街のど真ん中に降臨した荒地の魔族。
物々しい警備も一体どれほどの効果を持つのか怪しいものだ。下手を打てば街は火の海。街中の井戸を枯らしても消火できるかどうか。
貧弱な人間の苦労など知りもせず、ルイの腕を焦がしながらリンが口を尖らせた。
「草が自分もデートしたいとか言うからさぁ。土に根なんか生やしてるくせに生意気なんだよ。ま、まぁでも二人だと緊張しちゃうしダブルデートも良いかなって……ルイはそれで良い?」
「ウン……」
ルイは虚ろな瞳を虚空に向けて頷く。ルイに拒否権などあるはずもない。それは俺も同じだ……。
マーガレットちゃんのツタに腕を引かれて俺もリンとルイの後を歩く。
そこそこ距離を取っているのに熱気がここにまでくる。前髪が燃えださないかが心配だ。
勘弁してくれよ。なんで俺まで歩く大災害の後ろをついて回らなくちゃならないんだ。
俺は力なく天を仰ぐ。領主の館の窓からロンドが見下ろしている。窓に張り付くようにしながら、こちらにグッと親指を立てた。
高みの見物かよ。良い気なもんだぜ。姫様の奪還に関わる重要な取り引きだってのは分かってるが。
俺がいればポーションで癒やしきれなかった火傷についても回復魔法で治療できるし、万一ルイが死んでもすぐに蘇生できる。
リンに一人でうろつかれたらそれこそ街が火の海になりかねない。さらにマーガレットちゃんが同行すればいざという時に荒地の魔族を止められるし、ダブルデートという口実ができてリンの機嫌を損ねることもない。
下手な勇者がついていくより色々と都合が良いのは理解している。でも……でも俺は命が惜しい……。
俺は腕に巻き付いたマーガレットちゃんのツタをしっかり握る。これが蘇生の利かない俺の尊い命を守る唯一の命綱だ。頼むぞマーガレットちゃん。
っていうかこのツタどこまで伸びるんだろう……さすが魔族……
「うわぁ、見たことないものばっかり。なんだこれ?」
市場に並んだ荒れ地にはない品々にリンは興味津々だ。台の上に並んだなんの変哲もない野菜を手にとって上から下から眺めている。
リンの注意が逸れている。今がチャンス。
俺の合図によりユライが音もなく近付いてきた。ベテランのセコンドが選手に水を飲ませるように、ガラス瓶に入った液体を手際よくルイの口に流しこむ。一本は痛み止めの麻痺毒。もう一本はポーションだ。リンとのデートは体力勝負。使えるアイテムはガンガン使っていかねばならない。
「大丈夫だ。お前ならやれる……見守ってるからな!」
ユライの激励に、ルイは虚ろな視線を少し上げる。消え入りそうな声で呟いた。
「ロージャは……」
「もちろんロージャも見守ってる。近付いたら燃えるから向こうに預けてるだけだ。安心して良い」
「ロージャは……ロージャはなんて……言ってる?」
ユライは面食らったような顔をして、そして息を吐くように微笑んだ。
「殺す、殺す……って」
するとルイも嬉しそうに微笑んだ。
なんでこいつら笑ってんの? 考えかけてやめた。狂人の反応など気にするだけ無駄である。
今日のデートは街歩きだ。
店内に入ると火事になりかねないので、露店の並ぶ市場を中心に散策を進める手はずになっている。もちろん普通の住民を魔族に近付けるわけにはいかない。露天に立っている店主もみんな勇者が務めている。
「ねぇルイ、これは? これはなに? 石?」
リンが手に取ったのは棒付きのぐるぐるキャンディである。リンの火力を想定して、木ではなく金属製の持ち手が使われている。
とはいえ、飴部分が高温に耐えきれず溶け出しているのだが。
「砂糖を固めて作ったお菓子だ。食べ物だよ」
ルイの返答にもピンと来なかったらしく、リンはぐるぐるキャンディをひっくり返したり逆さにしたりしながら首を傾げた。
