カリカリ……カリカリ……
んん……？
なんか変な音がする……
柱が軋んでいるのか、あるいは風で揺れる木々が窓枠でも引っ掻いているのか。
毛布の中で寝返りを打つ。薄目を開けるが、夜明けまで時間があるらしく目を開けても閉じても大して視界は変わらない。まだまだ眠れるということだ。頭がハッキリしていたのはほんの一瞬だった。冬の二度寝は最高だな。
俺の意識はすぐに微睡みの沼に引き込まれていった。
「取れない……取れない……」
意識の途切れるその瞬間、どこかで女の声が聞こえた気がした。
*****
朝が来た。
窓から差し込む光が容赦なく俺を叩き起こし、渋々ベッドから這い出す。首が痛ぇ。寝違えたか？ いや、コレのせいだな。
俺は鏡を覗き込む。昨日マッドに着けられた金属製の首輪が朝日を受けて憎たらしく光っていた。
なんとかして外せねぇかなぁ、これ。
……ん？ 俺は首輪をなぞる。指先に感じる微かな凹凸。
こんな傷だらけだったっけ首輪。気付かないうちに意外と傷付くもんだなぁ。
さて、ルッツとマッドに教会は任せた。
これで実家帰れるぜ～
とスキップで街を出るのは簡単だ。しかし適当に仕事を放り出してなにかトラブルでもあれば、困るのは帰ってきた時の俺である。
休暇明け一発目から血塗れの教会で死体の山を見せられるのは勘弁してもらいたいからな。
死体が教会に溢れるのを阻止するため、二つ方法を考えた。
一つは教会での蘇生力を上げること。しかしこれは難しいだろう。マッドの場合、技術に関しては申し分ないがヤツは正式な神官ではない。神の加護を受けられず、教会にいても魔力切れを起こし、蘇生にも時間がかかる。そこの問題は俺の力ではどうにもできない。
ルッツはマッドとは逆だ。あんなんでも一応正式な神官ではあるが、技術力に難がある。どうにかできるとしたらルッツだが、正直時間が足りない。
そこでもう一つの方法だ。
それは教会に降り注ぐ死体を減らすこと。つまり勇者の死亡率を下げれば良い。
ということで。
「神官先生の回復魔法講座始まりますよ～」
長椅子に座ってつぶらな瞳をこちらに向ける勇者共を見回しながら、俺は祭壇の前で教鞭をとる。
「小さな出血大きな後悔。戦闘中は脳内で興奮物質がドバドバ出ているので大した怪我じゃないように感じるかもしれませんが、失った血は確実に貴方たちの動きを鈍らせます。こまめな回復を心掛けましょうね～」
「は～い」
なにが「は～い」だクソカス共。ホントに分かってんのか？
この街にはヒーラーが圧倒的に少ない。理由は諸説あるが、身体能力が低く身を守る術の少ないヒーラーが他人を回復する暇もなく真っ先に死ぬので全く役に立たないからという説が有力だ。悲しいことに前衛を務める勇者にもヒーラーを守って戦う余裕がない。
また、この辺の魔物は強すぎて一撃がそのまま致命傷になることも珍しくない。心のどこかで回復を諦めている節があるんじゃないか？
確かに生きて戦うというのは辛く苦しいことだ。いっそ死んでしまった方が楽な場合もある。死ねば自動的に教会に転送され、次に目覚めた時には傷一つない体を取り戻しており、平坦な道を数分歩くだけで宿屋や酒場へ辿り着くことができる。傷だらけのまま、重い荷物を担ぎ、辺りに潜むモンスターに怯えながら足場の悪い獣道を何時間も進んで街へ帰るよりよほど楽だ。
でもね、俺はそんな簡単に生きることを諦めてほしくない！
もっとこまめに回復することで勇者の死亡率を下げられるのではないか。また、普段攻撃することばかり考えている勇者も回復魔法を学ぶことで命の大切さを感じ、無茶な戦い方を改めてくれるのではないか。
まぁ多分無理だな。しかし一縷の望みをかけて、俺は勇者たちを見下ろす。
「じゃあ座学やっても仕方がないので、さっそく実践と行きましょう。まずは二人組を作りましょうね～」
「は～い」
長椅子に座った勇者共が続々とペアを作っていく。
よし、だいたい二人組を作れたかな。うん？ 俺は最前列の椅子にぽつんと縛り付けられた悲しい生徒の元へ軽快に駆け寄る。
