俺が墓守バイトに勤しんだりヤバい女から逃げ惑ったりしている間にもロンドはせっせと各方面に手を回していたようだ。
この日、フェーゲフォイアーに大量の物資が運ばれてきた。
「これはまた、随分たくさんありますね」
馬車から降ろされる荷を眺めながら感心していると、ロンドが胸を張って言った。
「長旅になる可能性もあります。ポーションに戦闘糧食、その他種々のアイテムを揃えました。武器防具も取り寄せてあります。舶来品が多いので使い勝手が多少違うかもしれませんが」
舶来品ね……まさかまたハーフェンのアホ貴族使って集めさせたのか? 本当に上質なカモだなアイツは。
馬車から降ろされた荷を覗いてみる。舶来品というからどんな物かと思ったが、フェーゲフォイアーの武器屋で売っているものと見た目はそう違わない。
いや、これはなんか凄そうだな。俺は黒く細長い木箱を手に取る。随分古い。それに埃っぽい。黄色く変色した脆い紙であちこち封がされている。なにやら文字が書かれているが……何語だ? まったく読めない。
俺は封を切って、中を見てみる。なんてことはない。ただのロングソードだった。
「神官さん、それは?」
アイギスが俺の手元を覗き込んだ。秘密警察を引き連れ、装備品を見に来たらしい。
素人の俺には価値が分からないが、実は凄い剣なのかもしれない。あんなに頑丈に梱包されていたんだし。
俺はアイギスに黒い箱を差し出す。
「外国製の武器だそうです。良いものなんでしょうか?」
アイギスは剣を手に取って空にかざした。片目をつむり、鈍色の刃をジッと見つめながら言う。
「かなり古いもののようですが、よく手入れされていますね。私や王国騎士団が使っているものより細く薄く、鋒も鋭い。斬るよりも突き刺すように使うと良さそうです」
「んん? それは良品ってことですか?」
するとアイギスは困ったように首を傾げた。
「武器というのは使用者の好みで評価が割れますから、良い悪いを断定するのは難しいですね。個人的には……ううん、やはり使ってみないことにはなんとも」
言いながら、アイギスは掲げていた剣を振り下ろした。パッと血飛沫が舞い、近くにいた秘密警察の首がごろんと落ちる。
……あまりにも自然な手捌きだったのでそのままスルーしそうになった。
「あの、アイギス。いくらなんでも仲間で試し斬りはちょっと……」
「あれ!?」
あれ!? じゃねぇだろ。手癖で人を殺すな。いよいよ倫理観末期か……?
さすがに秘密警察も引いてる。
「アイギスさん、大丈夫ですか? 最近会議ばかりだったのでお疲れなのは分かりますけど」
「一旦帰って休みましょう」
そう言いながら秘密警察共がアイギスを支えるように駆け寄る。アイギスもさすがにマズイと思ったのか。珍しく秘密警察の言葉を素直に受け入れた。
「ああ……そうしよう。すみません神官さん、ここで失礼します」
言いながら自分を支える秘密警察の腹を串刺しにする。
……おいおい、これはいよいよか?
困惑していると、腹を貫かれた秘密警察が血反吐を吐きながら言う。
「こ、この剣……呪われて……ッ!」
アイギスの腕に黒い紋様が浮かび上がる。
剣を振り抜きながら、アイギスが声を上げた。
「と、止められない。神官さん! 逃げてください」
最強の勇者であるアイギスが街のど真ん中で暴走状態。
最悪だ。対応を間違えば大惨事になる!
