カラカラカラ。
引きずったスコップの先が地面を削る音がすぐそばから聞こえてくる。
「に、逃げても無駄ですよ。出てきてください」
平静を装っているのだろう。震える声を無理やり猫なで声のようにしている。
カタリナの兄は森を彷徨い歩きながらきょろきょろと辺りを見回している。逃げ出した目撃者――つまり俺を探しているのだ。
「あは、あはは。大丈夫ですよ。悪いようにはしません。消すって言い方が悪かったのかな。消すっていっても記憶の事ですよ。ほんの数分の記憶だけ。長い人生の数パーセントにも満たない取るに足らない記憶です」
血塗れのローブを纏い、血塗れのスコップを引きずりながら言う男のセリフは説得力が違うね。
「この森はうちの庭ですよ? 普通の森じゃない。魔法使いの森だ」
ペラペラとおしゃべりしながら森の中を歩く男の後頭部を見下ろす。
こうして近付いてみると、思っていたより随分小柄だ。足の運び方一つとっても勇者とは違う。
カタリナの兄とはいえ、まだ全然子供だ。確か学校に通ってるとか言ってたしな。コイツは今冷静じゃない。怯えているんだろう。混乱して、自分がなにをやっているのか分かってない。なら分からせてやらねぇと。俺の方が大人なのだから。俺は女神像(小)を持つ手にグッと力を込めた。
「下手にうろつくとかえって危な――え?」
男が振り向く。長い前髪の向こうの目が大きく見開かれる。その瞳に女神像(小)を振り上げる俺の姿が映り込む。
「オラッ!!」
ゴッという鈍い音。
倒れ伏したカタリナの兄を見下ろす。あんま大人を舐めんなよ。
俺は額の汗をぬぐって大きく息を吐いた。
ふーっ、ビビらせやがってぇ。
あの勇者だらけの街ではクソ雑魚扱いされるが、まぁ一般人相手ならザっとこんなもんよ。
まったく、これだから世間知らずのボンボンは困るぜ。勇者一人殺したくらいでヤケになりやがって。
ま、オリヴィエを蘇生させて生きてるところ見せりゃあもう少し落ち着くだろう。こうでもしないとコイツ、スコップ振り回して襲い掛かってきそうだからな。おらっ、これは没収だ。
倒れ伏した男の手から血塗れスコップを取り上げる。ったく、魔法使いならスコップじゃなくて杖を持てよな。
俺は奪ったスコップを男に突き付けた。
「起きてください。ゆっくりですよ。両手を挙げて跪いて」
しかし反応はない。
……あれ。
「おーい、大丈夫ですか~?」
俺は血塗れスコップの先で男の腹をちょいちょいとつつく。
やはり反応はない。
……あれ?
俺は頭を抱える。
あれ? あれ? あれ~~~?
えっ、殺っ……
い、いやそんなはずないよ。落ち着け落ち着け。気のせいだって。そんな強くやってないし。こんなもんソフトタッチよ。そう、勇者共なら痛くも痒くもないはずだ。勇者共なら……でもコイツ勇者じゃないしな……虚弱な魔法使いの学生だしな……
まさか……まさか死……?
いやいやいやいやそんなはずは。でも……もしかしたら……
俺は男にそっと手を伸ばし――バッとそれを引っ込める。
怖い怖い怖い怖い! 確かめるのが怖い!
どうする。もし、万が一、息がなかったら。
「埋めちゃう?」
そうだな。ここは森の中だ。ちょうど人が一人埋まる分の穴があるし……
いやいやいやいや! なに考えてんだ。冷静じゃない。混乱してるんだ。それを埋めるなんてとんでもない。
「一人じゃ大変だもんね。手伝うよ」
そうだな。一人で埋めるなんてとんでもない。でも共犯者がいれば……
いやいやいやいや! なに考えてるんだマジで。やって良いことと悪いことがあるぞ。っていうかさっきから誰だ。
振り向いた俺の視界をパステルカラーが染めた。
「初めての共同作業だね」
背中を冷や汗が伝う。震えが止まらない。見られた。見られた。一番ヤバいヤツに見られた。クソッ、なんで。いや、予想はついてただろ。コイツがどっかにいるってことは!
