姫様がフェーゲフォイアーで快適に安全に過ごせるよう、蔓延るろくでなしを寄せ集め、閉じ込めて鍵をかけたのがここ。フェーゲフォイアー地下牢獄。
しかしもうろくでなしを閉じ込めておく理由はない。
この日、薄暗い地下牢獄に激しい開錠の音が響いた。扉の軋む音と共にあちこちの牢から人影がぬっと這い出てくる。石造りの冷たい牢に、解き放たれた囚人共の歓喜の声が響いた。
「ククク……俺たちを解放するとは、相当切羽詰まっていると見える」
「領主様も俺たちの力が必要なようだなァ」
「最初から俺たちに頼ってればこんなことにはならなかったのによ……? アイダダダダ」
囚人共が首を押さえながら崩れ落ち、陸に揚がった魚のように白目を剥いてもんどりうつ。変に格好つけて強キャラ感醸し出すからだ馬鹿共め。更生プログラム全然効いてないじゃねぇか。
ヤツらの首につけられたのはマッドお手製電撃首輪。帰省の時、俺の首に着けられていたヤツの改良版だ。素行の悪い囚人共も息を呑んで大人しくなる。
ビチビチと痙攣する囚人共をリモコン片手に冷めた目で眺めながら、ロンドが唸るような低い声で呟いた。
「無駄口を叩くな」
薄暗い牢獄でロンドの瞳の奥のパステルスターがギラギラと瞬く。
「人手が足りない。さっさと出ろ。なにをやっても良い。どんな汚い手を使っても良い。アリア姫を救い出せ。一刻も早く!」
*****
フランメ火山の先、西方より飛来した怪鳥がアリア姫たちの乗った馬車を強襲。巨大な爪で馬車を鷲掴みにし、そのまま来た道を戻るように連れ去った。
つまり、怪鳥が姫を連れて向かったのはフランメ火山を越えた人類の領域の外――我々が未だ足を踏み入れたことのない未知の土地。
フランメ火山以西が黒く塗りつぶされた地図をテーブルに広げながらロンドが言う。
「まずは火山を越えないといけません。荒地の魔物は気性が荒い。できるだけ彼らとの戦闘を避けられるルートを」
「あの……領主様」
ロンドの言葉を秘密警察の一人が遮った。
彼は言いにくそうに視線を逡巡させていたが、やがて意を決したように口を開く。
「火山の向こうは未知の領域です。姫を攫った例の怪鳥についても調べましたが、図書館中の図鑑をひっくり返してもあんな魔物は載っていませんでした。姫の正確な場所も分からないのでは、火山を越えた後どこへ行って良いのかも分かりません。なにより……正直いって……姫が生きているとはとても……」
ロンドが黒く塗られた地図の端をグシャリと握りつぶす。その小さな拳を壊れそうなほどに握りしめ、机の上に叩きつける。
「じゃあ……じゃあこのまま指をくわえて姉様を見殺しにしろって言うんですか!?」
重い空気が部屋の中に充満する。
正直、今の秘密警察の言葉は誰もが思ってはいたが言えなかったそれである。馬車を鷲掴みにできるような巨大な魔物に連れ去られて、生きていると考える方が不自然だ。もちろんロンドが諦められないのも分かるし当然姫を救うための最大限の努力をすべきだとは思うが、最悪の時のことも考えておかねばならない。
ロンドがただの子供ならば優しい言葉と希望だけを与えることもできるが、あの子は領主なのだ。辛い現実にも向き合わねばならない。ロンドの噛み締めた唇から血が滲む。
「やっぱりもっとたくさん護衛をつけておくべきだった。いや、僕がドラゴンで送っていけば。そもそもこんな危険な街に姉様を呼ぶべきじゃなかった」
……とはいえ、これじゃあ見ているこっちが辛い。
「領主様、気を確かに。きっと何か方法が――」
掛ける言葉を探していると、乱暴に扉が開いた。
「ユリウス君!?」
重苦しい空気をぶち壊すように転がり込む白衣の男。マッドである。
ヤツは部屋中から注がれる視線を全く気にする様子もなく、肩で息をしながらこちらへまっすぐ向かってくる。
「え? え? な、なんですか」
マッドは答えない。俺の前で立ち止まり、険しい顔でこちらをじいっと覗き込む。そしておもむろに俺の首根っこを掴んだ。
「ひえっ……な、なに? 本当になんですか?」
「静かにしろ」
威圧するように言いながら、今度は逆の手で俺の手首を掴む。
いや、掴むって言うか……脈測ってんのか?
「うーん……」
マッドが首を傾げながら白衣のポケットから何か取り出す。銀色に光る薄いプレートだ。先端が丸くなっていて、アイスの棒に似た形をしている。
マーガレットちゃんがよくそうするように、マッドが俺の頬を鷲掴みにしてプレートを口にねじ込んだ。
な、なに? マジでなにやってんの? 意味が分からなさ過ぎて滅茶滅茶怖い。突然の奇行に勇者共も唖然としている。黙ってねぇで誰か止めろや。
プレートで舌を押さえながら、マッドが低い声で言った。
「もうちょっと上向いて。声出して。“あー”って」
「…………あー」
診察?