「おやおや、グラム君余っちゃったんですか？ 仕方ないなぁ、じゃあ神官先生と組みましょうか」
ペアを作れなくて悔しかったのかな？ グラム君がギリギリ歯を軋ませながら唸るように言う。
「何度でも言うけどよ……俺魔力ないんだよ！ 教えられても回復魔法なんて使えねぇの！」
「なら私も何度でも言いましょう。魔力なんてねぇ、気合で発現するときもあるんですよ。何事もチャレンジ！」
俺は先生スマイルを浮かべ、落ち込む不良生徒を叱咤激励する。
グラムは相変わらず反抗的な眼をしているが、それ以上口を開くことはなかった。後ろで学級委員長のアイギスさんが目を光らせているからである。
まぁ、グラムは魔法使えないの分かってて俺が敢えて連れてきたんだけどな。デモンストレーション用の教材として。
俺は教鞭を置き、女神像（小）に持ち換える。
「まずは神官先生がお手本を見せますからね。よーく見ておくように。では手始めにペアの人を殴ります」
「なんでだよ！」
むっ、不良生徒が教師にツッコミを入れてきやがった。生意気なヤツめ。
しかし物分かりの悪い生徒に説明するのも教師の務め。俺は懇切丁寧に説明をしてやる。
「回復魔法は傷がない人間にかけても意味ないですから。癒やすための傷を作らないと」
「いや、そうは言っても……っていうかお前、自分が休暇取りたいからってこんな事」
ゴチャゴチャうるせ～！
俺は女神像（小）を振り上げ、グラムの頭に叩きつける。ゴッ……という鈍い音が響き、グラムが白目を剥いた。
これでよし。静かになったな。
「この時、殺さないよう細心の注意を払ってくださいね。ではこの傷を回復魔法で癒やしていきます」
そう宣言して、俺はグラムの頭の傷をちょちょっと修復してやる。
この程度なら大して難しくはない。ちょっと魔力があれば誰にでもできる。しかし訓練を積んでいけば薬草やポーションでは対応できない重傷者の傷も癒すことができるはずだ。
俺は女神像（小）に付着した血を拭いながら可愛い生徒たちを見回す。
「まぁこんなところですね。なにか質問がある方は？」
「はいはい！」
カタリナが勢いよく手を挙げる。
うんうん。こういう時恥ずかしがらずに質問ができるのはとても良い事だな。
俺が快く発言を許可すると、カタリナは俺を指さして言った。
「その首のヤツなんですか？ 急に集められた上に神官さんがそんなの着けてるので、デスゲームが始まるんじゃないかってみんな怯えてます」
俺はマッド謹製首輪を撫でながらシュンとした。
「このデスゲームはソロプレイ用なのでご安心ください……私もできれば皆さんを巻き込みたかったですが……」
忘れてたのに思い出しちまった……首輪の存在……
コレ実家帰った時なんて説明しよう……久々に帰ってきた息子の首に爆弾モドキがついてたらひっくり返るどころの話じゃないだろ……
まぁマッドも爆弾じゃないし死にはしないって言ってたから、多分軽い脅しくらいのつもりなんだろう。見た目は完全にデスゲーム参加者だが。
仮にタイムリミットが来ても大したことは起きないと思うが、一応早めに街へ戻れるよう余裕を持ったスケジュールを組んだつもりだ。
首輪のカウントダウンは街を出た瞬間から始まるらしいので、今は安心して授業ができる。
おっと、そうこうしている間に勇者たちが教材作りに着手し始めた。つまり殴り合いだ。大きな傷であるほど治癒の難易度が増して自分の首を締めるはずだが、俺の生徒たちは難易度の高い課題に挑みたがる勉強熱心なヤツが多いらしい。お前それ殺しちゃってない？ 大丈夫？ みたいなのもいる。高みを目指す心意気は評価したい。
教会の床が勇者たちの流した血で汚れていく。早く治療しないと蘇生が必要になってしまいそうだな。俺は生徒たちに指示を出す。
「じゃあ皆さん、さっそく回復魔法でペアの傷を癒してみましょう」
俺は後ろで手を組み、教会――もとい教室内を練り歩く。
魔法はセンスだ。攻撃魔法を扱える勇者が回復魔法も得意とは限らない。逆もまたしかり。ほとんど魔法を使った事のない勇者が天才的な回復魔法を見せる可能性だって無きにしも非ず。
