はぁ~、平和だなぁ。
俺は日の光の中をのんびりと歩いていく。
小競り合いをする勇者の攻撃に巻き込まれる恐れもないし、血溜まりで靴が汚れる心配もない。
これも姫様が滞在しているお陰だ。姫様の眼を汚さないよう、汚物が一掃されて街はすっかり綺麗になっている。今日も姫様たちは何も知らずこの綺麗な街を歩くのだろう。
しかし当然汚物が消えたわけじゃない。それは一か所に集められ、見えないところに押し込められているに過ぎないのだ。
薄暗い階段を降り、白装束の看守に軽い挨拶をして牢を隔てる鉄扉を開けてもらう。
地上から一掃されたフェーゲフォイアーのゴミが濃縮された場所――それがここ。フェーゲフォイアー地下監獄。
ここには何度か来ているが、なんか……前こんなんじゃなかったよね?
『いのちだいじに~いのちだいじに~いのちだいじに~』
妙に明るい子供たちのノイズ混じりの歌。
『人を殺してはいけません人を殺してはいけません人を殺してはいけません』
子供に言い聞かせるような、しかし有無を言わさぬ威圧感を持つ女の猫なで声が暗い牢獄に響き渡る。
それから、なんだこの匂い。香でも焚いてるのか? なんとなく脳の活動が鈍るような、甘ったるい匂いが充満している。
これもまた集会所の更生プログラムの一種なのだろうが……なんか精神が汚染されそうで嫌だな。匂いくらいは防ぎたくて、俺は神官服の袖で口元を押さえる。ゴミ箱ってか肥溜めだな、もう。
集会所の連中は肥溜めのクソをなんとか肥料にできないか試行錯誤しているようだが、この前の仮釈放チャレンジ以来この監獄から出所できた者はいない。どうやら更生プログラムの成果はまだ出せていないようだ。
俺は足早に廊下を進む。
洗脳BGMに紛れて奥からなにやら声が聞こえてくる。近付くにつれ、徐々に会話の内容がハッキリ聞き取れるようになってきた。
……見えてきた。牢の中の冷たい床にうつ伏せになった黒髪の女。それを牢の外から覗き込む白衣の男。
「だって……だってドラゴンが……」
「そうだよ。そうそう。周りがみんな悪いんだ。君が不幸なのは全部周囲のせいだよ。でも周囲を信じたのは自分でしょ? 君さ、なにかに依存しないと自分を保てないタイプだよね。見れば分かるよ。他人なんか信じるからこんな事になってるんだ。欲しいものがあるなら捻り潰してでも手に入れなよ。雛鳥みたいにわあわあ喚いて口開けてれば誰かが与えてくれるとでも思ってるの? だいたいドラゴンを殺せないのだって君の力不足だし、シェイプシフターの正体を見破れなかったのだって君の知識不足だし、この街に来たのだって君の危機管理能力が足りなかったんでしょ。そうやって分かりやすくウジウジしてるのだってどうせ他人の気を引きたいからで、そこでも結局他人を信じてるから」
俺はダッシュでマッドに近付いてヤツの白衣の襟を引っ掴み、またダッシュしてヤツのガラス張りの特別独房へ駆け込んだ。
息を切らす俺をジッパーが迎える。
「あら? やっと遊びに来て下さったんですね、神官さん。大したものはありませんが今お茶をお出しします」
腹のあたりから出した触手で血塗れの器具の手入れをしていたジッパーが、今度は背中から触手を伸ばし器用に茶器を取り出してお湯を注ぐ。触手って便利だなぁ。
「来てくれるなら事前に言ってよ! 今ちょうど実験体切らしてて……ちょっと待ってて、その辺の牢から引っ張ってくる」
ふざけんな! 俺はマッドの狂った研究を手伝いにきたわけでも、血生臭い部屋で茶を啜りにきたわけでもない。まぁ出されたら飲むけどね。俺はジッパーの触手からカップを受け取りながら部屋を飛び出そうとするマッドの白衣の襟を引っ掴む。
「さっきエイダになにやってたんですか」
するとマッドは白衣のポケットに両手を突っ込み、あっけらかんとして言う。
「エイダ? ああ、あの隣の牢の女ね。なんていうのかな。人生相談?」
あんな人生を終わらせたくなるような人生相談があってたまるか。
さらに追及すると、マッドはあっさりゲロった。
「俺も洗脳やってみたくてさぁ。外科的手術も薬品も使わない方法で」
あれ洗脳なのか? ド直球の暴言で自殺に追い込んでるのかと思った。いや、洗脳なら良いってわけじゃないけど。
なんか嫌な予感がしてたから様子を見に来たが、やっぱりこうなってたか。
マッドが腕を組み、天井を見上げながら続ける。
「でもやっぱ向いてないなぁ。洗脳って人の弱みにつけこまないといけないじゃん? でも興味ない人間の弱みなんてますます興味ないし」
「……その割には結構的を射た言葉だったと思いますけど」
「ジッパーの受け売りだよ。俺の主観も入ってるけど」
「貴方までなに協力してるんですか!」
ジッパーはウサギ頭の中から申し訳なさそうな声を漏らす。
「すみません。まさか本人に直接言うとは思わなくて。でもドクターに悪気はないんですよ。好奇心が先走ってしまうだけで」
お前そればっかだな! 悪気ナシに人間を洗脳しようとする方がヤバいだろ普通に考えて。
「……それに、洗脳だろうとなんだろうとあの方の気が楽になるなら良いかと思うんです」
あぁ……まぁね。
隣の牢から壁を突き抜けて凄まじい負のオーラが漂ってくる気がする。ショック療法……のつもりか?
