なにこれ……えっ、本当になに?
俺は目を擦って辺りを見回す。なんど擦っても悪夢は消えなかった。
窓を激しく叩く影。ギョッとするような醜いバケモノというわけではない。どれも見知った顔ばかり。勇者共だ。領主の館を取り囲み、虚ろな視線をこちらに向けている。呼びかけても「あー」だの「うー」だの漏らすばかりでまともな返事は期待できそうにない。
「なんですかこれ」
俺は窓から目を逸らし、横にいるアイギスに尋ねる。
剣を携え、窓の外の勇者をキッと睨みつけたまま答えた。
「まともな状態でないのは確かです。話しかけても応答せず、痛覚も鈍くなっているのか攻撃にも恐れずこちらへ向かってくる。ヤツらに接触……恐らく噛まれることで症状が伝染していくようです」
……えっ、ゾンビってこと?
俺は愕然とした。どうすんだよこれ。……どうすんだよこれ。
ヤツらは突如発生し、瞬く間に街中に広まったようだ。たまたま外出していた時にゾンビが発生したため、他の勇者と一緒に領主の館に逃げ込めたのは不幸中の幸いか。
しかしこのままではジリ貧だ。あまりにも数が多すぎる。知能が随分と下がっているようだが、それでも勇者のフィジカルは手ごわい。しかも少し噛まれただけでヤツらの仲間入りときた。まともに戦わない方が良い。
じゃあどうすんだよ……どうすんだよこれ……
いや、大丈夫だ。落ち着け。こんな病気?が自然発生したとは考えにくい。この事件を裏で操っているヤツがいる。そいつを締め上げれば。まぁ容疑者はだいたい絞れている。
アイギスが窓から外へ目を向ける。勇者共は覇気のない声を上げながら窓を叩いているが、ガラスが割れる気配はない。
「逃げ込んだのがここで良かった。この館は魔物の襲撃に耐えられるよう頑丈に作られています。勇者を集め、まずは作戦を」
ベチャッと音がして、窓が赤く染まった。ガラスにへばりついた肉片が重力に従いずるりと落ちていくのを俺たちは呆然と眺めることしかできない。
血に染まった窓ガラスの向こうでゾンビ勇者が蹂躙されている。吸盤付きの触手が動くたびに勇者の首が飛ぶ。あんな触手を従えている人間、一人しかいない。
外の狂乱が嘘のように、穏やかなノックと呼びかけが響く。
「おーい、ここ開けてくれる?」
……おいでなすったぞ、最有力容疑者が。
ジッパーと共に悠々と館に足を踏み入れたマッドに俺は詰め寄った。
「いい加減にしてください。いくら何でもやりすぎです」
「ん? なんの話?」
「この期に及んでとぼけないでくださいよ。このゾンビたち、貴方の仕業でしょう!」
しかしマッドは怪訝な表情を浮かべるばかりだ。
主人に変わり、ジッパーがウサギ頭の中から俺の問いに答えた。
「神官さん、これはドクターの研究ではありません」
……本当か?
拭いきれない疑惑は残るがひとまずは信じるそぶりを見せた。
まぁマッドは全く信用できない人間ではあるが、あんまり嘘は吐かないからな。自分の悪事を堂々話すタイプだ。
しかし表面上疑いが晴れてもマッドの表情は晴れない。血の付いた窓を覗き、面白くなさそうに言う。
「これくらいのことは俺でも簡単にできるけどね。いや、もっと全然上手くできる。まぁ低俗すぎてやろうとも思わなかったよ。美しくないしね。数だけ揃えれば良いみたいな雑な考えが透けて見える」
あぁ、分かった分かった。張り合うな張り合うな。
しかし真っ先に大本命の容疑者が消えてしまった。弱ったな。絶対コイツだと思ったのに。
「じゃあ一体だれが……?」
俺の呟きにマッドがすかさず答える。
「絶対素人だよ。最近知識を得たばかりのヤツが調子に乗って無茶苦茶やってるんだ。全然制御できてないし」
分かった分かった。僻むな僻むな。
「先生ならこの状況をどうにかできるのではないですか? 治療法などはないのでしょうか」
アイギスの言葉にマッドは腕を組み、大袈裟に頷く。
「まぁ俺の手にかかれば当然できるに決まってるけど、とはいえすぐには無理かな。まだ原因も分からないしね。魔術的なものなのか、伝染病に近いものなのか、あるいは何かに操作されているのか。まずはそこを解明しないと」
なんだよ、偉そうに色々言ってるが結局打つ手なしじゃねぇか。
しかしマッドは妙に前向きだった。勇者たちを見回しながら声を張る。
「じゃあさっそく研究所に何体かサンプル運ぼうか。人手がほしいんだ。みんなついてきて」
しかし勇者たちの腰は重い。
当然だ。外にはゾンビがうじゃうじゃいる。そしてちょっと噛まれただけでヤツらの仲間入りだ。
そんな中、ゾンビを研究所に運ぶなんていくらなんでも無理があるだろ。怖気づいた勇者たちが視線を泳がせる中、ある勇者が立ち上がった。エイダだ。
「確かに危険だけど……でもっ、こんなとこでウダウダしていてもなんにもならないじゃない。少しでも現状を打開できる術があるならなんでもやるべきだよ」
エイダ……お前……
エイダがカツカツと靴音を響かせながらマッドへ歩み寄る。ヤツの顔を覗き込み、満面の笑みを浮かべた。
「でもアンタに協力なんてぜーったいしない」
……ん? どういうこと?