「ち、違、これはっ、じじ事故で、私の、私のせいじゃなっ」
反射的に言い訳が口をついて出る。そんな言葉がなんの意味も持たないことは分かってる。表面は熱いのに、体の芯は酷く冷たい。
相変わらず震えは止まらない。手の震えが血塗れのシャベルを伝い、生い茂った草に当たってガサガサと音を立てる。
「大丈夫」
シャベルを持った手を包み込むようにパステルイカれ女が手のひらを重ねる。
森の中を風が吹き抜けていく。木々がザワザワと揺れる。
パステルイカれ女が背伸びをして俺の耳元に唇を寄せた。風音に紛れるような小さな小さな声で囁く。
「死体も秘密も、一緒に墓場まで持って行こ?」
*****
「すみません、神官様。つい油断して――あれ?」
蘇生ほやほやオリヴィエが傍らに寝かせられた男に気付いた。
顔を覗き込み、ハッとした表情を浮かべる。
「この人、カタリナのお兄さんじゃないですか。えっ、死……ああいや、気絶してるだけか。神官様? 大丈夫ですか。顔真っ白ですよ」
俺は膝を抱えて恐怖の名残と安堵とを嚙み締める。
良かった良かった良かった良かった生きてて本当に良かった。ありがとう。生きててくれてありがとう。終わったかと思った。色んな事が全部いっぺんに終わったかと思った。
すげ~! こんなにいっぺんに色んな事が終わるってあるんだ! 人生って怖ぇ~!
「うふふ。ユリウスってば見たことない顔するから面白くって。ついからかっちゃった」
パステルイカれ女が口元に手を当ててクスクスと笑う。
お前本当いい加減にしろマジで……。
それにしても焦った。
気付かないうちに俺も随分あの街に毒されてしまっている。勇者ぶん殴る感覚で女神像(小)を振り下ろしてしまっていた。いずれフェーゲフォイアーを脱出してどっか別のところへ移り、平穏な街で末永く幸せに暮らしましたエンドを迎える心積もりでいるのに。このままじゃマズいな。もっと神官然とした発言と行動を心がけよう。
『鈍器を人の頭に振り下ろしてはいけない』
刻んだ。脳に刻んだ。いいや魂に刻んだわ。
今日はそんな教訓を得られただけ良かった。俺はまだうまく動かない顔に無理やり神官スマイルを浮かべて言う。
「よし。じゃあ二人とも無事戻って来たし、帰りましょうか」
「いやいや! なに言ってるんですか。カタリナが見つかってないんですって」
あぁ……そういえばカタリナを探しに来たんだったか。ショッキングなことが重なって忘れていた。まぁ思い出したところで今更カタリナを探す気分にはならないが。
「でも宝物庫に杖があったので持ってきました」
オリヴィエがなんでもない事のように言うと、リエールが背負った杖を俺に見せる。
どうやら杖の修復は済んでいたらしい。砕けた宝玉が綺麗に元に戻っている。やはり魔法かなにかで直したのか。修復した形跡が全く見られない。さすがだな。
まぁそれはそうと。俺は恐る恐るオリヴィエに言う。
「あの……これって普通に窃盗……では……」
「え?」
オリヴィエが首を傾げる。リエールもキョトンとしている。
二人は顔を見合わせ、そして合図したかのように視線をこちらに戻す。
「でも宝箱に鍵かかってませんでしたよ」
俺は頭を抱えた。
ここはダンジョンでもフェーゲフォイアーでもないんだぞ。
あの街に毒されているのはどうやら俺だけじゃないみたいだな。俺はなんとか声を絞り出す。
「……わ、私は知りませんからね」
マジで早く帰りたい。あの街をこんなに恋しく思う日が来るとは思わなかった。
しかし二人はあまり気にしていないようだ。
オリヴィエが辺りを見回しながら呟く。
「カタリナはどこに行っちゃったんだろう。リエール、やっぱり使い魔は辿れない?」
「生まれ育った場所だもの。あちこちから匂いがしてよく分からないみたい。かなり近付けば辿れるかもしれないけど」
