いい天気だ。
たまには日の光を浴びないとね。
俺は裏口に出て大きく伸びをする。裏庭に咲いていたマーガレットちゃんと目が合った。俺は慌てて目をそらす。
……帰ってきてからマーガレットちゃんとちょっと気まずい。
マーガレットちゃんじゃなくてマーガレットくん疑惑あるし……そうじゃなくてもマーガレットちゃんの謎行動が触手花粉プレイだと分かった今、近付く気にはなれない。
しかし教会内に戻ろうとした足を、俺は止めざるを得なかった。
女神像だ。
マーガレットちゃんの触手が女神像(小)を掴み、ひらひらと左右に揺れる。
なっ、なぜそれを。それは昨夜、俺が部屋に持ち込んだはず。
俺の部屋までマーガレットちゃんが入ったというのか? 馬鹿な、さすがの触手もそこまでは伸びないはず……いや、いまはそんなことより女神像(小)だ。
「返して! 返してください! それがないと身を守れないんです」
俺は我を忘れて女神像(小)に手を伸ばす。
はっ、しまった。目前に迫った触手に、俺は成すすべなく拘束される。
あとはいつもの流れ作業だ。
抱擁され、頬ずりされ、花粉をなすりつけられる。もう慣れたものだ。
いや、今日はいつもと違う。
マーガレットちゃんが俺の頬を鷲掴みにする。なんだ? 今日はいやに激しいな。俺のヒヨコのごとく尖ったキュートな口に、おもむろに指を突っ込む。
え? 本当に何? 新しいプレイ?
抵抗しようにも俺の貧弱な力でどうこうなるわけもないので、とりあえずマーガレットちゃんの花弁を数える。
しかし十数えるより早く、俺の口内に異変が起きた。
俺はカッと目を見開く。
何か流し込まれた! 口の中に広がる。喉を焼く。ドロリとした甘さが。
「うっ、うう……!」
身をよじろうとするが、マーガレットちゃんのツタは全く動かない。躊躇いも容赦も見えない。どんどんどんどん喉に流し込まれる。むせることすら許されない。
甘さが胃の中に到達する。俺はたまらず叫んだ。
「うめぇ!!」
*****
くそっ、マーガレットちゃんめ。卑劣な真似を。つい吸っちまったぜ。
こんな辺鄙な田舎じゃ甘味は貴重だ。
マーガレットちゃんめ。俺が近づいてこないからって、餌付けのつもりか。だが有効な手だ。
蜜の誘惑に負けないように気を付けなくては。あと女神像をきちんとしまっておかないと。
いざという時これがないと自分の身を守れないからなぁ……
俺は女神像の足を両手でつかみ、ブンブンと素振りをする。
ん?
視界の端に転がる死体。オリヴィエだ。
まーたマーガレットちゃんにちょっかいかけたな。
ちょちょっと蘇生してやると、オリヴィエは生き返るや否やギリギリと歯を軋ませる。
「僕と神官様のなにが違うっていうんですか。なんで僕を受け入れてくれないんだ」
「まぁ……無理に花弁とか触らないほうが良いんじゃないですかね」
「だって我慢できないんですもん。それに! あの子を育てたのは僕ですよ。種を植えたのだって……そりゃ、仕事が忙しくて顔を見せられないときもありましたけど」
ペラペラしゃべりながら、オリヴィエはハッと目を見開く。
「そうだ、水やり。毎日水をあげてたのは神官様ですよね。犬とかも餌をくれる人間に懐くし……」
オリヴィエがじょうろを手に立ち上がる。
水で満たしたそれを抱え、オリヴィエはマーガレットちゃんに突っ込んでいく。
「待っててマーガレットちゃん! 今栄養たっぷりの水をあげるよ!」
オリヴィエの言葉通りになった。
「これは見事な……」
虹だ。虹が空にかかっている。
マーガレットちゃんも降り注ぐ雨を全身に受け、どこか満足げな表情。
良かったな、オリヴィエ。
俺は転がったオリヴィエの首を拾い上げる。ああ、今のお前すごい良い顔してるよ。ほら見ろ、お前の勇姿を。
俺は光を失ったオリヴィエの目を、噴水の如く血を巻き上げるオリヴィエの体に向ける。
晴天の中、降り注ぐ血の雨。
