なんか良く分からんが、脚を持って行かれたらしい。
回復魔法ではどうにもならなかったので、エイダが出血で死ぬのを待ってから蘇生させた。おかげで余計に時間がかかったぜ。わざわざこんな夜中に手間かかる仕事持ち込みやがって……
「やっぱり、勇者じゃない人間……っていうか魔物を生き返らせるのって無理なのかなぁ」
で、言うに事欠いてコレである。無理に決まってんだろ。っていうか一体なにやってたんだよ。いや、これ以上面倒ごとを増やすのはごめんだ。こうしている間にも刻一刻と俺の睡眠時間は削られているのだから。
煌々と灯りをつけていると、また勇者共が厄介事を持って虫のように集まりかねない。俺はランプを手に取り、できるだけ外に光が漏れないよう窓に背を向けた。
オレンジの頼りない光に照らされたエイダに言う。
「じゃあ夜も遅いのでね、落ち着いたら早めに帰っていただいて」
言い終わらないうちに、エイダがガッと俺の脚を掴んだ。
こちらを見上げ、深刻なトーンで言う。
「お願いがある」
俺は食い気味に答えた。
「嫌です」
「大したことじゃないの! 聞くだけ聞いてよ」
ええ……?
こっちは夜中によく分からない理由で脚千切って死んだお前をせっせと蘇生させたんだぞ。これ以上俺になにやらそうっていうんだよ。
そうじゃなくてもコイツ怖いからあんまり関わりたくないのに。監獄に収容されてた時「面の皮寄こせ」って言われたの俺は忘れてないからな。
考えが表情に出ていたのだろうか。エイダが俺から気まずそうに視線を逸らす。
「お、追い込まれちゃってアンタにはキツいこと言ったし……怖がるのは分かるけど……今は少し前向きになれたの。お願いだから聞いて」
うわっ、ズルいこと言いやがって……ここまで言われた上で教会を追い出したら俺が悪者になるだろ。チッ、仕方ねぇな。大丈夫。聞くだけだ。ここで押し問答するよりそちらの方が早い。俺はエイダを見下ろして渋々言う。
「…………なんですか」
するとエイダはパッと顔を輝かせ、そしてそれを誤魔化すように咳払いした。
俺の顔を見上げ、真剣な表情で言う。
「血液ちょうだい」
……聞き間違いだろうか。俺が狼狽えていると、エイダがポケットから細長い箱を取り出した。中から出てきたのは空の注射器。
そしてハッキリとした口調でもう一度繰り返す。
「血液ちょうだい」
「は!?」
「その……変な事には使わないから……」
他人に血液をねだられたのは初めてだ。困惑せずにはいられない。いや、落ち着け。なんでエイダがそんなことを言い出したのか見当もつかないが、なにか高尚な理由があるのかもしれない。俺は恐る恐る尋ねた。
「なにに使うんですか」
エイダは一切の躊躇なく答える。
「ホムンクルスを作る。もう他人に期待しない。私がゼロからハンドメイドで究極の生命体を作る」
変な事だろそれは! とうとう神の領域に踏み込もうとしてるぞ!
