「教え子への刑の執行はいつも本当に辛い。でもこれは貴方を救えなかった私への罰でもあるのですから、甘んじて受け入れなくてはね」
攻撃魔法を操れる神官はそれほど多くない。が、どうやらセシリア先生はそれほど多くない貴重な神官の一人らしい。魔法で作られた風の刃が血飛沫を散らしながらジッパーの触手を次々飛ばしていく。
セシリア先生を守らなければ……なんて偉そうに思っていたがどうやらその必要はない。どちらかというとジッパーの方が押されているように思う。
ジッパーの触手に守られながら、吹き荒ぶ風に負けまいとするようにマッドが声を張る。
「そうですかぁ!? その割に嬉しそうですけどね」
「その通り。辛いけど、嬉しくて仕方がないの。死こそ神の加護を失った貴方に与えることのできる唯一の救済。ようやく貴方を救うことができる」
先生がそう言って穏やかな笑みを浮かべる。己の胸に手を当て、どこか遠い目でマッドを見つめた。
「昔から優秀な生徒でした。でも問題もあった。貴方の中の闇に気付いていたのに、私は貴方を変えられなかった。ごめんなさいフラメル。貴方をそんな風にしてしまったのは私の責任です」
「思いあがるのもいい加減にしてほしいですね。自分の影響力を過大評価しているみたいですが、貴方がいてもいなくても俺はこんな感じでしたよ」
ジッパーが押されているのもあってか。マッドがイラついているのが手に取るようにわかる。
対してセシリア先生はいたって冷静だ。迫りくる触手を千切り飛ばしながら、癇癪を起した幼子を宥めるように言う。
「いいえ。自分が思っている以上に私たちは他人の影響を受けているものですよ。まったく、一人で大きくなったような顔をして……」
「今度は母親気取りですか。俺は本当にあなたが苦手だ!」
ジッパーが攻勢を仕掛ける。ボンデージに付いた金具が次々開き、大量の触手がセシリア先生に伸びる。
しかし伸びた大量の触手はセシリア先生に届くより早く消し飛んだ。千切れたのではない。消えたのだ。天から降り注いだ光の柱が触手を食うようにして消した。
足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。輝く光を浴びながら、セシリア先生が心からの笑みを浮かべる。
「準備が整いました」
マジかよ。今のって即死魔法“神の雷”か? 以前ルッツが見せたそれとは比べ物にならない威力。これがセシリア先生の本気?
……ということは、今までのは攻撃は全部時間稼ぎということになる。
俺は恐ろしくなった。果たして神官にこれほどまでの攻撃魔法スキルが必要なのか……
「ジッパー!」
呼び掛けに応じ、ジッパーがマッドの体に触手を巻き付ける。
あんな攻撃、まともに当たれば無事ではいられない。分が悪いと判断したか。マッドを連れ、ジッパーが駆け出す。
教会を飛び出していく二人の背中に、セシリア先生は懇願するように言った。
「お願いだからもう逃げないで。今度こそ貴方を救いたいの」
しかし破門された不良神官が先生の言葉に耳を貸すはずもない。セシリア先生の伸ばした手は虚しく空を掻く。
それでも先生は諦めなかった。止まらないのなら追いつくまでとばかりに、先生は二人を追って駆け出していく。
「せ、先生……」
取り残され、しばし呆然とする。が、ボーっとしている場合じゃない。我に返った俺は慌てて先生を追いかける。どっちへ向かった? 俺は教会を飛び出て辺りを見回す。しかしそんなことをするまでもなかった。
突如現れた光の柱。それを目印に俺は走った。駆けつけた時にはもうすでに全て終わった後だったが。
「ドクター」
ウサギ頭の中から呆然と声がする。
消し飛んだ触手の断面から滴る血がジッパーのボンデージを滑り落ちていく。ウサギ頭に覆われた彼女の表情は分からないが、そんなの見るまでもない。
ジッパーが崩れ落ちるように地面に膝をつく。マッドの姿はない。ただ、白衣の切れ端だけが忘れ去られたようにそこにあった。
