コミカライズを担当してくださるタナカトモ先生とのコラボSSです。
神官さんの帰省中の話になります。(本編で言うと「125、走れユリウス」の辺り)
ぜひ挿絵機能をオンにしてお読みください。
やった。とうとう手に入れた。念願の長期休暇。とうとう果たした。念願の帰省!
俺は幸せを噛み締めながら、窓から射し込む朝日と冷気を遮断するように毛布を頭の上まで上げる。
どこからも血の匂いがしてこない。その辺に普通に臓物やら生首やらが転がっていることもない。そして誰にも邪魔されず眠れる。なんて快適なんだ……
ん? 扉の開く音がする。小さい足音が徐々に大きくなる。
毛布から顔を出してあたりを見回すより早く、腹部に鈍い衝撃が走った。
「ぐえっ」
カエルを踏みつぶしたような声が出ると同時に、朝日が俺の顔を照らして冷気が頬を撫でた。
薄っすら目を開けると、毛布を捲り上げてこちらを覗き込む子供の笑顔が視界いっぱいに広がる。俺の甥っ子、マルクスだ。実家のすぐ近くに姉夫婦の家があるため、マルクスもこうしてしょっちゅうこの家に遊びに来ているらしい。
それは良いが、さすがに眠っている人間の腹にダイブするのは頂けない。俺はマルクスをベッドから下ろし、お説教を食らわそうと口を開く。しかしそれを遮るようにしてマルクスが興奮気味に言った。
「ユリウス! 教会行こう!」
……若いのに信心深いな。良い心掛けだ。俺は枕に顔を埋めた。
「一人で行ってきなさい……」
「なんで!!」
うるせぇ……朝からなんてテンションだ。
俺は渋々上体を起こし、マルクスに言い聞かせる。
「お兄ちゃんは普段毎日教会にいるんだ。たまにこうして教会を離れて息抜きしないと強すぎる信仰心により頭が破裂する」
「破裂!?」
「そう。お兄ちゃんの頭が破裂するとこ見たくないだろ?」
「見たい見たい見たい見たい! 行こ、教会行こ!」
なんで見たいんだよ……
他のところならともかく、このテンションのマルクスと教会に行くのはマジで嫌だ。ステンドグラスとかに突っ込んでいきそう。俺にはとても制御できない。
「お母さんかお父さんと行ってきなさい」
「お母さんはもう教会行ったよ! でも俺は連れてってくれなかったの。お留守番してなさいって」
留守番? なんでまた……
しかしそれなら話が早い。
「留守番してろって言われたなら留守番してなきゃダメだろ。お母さんの言うこと守らなきゃ」
「えー?」
マルクスは口を尖らせながらなんやかんやと文句を言っていたが、俺が無反応を貫いているとようやく観念したようだった。
「じゃあ良いもーん、お姉ちゃんと行こ」
お姉ちゃん?
マルクスは一人っ子だ。近所に仲の良い子供でもいるのか。
まぁ良いや。俺は毛布をかぶりなおす。冬の二度寝は最高だな。
しかしマルクスが部屋を出てすぐ、入れ違うように今度は俺の姉ちゃんが入ってきた。「おはよう」の一言もなく俺の毛布を引っぺがして言う。
「ユリウス! ちょっと教会に来て」
……母子揃ってどうしても俺を教会に連れていきたいらしいな。
*****
最近うちの近所にある教会の神官が代わったらしいことは聞いてた。もう良い歳だったからな。世代交代ってヤツだ。
まぁ帰省中に挨拶くらいは行かなきゃなーと思ってたが、まさかファーストコンタクトがこれとはなぁ。
古くて小さいが、清掃の行き届いた教会。一点の曇りもない窓から射し込む朝日が照らすのは、血溜まりの中でぶっ倒れている女神官と傍らに転がった肉片だった。
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
ヘレナと名乗った彼女は、真っ青な顔と真っ赤な神官服ながら丁寧に挨拶をしてくれた。
最近この教会に新しく赴任した神官とのことだ。しかし就任早々こんなレアケースにぶち当たるとは、この人も不運だな。
俺はちらりと床に転がされた死体を見る。今はシーツで覆われているが、間違いない。転送されてきた勇者だ。このへんに魔物は出ないし、勇者だってわざわざこんな田舎には立ち寄らない。俺が暮らしている間、この町の教会に勇者の死体が転送されてきたなんて話は聞いたことがなかった。
コイツも帰省途中だったのかもな。山道で足を滑らせて崖から転げ落ちたとかだろきっと。
ヘレナ神官が覇気のない声で続ける。
「以前勤めていた教会も魔物の活動が活発ではない地域に建っていて……お恥ずかしい話なのですが、蘇生はあまり経験がないんです」
なるほどな。
まぁ、フェーゲフォイアーのようにバンバン死体が降ってきて山になるような教会の方がレアケースなのだ。ほとんど蘇生をやったことのない神官だって当然存在する。
「で、でも! 蘇生は教会の重要かつ基本的な役割の一つ。きちんと勉強をして、試験にも受かってるんです。学生時代から多少ブランクがありますが、勘を取り戻せばきっと……!」
そう言ってヘレナ神官が取り出したのは蘇生学の教科書である。あちこち付箋が付いており、ページがめくれあがって厚みを増している。随分読み込んでいるな。
懐かしい表紙だ。もちろん俺も同じ教科書を使っていた。卒業試験合格発表の日に全部燃やしたけど。
「さぁ、もう一度!」
そう言って胸の前で血塗れの手をぐっと握り、死体にかぶさったシーツを捲る。
瞬間、ヘレナ神官がフラフラとへたり込み、血に塗れたカーペットの上にどうと倒れ伏した。
「ヘレナちゃん早朝からずーっと頑張ってるんだけど、全然進まないの」
倒れたヘレナ神官の介抱をしながら、姉ちゃんがため息交じりに言う。
そして俺にちらりと視線を向けた。
「ユリウス、あんた手伝ってやんなさいよ」
嫌だァ!
