「大丈夫か神官さん!」
「泡吹いてるぞ。解毒剤解毒剤!」
「震えが酷い……毛布かけてやれ!」
ま、眩しい……
箱から救出された俺を勇者たちが覗き込む。
「なにがあった? 喋れるか、神官さん」
ちらりと祭壇の前に視線をやる。息絶えたエイダから少し離れた壁際にドロドロに溶けた肌色の液体が広がっていた。パステルの分身など最初からいなかったかのように消えている。
ガチガチと歯のなる音がうるさく響く。
勇者の問いかけに、俺はやっとの思いで首を横に振った。
勇者たちの哀れみを帯びた視線を感じる。
「もう少し落ち着くのを待とう。魔物に殺されかけたんだから怯えるのも当然だ」
殺されかけたのは魔物ではないが……
*****
「シェイプシフターだね。死んでるけど」
瓶に入った肌色の液体を揺らしながらマッドが呟く。床に広がっていたそれをどうにかして集めたらしい。
カタリナがドロドロした気持ちの悪い液体に顔を顰めながら尋ねる。
「なんですかそれ」
「ミミックとか、そういう他の物や生物に擬態する魔物の一種だよ。でも人間に化けるのはかなり高度だね。だいたいサイズ感がおかしかったり顔のパーツの位置が微妙にズレてたりするから見破れることが多いんだけどな。そんなに似てたの?」
「本当、そっくりなんてものじゃなかったですよ! 多分ただ立ってるだけなら本物と偽物が並んでいても見分けつかないと思います」
おうおう、偽物を見破れなかったカタリナさんが言い訳がましくなんか言ってやがるぜ。
まぁ……確かにヤツの擬態は完璧だった。見た目だけに限定すれば、俺もアイギスの偽物を見破れなかったかもしれない。
マッドが腕を組み、「ううん」と唸る。
「ユリウス君が殺されていなかったところを見ると……生物の状態をそのまま写し取って擬態するタイプだったのかもしれないね。死体からは情報を写し取れないとか? それにしても良かったね、殺されなくて」
良かったなんて簡単に言えるかよ。俺は自らの両肩を抱いて震える。
「私が見た喋る犬もきっとコイツだったんです。カワイイ小型犬の姿で情報収集して、教会と蘇生がこの街の要だって分かるなり私に成り替わろうとしたんですよぉ。奴らの本拠地にも情報がいっているはずです。この教会はきっとまた狙われる……」
カタリナが小首をかしげて呟く。
「そんな面倒な事せずに殺しちゃえば良かったのに」
「なんてこと言うんですか!」
「ま、ユリウス君をただ殺しても新しい神官が派遣されるだけだから意味ないかもね」
クソマッドめ……破門された身だからって軽く言いやがって……一ミリも間違っていないところがなおさらムカつく……
俺にとって俺の命は替えの利かない尊いものだが、王都でのうのうと生きているお偉いさんにとっては俺の命も勇者の命とそう変わらないのだろう。蘇生はなにも俺だけが持っている術ではない。貴重な人材という自負はあるが、代わりはいくらでもいる。
あームカつくムカつくムカつくムカつく!!