ジッパーがウサギ頭の中でため息を吐いた。
「なにか他に夢中になれるものを見つけられると良いのですが」
一方、マッドはエイダの話題に飽きたらしい。
「そんなことよりさ、セシリア先生来てるんだよね? まだこの街にいるの?」
そういやコイツも神官だからな。当然俺と同じ母校なわけだ。俺は頷く。
「いますよ。挨拶したいんですか? やめといた方が良いと思いますけど」
「まさか。あの人異端審問官もやってるでしょ。できればもう二度と会いたくないね。まぁ破門の身じゃなくてもいかないけど」
異端審問官? そんなこともやっていたのか。先生も多忙だな。
異端審問官は確か監察官の上級職だ。監察官と同じく教会の教えに背く異端者を排除するのが務めだが、与えられた権限は監察官より強く、できることも多い。具体的になにができるかというと……なんか授業で習った気がするけど忘れた。
マッドが壁にもたれかかり、白衣のポケットから片手だけだして髪をクシャクシャといじる。珍しくヤツの顔から薄っぺらい笑みが消えていた。
「あの人苦手なんだ。神への祈りがどうとかふわっとした事しか言わないし。そんな目に見えないこと言われてもね」
ふうん。あの優しいセシリア先生を苦手とする人間なんているのか。まぁマッドのような薄汚れた心の持ち主にセシリア先生は眩しすぎるのかもな。
そういえば。セシリア先生の言葉が不意に脳裏をよぎる。
『解呪というのは細かな技術も必要ですが、最も大切なのは信仰心』
なるほどね。俺は嬉々として尋ねた。
「もしかして解呪苦手でした?」
しかしマッドは首を横に振った。
「なに言ってんの。俺に苦手な教科なんてあるわけないじゃん。俺が苦手なのは解呪じゃなくてセシリア先生だよ」
期待外れの言葉に俺は固まる。
…………セシリア先生理論で言えば俺の信仰心はコイツ以下なのか? それめちゃめちゃヤバくない? 普通にヘコむわ。
「ユリウス君解呪苦手なの? 教えてあげよっか? まぁ今は破門されちゃってるから昔みたいにできるか分からないけど」
「け、結構です。別に苦手じゃないし」
俺はマッドから目を逸らしながら強がった。
解呪練習しよ……
*****
姫様とセシリア先生のフェーゲフォイアー観光、もとい視察はおおむね平和に終わった。
式典の時は俺がほぼ一人でこの街のボロが出ないよう駆けまわる羽目になり非常に苦労したが、今回はロンドが勝手に手を回してくれたので気楽なものだった。領主が街にいるって良いもんですね。
しかし姫もセシリア先生も多忙の身。街を離れる日はあっという間に来た。
「元気そうで良かった。ロンドなら大丈夫だと思ってたけど。きっとまた来るから、そんな顔しないでよ」
困ったように笑いながら、姫様はドレスの裾が土で汚れるのも構わずにしゃがみ込んでロンドと視線を合わせる。
ロンドは今にも泣きそうな顔を前髪で隠すように俯き、無理矢理作っただろう明るい声を上げた。
「今度は僕が王都へ姉様を迎えに行きます。だから……それまで、どこにも行かないでくださいね」
「ロンドはいくつになっても甘えん坊さんね」
ロンドの金色の細い髪を撫でつけながら、姫様はその紫の瞳を優しく細める。
やがて立ち上がった姫様は、俺たちに向けて一礼して言う。
「短い間でしたがお世話になりました。引き続き、弟をよろしくお願いします」
相変わらず良い姉じゃないか。ロンドと同じ城で育ったとは思えないな。
挨拶を続ける姫様を遠巻きに眺めているとセシリア先生が俺の顔をスッと覗き込んできた。
俺が反応するよりも早く、先生は笑顔を浮かべて俺の肩に手を置く。
「貴方たちの顔が見られて良かったわ。これからも活躍を期待していますよ、ユリウス神官」
「あ、いや……はい。ありがとうございます。精進します」
俺が心にもない事を言うと、セシリア先生は満足げに頷く。
「ちょっと見ない間に本当に立派になったわ。まだ神官になって日も浅いし、少し早いような気もしたけれど……貴方には支えてくれる人が必要なのかもしれないわね。ここでの生活はハードでしょうし」
な、なんだろうこの違和感。
セシリア先生の言葉と笑顔に含みがあるような気がする。俺は恐る恐る尋ねる。
「その、一体どういう意味で」
「良いのよ、無理に言わなくても。でもその時が来たら貴方の口からちゃんと紹介してちょうだい。じゃあまたね」
ますます分からない……いや、違うな。本当は薄々勘付いている。でも認めたくない。予感が外れてくれていたらと願わずにはいられない。
しかし俺の祈りも虚しくセシリア先生はすれ違いざま、おぞましい言葉を耳打ちした。
「可愛い彼女じゃない。良い娘を見つけたわね」
外堀埋めだァッ!!
