拝啓、勇者の皆様。
私は今、魔族に無理矢理連れ去られて奴らの住処に監禁されています。
快適な生活とは言い難いですが、今のところなんとか命は無事です。しかしいつまで持つか。やつらの機嫌が悪ければ私など一捻りにされることでしょう。
小さな教会のちっぽけな神官のことなどお忘れください。
手紙が書けるのもこれっきり。この手紙が皆様に届くかも分かりません。
私にできるのは神に祈る事だけです。
突然教会を留守にしてしまい、皆様にはご迷惑をおかけします。
多分すぐに代わりの神官が本部から派遣されてくると思いますので、しばらくは死なないようにすると良いでしょう。
皆様に神のご加護があらんことを。
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「キキッ、キキキョケ」
「仕方ないですね。ほら、見せてみなさい」
枝でも引っ掛けたのか。ガラスに爪を立てたような泣き声を上げるミニデビルの小さな背中には血の滲む切り傷が走っている。
「あーあ、パックリいってますね」
ミニデビルが背中に負った傷をちょちょっと回復魔法で治してやる。
すると当のミニデビルはもちろん、周りにいた魔物たちも拍手喝采とばかりに目を輝かせて立ち上がる。
「ピキュエーッ!!」
「キキュキョーイ!」
言葉は分からんが、俺を褒め称えているのだろう。苦しゅうない、苦しゅうない。
魔族は自慢の超回復のお陰で回復魔法を使う必要がない。
そのせいでヤツらの眷属である魔物たちの間でも回復魔法が発達しなかったのだ。
当然神の力を借りる蘇生魔法を魔物に使うことはできないが、ちょっとした回復魔法を披露しただけでこの扱いである。
これがスキルチート無双か。悪くない気分だ。
俺は魔王の玉座さながらのクソでかいソファに寝転び、魔界のフルーツ盛り的なものをつまむ。
油断すると果実から生えた羽で逃げられたり、突然口ができて噛み付かれたりするから注意が必要だが味は美味い。
あっ、ブドウモドキもある。これ好きなんだよね。でも皮を剥くのが面倒だ。
俺はブドウモドキをスライムの中にブチ込む。強酸の粘液の中でブドウモドキが断末魔の悲鳴を上げた。いい感じに皮の溶けたブドウモドキを、スライムが美しく皿に盛り付けてくれる。
ここでは回復魔法以外の面倒なことはなにもやらなくて良い。
俺がケツを拭くのが面倒だと一言言えば魔物共は喜んで俺のシモの世話をするだろう。まぁ流石にそこまで人間を捨てきれてはいないが。
魔物たちも意外と気の良いヤツばかりだ。言葉は分からないが、俺が回復魔法を披露すると奇声を上げて讃えてくれる。たまに涎を垂らしながら熱い視線を向けてくる魔物もいるのが気になるところだが、誰にでも欠点の一つや二つはあるからな。
もはや俺は神に仕える神官ではない。
俺こそが神なのだ!
「やっているな神官」
「ん? ああ、シアン」
体を起こし、俺をここに連れてきた張本人に挨拶をする。
こんな生活を送れているのも彼女のお陰だから、ピシッとしないとな。
いや、待て。シアンを“彼女”と呼んで良いのか……?
俺はシアンを改めて見る。
長い睫毛に丸い目。マーガレットちゃんと同じく、顔だけ見れば少女のようだ。しかしやはりその体は人形のようにツルリとしていて性を感じさせる凹凸がまるでない。
シアンはマーガレットちゃんを“兄さん”と呼ぶし……よくよく考えたら、花粉を飛ばすのは雄花だよな。
まぁ、魔族に性別なんてもんがあるのかも曖昧だ。奴らは俺らとは生物としての造りから違う感じがする。あまり深く考えても仕方ないのかもしれない。
っていうか考えないようにしよ。オリヴィエが不憫だし。
しかし兄、か。弟ではなく。マーガレットちゃんが発芽したのは数ヶ月前だが、シアンは一体何歳なんだ?
シアンと同じく、マーガレットちゃんもただのアルラウネではない?
疑問は尽きないが……
「ふふ、これが気になるか?」
シアンは後ろ手に隠していた黒い衣をサプライズとばかりに広げる。
俺が眺めてたのはシアンの体だが、正直に言う訳にもいかないので大袈裟に頷いておく。
「ええ、なんですそれ?」
「花嫁衣装さ。アラクネの糸で織った最高級品だ」
「結婚するんですか? おめでとうございます」
シアンは目をパチクリさせ、そして噴き出すように笑う。
「ハハハ、面白いことを言う。これは君のだ」
……は?
俺は目を擦る。
なるほど、確かに女性物にしてはデカい。飾り気はなく、神官服っぽいといえばそんな感じもする。
いや、でも今ハッキリ“花嫁衣装”って言ったよね?
「なに、遠慮することはない。うちに嫁入りするなら、これくらいの衣装を用意しなくては格好がつかないからね」
「あ、あの、ちょっと話が見えないんですが。っていうか私男ですけどその辺は大丈夫ですか」
「オトコ? なんだそれは。ヒトの言葉はたまに分からない。それより、まさかまだ兄さんと話を付けていないのか? それはいけない。こういうのは早い方が良い」
……なんだ?
マジで話が見えない。全然話が噛み合わない。
ぽかんとしていると、シアンは急にもじもじとし始める。
「だって、その、もう……契りは済ませたのだろう?」
「契り? なんですかそれ」
「えっ……な、なぜそんなことを聞く」
「魔物の慣習なんて知りませんよ。人間だもの」
「う……うう、じゅ……受粉だ!! ぼ、僕に何てことを言わせるんだよまったく……」
受粉?