先生は祈りを捧げるように手を組んで天を見上げる。一筋の涙が頬を伝い落ちた。
そして先生は項垂れるジッパーを見下ろし、信者や生徒に語り掛けるのと変わらないトーンで言う。
「お行きなさい。もし貴方に償うべき罪があれば神が手を下すでしょう。私の務めは終わりました」
ジッパーがセシリア先生を見上げる。その手を素早くボンデージについた金具に伸ばすが、もはやジッパーに戦う理由など無い。彼女はグッと拳を握りこみ、そしてセシリア先生に背を向けて歩き出した。
俺は地面に落ちた白衣の切れ端を手に取る。
しかし感傷に浸る暇もなく、優しく肩を叩かれた。肩越しのセシリア先生が微笑みを浮かべながら言う。
「貴方にも話を聞かなくてはいけませんね」
*****
姫を救うため勇者が遠征し、失敗して戻って来たと思ったら姫と先生も戻ってきて、そして気付いたらマッドが死んでた。
……色々なことが起きすぎて考えが纏まらない。
いっそこの先生が連れ去られたときに入れ替わった偽物だったら良いのにとすら思うが、魔物に神の雷は使えない。
そして先生は今も、学生時代俺に向けていたのと変わらない笑顔を浮かべている。しかし先生に必死で弁明する俺の心持ちは学生時代とは全く違うものだった。
「脅されてただけなんです、脅されてただけなんです。ヤツが指名手配中の元神官だという噂を耳にして本部に報告しようとしたこともありますが、それがバレて酷い目にあったことがあるんです」
嘘である。しかし命を守るための嘘ならば神もきっとお許しになることだろう。
俺は必死に口を回す。
「か、監視も厳しくて私にはどうすることも。それに、まさかアイツがそこまで非人道的な行為を行っていたなんて――」
俺がシラを切りまくっていると、セシリア先生が懐からずるりと何かを取り出した。
「監視? それはこの子のことですか」
ゲッ。俺は顔を顰めそうになるのを必死にこらえた。
例のマフラーである。よくそんなの平気な顔で連れ歩けるな。
ん? そういえばマッドはマフラーの現在地を把握していたはずなのに。たまたま確認を怠って先生と鉢合わせしたとしたら、運が悪いとしか言いようがないが……
セシリア先生は子猫でも見るような優しい目で裏にビッチリ触手の生えたマフラーを見下ろす。
「初めて見たとき、どうしてかフラメルを思い出したんです。やはりあの子が作ったのですね」
「そ、それどうするんですか……?」
「作ったのが誰であろうと、ウェンディに罪はありません」
なんか名前付けてるし……
「それに、ウェンディはあの子の形見ですから。私が責任を持って面倒をみます」
セシリア先生はマフラーを撫でる。いつもの優しげな声で続けた。
「この街の担当は私ではありません。あとはシャルルにお任せしましょう」
ヤッター!!
俺は飛び上がりそうになるのを抑えるのに必死だった。シャルルなら俺を本部に突き出すようなことはするまい。マッドの巻き添えで処分食らうのだけはゴメンだからな。
浮かれる俺を見上げて、セシリア先生が優しく目を細める。
「貴方は本当によく頑張っています。理屈や綺麗事では片付けられない色々な……王都にいる私たちには計り知れない苦労があることと思います。でも貴方ならきっと大丈夫」
そう言って、先生は俺が首から下げた勲章を手に取った。
「あなたは今後もこれに恥じない働きをすることでしょう。でももし……もしもの時は……」
セシリア先生が満面の笑みを浮かべる。己の胸に手を当て、子供を励ます母のようなトーンで言った。
「安心してください。私が責任を持って貴方に救済を与えますから」
体の芯が冷えていくのを感じる。
多分本人は脅しのつもりじゃない。きっと百パーセントの善意で言ってる。百パーセントの善意でマッドを殺したし、俺がなにかの手違いで教会に追われるようなことがあれば百パーセントの善意で俺を殺すのだろう。
俺は神官スマイルを浮かべようと努力したが、表情筋が石のように固く動かない。
絶対にこの人は敵に回さないようにしよう。俺はそう固く決意した。