なんで俺が! 休暇中だぞ!
と、俺が叫ぶまでもなくヘレナ神官が首を横に振った。
「い……いえ、これは私の務めです。きっと神が私に与えてくださった試練なのでしょう」
おお。なんと立派な心掛け。俺は感心した。
とはいえ……蘇生と一口に言っても難易度は様々。当然、損傷が激しいほどに難易度は増す。
俺はシーツをチラリと捲って死体の状態を見る。これはかなり難易度が高いぞ。高所から落下した衝撃により臓器も骨格も筋肉もあちこち損傷してる。
しかもこの神官、技術に難があるというよりは……
「あの、もしかして血が苦手ですか?」
するとヘレナ神官は蒼い顔で微かに頷く。
「……はい……」
やっぱりか。
となると、やはりこの勇者の蘇生はかなり厳しいんじゃないのか。
しかしヘレナ神官はそう簡単に諦める気はないらしい。
「ユ、ユリウス神官! 蘇生を行うにあたってなにか心構えはありますか?」
心構えか……
俺は元から血も臓物も苦手な方ではなかったからな。血が苦手なヘレナ神官の気持ちを理解するのは難しい。とはいえ、それをそのまま伝えるのではあまりに身も蓋もない。
少し考えて、ポツリと言う。
「まぁ結局は慣れですよね」
「慣れ……慣れですか……そうですよね……」
あっ、なんかガッカリされてしまった。
これあれか。もっとこう具体的なアドバイスを求めている感じか。まぁ「慣れ」とか神官じゃなくても言える雑アドバイスだしな……
俺は必死になってアドバイスを脳内でこねくり回す。
「ええと、そうだ。勇者なんてガンガン死ぬんだから、そう重く受け止めることはないんですよ。人の肉だと思うから気分が悪くなるんです。いっそ豚肉だとでも思えば気分が楽になりませんか?」
「ぶ、豚……ですか……?」
あれ? ちょっと引いてる?
俺は方向転換した。
「っていうのは冗談ですが、まぁそれくらいの発想の転換があっても良いということです。血がダメなら死体にケチャップぶっかけてみるとか……そしたら本物の血もケチャップかな? ってなりません? なりませんか」
「慰めようとしてくださったんですね。ありがとうございます。なんとかやってみます」
ヘレナ神官はそう言って力なく笑って見せる。
うーん、なんとかなるかなぁ……
「なんとかなるの?」
小さな町の教会に勇者の死体が降ってくるというショッキングな事件に、住民たちは興味津々。うちの家族も例外ではない。
ヘレナ神官と別れて実家に戻って早々、テーブルを挟んで正面に座った姉ちゃんが非難するようなじっとりとした視線をこちらに向けてくる。
「結局手伝ってあげなかったんでしょ? 冷たいな」
「ヘレナ神官が自分でやるって言うから」
「そうは言っても、教えてあげることはできるでしょ。手取り足取りさぁ」
「いや、あれは技術に問題があるわけじゃないからな。精神的な面に関しては俺にはどうすることも――」
「ねぇ、可愛いくない? ヘレナちゃん」
なんだ急に。
机に肘を置いた姉ちゃんが前のめりになって俺の顔を覗き込む。
「健気で優しいし、頑張り屋だしさ。アンタと年も近いし……どうせ妹になるならああいう娘が良いよね」
「姉ちゃんの都合なんて知らねぇよ」
「とにかく、帰る前にヘレナちゃんが蘇生できなかったらユリウスがかわりにやってやんなさいよ。マルクスがあんなの見たらひとりでトイレいけなくなっちゃうでしょ」
「行けるもーん」
足元からマルクスの不服そうな声が聞こえる。見ると、クレヨンを抱えたマルクスがこちらをじっとりした目で見上げていた。姉ちゃんそっくりだな。
俺は苦笑を漏らしながらマルクスに声をかける。
「大人しく留守番してたか? お兄ちゃんいなくて寂しかっただろ?」
「ぜんぜん寂しくないもーん。お姉ちゃんと遊んでたから」
「お姉ちゃん? そういえば今朝も言ってたな。近所に誰か女の子の友達でもいるの?」
すると姉ちゃんは「さぁ」といって首を傾げる。
「今日はずっとお母さん達とこっちの家にいたと思ったけど。誰か遊びに来たのかな。あっ、道具屋のとこのアンナちゃん?」
「ちがーう」
マルクスは俺たちに背を向けてゆっくりと部屋を出ていく。扉を閉める直前、振り向きざま言った。
「俺は別に寂しくないけどぉ、お姉ちゃんはちょっと怒ってるよ」
……どういうことだ?
