人生はトライアンドエラーの繰り返しだ。
つまずいて、転んで、次はつまずかないよう策を練り、障害を越えて先へ先へと進んでいく。振り返ればほら、来た道には流した血が点々と続いている。いや、点々って感じじゃないな。ビッチャビチャよ。
「もう無理ィ!」
トライアンドエラーの最中、俺はとうとう音を上げた。
オリヴィエを先頭に罠だらけの森を進んでいるが、この短い間にどれだけの血を見たかもう分からない。
この森の罠の多さはハッキリ言って異常である。オリヴィエが一歩歩けば足が飛び、二歩進んでは腕が落ち、毒矢が飛んできて体を貫き、そのたびに回復魔法回復魔法解毒魔法回復魔法回復魔法回復魔法回復魔法。
トライせどトライせどエラーばかり。トライアンドエラーエラーエラーエラーエラー状態にもうすっかり心折れた。
一体こんなに執拗に罠を張る必要がどこにあるというのか。俺たちが一体何をしたというのか。ちょっと民家に侵入して部屋を血で汚したり宝を持ちだしたりそこの家の息子ぶん殴ったりしただけじゃないか。
俺がうずくまって項垂れていると、オリヴィエが血でバリバリになった前髪を気にしながら振り向いて言う。
「気を確かに神官様。僕だって辛いんですよ」
うるせ~!!
失敗するより失敗の尻ぬぐいさせられる方が辛いね絶対! しかも今のオリヴィエは麻痺毒服用で痛覚が馬鹿になっているからな。もう完全に俺の方がしんどい。精神に存在する無数の痛覚を馬鹿にする麻痺毒が欲しいね。
己の摩耗した精神をいたわっていると、さらにオリヴィエが首を傾げて言う。
「どうしたんですか。大規模作戦の時とか、これよりもっと大変な仕事があったじゃないですか」
「それとはちょっと種類の違う辛さですよコレ……積み上げた石を目の前で延々壊されてる感じというか……精神にクるものがありますよ……あとは魔力の方がもうあまり余裕ないです。少し眩暈がしてきました」
俺はこめかみのあたりを手で押さえ、やや大袈裟に顔を歪めてみせる。
リエールが森の奥を見つめながら困ったように言った。
「ぬいぐるみたちに罠の解除を進めさせてるけど、やっぱり全部は無理みたい」
「困りましたね。日も落ちてきたし……とはいえここまで来て引き返すわけには……」
日が落ちてきた?
オリヴィエの言葉に俺は空を見上げる。鬱蒼とした森の中ではあるが、木々の間から差し込む光は目を細めるほどに強く、日も十分に高い。
「オリヴィエ……貴方、まさか目が……」
オリヴィエがハッとした表情を浮かべ、そして俺の追及を逃れるように目を擦りながら背を向ける。
「す、少し疲れて目がかすむだけです。大丈夫です。まだ進めます」
痛覚を鈍らせるために過剰摂取した麻痺毒が視神経を侵したか、度重なる大怪我で出血しすぎたか。
回復魔法は蘇生魔法ほど完璧じゃない。体を蝕む毒は消せないし、何度も傷を負えば何らかの不具合が出てきたりもする。
一度しっかり息の根を止めて蘇生し、仕切り直した方が良いか? しかし蘇生に必要な魔力量は決して少なくない。教会と違い、ここでは魔力が無限に補充されたりはしない。
この先になにがあるのか、どこまで森が続いているのか分からないのだ。ここは魔力を温存したい。あと今のこのコンディションで蘇生するのシンプルにしんどい。
「私に任せて」
パーティメンバーの危機にリエールが声を上げた。
風もないのに背の高い草がガサガサと揺れる。緑の中、鮮明に浮かび上がるパステルカラー。茂った草を掻き分けてわらわらとぬいぐるみが湧き出てきた。短いふわふわ手足を器用に使ってよちよち木の上へと登っていく。
絵本の世界と見紛うメルヘンな光景。俺は口を半開きにして木々を登っていくぬいぐるみたちのキュートな尻を見上げることしかできない。
やがて生い茂った葉の中へぬいぐるみ共はその身を隠してしまった。ガサガサと枝葉が揺れる音だけが響く。なにをしているんだ? かくれんぼかな?
木の上からシャキンと音がして、それから何かが降って来た。俺は足元に転がったそれを見下ろす。頭だ。パステルカラーの可愛らしいぬいぐるみの頭。木の上から降り注ぐ血の雨。森の緑が瞬く間に赤へと染め上げられていく。
「これで良く見えるでしょ?」
えっ、なにが? 地獄が?