「サトウ? オカシ? よくわかんないけど、人間が食うのって鳥だけじゃないんだぁ」
リンがまた一つ人間に対する知見を得た。千里の道も一歩から。
しかし荒れ地の魔族の食性にぐるぐるキャンディはそぐわなかったのか。デロデロに溶け出した飴を口にしようとはせず、ルイに差し出した。
恥ずかしそうに視線を伏せながら、しかし甘えたような声で言う。
「あの……あーんして?」
しかし脆弱な人間には魔族のちょっとした戯れ付きすら致命傷になり得る。
溶け出した高温の飴がルイの顔にベッタリ張り付く。
「熱い熱い熱い熱い!!」
飴一つ食うのも大変だなぁ。
遠巻きに見ていると、変に気を使ってくれたらしい店員勇者が俺にもぐるぐるキャンディを差し出した。
「神官さんもどうぞ」
「あっ……どうも」
手に取ろうとしたが、俺より先にマーガレットちゃんのツタが目にも止まらぬ速さでキャンディを勇者から掠め取った。
マーガレットちゃんもキャンディに興味があるのか? と思ったがどうやら違うらしい。リンの行動に触発されたか、キャンディがこちらに向けられる。
ここは教会からはかなり離れている。にも拘らず、マーガレットちゃんはツタだけで今の状況を把握しているのだ。どうやっているのかは分からないが、さすがは魔族。人間とは性能が違う。
とはいえやはり多少の狂いは生じるらしい。誤差っちゃ誤差だが、人間にとっては大きな問題だ。
そもそもキャンディなど他人に食わせる食い物ではない。他人に与えるには硬すぎる。こんなもん半分鈍器だろ。俺はキャンディの硬度について考察し、視界を埋めるカラフルな渦巻きに思いを馳せながらマーガレットちゃんに言う。
「痛い痛い痛い。そこ目です。そこ目」
*****
ルイと並び、ハンカチで顔を拭いながら市場散策をこなしていく。
子供が小動物にエサを与えるような感覚なのだろうか。魔族のみなさんは食い物をみるや俺たちに食わせようとしてくる。腹がはちきれそうだ。そろそろ人間の胃のキャパを覚えていただきたい……
俺も俺で限界が近いが、重篤なのはルイの方だ。
ユライのポーション支援も虚しく、リンと組んだ腕はほぼ完全に炭化している。麻痺毒の多量摂取のせいで焦点が定まらず、足取りもおぼつかなくなってきた。
「なにあれ! へんなの!」
幸か不幸か、リンはルイの様子に気付いていないらしい。無限の体力と衰えないテンションでまた目に付いた露店へと走っていく。
「頑張ってください。気をしっかり保って。もう少しですから。ポーション貰いますか?」
耳打ちすると、ルイがうわ言のように言った。
「神官さん……俺、なんだか眠くなってきたよ……」
「デート中寝るなんて最悪だし、死ぬなんてもってのほかですよ! 今手当てしますから」
俺はルイの炭化した腕に回復魔法による処置を施した。完全回復には遠いが、もう少しの辛抱だ。ルイには頑張ってもらわねば。
俺はルイを支えながらリンのあとを追う。リンが熱心に見つめているそれが食い物屋でないことに安堵した。
露店に並んでいるのは、木のカゴに詰められた大量のぬいぐるみたち。こんな店あっただろうか。
「し、神官さん」
ルイが俺の神官服の袖を引っ張る。
なんだ。まさか炭化した腕がもげたか?
しかしルイの腕はまだなんとか肩にくっついていた。無事な方の腕で俺に巻き付いたマーガレットちゃんのツタを指す。
「あれは一体」
ぬいぐるみだ。様々な動物をかたどったぬいぐるみ。どれも目はボタン、口はチャックで作られている。おびただしい数のそれがアブラムシのようにマーガレットちゃんのツタにたかっていた。
ぬいぐるみ共は口に手をやり、金具を掴んでチャックを引く。
開かれた口いっぱいにビッチリと人間の歯が並んでいた。
「ひっ……」
ただのぬいぐるみじゃない!
