相変わらず街は勇者共で大賑わいだ。市場も人でごった返していて、買い出しも一苦労である。
……ん? 俺の足元を小さな獣がすり抜けていく。
犬だ。勇者や住民の足元を器用にすり抜けながら、可愛さだけを追い求めて品種改良を繰り返されたような小型犬が足取り軽く歩いていく。最近あの犬よく見るんだよな。アイギスが抱いていたのを見たことがあるが、どうやら彼女の飼い犬というわけではないらしい。色んな勇者や住民たちに世話されている、いわば地域犬というやつだ。
小型犬がフェーゲフォイアーに自力でたどり着けるはずない。どっかの勇者が連れ込んだのだろう。色んな勇者が色んなものを持ち込んでいるようだからな。
勇者人口が増えたが、決して戦いが楽になったわけではない。もちろん俺の仕事は減るどころか増えるばかりだ。
勇者が増えるのと同じか、それを上回る速度で魔物が沸いているのである。どうも王都方面――内地から来ているらしい。フェーゲフォイアーに元から生息している魔物に比べればその強さはワンランクもツーランクも劣るが、それでも人間にとっては十分すぎる脅威だ。
折れた骨は簡単に治せるが、折れた心の治療は簡単じゃない。魔族殺しの噂に魅せられフェーゲフォイアーに来たは良いものの、ここでの生活に適応できず街を出る勇者も少なくなかった。
でもさぁ、蘇生費滞納させたまま街を出るってどういう事だ? もう会う事もない神官の事なんて知らないってか?
そんなことをすると神罰が当たる……なんて言えたら楽だったんだがな。生憎女神様が木っ端神官に手を差し伸べる趣味などないことは俺が一番よく分かっている。正当な報酬を受け取れず飢え死のうと知ったことではないと吐き捨てるに違いない。もしも女神様が慈悲深いお方なら俺がこんな目にあっているはずないからな。
だがもちろんそんな事、神が許そうと俺が許さない!
新入りだからって俺がお前らの逃走を指をくわえて見ていると思うなよ? これ以上蘇生費の踏み逃げが増えるようなら俺にも考えがある。なに、システムは質屋と同じだよ。蘇生費を踏み倒しかねない勇者の腎臓を一つ引き抜いて代わりにそら豆を詰めるんだ。腎臓を戻すのは蘇生費と引き換えな。
まぁこの街の惨状を知らない教会本部が知ったら非人道的だとか言って止めるだろうがな! 非人道的なのはか弱い神官を足蹴にする勇者の方では?
へへ……いつもの俺ならそうは言っても考えるだけで行動には移さないが、今の俺は本当にやっちゃうぜ。なにせ連日の大規模作戦でほとんど眠れていない。半トランス状態だ……今の俺を倫理で縛ることはできない……
「じゃあ……そろそろ行くよ」
「うん。あなたなら故郷でもきっとうまくやれるよ」
あ゛っ!!
また一人新参勇者が街を出る気配がする!
俺は茂みに素早く体を隠し、新参勇者二人組を観察する。街を去ろうとする勇者が蘇生費を滞納していないか確かめるためだ。
「……ごめん」
大荷物を背負った少年がしょぼくれた顔で頭を下げる。一方、見送りに来たらしい少女勇者は困ったような笑顔を浮かべて肩を落とす少年を慰める。
「なに言ってんの! 謝ることなんてないでしょ」
「いや、俺はなじられて当然の人間だ。俺がお前らを誘ってここまで来たのに、イチ抜けなんて……情けないよ。だからアイツも来ないんだろ」
あれは……いつだったか、秘密警察と集会所の連中に絡まれていた新参勇者だな。蘇生費の滞納をしていない優等生君たちだ。取り立ての必要はない。俺は肩の力を抜いた。
確か、俺が見かけたとき彼らは三人でパーティを組んでいたはずだ。もう一人は見送りに来ないのだろうか。
なんて、俺が心配する必要はなかったらしい。
「おい! ふざけたこと言ってんな!」
彼らと同じ年頃の少年が一人、息を切らしながら駆け寄ってくる。ゼェゼェと肩を上下させ、横っ腹を押さえながら苦しそうに顔を歪めた。
「お、おい。お前……大丈夫かよ。どうしたんだ一体」
「ああ? チッ、大丈夫だ。寝坊したからちょっと急いだだけだよ」
「いや、でもそれ……」
「うるせぇ! 俺のことは良いんだ。それよりお前のことだろ。テメー、なにメソメソしてやがる」
そう言って、少年は仲間の胸ぐらを掴み噛み付くように言う。
「人生終わりみたいな顔しやがって……良いか。ここで魔物を倒すのも故郷で牛を飼うのも本質的には変わらない。どっちも人の生活を豊かにする仕事だ。そうだろ!? なのにそんな顔で村に戻ったら、村のみんなに失礼だろうが!」
言われた少年はポカンとした表情で押し黙っている。
数秒の間を開けて、二人を見ていた少女が堪えきれなくなったように笑い声を上げた。
「あはは! ちょっと、慰めるの下手すぎでしょ」
「うっ……うるせぇな。別に慰めてねぇ。コイツがウジウジしてっからムカついただけだ」
二人のやり取りに、気を落としていたらしい少年からも思わず笑顔が溢れる。
「二人とも……ありがとう」
「お前の作ったチーズ、できたら送れ」