俺はロンドを抱えて宿屋に飛び込んだ。カウンターにいたババアに緊急事態を知らせる。
「すぐに住民の避難を! アイギスが呪いの装備でっ」
さすがはこの街一番の古株。
たったそれだけの言葉でババアは今の状況を理解したらしい。
「分かった。神官さんたちは隠れてな。リリー、みんなを誘導するよ。手伝いな」
「えっ!? あ……わ、分かった!」
ババアは食堂にいたリリーと共に、裏口へ駆け出していく。
積み荷を降ろしていたのがみんな勇者だったこと、それから宿屋が近くにあったことは不幸中の幸いだった。ここならシェルターがあり、ロンドを避難させられる。しかしロンドが向かったのはカウンターの奥ではなく宿屋の二階だった。
「領主様、どこへ!? シェルターは二階にはありませんよ」
「こんな一大事に自分だけ逃げ込むなんてできません!」
言いながら階段を駆け上がっていくロンドの背中を追う。
子供ではあるが、すっかり領主としての姿が板についてきやがった。小さな背中が大きく見えるぜ。
ロンドがボソリと呟く。
「それに、呪いの武器は凄まじい破壊力があると聞きます。上手く運用できれば姉様を救う手助けになるかもしれない。この目で見ておかないと」
あぁ、そういう……
俺たちは二階の窓から身を乗り出して外を見る。
すでに呪いの剣の露と消えた勇者共が棺桶となってアイギスを取り囲んでいる。今頃教会にも死体が山になっている事だろう。
しかしアイギスも殺りたくて殺っているわけではない。いつも以上に冴えわたる剣技で鮮やかに勇者の命を奪いながら、悲痛な声を上げる。
「みんなを傷付けたくない……殺してくれ。そうでもしないと止められない。私が完全に乗っ取られる前に……!」
「……ッ」
武器を持った秘密警察たちが沈痛な面持ちで目を伏せる。
「くっ……」
俺も思わず視線を伏せ、拳をぎゅっと握りこむ。
……アイギスは秘密警察たちが手加減してると思っているのか。
あんなこと言われずとも、ヤツらはもうとっくにアイギスを殺す気で立ち向かっている。それができていないのは普通に秘密警察の実力不足故だ。
秘密警察達が拳を震わせながら言う。
「で、できません……アイギスさんを……手に掛けるなんて……!」
あっ、物理的にできないだけのくせに精神的にできないフリしてやがる。調子の良いヤツらめ。
「そんな事を言っている場合か! 住民を手にかけてしまったら取り返しがつかない。早く!」
秘密警察が視線を泳がせる。既に全力を尽くしているのだ。ヤツらにはこれ以上どうしようもない。
ん? 秘密警察の一人がこっちを向いた。なんだよ。
「神官さんなら……」
は?
「あれは呪いの装備ですよね。神官さんなら解呪ができるんじゃないですか!?」
ええ~、自分たちがどうにもできないからって人に押し付けんのか? 勘弁してくれ。おいおい、そんな目で見るなよ。ん? なんか口パクしてる。『お願いします』? なにふざけたこと言ってんだ。
っていうかこんなガチガチの呪いの装備解呪できる自信ないわ。俺はヘラヘラして言う。
「良いですけど、動かれてると上手く解呪できません。拘束してください」
「そんな無理ですよ~!」
俺たちのトンチ合戦にアイギスが怪訝な表情を浮かべる。
さすがにアイギスも秘密警察の様子に違和感を抱いたようだ。
「……お前たち、まさかこの人数で私を殺せないというのか?」
秘密警察がギョッとした表情で顔を強張らせる。ご明察の通りだ。
「今までなにをやっていたんだ! ちゃんと訓練していたのか!?」
「ごめんなさいごめんなさい!」
あーあ、これはもう埒が明かないな。
俺は窓から身を乗り出し、遠巻きに騒ぎを見ている勇者に言う。
「ボサッとしてないで、早く誰か呼んできてください」
「誰かって?」
「止められそうなヤツ全員ですよ! カタリナ、オリヴィエ、メルン、ルイ、それから……ううん、背に腹は変えられない。グラム、ルビベル、ハンバート、とにかく動けそうなヤツ全員連れてきてください!」
「私は?」
耳元で聞こえる声。反射的に息が止まる。
「私の名前は呼んでくれないの?」
視界を埋めるパステルカラー。
心臓が跳ね上がる。急速に口が渇いていく。体が震える。ひとりでに奥歯がガチガチと鳴りだす。
ハイライトに乏しいパステルカラーの瞳がグッと近付く。
「今口に出したどの人間よりも私はユリウスの役に立てるのに」
足がすくんで動けない。
パステルイカれ女の白い手が蛇のように俺の腕を這い首筋をなぞって唇に触れる。
「言って。あの女を殺せって。私なら一瞬で終わらせられる。私なら」
「いっ……」
血の気が引いていく。意識が遠のいていく。
足元からロンドの冷めた声がした。
「あの、緊急事態なので。イチャイチャしないでもらえますか?」
テメェこの女の処置で眼がイカれてんのか?
