馬車に揺られながらフェーゲフォイアーに戻っている。
長時間移動と椅子の固さのせいで腰が痛い。
「増えている……増えている……?」
オリヴィエが馬を繰りながらブツブツ呟いている。大司教様が言った「魔王が増えている」って言葉が気になってるらしい。
大司教様は思わせぶりなセリフを口にした割に、それ以上の詳しい情報を俺たちに開示しなかった。喋れないなら一切合切なにも言わなきゃいいのにな。
どうやら考えが纏まったらしいオリヴィエが振り返り、こちらに視線を向ける。
「魔物もいくつかの派閥に分かれていて、その数だけ集団のトップ――魔王も増えたということでしょうか」
ああ、そういうこと?
俺はてっきり暗い部屋に並んだ試験管の中で何体もの魔王がブクブク泡を吐きながら養殖されているとか、あるいは魔王を切り刻むと肉片の数だけ再生するというプラナリア的無性生殖システムを導入しているとか、はたまた分身の術でも習得したとか、そういう物理的な意味で増えたのかと思ったわ。
まぁ人類だっていくつも国があってその数だけ王様がいるんだ。魔王が何人かいても不思議ではないか。
「荒れ地の向こうではいくつもの集団が生まれるくらいに魔物が繁栄しているということになります。あまり良い報せではありませんね」
オリヴィエは深刻そうにそう呟く。俺も同じく深刻そうな表情を作って、さも「私も同じように危機感を抱いています」とばかりに頷いた。
でも正直、通常の方法では超えられない山の向こうの別世界の話よりも俺は教会に山積みになっているであろう仕事の方が気がかりだね。俺はガックリ肩を落とした。
色々あったが、ギリギリ前科がつかなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。喜ぶべきことだ。奇跡と言っても良い。一時はもうダメかと思ったね。もう二度とコイツらと遠出したくない。
おかげでエライ目にあったな……
「エライ目にあいました……」
カタリナもまた、項垂れながら馬車の振動に合わせて体を右へ左へ揺らしている。
荷物を纏めてくると言って一度屋敷に戻ってから妙に顔色が悪い。
「なんで貴方が疲れてるんですか」
「いや……もちろん私のこと迎えに来てくれたのはすごく嬉しいです。すごく嬉しいんですけど、家中血だらけにされちゃうと……その……家族への説明が大変でした」
まぁそりゃあな。あの惨状を目の当たりにした人間を言葉での説明だけで納得させることに成功しただけでもカタリナにしては上出来だ。
しかしオリヴィエは不服そうに言う。
「僕たちだってこんな荒業使いたくなかったよ。カタリナが普通に出てきてくれたらあんなことしなくて済んだし、神官様を連れてくるまでもなかったのに」
そうだった。オリヴィエたちは一度普通にカタリナの家を正面から訪ねて門前払いされたって話じゃなかったのか。
しかしカタリナは初耳だとばかりに目を丸くする。そして苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべてポツリと呟いた。
「きっとお兄ちゃんが追い返したんだ」
うっ……
カタリナの言葉にドキリとする。そういえばぶん殴ったあとそのまま置いてきてしまったが、その後大丈夫だったろうか。生きているのは確認済みだし、念には念を入れて回復魔法をかけたので問題ないとは思うが……
「もっと強く殴っておけば良かったね」
俺の心配をよそにリエールが平然と呟く。
なんてこと言うんだお前は……
しかしリエールの言葉は単なる暴言ではなかったようだ。
「痛ってぇ!」
馬車後方から悲鳴が上がり、俺たちは弾かれたように振り向いた。
カタリナがギョッとする。
「お兄ちゃん!?」
いつの間に。というか、ずっとどこかに潜んで機を窺っていたのか?
馬車の後方に齧りつくようにして掴まったカタリナの兄がパステルカラーのぬいぐるみたちに襲われ、齧られている。
一応加減しているのか肉を食いちぎられたりはしていないようだが、甘噛みと呼べるほど優しいものではない。ぬいぐるみに追い立てられ、馬車から投げ出された脚が地面を引きずっている。
「おい、やめっ、うわ――」
ぬいぐるみを振り払おうとした拍子に手を滑らせた。重力に従い、カタリナの兄が馬車から滑り落ちていく。
カタリナが慌てて手をのばすが間に合わない。
えっ、今度こそ死んだ……?