クソがッ! こんなとこで消耗品みたく死んでたまるかよ。ぜってぇ生き延びてやる。俺は長生きしたいんだ。
「とにかく、この街が魔物に狙われているのは確実です。今まで以上に警戒しなくてはなりません」
「あのう……」
カタリナが恐る恐るという風に手を挙げ、視線を教会に並んだ長椅子に向けた。
「あそこにいる方は死んでるんでしょうか。生きてるんでしょうか……」
ああ? んなことどうでも良いだろうが。
俺は教会の長椅子にうつ伏せになっていじけているエイダから視線を逸らす。
「勇者の生き死になど大した問題じゃありません。今蘇生させるか、まだ蘇生させなくて良いかの違いしかないのですから」
「酷い!」
だが俺たちは違う。俺たち一般人の命は壊れれば元には戻らない。尊い命が失われるようなことになってはならないのだ。
そのことに悩んでいるのは俺だけではないらしい。
*****
「ここ最近の領主様の変化には戸惑ってもいるが……理由はどうあれあの方が元気になられたのは喜ばしい事だ。以前よりも活動的になられたし、表情も明るくなった」
すっっっげぇポジティブに言うとそうだな。
俺は領主様の護衛の一番偉いっぽい人ことフランツさんの言葉にふんわり頷く。
だがその言葉とは裏腹に、彼の表情は暗い。フランツさんが続ける。
「しかし困ったことがあってな……最近私たちではなく、どこの馬の骨ともしれない勇者を連れて出かけられるのだ。確かに我々は勇者に比べれば魔物との戦闘には不慣れかもしれないが……」
急に教会を訪ねてきて何かと思ったら、そんなことに悩んでいるのか。もっと他に気になるところがあるような気がするが……まぁ良い。
こんな場所に赴任させられてしまったフランツさんに俺は心から同情している。俺は彼の肩にポンと手を置いた。
「あの勇者共は護衛というよりは肉の盾兼魔物の餌ですから。貴方たちを大事に思っているからこそダンジョンには連れて行かないのでは?」
と、その時だった。俺の言葉を嘲笑うような声が響く。
「クククッ……負け犬の遠吠えだな」
むっ、誰だ。
見ると、教会の扉からひょっこり顔を覗かせた男と目が合う。
アイツ領主様に付き纏っている――もとい、護衛としてたびたび領主様に同行している内臓露出狂じゃないか。
ヤツは下卑た笑みを浮かべ、フランツさんを指差して言う。
「薄く脆く、部屋に飾っておくしか用途のない盾に一体どれほどの価値がある?」
お前こそ臓物散らして撒き餌になるしか能のない紙装甲のくせによく言うぜ。
しかしフランツさんは真面目だ。受け流せばよいものを、ヤツの言葉を真に受けて悔しそうに唇を噛む。
「私だって……領主様のご命令であれば命など惜しくはない」
「口で言うだけなら簡単だよな」
「なんだと……?」
「お前はそう言いながら一度も命を投げうってないじゃないか。だからここに立っているんだろう。俺は違う。領主様を守れるならどんな犠牲も惜しまない。命だって喜んで差し出すさ。何度でもな」
命を差し出してるのはお前の性癖だろ。いい加減にしろ。
「おっと、無駄口叩いてる場合じゃねぇや。ちょっと聞きたいんだが、領主様はどこだ?」
内臓露出狂の問いかけに、フランツさんは吐き捨てるように答える。
「貴様に教える筋合いはないぞ」
「へぇ。城から連れてきた護衛が領主様の居場所も知らないのか。お笑いだな」
睨み合う両者。
正直この小競り合いになんの関心もないしクッソどうでも良かったが、俺は空気を読んであくびを噛み殺しながら真剣な表情を浮かべてジッと押し黙った。
そんな中、マッドが内臓露出狂の後ろからひょっこり顔を覗かせて空気を読まずに明るい声を上げる。
「ユリウス君! そんなの良いからさ、見てよ俺の試作品」
「試作品?」
嫌な予感がする……
内臓露出狂が怪しげに笑った。
「くく……良いだろう。一足先に見せてやろう。そして慄くが良い」
そう言って内臓露出狂が教会へと足を踏み入れる。マッドもそれに続いた。
一見、変わったものを持っている様子はないが。
「どうした。曲芸でも見せてくれるのか?」
フランツさんの挑発に、内臓露出狂はニタリと笑う。
「その通りだ……!」
内臓露出狂が腕を胸の前で交差させ、力を込める。
シャキン、と音がすると共に血飛沫が舞った。皮膚を突き破り、腕から刃物が伸びている。
「領主様の力になるため、俺は自分の体をより強くすべく改造手術を受けたのさ」
誇らしげに自分の血で濡れた刃を掲げる内臓露出狂。
マッドがその横に立って説明を始めた。
「神経の電気信号をキャッチして自分の意思で刃が出るようにしたんだ。普段は骨に沿うように収納されていて、戦闘の際は筋肉と皮膚を突き破って出てくるんだけど。ユリウス君どう思う?」