「……うん」
「絶対だからね?」
念を押す少女に、少年は優しく微笑みかける。
「約束するよ。でも……本当にここに残るの? 勇者を続けるにしても、ここじゃないといけないわけじゃないんだし」
至極真っ当な意見である。あの様子だと勇者歴もそれほど長くなさそうだし、ここより活動しやすい街はいくらでもある。
しかし彼らの決意はすでに固まっているようだ。少女が小動物を思わせる丸い目に信念を灯しながら頷く。
「私たちまだまだ未熟だけど、それでもこの街で挑戦してみたいの。絶対無駄にしないから……この街にチーズ送ってよ」
一方、少女と違い、少年は口を開こうとはしなかった。かわりに何やらゴチャゴチャと物の詰め込まれたリュックから麻袋を一つ取り出し、ぶっきらぼうに突き付ける。
「ん! ……やる」
「それは――」
「俺たちのこと……忘れてほしくないから……!」
少年は声を震わせながら、強引に麻袋を握らせる。そしてバッと振り返り、仲間に背を向けながら天を仰いで目元を押さえた。
「クソッ! なんか目が染みるな!」
不器用な少年の姿に、少女がクスクスと笑みを漏らす。
「見送りのときにソレを渡したいって聞かなくて、私たちが寝てる隙に一人で森に行っちゃったんだよ。寝坊なんてウソウソ。それで見送りに遅れちゃ意味ないけどね」
「よ、余計なこと言うなよな!」
盛り上がる二人だったが、麻袋を渡された本人は困惑の表情を浮かべていた。
麻袋なので、当然中を見なければなにが入っているかは分からない。両手に収まるほどの大きさのなんの変哲もない麻袋に見える。血が滴っていることを除けば、だが。
「えっ、なに? 本当になにこれ」
「オークの首だよ! とれたてほやほやだ。まだ温かいだろ」
仲間の「当然だろ」と言わんばかりの言葉にも納得がいかなかったらしい。少年は血の滴り落ちる麻袋を自分の体から遠ざけながら短く尋ねる。
「なんで?」
「俺たちが勇者になってから初めて討伐したのオークだったろ。三人で死にそうになりながら倒したよな」
「今回だって随分苦労したみたいだけどね?」
「うるせーって!」
どうやらオークの首は嫌がらせじゃないらしい。
優しい少年だ。せっかくのプレゼントを無下にはできなかったようだ。引き攣った顔に笑みを浮かべ、彼は血の滴る麻袋を強く握った。
「害獣避けになりそうだね……ありがとう……」
布で幾重にも包まれたオークの首は、新たな旅立ちの時を迎えた少年と共に馬車の中へ入っていく。いくら別れを惜しんでも、馬車の出発時間は変えられない。
フェーゲフォイアーを離れて小さくなっていく馬車を見送りながら、街に残ることを選んだ少女は少年に尋ねる。
「……で、それどうするの?」
無事に仲間を見送ることができて気が抜けたのか。少年が崩れるように地面に片膝をついた。
その腕はひしゃげ、横っ腹からはハラワタがはみ出ている。呼吸は荒く、顔色も悪い。出血量もかなりのものだったろう。
少年は少女を見上げ、首を横に振った。
「こりゃダメだ。楽にしてくれ」
「りょーかい」
言うが早いか、少女は素早く抜いた短剣で今やたった一人になったパーティメンバーの喉笛を掻き切った。
血飛沫を吹き上げ、少年は受け身も取らずどうと倒れる。やがて光に包まれた少年は瞬く間に棺桶入りの死体に姿を変えた。
「よーし」
少女はナイフに付いた血を振り払いながらテクテクと歩く。その後ろを棺桶が滑るように着いていく。
ただ歩くだけで勝手に後ろをついてくる棺桶は死体を運ぶのに非常に便利だ。息も絶え絶えの仲間を担いで宿屋のベッドを汚しながら看病するより手軽で確実に回復できる。まぁそこまで割り切れる人間は一般的には多くないが、フェーゲフォイアーではスタンダードなやり方である。
たくさんの勇者がこの街を訪れ、適応できた者のみが残る。だからこの街の狂気は薄まらないのだ。
おっと、ついつい最後まで新参勇者の旅立ちを見物してしまった。
彼らはきっと蘇生するために教会へ向かったのだろう。俺も早く教会へ帰ってやらねば。そしてできれば三十分で良いので仮眠を取りたい。正直限界だった。このまま茂みの中で眠れそうだ。
『いや…………戦力差が…………今はまだ…………』
うん? 聞き取りずらい、妙にくぐもった声がする。誰だ? 俺は茂みの中で寝ぼけまなこを擦りながらキョロキョロ辺りを見回す。
『…………でも…………魔王城は…………』
魔王城? ますます気になる。何の話してんだ?
市場の方じゃなく、人通りのない川辺から聞こえてくる気がする。
俺は茂みから首を出し、声の主を探す。
『そう…………アイツらおかし…………あっ』
「あっ」
くりくりした丸い眼と視線がぶつかる。
滑らかな毛並み、小さな体、言語を喋るのには不向きだろう突き出た口、人に愛玩されるためだけに進化したあざといまでにカワイイ姿。
小型犬である。俺は叫んだ。
「イギャアアァァァァァ! シャベッタァァァァ!」