「オリヴィエ! 止めて!」
カタリナが声を張る。
とはいえ馬車は急には止まれない。俺は身を乗り出して外を凝視する。少し離れたところに馬車から落ちたカタリナの兄が見える。おっ、一応生きてるっぽいな。杖に体を預けながらゆっくりと立ち上がる。
……ん? 杖? まさか。
カタリナが自分の兄を指差し、唇を震わせる。
「あっ……ああぁ! 私の杖!」
やっぱりそうだ。どさくさに紛れてカタリナの杖を盗みやがった。
アイツの杖への執着は本物だな。いや……もしかすると欲しいのは杖ではなくて。
カタリナの兄が杖を振り上げ、あざ笑うように声を張る。
「俺は認めない。この杖は俺が貰う!」
「ちょっと、どこ行くの!? 待って!」
妹の呼び掛けを無視し、兄は見た目によらぬ健脚を見せつけるように駆けていく。どうやら怪我はないらしいが、今回に限っては足の一本でも折れていた方がアイツのためになっただろう。
カタリナが焦っているのは杖を盗まれたからではない。
だいぶ長く走って来た。もうフェーゲフォイアーが近い。魔物や魔獣の跋扈する魔境に差し掛かっている。多少魔法を扱える程度の学生が五体満足のままお散歩できるような場所ではない。
小さくなっていく背中をぼんやり眺めながら、リエールが呟く。
「カタリナのお兄さんって自殺願望があるの?」
「違うよ! 馬鹿で世間知らずなの!」
似た者兄妹め。
カタリナが縋るようなまなざしで狭い馬車の中を見回す。
「最後の最後まで迷惑かけてほんっとうに申し訳ないんだけど……お願い! お兄ちゃん捕まえるのを手伝って!」
俺はガックリ項垂れた。もう少しで帰れると思ったのに。
勇者なら捨て置いても勝手に教会に転送されてきてくれるので問題ないが、さすがに一般の人間を見殺しにはできないな。
仕方ない。立ち上がったカタリナを見上げ、俺は力強く言った。
「留守番は任せてください」
*****
街の方へ向かえば良いものを。あのバカ、よりによって森へ逃げ込みやがった。
森は草原よりも魔物との遭遇率が高い危険地帯だ。兄妹そろって死にたがりかよ。早まるな。魔物に食われるより穏やかな死に方はごまんとあるぞ。
街にいるときはそこまで意識していなかったが、やはり勇者の身体能力は常人とは違う。鬱蒼とした木々が視界を覆い、血管のように根が張り巡らされた足場の悪い森をなんてことなく進んでいく。全然息が上がっていない。多分走り方にコツのようなものがあるのだろう。日々の冒険で培われた経験のなせる業だ。一方、晴れの日も雨の日も日がな一日教会に閉じこもり蘇生業務に追い立てられている神官にそんなものが身についているはずもないので。
「お~、速い速い」
俺は森の中を駆け抜けていく勇者共の背中を馬車の中からのんびり眺めていた。
あの速さについていけるはずもないので、馬車に残るという俺の選択は英断であったと主張して良いだろう。決して森の中を走るのがダルくてしんどいから嫌というわけでは決してない。そう、決して。
まぁこのあたりの魔物も王都近辺のそれとは比べ物にならないくらいに強いだろうが、そうはいってもフェーゲフォイアー近辺の魔物と戦いなれたアイツらなら俺がいなくてもなんとかなるだろ。早めに帰ってきてくれると良いんだがな。退屈で寝ちまいそうだぜ。
俺の願いが通じたのか。オリヴィエたちが馬車を出てからそんなに間をおかず、森から人影が近付いてきた。カタリナの兄である。
「えっ……」
カタリナたちはどうした。行き違いになったのか?
というかお前杖を盗んで意気揚々と森へ入っていったくせに、どんなテンションで戻って来たんだよ。困惑するわ。俺が困惑していると、当然のような顔で馬車に乗り込んできたカタリナの兄が俺の隣に座った。
「ふぅ」
大きく息を吐き、脚を広げて体を前のめりにさせる。一仕事終えたとばかりの佇まいに俺はますます困惑する。
な、なにを考えているんだ。全く読めない。
横目でヤツを見る。手にはカタリナの杖がしっかり握られていた。
ナイフや剣ほど露骨ではないが、杖だって立派な凶器だ。コイツはその気になれば俺を殺せる。
まさか俺を人質にしようとして戻って来たのか?
クソッ、どうする。リエールの言うとおりだ。あの時もっと強く殴っておけばよかった……
カタリナの兄がこちらを向いた。厚い前髪の向こうの目がこちらに値踏みするような視線を向けている。
なんだよ。女神像(小)で後頭部ぶん殴った仕返しでもしようってか? やめてくださいお願いします。
「……神官なんですよね」
「へ?」
ヤツは背筋を伸ばし、そして意を決したように言った。
「聞いてもらえませんか。俺の懺悔」