エイダがくるりと振り返り勇者たちを見回して言う。
「もちろん多少の危険があっても、それを冒すだけのメリットがあれば行動に移すべきだよ? でもこんなヤバい男のために命なんて張れないよねぇ? 人の命なんてなんとも思ってないみたいだしぃ、第一本当に治療法なんて探す気あるのかなぁ? っていうかさっきから偉そうに色々言ってるけど中身のあること言ってなくない? 素直に触手以外は専門外です、なにも分かりませんって言えばいいのに」
あっ、コイツここぞとばかりに今までの仕返しをしている!
性格が悪いなぁ。しかし性格の悪さならあちらも負けていない。
マッドが白衣のポケットに手を突っ込んだまま、貼り付いたような笑みを浮かべてエイダを見下ろす。
「仰々しくしゃしゃり出てきた割に建設的な話を一切していないのはさすがだね。なにも分からないなら引っ込んでれば良いのに。というか、薄々思ってたんだけどこの騒ぎ起こしたの君なんじゃないの? 前も錬金術とか言って変な術に手を出して見事失敗したらしいし」
あ、あり得るな……
アイツのメンタルはもうめちゃくちゃだ。合理性とかそういうものを欠いた行動が多い。この前もネクロマンシーがどうとか言ってたし……コイツが犯人か?
しかしエイダはマッドの言葉に激しく反発する。
「言い掛かりはやめてよね。私はなにもやってない!」
「ああ、そうだね。この程度の杜撰な事件を起こせる程度の技術力すら君にはない。当然だよね。素人がほいほいこんなことできたら世界はとっくに滅んでる」
なんだ……エイダじゃないのか……?
にしても先が思いやられるなぁ。まだ領主の館にこもって一時間も経っていないのに。この時点でそんなくだらない言い争いしてたらあっという間に殺し合いになるぞ。人間同士の内ゲバはゾンビモノの定番だからな。
「お前ら、いい加減にしないか! こんな緊急事態になにを争っているんだ」
アイギスがしびれを切らして二人の間に割って入る。さすがはアイギス。でもすぐに剣を抜く癖は治した方がいいな。
俺は慌ててアイギスの腕を掴む。
「少しでも人手が必要です。できるだけ数を減らさないようにしてください」
「え?」
俺は振り返る。視線を前方に戻す。……もう一度振り返る。
「た、たす……助けて……」
震える手をこちらに伸ばし助けを求めるエイダ。
後ろからエイダに覆いかぶさるようにして首筋にナイフを突きつけているパステルイカれ女が甘えるように首を傾げた。
「殺しちゃダメ?」
「ダメです」
*****
「ひっ……ひっ……」
エイダが部屋の隅で縮こまって静かになった。お前は本当に部屋の隅が好きだなぁ。
心には大きなダメージを負ったようだが、ギリギリのところで流血沙汰には至らなかったからセーフ。
「最初に言っておきます。殺し合いはナシです。みんな色々……ね。思うところというか、その……色々あるとは思いますが……別に仲よくしろとは言いません。でもこんな状況ですから。みんな大人なんですし、協力していきましょう。とにかく殺し合いはナシ。良いですね?」
「ええ、もちろんです」
アイギスが食い気味に頷く。
人類がみんなアイギスくらい素直だったらいいのに。なかなかそうもいかない。
「まぁ殺し合いナシは分かったけどさ、協力ってのはちょっとな。ジッパーがいれば十分だし、わざわざ信用できない人間と組みたくないね。そこのネクロマンサーとか」
マッドがヘラヘラ笑いながら、しかし一切の躊躇なくそう言い放つ。
しかしパステルイカれ女は余裕の表情。
「勇者を殺してユリウスに迷惑ばっかりかけてる人がこんな時は偉そうだね」
まぁそれは本当そう。でも勇者殺してるのはお前もだろ。
パステルさんがしなだれかかりながらこちらを見上げる。
「ねぇ。ユリウスの要望にはできるだけ応えたいけど、他の人と組む必要がある? 私がいれば十分でしょ? どうせ役立たずばかりなんだから」
「……妙な手品と小細工を使うのが上手いみたいだけど、実際の実力はどうなんだろうね?」
マッドがジッとリエールを見つめながら唸るように言う。
あぁ~、この組み合わせ嫌だぁ。このままじゃいつまでも口論を重ねて、いずれ殺し合いになだれ込むぞ。
俺は話題をそらすべく勇気を持ってリエールに言う。
「死体の使役をするみたいに外のゾンビを操ったりできないんでしょうか」
……というか……まさかコイツの仕業じゃないだろうな……
しかし俺の心配をよそに、リエールは困ったように首を横に振った。
「それは無理。外の勇者、死んでないもの」
死んでいない?