アイツまたやりやがった! 俺は頭を掻きむしる。こんなことやるヤツ一人しかいない。
パステルイカれ女め、一体先生になにを吹き込んだんだ!
「先生ェ! 違う、違うんです!」
俺は必死で間違いを正そうと声を上げるが、先生の姿は既に人ゴミの向こう。パステルイカれ女の高笑いが聞こえるようだ。
結局最後まで俺の声が届くことはなく、先生と姫を乗せた馬車はフェーゲフォイアーを発ったのだった……
******
「はぁ……帰っちゃいましたね……」
「…………帰っちゃいましたね…………」
領主の館の執務室。俺はふかふかのソファでロンドと向き合い肩を落としていた。
俺たちを眺めながら秘密警察共が首を傾げる。
「なんで神官さんまでへこんでるんですか?」
「聞かないでください……喋ると出そうなんで……」
「お化けの話?」
俺は秘密警察の問いかけを無視し、ロンドに尋ねる。
「結局ドラゴンのお披露目はやめたんですか」
姫様滞在中、街は非常に平和だった。ドラゴンが街の周りをうろついていればすぐに気付くはずだが、そう言った気配もなし。俺はてっきりロンドが姫にドラゴンを見せびらかすつもりなのだと思っていたのだが。
するとロンドは気怠そうに顔を上げる。
「姉様は僕が魔物に襲われるのが心配みたいで、できるだけ街の外へでないよう何度も言われました。ドラゴンなんて見せたらきっと卒倒しちゃいます。本当はすぐにでも姉様とドラゴンの背に乗って飛びたかったんですが、姉様を心配させては本末転倒ですから」
ちゃんと姫様のことを考えて、ドラゴンのお披露目を保留していたのか。そういうところは気を使えるんだな。いや、気を使えるようになったということか? 子供の成長は目覚ましい。
ロンドが胸の前でぐっと拳を握る。
「立派な領主になって、姉様をこの街に呼んで一緒に暮らすんです! その時が来たら僕はドラゴンに乗って王都まで姉様を迎えに行きます」
俺は笑顔で頷いた。
立派な領主になろうというその心意気は立派だな。理由がどんなに不純でも。
さて、姫様も帰った。勇者たちも緊張が解けていつものように暴れだす頃だろう。俺はロンドに軽く挨拶をし、教会へ戻るべく立ち上がる。
しかし俺が部屋を出るより先に、扉が開いて転がり込むように秘密警察が入ってきた。
「たっ……大変です!」
膝に手を付き、息も絶え絶えながら秘密警察が声を上げた。ただならぬ様子に執務室の空気が一気に張り詰める。
「一体なにがどうしたんですか? 誰か、お水を持ってきてください」
ロンドの指示で屋敷の使用人が水を差し出す。しかし、秘密警察は使用人の方には見向きもせず、蒼い顔をロンドに向ける。
「せ、西方より鳥型の魔物が飛来。先程街を出た馬車が襲われ――」
ロンドの顔がサッと青ざめるのが分かった。その様子に秘密警察は唇を噛み、躊躇うように視線を泳がせる。しかしロンドはどんなに幼くても領主だ。子供だましの言葉でお茶を濁すわけにはいかない。それが耳を塞ぎたくなるような事実でも。
秘密警察は静かに目を閉じ、呟くように言った。
「馬車が……アリア姫とセシリア神官の乗った馬車が……魔物に連れ去られました」