歯を剥いたぬいぐるみ共がマーガレットちゃんのツタに噛みついた。
しかし人間の歯程度で魔族に傷がつけられれば苦労はしない。たかる小虫を振り払うように、マーガレットちゃんが軽くツタをよじらせる。
見た目通り、それほど握力は強くないらしい。ぬいぐるみの軽い体は簡単にツタを離れて宙を舞う。
ガチガチガチガチ。
笑っているのか、威嚇しているのか。ぬいぐるみ共が宙を舞いながら歯を打ち鳴らす。瞬間、ぬいぐるみが一斉に弾けた。びちゃっと飛び散った液体がマーガレットちゃんのツタと神官服に赤いまだら模様を作る。
なんでぬいぐるみなのに綿じゃなくてハラワタが入ってんだよ。ははは。
俺はダッシュで逃げた。いや、逃げられなかった。足が動かない。見ると、ぬいぐるみが俺の足をガッツリ固めている。
嫌な予感がする。嫌な予感がする。嫌な予感がする!
「ユリウス?」
刹那、パステルカラーが俺の視界を埋めた。
予感大当たり!! やったぁ!!!
俺は白目を剥いた。
リエールがマーガレットちゃんのツタごと俺の腕を掴み、ずいっと顔を寄せる。
「良いの。良いんだよ。だってお仕事だもんね。街のためだもんね。私、お仕事頑張ってるユリウスも好きだよ。それに人間じゃないしね。ただの植物だものね。先端が二股になった大根と散歩しているようなものだもんね。だから大丈夫だよ。私は全然気にしてないから。“お仕事”頑張ってね」
言葉とは裏腹に、リエールの爪が俺の腕に食い込んでいく。リエールの噛み締めた唇から血が滲んでいる。
こ、殺される……?
本能の鳴らす警鐘に従うがまま、俺は足を固めたぬいぐるみを強引に蹴飛ばしてリエールから後退りする。
すると今度は別の何かが俺の脚にしがみついた。恐る恐る視線を向けると、綺麗な顔したサイコ野郎が濁った瞳をこちらに向けていた。
「そうですよぉ、神官様貧弱だからほっとくとすぐ死にそうですもんねぇ。だからマーガレットちゃんが守ってるってだけですよねぇ。ただの仕事ですよねぇ」
オリヴィエである。
すかさずマーガレットちゃんのツタがグンッと伸び、背中から腹にかけてオリヴィエを貫いた。
「ガハッ……!」
血反吐を吐いたオリヴィエが、満足そうに笑いながら血に濡れた手でマーガレットちゃんのツタを撫でる。
「ほら、見てください。マーガレットちゃんが殺す人間は僕だけですよ」
なにを誇っているんだ? 俺はどんな顔をすれば良いんだ? 正解を教えてほしい。
しかし登場して数分と持たず棺桶に姿を変えたオリヴィエはもう俺に正解を教えることができない。
露店からリンの歓声が聞こえてくる。
「キャー! ルイ! 見て見て」
リンが露店に並んだぬいぐるみを軽くつつく。熱に耐えきれなかったのか。耳をつんざくような断末魔の悲鳴を上げてぬいぐるみが破裂した。真っ赤な液体をぶちまけるぬいぐるみを前に、リンがケラケラ笑う。どうやらお気に召したらしい。魔族の感性は良く分からん。
リンがハツラツとした笑顔をルイに向ける。
「こんなの初めて見た! これなに?」
「ええと……なんだこれ」
ルイが助けを求めるようにこちらを見る。
しかし助けてほしいのはこちらの方だ。俺は魔族のツタとパステルサイコを腕にぶら下げながら言う。
「私が聞きたいです」