今日も市場は大賑わいである。
いつもそうだが、近頃はいっそう人が多い。魔族殺しの輝かしい功績に魅せられてか、勇者人口が増えたらしいのだ。
とはいえ……この賑わいもいつまで持つか。
俺は市場を歩いていく勇者に目を向ける。ボロボロの装備が目立つ三人組だ。モンスターの討伐に失敗でもしたのだろう。一様に表情は暗く、目に涙を浮かべてメソメソしているヤツまでいる始末。多分最近この街に来た新顔だろう。フェーゲフォイアーでの活動が長いヤツならモンスターを倒せなかったくらいじゃメソメソしないどころか、原形が分からないくらいハチャメチャにぶち殺されてもケロリとしているからな。その場合メソメソするのは俺なのだが。
新入り勇者の一人が肩を落とし、虚ろな目で呟く。
「よくこんな土地に街なんか作れたよな……はは、俺はここで生きてく自信ないわ」
地元じゃ腕自慢の勇者たちもこの街では魔物のオヤツでしかない。その事実を受け入れることがこの街で勇者をやっていくための最低条件である。
まぁ新入り君たちを食い物にしようと寄ってくるのはなにも魔物だけではないのだが。
パーティのリーダー格らしき勇者が空元気を出して無駄に明るい声を上げる。
「準備が足りなかっただけだ。次はもっと装備整えていこうぜ! まずは休まないとな。ええと、宿屋は……」
そう言ってキョロキョロと辺りを見回す新入り勇者たち。
おいおい、そんなお上りさんみたいなことしてると……ほら、見つかった。
「良ければ我が集会所で休んでいかれませんか? お代は結構ですから」
音もなく近付いてきた白装束の集団が気持ち悪いほどの笑みを浮かべながらさも親切そうに声をかける。
しかしその異様な出で立ちに、さすがの新入り君たちも警戒心を抱いたらしい。
「あの、あなた方は?」
すると白装束の男がいやに目をギラつかせながら、怪訝な表情を浮かべた新入り君の肩に手を置いてズイッと顔を寄せる。
「良い眼をしている……貴方たちのような清らかな心の持ち主こそ、腐りきったこの街を浄化する使徒になり得る。私たちと共に美しい世界を築きましょう」
「ひえっ」
関わってはいけない連中に関わってしまったということにようやく新入り君たちも気付いたようだ。しかしもう遅い。
ヤツらはメルン率いる“集会所”の連中だ。どうやら新たな信者を欲しているらしいな。白装束の連中がなにも知らない無垢な獲物に魔の手を伸ばす。
「さぁ……」
しかしヤツらは目の前の美味そうな獲物に夢中で気付かなかったようだ。新入り君を狙っているのが自分たちだけではないということに。
新入り君の肩に手を置いていた集会所の男の首がゴロリと落ち、己の白装束と新入り君の顔を赤く染めた。
先制斬首をキメた秘密警察が黒衣を翻しながら勇ましい声を上げる。
「なにをやっている、カルト集団め! 彼らはこの街の宝だ。手を出すな」
秘密警察たちがぞろぞろと集まり、白装束の集団と対峙する。
しかし秘密警察共の視線は集会所の連中ではなく、血に染まった顔で呆然と立ち尽くす新入り君たちに向いていた。ヤツらは白い歯を輝かせながら爽やかに笑う。
「大丈夫かい? 我々が来たからにはもう安心さ!」
ヤツらもまた新入隊員を欲しているのか。あるいは単に新入り君たちの好感度を稼ごうとしているのか……
とても良い笑顔なのは認めるが、世の中にはTPOというものがある。人を斬首した後にその爽やかな笑みはむしろ逆効果だ。
ほら、新入り君たちがバケモノとエンカウントした時の顔してるぜ。
それをどう解釈したのか、秘密警察たちはその笑みを保ったままさらに親指を上げる。
「我々は街の平和を守る自警団だ。安心してくれ」
「なにが自警団だ殺戮集団め」
集会所の連中が吐き捨てると、秘密警察共がさっそく化けの皮を派手に脱ぎ捨てた。
「ああん? んだとぉ?」
「ぺちゃくちゃうるせぇお口を利けなくしてやろうぜぇ」
各々の得物に手を掛ける秘密警察。
対する“集会所”も仲間を一人斬首されている手前、引くという選択肢はない。
「この街を血で汚さないようにするのが我々の目的だが、聖戦とあらば神もお許しくださるだろう」
この街の二大面倒くせぇ集団が互いにジリジリと距離を縮めていく。
蚊帳の外に追いやられた新入り君たちが困惑しながらその様子をただ見ている。なにやってんだ、仕方ねぇな。俺はヤツらの首元を引っ掴んで振り向かせ、宿屋の方角を指して言う。
「貴方たちは早く逃げなさい」
困惑しながらも小さく会釈をして、ひよっこ勇者たちがよちよち駆けていく。
さて、俺も逃ーげよ。
踵を返したその時。
「ぐあっ」
「うがぁっ」
チッ、始まったか。俺は走り出しながらちらりと後ろを振り返る。
思わず足を止めた。
黒衣の秘密警察も白装束の集会所連中もバタバタ倒れているところまでは予想通りだが……誰だ、アレ。
「アハハハ! 魔族殺しの街が聞いて呆れるな。雑魚ばかりじゃないか!」