なら死体が動くという類の典型的なゾンビとは違うってことか……?
マッドが血に染まった窓の外を見やる。窓に張り付いていた肉塊は消えていた。
「死んでいるわけではない、か……死体が操られているわけじゃないならやりようはあるかもね。つまりこれは伝染する状態異常ってことでしょ?」
……嫌な予感がするな。
纏わりつく不安を振り払うように俺は窓から視線を逸らす。が、周囲はそれを許さなかった。
アイギスがにわかに動いた。窓辺に寄って窓を開ける。俺たちを噛もうと腕を伸ばし押し寄せたゾンビ勇者共に、アイギスはロングソードを振り下ろし首を派手に飛ばした。草でも刈るかのような無感情な動きだった。
あまりに一瞬のことで、悲鳴を上げる暇すらない。呆然とする中、再び閉められた窓の外でゾンビ勇者の首と胴がそれぞれ眩い光となって消えた。
アイギスが剣についた血を振り払いながら頷く。
「なるほど、本当ですね。有用な情報を得られました。死んでない……つまり殺せるということ」
息をのむ。寒気がする。腹の底から這い上がるような焦燥感。
俺の気も知らず、外野はいつだって気軽に勝手なことを言う。
隅で震えていたエイダが不意に顔を上げた。
「……アイツらを殺して蘇生させれば正気に戻る?」
ふっっざけんな!!
簡単に言ってくれるなよ。窓の外を見ろ。何人いると思ってんだ? これ全部蘇生させろって? 俺に死ねって言ってんの?
あぁ、さっそくヤツらが教会へ向かうための作戦会議を始めやがった。冗談じゃねぇぞ。
俺は震える声で、そして懇願するような心持ちで言う。
「お、落ち着いてください。蘇生させて正気を取り戻すっていう確証があるわけではありません。まずこうなった原因を突き止めないとまた同じことを繰り返しかねない」
するとマッドがヘラヘラ笑いながら首を傾げる。
「それはそうだけど今のままじゃジリ貧だしね。とりあえずやってみないと。ここにいても何もできないし」
そうだね!!!
俺もそう思うよ。正直蘇生すんのが自分じゃなかったらつべこべ言わずにさっさとやれって思うよ。
でも蘇生すんの自分だからつべこべ言う!!
「危険すぎますよ。教会までそれなりに距離もある。言っておきますけど私は全く戦えませんよ!」
俺の言葉にアイギスが不服そうな顔をした。
「私なら神官さんを教会まで無事お連れすることができます」
違うんだアイギス、そこじゃない。問題はそこじゃない。俺は死にたくない。過労死したくない。蘇生したくないんだ。頼む察してくれ。
俺はアイギスに熱いアイコンタクトを送る。アイギスがハッとした表情を浮かべた。さすがはアイギス。聖騎士として付き従ってくれているだけある。これぞ以心伝心。
アイギスがビシッと背筋を伸ばす。
「ご安心ください。私は体幹のトレーニングを欠かしていません。揺れを最小限に抑えて神官さんを教会までお運びします」
違ァう!!
乗り物酔いの心配をしてるわけじゃねぇよ!
というかお前は俺を担いで教会まで走る算段なのか? さすがに無理があるだろそれ。
「少しでも噛まれたら終わりなんですよ。アイギスの腕を疑っているわけではありませんが、いくらなんでもこの人数では」
「ジッパーがいれば敵を蹴散らして進めるとは思うけど、確かに欲を言えば念のためもう少し肉壁が欲しいかな。勇者ってどこいったの?」
マッドが首をかしげて辺りを見回す。
確かに先ほどまでいた勇者がいつのまにかいなくなっている。まさかこの状況で外に出たわけではないだろうが。
するとリエールが扉を指さす。
「勇者なら向こうにたくさんいるよ」
なんだ? 食料の備蓄でも見つけたのか? あるいは何らかのトラブル?
まぁなんでも良い。この状況を有耶無耶にできる何かがあるなら、それに飛びつく他あるまい。
俺は地面を蹴って駆け出した。藁をも掴む思いで勇者の集っている部屋に飛び込み、俺が掴もうとしたのは藁よりもっとろくでもないもんだと察した。
「審判の日は訪れた。今こそ立ち上がる時。我々は神に選ばれた――あっ、パパ」
勇者共に囲まれ、高らかに演説をしていたメルンがこちらを向いて嬉しそうに笑った。
極限状態における高いストレスに曝されたせいか、虚ろな目をして演説に聞き入っていた勇者共の間をすり抜けこちらへ駆け寄ってくる。
満面の笑みを浮かべたメルンが口元に手を当て俺に耳打ちをした。
「洗脳しといたよ。一緒に教会行こ」
肉壁ゲット。やったぜ。俺は白目を剥いた。