じゃあもう帰ろうよ……前科が付く前に帰ろうよ……
なんとかコイツらを丸め込んで帰還する方向に話を進めよう。
そんな考えを胸に口を開く。が、俺が言葉を吐くより早く屋敷の方から声が近付いてくる。
「ええ、屋敷の中も血塗れで……」
「ほら、血痕が続いています」
「危険ですよ。旦那様をお呼びしたほうが」
ヤベッ……家の人間に見つかったか……。
俺は視線を落とし、ジッと手を見る。血塗れだ。
俺は視線を上げて辺りを見回す。血塗れのオリヴィエ。宝物庫から持ち出した杖を背負ったリエール。そして血塗れになって倒れているカタリナの兄とシャベルと人一人がすっぽり収まりそうな穴。
これはもう……言い訳できないでしょ……。
実際にはカタリナの兄を染めている血は本人のじゃなくてオリヴィエの血だし、この穴を掘ったのだってカタリナの兄なのだが、まぁこの状況を目にすればそんな言葉に耳を貸せる心の余裕など吹っ飛ぶに違いない。
「奥へ逃げましょう」
オリヴィエが声を潜ませて森の奥へと走っていく。
そちらは馬車を停めた方向とは正反対だ。とはいえ、今は逃げるしかない。うかうかしていると置いて行かれそうだ。
俺は涙を呑み、必死になってオリヴィエの後を追う。
「あ……そっち……は……」
ん?
振り返る。カタリナの兄が意識を取り戻したらしい。なにかむにゃむにゃ言っているが、良く聞こえない。しかし立ち止まってヤツの言葉に耳を傾けるわけにはいかなかった。オリヴィエはどんどん先へ進んでいくし、俺の後ろにはピッタリとパステルイカれ女がくっついてきている。
スピードを緩めず、俺たちは森を奥へ奥へ進んでいく。
が、オリヴィエが不意に足を止めた。いや、止めたというか。止まったというか。
「……え?」
バランスを崩し、転倒したオリヴィエが呆然と振り返る。その視線の先で、慌てて立ち止まった俺の目の前で、体を離れて置き去りになったオリヴィエの脚がゴトリと転がった。
「うっ……ト、トラップ……!?」
悲鳴を噛み殺し、苦痛に顔を歪ませながらオリヴィエが呻く。
木々の間に張られた糸がオリヴィエの血によって浮かび上がっている。極々細い糸だ。こんなもの、鬱蒼とした森の中の足元なんかに設置されたら誰だって気が付かないだろう。
目を凝らすとあちこちでキラキラ輝く糸が森中に張り巡らされているのが分かった。
「どうして民家にこんな殺傷力の高いトラップが。侵入者を逃さないようにするため……?」
オリヴィエの顔色がみるみる蒼くなっている。出血が酷い。
罠の設置理由なんてどうでも良いだろ。俺は声を潜ませながらヤツを手招きする。
「ほらオリヴィエ、早く脚持ってこっち来てください。くっつけてあげますから。なんにせよこの先には進めませんよ。様子見ながら一度引き返しましょう」
幸い屋敷の方から誰かが追いかけてくる気配はない。
こんな危険地帯、家の人間や使用人だってわざわざ近付きたくはないだろう。屋敷を迂回して馬車に戻っても良い。とにかくここを離れるのが先決だ。
オリヴィエの治療を済ませ、踵を返そうとする俺の腕を引き止めるように掴んだ。リエールだ。
「待って」
なんだこんな時に!
しかしリエールの目はこちらを向いてはいなかった。パステルカラーの瞳を森の奥に向けている。そこら中に罠が張り巡らされた森の奥を指差し。
「この先にカタリナがいる」
俺は息をのんだ。
カタリナのヤツ、なんでわざわざ危険地帯の奥にいるんだ。
こんな罠だらけの森を進むなんて馬鹿げてる。命がいくらあっても――いや。
俺はオリヴィエを見る。オリヴィエも俺を見上げていた。蒼い顔に無理やり笑みを浮かべて言う。
「やっぱり神官様を連れてきてよかった」
悲しいかな……神官と勇者という組み合わせは「命がいくらあっても足りない」という問題点をクリアし得る……