リエールの言葉の意図がつかめず首を傾げたが、少ししてようやくその意味が分かった。
木々の間に張り巡らされた糸が血の雨に染め上げられて赤く浮かび上がる。罠っていうのは見えないから意味がある。どこにあるか分かればその価値は半減だ。
血の雨に打たれながら、リエールが笑顔を浮かべた。
「これなら罠を避けながら進める。オリヴィエ、もう少しだよ」
俺はカタリナを助けるまでにあとどれくらい血を浴びたら良いんだろう……
足元に広がる血に濡れた罠を注意深く取り除きながら俺たちは森を進んでいく。
それでも何度か見逃した罠にかかってオリヴィエに回復魔法を施す羽目になったが、俺の魔力が切れるより早くゴールが見えてきた。
「あそこですか」
俺の呟きにリエールが頷く。
森の中にポツンと現れた小屋。ツタに浸食されたレンガ造りの古い粗末な建物だが、妙に堅牢な印象を受けた。窓がないからか? 森の中の罠といい、カタリナを閉じ込めておくだけにしては厳重だ。
早くカタリナを助け出したいのは山々だが、森の中にこれだけの罠があったのだ。何の準備もなく迂闊に小屋に飛び込むのは躊躇われる。
そんな感覚を持っているのは、俺が尊い命を一つしか持っていないからだろうか。
「カタリナ!」
オリヴィエが地面を蹴り、ドアを蹴破るようにして小屋の中へ踏み込んでいく。
アイツ腕とか脚とか飛びすぎてハイになってんのか? もうほとんど目が見えていないだろうに。
「オリヴィエ……オリヴィエ、大丈夫ですか?」
鬱蒼とした木々に覆われた、窓のない小屋の中は非常に暗い。俺はやや離れたところから中へそう呼びかける。
嫌な予感がしたが、中から返ってきたのは拍子抜けするほど明るい声。
「カタリナ……! 神官様、大丈夫です。カタリナがいました」
「ほ、ほんとうですか!」
良かった。これでようやく帰れる。
俺は安堵を胸に小屋へ入ろうと足を踏み出すが、リエールが後ろから俺の腕をつかんだ。な、なんだよ。
「おかしいよ」
リエールは小屋の中に広がる暗闇に目を凝らしながら、声を潜めて呟く。
「カタリナの声が聞こえてこない」
俺は足を止める。
見えた。オリヴィエの向こう。部屋の奥にいる、それが蠢く。
「連絡もよこさないでなにやってたんだよ。わざわざ神官様にも来てもらったんだよ。ねぇ聞いてる?」
オリヴィエの言葉が聞こえているかは定かじゃない。“それ”に耳と思しき器官は見当たらない。それでも、それはオリヴィエの言葉に相槌をうつかのように時折ピクピク痙攣しているような動きを見せた。
リエールは言っていた。この小屋にカタリナがいる、と。ならば。ならばあれが。
「あれが……あれがカタリナなのですか……」
小屋の中で蠢くのは、鎖につながれた不定形の赤いなにか。今まで俺が見たことのある中で似ているモノを挙げるとするなら、スライム、臓物、肉塊。生き物をミキサーにかけ、ゼラチンで固めたような仕上がり。
「どうしたんですか神官様。早く入っ――」
満面の笑みで振り向いたオリヴィエの首がごろりと転がる。
どうやらそれは人を食う性質があるようだ。肉塊が溶けるように床に広がり、撒き散らされたオリヴィエの血をすする。こんな姿になっても、お前は食い意地が張っているな。
体の芯が冷えていくのを感じる。しかし頭は妙に冷静だった。
……分かっちゃったわ。
森に設置された罠は屋敷への侵入者を外に逃がさないためのものじゃない。“ここに居るモノ”を屋敷に近づけないようにしていたんだ。だからあんなに念入りに罠が張り巡らされていたのだ。
どうして。どうしてこんな姿に。
いいや、まだだ。まだ方法はある。カタリナは勇者なのだから。
「リエール、カタリナを殺してください。一度殺せば蘇生ができます。たとえ状態異常にかかっていても、蘇生すればきっと」
「……分かった」
リエールの合図で、ハサミを持ったぬいぐるみたちがわらわらと小屋へ入っていく。
暗闇の中で肉塊が蠢いているのが見える。ハサミが肉を断つ音が聞こえてくる。カタリナが暴れている。体に巻き付いた鎖が擦れ合う金属音が耳につく。
しかしいくら待っても、その音が止むことはなかった。
「ダメ……どうして? 死なない。再生する!」
死なない。死なない?
リエールの言葉を繰り返し、頭が真っ白になる。
死なない。死なないってことは蘇生ができないってことだ。蘇生ができないなら、じゃあ、どうすれば良いんだ。もとに戻す手立ては?
考えろ。きっとあるはずだ。俺が知らなくても、きっと世界のどこかには存在しているはずだ。
……もし存在してなかったら? 死ねないってことは、じゃあ、カタリナはずっとこのままなのか? 永遠に?
俺は膝から崩れ落ちた。
「……カタリナ」
思わずつぶやく。もはや記憶も知能も残ってはいないだろう肉塊に向かって。だが意外にも返事があった。
「なにー?」
肉塊が喋った。カタリナの声で。
……いや違う。小屋の裏手から見慣れた金髪がひょっこり顔を覗かせた。ヤツは俺たちを見るなり丸い目を大きく見開く。
「えっ、神官さんとリエール!? なんでいるの!?」
俺は目を擦る。カタリナだ。もう一度目を擦る。五体満足だ。ちゃんと皮膚があって、四肢も揃っており、その手に水の満ちたバケツを持っている。俺は呆然と呟く。
「カタリナ?」
「え? はぁ。どうしたんですか?」
俺は小屋の中の肉塊を指差す。
「カタリナ?」
すると五体満足の方のカタリナが思い切り顔を顰めた。
「えっ、なんですか? 悪口?」