俺の喉に異常がなかったのか。マッドは銀色のプレートを俺の口から外し、先ほどの剣幕が嘘のようにニッコリ笑った。
「うん。ユリウス君だね」
「なんの確認ですか」
「また偽物が化けてるのかと思って」
何を見て俺を本人だと認識したんだコイツ。
「ユリウス君さ、もしかして俺のあげたプレゼントどっかやった?」
「なんの話ですか」
多分マフラーのことを言っているのだと分かったが、俺はしらばっくれた。
しかしマッドは騙せない。
「とぼけたって駄目だからね。せっかく俺が丹精込めて作った人工生命体なのに。酷いよ」
なにか確信があるようだな。これ以上しらを切っても仕方がない。俺は認めた。
「なんで分かったんですか」
「マフラーに発信器つけてたからね。ユリウス君が街から逃げ出しても、マフラーがくっついていけば場所が分かるように」
発信器使い過ぎだろコイツ。どんだけ俺を信用していないんだ。
マッドが腕を組んで首を傾げる。
「マフラーの信号が街の外に出てたんだよ。だから俺、またユリウス君が変なのに攫われたのかと思って慌てて来たんだ。おかしいな、発信器壊れちゃったのかなぁ」
マッドの言葉にハッとして、俺は声を上げる。
「マフラーはセシリア先生が持って行ってます!」
「えっ、よりによってセシリア先生に渡しちゃったの!? 勘弁してよぉ」
マッドが額に手を当て、頭痛を堪えるように渋い表情を浮かべる。
狂った発明がこんな形で役に立つとは。マフラーが姫やセシリア先生と一緒にいる可能性は高い。たとえそうでなくとも、捜索の大きなヒントになることは間違いないだろう。
厚い雲から射し込む光にも似た細い希望。ロンドは夢遊病患者のような足取りで椅子から立ち上がり、マッドの白衣に縋る。
「他に何か分かりませんか? 映像とかは見れないですか? 姉様は生きているでしょうか?」
「えぇ? 見れないし、知らないよそんなこと……」
「少しでも情報が欲しいんです。お願いします、先生!」
マッドは頭を掻きながら無感情な視線をロンドに向ける。姫の生き死に心底関心がないらしい。とはいえ、わざわざ情報を隠匿する理由もない。ロンドの問いに対し気怠そうに答える。
「まぁ……少なくともマフラーは生きてるね。この発信機、マフラーの生命力を動力にしてるから死んだら信号が消えるんだ」
マフラーが生きていて、居場所が分かる。
手探り状態だった姫の捜索にようやく見えた一縷の希望だった。絶望的な状況には変わりないが、たったそれだけの希望でも人間の気持ちというものは大きく変わる。
勇者たちの士気はかつてないほど高まっていた。
アイギスが立ち上がり、勇ましく拳を突きあげる。
「進むべき道が示された。命に代えても姫を救うぞ」
しかし一つ問題があった。
高まった士気が体に与える影響は計り知れないとはいえ、それだけじゃどうしようもない事もある。
ロンドは教会にうず高く積まれた死体の山を前にして膝から崩れ落ちた。どうやら勇者の軽い軽い命をいくら積んだところで、姫の救出には足りなかったようだ。
カチカチカチカチカチカチ
ボタンの連打音に伴い、首輪付きの死体のいくつかがひとりでにビチビチと跳ね出す。動かないはずの死体も電撃を与えると筋肉がしっかり痙攣する。不思議だね。
死体に電撃攻撃を仕掛けたところでなんの罰にもならない。完全に苛立ち紛れの八つ当たりだ。死体蹴りやめろ。
ロンドが叫ぶ。
「勇者よっっわ!!!」
そうだねぇ~勇者弱いねぇ~
姫救出のためフランメ火山に向かった勇者がほぼ全員モノ言わぬ屍となって戻ってきやがった。カス共が~。
まぁ、とりあえずヤツらの言い分を聞こうか。俺は傷の軽そうな者を選び、サッと蘇生させる。
死人に口なし。その反動か、蘇生させるなり言い訳がましく喋ること喋ること。
「荒地突破なんて無理ですよぉ。あそこの魔物は気性が荒いし縄張り意識が強いし。今まであそこ越えた人いないんですよね。そんなすぐに超えられるわけないじゃないですか。荒れ地超えるための装備もポーションも全然足りなイダダダダダ」
カチカチカチカチカチカチカチカチ
言い訳など聞きたくないとばかりに、ロンドは電撃首輪のスイッチを狂ったように押しまくる。
首輪を押さえながら血塗れの床を転がりまわる勇者を横目に、俺はロンドを慰めた。
「りょ、領主様。気を確かに。きっとなにか方法が」
ロンドはガリガリと爪を齧りながらうわ言のように呟く。
「このままじゃダメです。なにか手を考えないと。考えないと……」
こんなヤツらに大好きな姉の救出を任せるのが不安なのは分かる。
しかし勇者の弱さを嘆いても仕方がない。荒地の魔物に歯が立たないのは今に始まったことではないし、勇者たちが急に劇的に強くなることなど望めない。
どこからかもっと強い勇者を引っ張り出せれば良いのだが、そう都合よくは……
「領主様!」
フランツさんだ。教会の扉に手を掛けたまま、肩で息をして慌てた様子でロンドに言う。
「その、お客様です。ハーフェンから……あっ、ちょっと!」
フランツさんを押しのけて教会に入ってきたのは、見覚えのない顔の若い男だった。
勇者か? いや、身なりが良すぎるな。一応武装してはいるが、実用性というよりは見栄えを意識したものに見える。
男は妙に気取った仕草でお辞儀をすると、ロンドに満面の笑みを向ける。
「久しいね弟君。俺のアリアを迎えに来たよ」
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ
ロンドのボタン連打音が響き渡り、動かないはずの死体がビチビチと跳ねまわった。