「いのちだいじに、いのちだいじに……理想の命を自分の手で作るの。無垢な命を一から教育すれば、きっとあの人みたいな優しい人間に育つはず……」
や、やべぇ……マッドと集会所の洗脳の影響を一緒に受けたのか。混ざり合ってより変な方向に狂いが生じている。どうしたら良いんだこれは。
俺の視線に気付いたエイダがバッと顔をそむけた。
「か、勘違いしないでよ! アンタの血を使うのは、アンタの顔があの人と同じだからってだけなんだから。だから、その……絶対迷惑かけないから。お願い」
「嫌です。絶対嫌です」
俺は断固拒否した。当たり前だ。これ以上心当たりのない家族を増やされてたまるか。俺にまったくメリットないし。
するとエイダはさも当然であるかのように逆切れした。
「は? これでもあなたの負担と抵抗が少なくなるようかなり譲歩してるんだけど!? 伝統的な手法ではホムンクルスの材料は血液じゃなくて――」
勢いよく言いかけたくせに、急にもごもごし始めた。
ホムンクルスの作り方なんか知るかよ。伝統的とかいう概念があるのも今知ったわ。はー、なんかムカついてきた。夜中に押しかけておいてなんだその言い草は。俺は耳に手を当て半ギレになって言う。
「あ? なんですか!? 聞こえませんよ!?」
「なっ、なんでもないッ!」
叫ぶようにそう言うと、エイダが注射器を手に取り地面を蹴った。
「ゴチャゴチャ言わず血を寄こせぇ!」
「あああああ!?」
注射器を振り上げたエイダが目を見開く。何かに脚を取られたようにその動きを止めた。瞳孔の開いた瞳が、押し寄せるパステルカラーに染め上げられる。
ぬいぐるみだ。淡いパステルカラーのぬいぐるみ。いつの間に集まったのか。掌ほどのサイズのそれが、蜜を求める虫のようにエイダの体に集る。エイダが呆然として言う。
「な……なにこれ……痛っ……」
ガシャン。地面に叩きつけられた注射器が音を立てて割れる。砕けて散らばったガラス片にボタボタと血が滴る。
エイダの手に乗ったぬいぐるみが、どこかひょうきんな仕草で振り向いた。なにかくわえている。
――指だ。
エイダが短い悲鳴を上げる。声に集まるように、教会の暗がりから次々ぬいぐるみが這い出てきた。エイダは動かない。いや、大量のぬいぐるみに固められて動けないのか。
食い千切った指をぬいぐるみがくちゃくちゃ音を立てて咀嚼する。
恐怖に顔を強張らせるエイダを嘲笑うようにぬいぐるみの口が一斉に裂けた。大きな三日月型の口にビッチリ並んだ歯が頼りないランプの光を受けて輝く。
ガチガチガチガチ。
ぬいぐるみが歯を鳴らした。
「あ……あ……や、やだ……」
もうなにもかも遅かった。
耳を塞ぎたくなるような絶叫ごと、エイダの体がぬいぐるみに飲み込まれる。
激しい咀嚼音。動物をかたどったパステルカラーのふわふわの山が血を吸って赤黒く変色していく。突き出た腕だけが激しく空を掻くが、やがてその動きも鈍くなり、ついには萎びた花のように倒れて大量のぬいぐるみの中へ沈んでいった。
「ユリウスはあげないよ。血の一滴も髪の毛の一本も」
女の声だった。
姿を確認するまでもない。俺は血でぐっしょり濡れたカーペットを蹴って逃げ出した。
自室に飛び込み、暗がりの中手探りで内鍵を閉める。
脚がすくむ。震えが止まらない。
扉に背中を預け、そのままずるずると床に座り込む。自分の呼吸音が外に漏れているような気がして、俺は口元を押さえて息を殺す。お陰で悲鳴を上げずに済んだ。
響くノックの音。
割れんばかりに奥歯を噛み締める。そうしないと歯がガチガチと鳴ってしまいそうだったから。
「もう大丈夫だよユリウス。頭のおかしい女を片付けたよ。ねぇユリウス。もう大丈夫だよ」
コンコンコンコン。
「もう大丈夫だよ。怖がらなくていいよ。ユリウス、ねぇユリウス」
惨劇の後とは思えない優しげな声。それが俺の恐怖心を一層煽った。
こんな扉、あのイカれ女がその気になれば簡単に破れる。ならば、俺はヤツがその気にならないよう祈るほかない。懐に入れていた女神像を取り出して抱きしめる。それが何の助けにもならないことは俺が一番よく知っているが。
窓から射し込む月光が俺の血に濡れた足元をぼんやり照らしていた。ノックは止まない。俺は天を仰ぐ。
窓枠に切り取られた夜空に細い三日月が浮かんでいる。空が俺を嘲笑っているようだった。