ん？ 誰かが俺の袖を引っ張った。メルンだ。
「パパー見て見て」
メルンが隣に座ったペアの勇者を指し示す。恐らく集会所の勇者なのだろう。纏った白装束が自分の血で赤い模様を描いている。
どれどれ。俺は勇者の髪を掻き分け、頭部に走った裂傷を見る。肉が十分に盛り上がっておらず陥没しているが、一応は止血できてるな。
俺はメルンの頭をわしわしした。
「わ～、上手ですよメルン」
「えへへ」
それがライバル団体の闘争心に火をつけたようだ。
今度は黒ずくめ衣装に仮面という授業に対する真剣さを全く感じられない格好をした勇者が負けじと手を挙げた。
「神官先生神官先生！ 俺のは？」
秘密警察である。俺はささっと駆け寄り、同じく黒づくめの格好をした勇者の頭に走った裂傷を見る。まぁ止血はできているが、肉が十分に盛り上がっておらず陥没してるな。
俺は秘密警察の頭をグリグリした。
「全然ダメ。本気でやってこれですか。冗談でしょう」
「えっ、厳しくないですか！？ そんなに出来変わらないでしょ。えこひいきだ！」
「は？ 教師に向かってなんですかその態度は！」
一介の秘密警察風情がメルンと同じ対応を求めるとは、身の程を知らなさ過ぎて笑えてくるな。
あの女の能力は本当にヤバいんだ。宿屋のババアでさえ、殺して埋めるしかメルンを封じる方法をみつけられなかった。今の安定した状態を保つため、俺はメルンの好感度を稼ぐ必要があるのだ。お前らのような十把一絡げの雑魚と一緒にするな。
と、そのまま言うわけにはいかないので。
「画一的な教育で生徒は伸びない。花によって必要とする肥料が違うように、生徒たちも必要な言葉が違うのです」
「さすが庭でバケモノ育ててる人間は言うことが違いますね」
なんだとォ……？
これは教育的指導が必要なようだな！
しかし俺が手を下すまでもなくあらぬ方向から鉄拳制裁が飛んできた。いや、鉄拳っていうか鉄剣っていうか……
秘密警察の左右のこめかみを結ぶように貫通した剣先から血が滴る。すべての闇を濃縮したような瞳にそれを映しながら、オリヴィエが噛んで含めるように言う。
「マーガレットちゃんを育ててるのは僕だ」
生徒同士、意見の違いでぶつかることもあるだろう。時には拳で語り合うこともあるかもしれない。そういった衝突を乗り越えて友情を育み、少年は大人になっていくのだ。まぁ厳密に言えば死んでいるので成長はないのだが。
さて、俺は生徒の自主性を重んじるタイプなので見て見ぬふりをして祭壇の前へ戻った。
「じゃあ次は攻守交替してやってみましょう。十分な傷を負っていない人はきちんとペアの人に殴ってもらいましょうね」
その言葉を受けて、最前列で縛り付けられていたはずのグラムがぬっと立ち上がって俺の前に立ち塞がった。
ヤツは千切れた縄を床に零しながら、俺の顔を見てニヤリと笑う。肩に担いだ斧の刃先がギラつく。
「攻守交替な」
「いっ！？」
俺は転がるように飛び退き、振り下ろされた斧の風圧を鼻先で感じながらなんとかそれを回避する。
床に深々突き刺さった斧を引き抜きながら、グラムがやれやれと首を振った。
「おいおい動くなよ……手元が狂って殺しちまったらどうすんだ。心配すんな、俺が回復魔法で治してやるからよ」
「あ、貴方魔力無いじゃないですか」
「何事もチャレンジだろ」
ヤベェ殺られる！
とはいえ俺は案外冷静だった。二人だけならともかく、今この教会には勇者が山ほどいる。
アイギス、出番だ。
俺は横目でアイギスを盗み見る。
「…………おかしいな。なんでだ？」
我が教室の学級委員長は力なく項垂れる勇者の傷とにらめっこしてる。
近くに座っていた秘密警察が勇者の首元に手を当て、そしてゆっくり首を振った。
「アイギスさんダメですよこれ。死んでますもん」
「なんだと？ 少し撫でただけだぞ」
アイギスが人体の脆さに疑問を抱いている。
悲しきモンスターかよお前はよ……
いや、しんみりしてる場合じゃない。
「誰かー！ 校内暴力です！」
俺は声を上げて助けを求めた。