どうと言われても……
俺は悩んだ挙句、思った言葉をそのまま口にした。
「普通に短剣手に持った方が良くないですか」
「そう! それなんだよね~」
マッドが困ったように首を傾げる。
「やっぱ別の方法考えた方が良いって。今からでも触手移植しない? そっちのが絶対強いよ。まぁ拒絶反応リスクは高いけど」
「いやだァ! 触手とかカッコ悪いだろ。見ろ、足からも出せるぞ」
シャキンと音がして、太ももからも刃が飛び出た。それに一体何の意味があるのか。暗殺でもするならともかく、太ももから出た刃なんかでどう魔物と戦うのか。俺には分からない。
露出狂が膝に手をつきゼエゼエ肩で息をしながら、しかしどこか満足げに笑う。
「ふふ……見て……もらうんだ。領主様……に……」
なんもしてねぇのに虫の息じゃねぇか。出血しすぎだ。
「無理しないでください。早くそれしまって。今回復魔法を――」
しかし俺が回復魔法をかけるより早く、内臓露出狂がカッと目を見開いて踵を返し床を蹴った。
「ちょっと、どこへ!?」
「音がする……音がするんだ! 領主様!」
半ば体当たりするように教会の扉を開け、外へ飛び出していく。
出血のせいでおかしくなったか。正直放っておきたかったが死なれても困るので一応追いかける。
……なんか妙に暗いな。
「みんなー! 見てください、とうとうやりました!」
空から声が降ってくる。
俺たちは一様にアホ面晒して天を仰ぐことしかできなかった。
バサバサうるさい羽音、教会の敷地全てを覆うような巨大な影。ドラゴンだ。ドラゴンの背にロンドが乗っている。
「ドラゴンとお友達になれました!」
ロンドがこちらにブンブン手を振っている。その手にしっかり謎のスイッチが握られているのを俺は見逃さなかった。
ドラゴンの目が心なしか濁っている気がする……
「ちょっと散歩行ってきますね! 夕飯までに戻ります」
ロンドとドラゴンは教会の上空をぐるりと回り、一気に高度を上げて小さくなっていく。あの距離からでは俺たちの声など届かないに違いない。
大空を自由に羽ばたくドラゴンをぼんやり眺める。なんか、小さい悩みなんてどうでも良くなってくるな。
念願のドラゴンを手に入れたロンドの眼中に今更人間の護衛など映ってはいるまい。脆弱なボディに少々機能をプラスしたところで、ドラゴンの前ではそんなもの些細な差でしかないのだから。
フランツさんがなにか悟ったように言う。
「あんなに楽しそうに……少し寂しいが、領主様の交友関係が広がるのは喜ばしいことだ。私の頭が固かったんだな」
フランツさんがくるりと振り返り、内臓露出狂に向き直る。
「これからも領主様を頼む。我々も別の角度から、最大限力を発揮できる方法で領主様のサポートを――」
しかしもはや内臓露出狂にフランツさんの言葉は届いてはいなかった。
ぐらりと重心が傾き、受け身も取らず仰向きに倒れる。
「お、おい! 大丈夫か!?」
白目を剥いて泡を吹く露出狂に駆け寄り、フランツさんは顔を蒼くした。
「し……死んでる……!」
出血で弱った体に精神的ショックがトドメを刺したか。痛みで動くのだってやっとだったろう。
人間の体は脆い。いくら強力なオプションをつけようと土台が脆ければ簡単に崩れる。
露出狂にとって、自分を見てもらえないというのは改造に伴う痛みよりも辛いことなのだろう。最初から強くなるために体に刃を仕込んだのではなく、ドラゴンに夢中になっている領主様の注意を引きたかっただけなのかもしれない。
俺は空を見上げて、太陽の眩しさに目を細める。そして心の中で呟いた。
気っっっ持ち悪りぃ〜
俺に狂った性癖の後始末をさせるな。
光に包まれる死体に唾でも吐いてやりたかったが、フランツさんの前なので我慢した。偉い。
フランツさんはフランツさんで光に包まれ消えていく露出狂を見下ろして眉尻を下げる。
「そんなになってまで領主様を守りたかったのか……」
フランツさんはポジティブだった。
なんでこう、この街には捻くれたヤツばかり集まるんだ。
気を引きたいにしてももう少しやりようがあるだろ……どいつもこいつも面倒くさいヤツばかりだ。
とはいえ、どんな理由であろうと勇者が死ねば俺は蘇生をしなくてはならない。それは神官の義務だ。
俺は舌打ちしながら露出狂の蘇生を進めていく。死因になったクソ役に立たねぇ刃も没収だ。アルベリヒに売りつけてやる。
不幸中の幸いなのは、健康に生きている勇者に俺がどうこうする義務はないということだ。
俺は露出狂の蘇生を進めながらそーっと顔を上げる。長椅子にうつ伏せに寝そべったエイダが視界に入った。
あいついつまでああしてるつもりだ……いよいよ我慢比べの粋に達してきた……