俺は突発的に窓から身を乗り出した。手を伸ばし、力の限り叫ぶ。
「あああああアイギスゥゥゥ!!」
アイギスがギョッとした顔をこちらに向ける。
もう首元にまで紋様が広がっていた。
「神官さん!? い、今行きます!」
呪いで意識が朦朧とし始めているのか。剣を振るい、棺桶を引き連れ、勇者をなぎ倒しながらアイギスが宿屋へ向かってくる!
ロンドが短い悲鳴を上げた。
「なに呼んでるんですか!?」
「あっ……つい……」
現場に緊張が走る。
まだ息のある秘密警察共が叫びながら地面を蹴る。
「止めろ! 全員で止めろ!」
秘密警察が突っ込んでいく。技術もクソもない。ただ己の体を使うだけの、玉砕覚悟の特攻。しかし数の暴力は最強の勇者であるアイギスにも有効だ。
何人もの秘密警察の黒衣を貫き、肉を断ち、骨を切り、血で染めながら、アイギスがその動きを止めた。腹に剣を突きさされ、口から赤黒い血を零しながら秘密警察が苦悶の表情を塗りつぶすように笑みを浮かべる。
「俺たちはアイギスさんみたいに強くないけど。強くなくたって戦える。俺たちはいつだって無数の敗北と死を重ねながらたった一つの勝利を掴んできた!」
アイギスが剣を引き抜こうとするが、大勢の秘密警察に押さえられて身動きができない。返り血で汚れた顔をふっと綻ばせる。
「お前たちはどうしようもない部下だが……その泥臭さは嫌いじゃない」
増援に駆け付けた秘密警察が、他の秘密警察ごとアイギスを押し潰すように固まる。
そして一斉にこちらを見上げ、叫んだ。
「神官さん! 解呪を!」
俺は天を仰いだ。
……えっ、マジ? ここで俺?
やっっっっべ~
この状況で解呪できないのはマジで格好悪い。神官としての沽券にかかわる。
「大丈夫? 汗が凄いよ」
パステルイカれ女が耳元に唇を寄せ、囁くように言う。
「あの女を殺せって言うだけで良いのに。そうすれば全部丸く収まるのに」
コイツ俺が解呪苦手なの知ってて……!
俺はグッと奥歯を噛み締める。
確かにリエールなら拘束状態のアイギスを殺すだけの実力を持っている。しかしここでコイツに頼れば、あとでなにがあるか……
これは悪魔の取引に他ならない。どうする? どうしたら良い?
窓の外から急かすような声が聞こえる。
「神官さん、早く!」
耳元でそそのかすような声が聞こえる。
「どうするユリウス」
俺は……俺は一体どうしたら……
極限状態の中、間の抜けた声が妙に鮮明に聞こえた。
「なんの騒ぎぃ?」
ルッツだ!
昼過ぎだというのに寝起きらしい。パジャマ姿のまま、寝ぼけまなこを擦りながらこちらへ歩いてくる。
俺はルッツに駆け寄って腕を掴み、引きずるようにして窓まで連れていく。
「いいとこに! 来いルッツ!」
「へ? なになに?」
俺はヤツの視線を強引に窓の外へ向けさせる。
秘密警察の肉壁にぎゅうぎゅうに押しつぶされたアイギスに、ルッツが怪訝な声を上げた。
「うわっ……なに?」
「アイギスが! 呪いで! 今ヤバいんだよ!」
「ど、どうした? テンパりすぎててなに言ってるか分からんぞ」
察し悪いな!! ババア見習え!!
俺は呪いに思考を支配されつつあるアイギスを指さして言う。
「一緒にあれをどうにかするぞ! お前セシリア先生から色々教わったんだろ!?」
「あ、ああ……そういうことか。分かったよ。ぶっつけ本番だけど……やるしかないんだな」
ルッツがそう言って力強く頷く。
よし。悔しいが解呪はルッツの方ができる。
クク、見たかパステルイカれ女。お前の思い通りになると思ったら大間違いだ。ひっ、めちゃめちゃ怖い顔してる……
「俺一人でできるか分からん。お前の力も借りるぞ」
「おう!」
ルッツの言葉に元気よく返事はしたが、力借りるってなんだ? 解呪ってそんな共同作業できるもんだっけ?
ルッツが俺の腕を掴み、自室から持ってきた杖を掲げ、長々と呪文を唱え始めた。おいおい、解呪ってこんな遠距離からできるもんだっけ?