マルクスが出ていった扉を眺めながら、姉ちゃんが苦笑して呟く。
「アンタが教会行っちゃったからきっと拗ねて変なこと言ってんのよ。明日は遊んでやって」
「ハイハイ」
****
冬とはいえ、死体をいつまでも放置していればどんどん傷んで蘇生難易度も高くなる。
どうせ俺が蘇生するなら腐る前に……と思って次の日教会を訪ねたものの、既に勇者の死体はなかった。
「ありがとうございます。ユリウス神官のアドバイスのお陰です」
どうやら蘇生を成功させたらしい。
ヘレナ神官は袖が血に塗れた神官服のまま俺に丁寧な礼を言ってくれた。
俺も笑顔でヘレナ神官の蘇生成功を祝う。
「おめでとうございます。死体にケチャップかけたんですか?」
「いえ、ケチャップはかけていません。何度も繰り返すうちに少しずつ慣れてきて……」
「それにしては顔色が悪いですが。大丈夫ですか?」
ヘレナ神官の顔から微笑みが消えた。
逡巡するように視線を泳がせた後、恐る恐るという風に口を開く。
「ユリウス神官、変な質問をしても良いですか」
「はい?」
「教会に送られてきた勇者のご遺体が……動くことはあるでしょうか」
……死体が動く?
ヘレナ神官は小さな肩を震わせ、教会のカーペットに浮かび上がった赤い染みに怯えた視線を向ける。
「夜中……自室で寝ていたら聖堂から音が聞こえてきて。それで、扉を開けたら……勇者のご遺体が……聖堂を這いまわって……!」
「だ、大丈夫ですか?」
ヘレナ神官がハッとした表情を浮かべて俺を見る。慌てたように首を横に振った。
「すみません! 蘇生を成功させなくちゃいけないって重圧で変な夢を見てしまったんだと思います。で、でもあまりにリアルな夢だったので、怖くなってしまって……そのお陰で血に対する恐怖心が相対的に薄れたと言いますか、とにかく無我夢中で蘇生をすることができました」
なるほど。よほど追い詰められていたんだろう。可哀想に。
ヘレナ神官は蒼い顔に気丈にも笑みを浮かべて言う。
「とにかく、ありがとうございました。神官として、一皮むけた気がします!」
あれほど酷く損壊した死体を蘇生できたのだ。次にまた蘇生する機会があっても、ヘレナ神官は立派に自分の務めを果たせるだろう。
俺はヘレナ神官に軽く挨拶をすませ教会を後にする。
姉ちゃんに言われた通り、今日はマルクスと遊んでやらないとな。
マルクスは姉夫婦の家の居間にいた。クレヨンと紙を広げ、なにやら絵を描いている。
なに描いてんだろ。見ようとすると、マルクスは紙に覆いかぶさって俺の視線を遮った。
「見ちゃダメ!」
「なんで? なに描いてるの?」
「ナイショ」
なんだ? まだマルクス置いて教会行ったこと怒って拗ねてるのか?
仕方ねぇな。俺は大人の財力をチラつかせることにした。
「一緒に外行かない? お菓子買ってやるから」
「ホント!?」
「ああ。片づけたら行くぞ」
「うん!」
すっかり機嫌を直したマルクスが散らばったクレヨンを箱に戻していく。
ピンクやら薄紫やら、妙に可愛い色のクレヨンがすり減っているのがなんとなく目に付いた。まぁ男の子だからピンク系のクレヨンを使わないなんてことはないだろうが。
箱に綺麗にしまったクレヨンを抱え、もう片方の手でお絵描き途中の紙を握る。その時、チラリとラクガキが見えた。
パステルカラーで塗りつぶされた……人影……?
「片付け終わったよ! いこうユリウス!」
マルクスの声でハッと我に返る。
い、いかんいかん。ノイローゼ気味になってるな。俺は頭を振って這いまわる悪寒を振り払う。
実家でまで恐怖に怯える必要はない。
俺は笑顔を浮かべてマルクスの手を握り、菓子を買いに向かうのだった。
スクウェア・エニックス様の漫画アプリ、マンガUP!にて4月6日(月)よりコミカライズ連載開始です。
めちゃめちゃ面白いのでぜひ読んでね。
よろしくお願いします!