しかし講義中の静かな教室ならともかく、すでにあちこちで校内暴力が勃発していてこの騒ぎが埋もれてしまっている。
勘弁してくれ。斧を振り上げるグラムを見上げる。
今怪我したら帰省できなくなるだろ。こんだけ勇者がいてなんで誰も来ねぇんだ。頼むから誰か助けてくれ！
俺の願いが神に通じたのだろうか。
グラムの横っ面をなにかがはっ倒した。
「うわああっ！？ なんだこれ、気持ち悪……う……」
毛糸で編まれた細長いマフラーがひとりでにグラムの顔面に覆い被さり締め上げる。グラムも藻掻くが、裏面に生えたイソギンチャクを思わせる触手がガッチリ掴んで離さない。
やがてグラムの手から斧が溢れ落ち、受け身も取らずどうと倒れ伏した。
「お、お前」
マッドの言葉が脳裏に浮かぶ。俺と教会を守る人工生命体。そうか、お前はずっと俺を守ろうとして……
俺は絞め落とされたグラムの横に転がった斧を手に取り、マフラーに向かって振り下ろした。
「ピギィッ！？」
チッ、避けられた。
マッド謹製マフラーがピイピイと鳴きながらその細長い体をうねうねとさせる。そのたびに裏側にビッチリ生えた短い触手が見え隠れして俺の全身の毛を逆立てた。
ようやく姿を現しやがったな、この不快害布め。
お前が来てから首にちょっと服が触れたり柱が軋んで物音がするだけでビクッてなんだよ。絶対どこかにいるけど姿が見えないというのが一番キツい。
ちょっとチンピラから助けたくらいで絆されると思うなよ……駆除してやる……
「ピイイィィッ！」
ガラスを引っ掻くような不快な鳴き声を上げながら床を這い逃げ出すマフラー。
俺は重い斧を引きずるようにしながらそれを追う。くく、どこへ逃げても無駄だ。この教会にお前の逃げ場など……おい待て、そっちは俺の部屋だやめろ！
くそっ、鍵を掛けられた。扉に拳を叩きつけるがビクともしない。ひいっ、中からガサゴソ音がする！ やめろ、俺の部屋を這いまわるな！
俺の体の中で恐怖が怒りに変換されていく。
気が付くと、俺はグラムの斧を扉に叩きつけていた。
「ピギャーッ！！」
斧を叩きつけるたびに室内からガラスを叩き割ったような悲鳴が響く。
馬鹿め。自ら密室に逃げ込むとは。待ってろ、お前の体をズタズタにしてやる。俺の安眠生活はすぐそこだ。
重い斧を振り降ろし、木製の扉に穴を穿つ。四角く開いた穴に顔をはめて室内を見渡す。扉のすぐ脇で震えているマフラーが目に入った。自然と口角が上がる。
「見つけたァ……」
「ピギャアアアァァァッ！！」
獲物の悲鳴が心地良いなぁ……
が、不快害布の駆除を目前にして、俺は急に扉から引き剥がされた。
「な、なにやってんですか神官さん！」
勇者たちである。今更なにしに来た。
あぁ、さすがに教会内で斧振り回して扉ぶっ壊してたら勇者たちも騒ぎに気付くか。この状況だけ切り取って見たら俺の気が狂ったと思われるのも仕方がないのかもしれない。
俺は冷静さを取り戻し、斧を撫でながら勇者たちに状況を端的に説明する。
「私の部屋にマフラーが逃げ込んだので、今殺そうとしてるんです」
教室内が静寂に包まれた。
誰かがポツリと漏らす。
「か、完全に狂ってる……」
「へ？ い、いや違」
秘密警察が俺の手から斧を取り上げる。
「あっ、なにするんです！ 返してください！」
「神官さん、マフラーは逃げません」
「普通のマフラーは逃げませんけど、裏にビッチリ触手が……」
勇者が俺を後ろから羽交い絞めにする。
「もう良いっ！ 休め……休め神官さん！」
「神官さん……どんなに辛くてもクスリに手を出したらおしまいだよ……」
誰がヤク中だ！
幻覚なんかじゃない、本当にいるのに！ そこに不快害布が！
しかし喚けば喚くほど勇者たちの拘束は強くなる。
結局勇者たちによる尋問に時間を取られたせいで触手付きマフラーを見失い、肝心の回復魔法もロクに教えられなかった。
でも俺の精神が相当キてると勘違いしてくれたお陰か、勇者たちが俺の帰省を快く受け入れてくれるようになったのでオールオッケーだな。
休暇明けのことはもう知らん。