呪文の詠唱が進むにつれ、辺りに魔法陣が展開されていく。俺は眩暈を覚え、窓枠に手をついた。貧血に似た症状。ルッツめちゃめちゃ魔力持って行くな! 力借りるってこういう事か。でも解呪ってそんなに燃費の悪い魔法じゃないだろ。
俺はたまらずルッツに尋ねる。
「お前それ……本当に解呪か!?」
「ん?」
カッと空が光り、強烈な光の柱がアイギスと秘密警察に降り注ぐ。
……どう好意的に見ても解呪じゃない。
光を受け、倒れ伏した勇者が地面に重なり山となっている。俺はそれを指して尋ねる。
「なに今の」
するとルッツはケロリとして言う
「神の雷」
「神の雷ってお前……即死魔法じゃん……セシリア先生からなに習ってんだよ……」
「でも役立っただろ?」
「いや、俺は解呪をやってほしかったんだけど」
するとルッツは肩を竦めた。
「マジ? お前の説明下手すぎて良く分かんなかったわ」
「いや……まぁこれはこれで助かったけど。しかしお前、よく神の雷なんか習得できたな。高難易度魔法だろあれ」
「へへ。まぁ魔力消費ハンパないし、雑魚しか殺れないけどな」
「……雑魚しか?」
俺はそっと窓の外を見る。
「いてて……なんだ今の」
秘密警察が起きだした。先ほどよりも棺桶の数が若干増えているような気はするものの、多くの秘密警察が無事のようである。
ということは……
「ギャアッ!?」
断末魔の悲鳴を上げる秘密警察。
すっかり頭の先まで呪いに侵されたアイギスが、秘密警察を蹴散らしながらゆらりと立ち上がる。
俺はルッツに視線をやり、呟く。
「殺れてねぇじゃん」
ルッツがヘラリと笑った。
「お前魔力残ってる?」
「すっからかん」
「だよな」
俺たちは二人そろってロンドに顔を向けた。
「へへ……ごめんロンド」
「もう我々にはどうすることも」
ロンドが目を剥いて、その小さな拳で俺たちをポカポカ殴りつける。
「神官が二人してなにやってるんですか!? このポンコツ!」
仕方ないじゃん……ルッツが魔力使っちゃったんだし……
いや、俺たちの行動は無駄じゃなかった。十分な時間稼ぎにはなったらしい。
外から勇ましい声が聞こえてくる。
「呼んできたぞ! 助け!」
先ほど助けを呼びに行った勇者だ。ぞろぞろと援軍を連れて戻ってきた。
雄叫びを上げながら、勇者たちが呪いに侵されたアイギスに突っ込んでいく。
さながら大規模作戦のようだ。
しかし問題もあった。
大規模作戦の場合、敵は強大な魔物だ。的が大きく狙いやすいし戦場も広い。
今回の場合はどうか。討伐対象は一人の人間。戦場は街のど真ん中。勇者が押し寄せたせいで人口密度が一気に高まった。人混みに紛れてしまい、アイギスの生き死にはもちろん今どこにいるのかもよく分からない。そのくせ、勇者たちはぶんぶん武器を振り回すものだから同士討ちが多発している。
ルッツが隣で苦笑する。
「あぁ~もうむちゃくちゃだぁ~」
俺は頭を抱えた。
一体なにと戦ってるんだアイツらは? 二階から見ていて分からないのだから、下にいるやつはもっと分からないだろう。
指揮系統がしっかりしてないとこういう事になるのか……
一体ここからどう決着がつくのかと思っていると、その瞬間は唐突に訪れた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! みんな避けてぇ!」
カタリナだ!
杖の先から放たれた光線が辺りを白く染め上げる。うっ、眩しい……
目がチカチカする。
何度か瞬きを繰り返して、ようやく視力を取り戻した。……取り戻さなきゃ良かった。
階下に広がるのはカタリナの魔法で消し炭になった勇者の残骸。次々と綺麗な光になって姿を消していく。そのまま消えてくれたら良いのだが、そういうわけにはいかない。きっと今頃教会に消し炭の山が築かれている。
俺は窓から身を乗り出して叫んだ。
「そんな高威力の魔法使うことないじゃないですか! もっと考えてくださいよ!」
「えへへ。私、手加減できないんです」
クソがっ……へらへらしながら大虐殺しやがって。誰が尻拭いすると思ってんだ……あんな数の死体、すべて蘇生するのに朝までかかるぞ。
唐突な徹夜の決定を嘆き悲しんでいると、ロンドが横でポツリと呟いた。
「……あの杖の破壊力……素晴らしい……」