二つの集団の間に割って入った黒髪の女。身の丈を超える長槍を背負ったまま手には取らず、素手でヤツらと渡り合っている。あの数を相手に一歩も引いていない。いや、圧倒していると言っても良い。相当な手練であることは素人の俺にも分かる。
しかしその凶悪な笑みを浮かべた顔に見覚えは無かった。アレだけ腕が立てば話が聞こえてきそうなものだが、まさか彼女もまた街に来たばかりの新入りの一人なのか。また厄介な勇者が乗り込んできたものだ。
「なんだお前……! このっ!」
襲いかかる勇者を軽い身のこなしとステップでいなし、後頭部を殴りつけて地面に転がす。
とうとう二つの集団を伸してしまった女勇者がニヤニヤと笑いながらギャラリーを見回す。挑発的な表情を浮かべ、人差し指でちょいちょいと手招きをした。
「次はどいつだ? さっさとかかってこ」
言い終わるより早く、黒髪の女の首がぽーんと飛んだ。
さすが、本物の先制斬首は首の飛距離が違うな。赤髪を靡かせ、剣に付着した血を払いながらアイギスはつまらなさそうに言う。
「街中で騒ぐな。犬が怖がっている」
一体どこで拾ったのか。片手で大事そうに子犬を抱えながら、アイギスは肩で風を切って歩いていく。
この街にはイキリ勇者の鼻っ柱をブチ折る機構も備わっているので、多少腕の立つ勇者が来ても安心だ。
そして、その後始末をやるのは誰あろう俺である。
*****
教会に戻ると、案の定例の黒髪女勇者の死体が転がっていた。
「はぁー……」
俺は頭を抱えた。
関係ない諍いに自分から首突っ込んだ挙句首飛ばされた勇者なんてロクな人間じゃないに決まっている。戦闘狂ってヤツか?
血気盛んなのは結構だが、アイギスに殺された苛立ちを万一俺にぶつけられたらたまらない。か弱い神官さんの体は脆い勇者に輪をかけて脆いのだ。ガラス細工のように優しく優しく扱っていただきたい。
万一に備え、俺は蘇生を済ませるとすぐに女神像(大)の後ろに隠れた。もちろん台座のボタンに指を這わせることも忘れない。教会に設置した罠はこういう時のためにあるのだ。
どうやら意識を取り戻したらしい。
女勇者がむくりと体を起こしたが、なにをするでもなくボーっとしている。
アイギスに首を刎ねられたのは一瞬の出来事だったからな。なにが起きたのか整理できていないのかもしれない。
俺は女神像(大)の後ろから顔だけを出し、恐る恐る声をかけた。
「あの……蘇生費として寄付のご協力を……」
黒髪を振り乱し、女勇者がキッとこちらを睨む。
ひ、人を殺す眼をしてやがる。顔怖すぎだろ。俺は女神像(大)にさっと顔を隠し、恐る恐る眼だけ出してヤツの動向を窺う。
大丈夫、いざとなったらコレで……
俺は女神像(大)の台座のボタンに手をかけ、さらに続ける。
「どこの教会でもそうだと思いますが、蘇生された方には寄付のお願いをしていますので……」
ちょっと顔怖いからって蘇生費逃れできると思うなよ!
決意を胸に蘇生費の請求をすると、女勇者は口を開いた。
「う…………うっ、ううっ……」
……ん? なんだ、喋れないのか? 気管の修復が上手くいかなかった? 内臓の損傷を見逃したか?
いや、俺の蘇生は完璧だったはず。
と思ったら女勇者の人を殺す眼からボロボロと涙がこぼれた。あっ、これ嗚咽か。
「わ、私、人にっ、人間に殺され……」
女勇者がゴロンと床に転がって手足をバタつかせる。
「私はっ! 怪我しないようちゃんと手加減したのに!」
錯乱してる。死に慣れてないのか。
確かにここに転送されてきたのは先制斬首をキメられた集会所の男とこの女だけ。
喧嘩っ早いイカれた女には違いないが、人を殺してはいけないという最低限の倫理は持ち合わせているらしい。この街では稀有な存在だ。
この女にしてみれば、木刀持って道場破りに行ったら背後から真剣で刺殺された感覚なのだろう。
俺はできるだけ優しく声をかける。
「落ち着いてください。もう大丈夫ですから――」
大丈夫じゃなかった。
指に感じる小気味良い手ごたえ。瞬間、女勇者の真下の床が抜けた。
「あっ」
ヤベッ……押しちゃった……
「え?」
なにが起きたか分からないという顔をしながら、勇者が吸い込まれるように落ちていく。
助けを求めるように伸びた手は虚しく空を掻く。いかに実力者と言えど、空中でできる事は多くない。
穴に完全に落ちた挙句、静かな教会にドチャッという湿っぽい音が響いた。
俺は小走りで落とし穴に駆け寄る。
恐る恐る覗くと、剣山に全身串刺しにされた女勇者と目が合った。
「な……んで……」
「すみません、手が滑りました」
そう正直に言って、俺は素直に謝罪する。人間誰しも間違いはあるのだ。間違いを犯した時、どのような対応を取るかが重要なのである。
誠意が伝わったのだろう。女勇者はそれ以上なにも言わなかった。ただ血の海の中を揺蕩い、呼吸に合わせて上下していた胸の動きがピタリと止まり、目から光が消える。
くっそ、蘇生やり直しだ……。