受粉ってアレでしょ。子供のとき授業でやった……ええと、めしべに花粉を付けると果実ができるみたいな。農家の人とかが耳かきの後ろの綿毛みたいなのでぽふぽふしてるヤツでしょ。
ああ、そういえばマーガレットちゃんに水をやってると時々ツタで拘束されて花粉塗れにされてたな。もしかしてそのこと?
「それと一体何の関係が」
言いかけてハッとする。
植物にとって花は生殖器だし、受粉は生殖行為になる……
「どうした。顔色が悪いぞ」
シアンは俺の顔を覗き込み、身も凍る冷たい視線を容赦なく浴びせかける。
「まさかと思うが、兄さんにあんなことをしといて責任取らないつもりか?」
責任ってなに!?
こんな割りにあわねぇ事ないよ。なんで花粉塗れにされた挙句責任まで取らされるんだ。だいたい俺が望んだんじゃなくてマーガレットちゃんが無理矢理……ああ、いかんいかん。この言い方だとマジで俺が無責任な男みたいになる。
だいたいおかしいよね。異種族かつ同性って、こんな業の深い結婚ある? いやまぁ男と決まったわけじゃないけど……
しかしここで迂闊なことを言えば待っているのは間違いなく死……
仕方がない。ここはアレを使うしか。
ふふ……ここでの緩い生活の中でアレを使う機会などないと思っていたんだがな。
見ろ、シアン。これが俺のっ……渾身の“神官スマイル”だッ!
「あなたが兄の事を想う気持ちは分かりますがシアン、こういう事は私の方から切り出したいと思います。一生に一度のことですから、思い出に残る感じにしたいんです」
「む……そ、そうか。まぁタイミングというのも大切だと聞くからな。まだ兄さんを植え替える方法も確立できてないし、うん」
ふう、なんとか乗り切ったらしい。問題解決を先延ばしにしたとも言えるが、まぁ未来のことは未来の俺が頑張るだろう。
やれやれ、危なかった。
「とはいえ、あまりうかうかしてるなよ。兄さんの気が変わらないうちにな。それじゃあ、僕は行くよ」
「お出かけですか?」
「ああ。式場の見学で全国を回るんだ」
全然俺の話聞いてねぇじゃんこの人……
シアンは机の上に小さなベルを置く。
「大丈夫だとは思うが、もしなにか危険が迫ったら鳴らせ。すぐに飛んでいくから」
シアンはそう言い残すと、最初からそこにいなかったかのようにパッと消えてしまった。
転移魔法か。さすがは魔族。
にしても結婚か……結婚……
試しにマーガレットちゃんとの結婚生活を思い浮かべてみる。
マーガレットちゃん喋らないし動かないからな。こうやってゴロゴロして、魔物どもにスゲースゲー言われて、うまいもん食って、そんでたまに花粉塗れにされる。
……全然デメリットが浮かばない。
うわぁ、どうしよう。すっごいピンチのはずなのに泡がはじけるように焦燥感が消えていく。
引っ掛かるところがあるとしたらマーガレットちゃんの性別だが、それについては考えるのをやめた。
俺は閉ざされたドアの方をちらりと見る。
その気になれば逃げ出すこともできるかもしれないが、こんな楽な生活に慣れたらそんな気も起きない。下手に鎖で拘束されるよりよほど抜け出し難い。シアンが考えてそう仕組んだとしたらかなりの切れ者だ。
死体に囲まれながらハードワークこなすより良い生活かもな……いや、良くはない。こんな生活、人として良くない。良くはないけど……。
「キキョケケーイ!!」
「キョッキョッキョッキョ」
部屋の外から怪鳥の鳴き声みたいなのが聞こえてくる。
なんだうるせぇな。
「ピキュッ! キキキッ!」
扉が勢いよく開き、ミニデビルが転がり込むように部屋に入ってくる。
うわっ、血だらけじゃねぇか。
床に這いずるようにしながら俺を見上げる。
「ピッ……ピキュー……イ……」
ミニデビルはこちらに小さな手を伸ばし、その手は何も掴むことなく床に落ちた。
一応回復魔法をかけてみる……が、ミニデビルが動き出すことはなかった。
「一体なにが……」
顔を上げ、戦慄する。
開け放たれた扉の向こうには、惨劇が広がっていた。
輝く白銀の鎧、煌めく白刃、飛び交う魔物の首、降り注ぐ血の雨。
ああ、死神だ。死神騎士が舞っている。
「神官さん!!」
死神に見つかった。
その剣撃はますます冴え渡り、血のスコールを降らせながら廊下を進む。
マズイ、どうする。
このままでは俺の平穏な生活が……!
そうだ。
俺は机の上のベルを見る。コイツでシアンを呼び出せば!
俺は素早くそれに手を伸ばす。
しかし俺の手がベルに届くことはなかった。
「ユリウスっ……」
俺の手を握る、パステルカラーの絶望。
ポップな色の割にハイライトに乏しい瞳が俺をとらえて離さない。
「神官さーん! イテッ、イテッ」
部屋に滑り込んできた魔導師が、魔界フルーツ盛りたちに襲撃を受ける。
宝玉の付いた杖を振り回しながらバランスを崩し、テーブルの上のベルめがけて倒れ込んだ。
「痛ッ!? なんか踏んだっ……神官さん回復魔法下さいっ!」
「神官さん……よくぞご無事で」
「ユリウス、もう泣かなくて良いのよ。私が助けに来たんだから」
潰れたベルを眺めていると、自然と頬に温かいものが伝う。
いくらあれを振ったところで、もう澄んだ音は響かない。
さよなら、俺の平穏な日々。