完全にコツがつかめた。このあたりは勇者だから当然ではある。
「よし、後を追うか」
俺は空の穴に向かって身体を一気に加速させた。
その穴は上空500メートルくらいのところにあった。大きさは直径20~30メートルというところか。
リーララを追ってその穴に飛び込む。瞬間宇宙空間に放り出されたような錯覚に陥った。
後ろに開いた黒い穴以外、全周囲星の海である。
しかしよく感知スキルを働かせてみると、その無窮にも見える空間が一本の管のように仕切られているのが分かる。
そしてその管の遠くの方に、なにか奇妙なものが浮いていた。ぶよぶよした、不定形のスライムみたいな『なにか』だ。
手前に浮いているリーララと比べると、その『なにか』は縦横に100メートルくらいあるだろうか。常に形を変えているので正確には分からないが。
俺が飛んで行って隣に並ぶと、リーララは目を丸くした。
「ちょっ、おじさん先生なんでついてきてんのよっ! っていうかどうしてついてこられるワケ!?」
「君の魔法を拝借させてもらった」
「はあ!? うわ、『機動』の魔法陣を想起で使うとか見たことないんだけどっ」
「まあそれは後で。それよりコイツはなんだ?」
そう聞くと、リーララは眉を寄せて苦虫を嚙みつぶしたような顔になった。どうも言いたくない……というか言いづらい話のようだな。
「う~……これはね、『不法魔導廃棄物』って言って、わたしの世界のゴミなの」
「ゴミ? これが?」
「そ、魔導技術が発達したおかげで色々便利になったんだけど、その裏で汚染された魔力が大量に発生しちゃってんの。こっちの世界でもあるでしょ、そういうの」
「まあそうだな」
「ただ困ったことに、それがなぜか『次元環』を通って別の世界に溢れちゃうのよね。だからそれを掃除するのがわたしの役目なの」
「掃除、ねぇ……」
こちらに近づいて来る不定形の巨大な物体は、確かにただのぶよぶよした廃棄物のようにも見える。
だが俺の感知スキルが、コイツは「物」ではなく「生き物」、つまり「モンスター」だと判断してるんだよな。
「さてと、じゃあ始めるからおじさん先生は下がってて。邪魔だから」
「オーケー下がっとく」
まあともかくもお手並みは拝見しておかないといけないな。見せてもらおうか、俺が救った世界の未来の魔導技術とやらを。