栄養たっぷり、赤い命の水がマーガレットちゃんの頬を濡らした。
*****
「やっぱダメですってぇ」
「いいえ、諦めません!!」
オリヴィエは意固地になっている。
何を血迷ったか、ヤツは暖炉から灰を掻き出し頭からかぶった。
「神官さん、その服貸してください」
「え? 何する気ですか」
「良いからよこせぇッ!」
「イヤァッ!!」
オリヴィエは追い剥ぎの如く俺の神官服を引っぺがす。
血に濡れてずっしり重くなったそれを、厭うことなく身に纏った。
「なんなんですか、もう。それにしても酷い格好ですよ」
髪は灰で真っ白。体中から血を滴らし、目だけが負のエネルギーでギラギラ輝いている。
「変装です。神官様ソックリでしょ?」
「はっ? 私? はっはっは、なにを馬鹿げたことを。ぜーんぜん似ていないですよ。私はそんな負のオーラを纏ってはいません。サイズ感も違うし」
オリヴィエ少年の頭をポンポンと叩く。
だがオリヴィエは本気だった。
あーあ、また無駄な蘇生をさせられる。俺はオリヴィエの最期の時を見るため、共に裏庭へと足を運ぶ。
「いくよマーガレットちゃん……」
オリヴィエの表情が変わる。
背筋を伸ばし、ちょっとだけつま先立ちをして、ゆっくりとマーガレットちゃんに近付いていく。
神官服引きずってるぞ。まったく、こんな雑な変装で……んん?
マーガレットちゃんがツタを伸ばす。
しかしこれまでの激しい動きではない。対象への殺意を感じない。素早いが、割れ物でも扱うかのような優しい動き。
えっ、マジ? こんなのに騙されちゃうのかマーガレットちゃん。そんなに似てるかなぁ。ショックだわぁ……。
「マーガレットちゃん……僕を受け入れてくれ!」
翼を広げるように両手を上げるオリヴィエくん。
やっぱ似てねぇだろ!
さすがにマーガレットちゃんも気付いたようだ。表情に乏しいマーガレットちゃんがその目を大きく見開いた。触手の動きもピタリと止まる。
「マーガレットちゃん?」
首を傾げるオリヴィエくん。
次の瞬間。オリヴィエくんの体が四散した。
「エシッ!!」
ツタに握りつぶされ、内臓を散らしながらコンパクトに折りたたまれるオリヴィエ君。地面に叩きつけられた彼を、マーガレットちゃんは執拗に叩きつぶした。
本来感情を持たない植物に近い存在であるマーガレットちゃんをここまで怒り狂わせるとは。オリヴィエ。君は俺なんかよりよほどマーガレットちゃんの心を揺さぶる存在だよ。
「おや?」
マーガレットちゃんの視線が俺を捉える。
俺の動体視力では追えない動きでツタが伸び、気付くと体が宙に浮いていた。
いつもと違う乱暴な扱い。
感じる重力。腹の中で内臓が偏るのを感じる。
マーガレットちゃん? 俺だよ。神官さんだよ。神官服着てないけど。
意識が飛びそうだ。
マズい、あんなふうになったら……俺は四散したオリヴィエの欠片を霞む視界に捉える。オリヴィエと違い、ああなったら俺は終わりだ。あとは土に還るほかない。
っていうかマーガレットちゃん、俺のこと服で認識してたの? ちょっとショックだわ……
マーガレットちゃんの顔が迫る。
目を細め、俺を見ている。俺だ、俺だよマーガレットちゃん。
声が出ないので視線でアピールする。
マーガレットちゃんが目を細める。眼鏡を外したメガネっ娘が如くだ。
マーガレットちゃんが俺の顔をガッと掴む。
死ぬのか、俺……?
意識の飛びかけた俺を、刺激的な甘みが一気に現実へ引き戻す。
喉に流し込まれる、焼き付く甘み。
俺はカッと目を見開いて叫ぶ。
「うめぇ!」
*****
腹タプタプだよもう。
なんだったんだ。間違えて乱暴に扱った事への謝罪か?
蜜でご機嫌取りだなんて、マーガレットちゃんも子供っぽいところがあるな。俺は口周りをベロベロ舐めながら教会内へ戻る。
「あああああぁぁぁぁあああああッ!」
ステンドグラスを震わせる慟哭。
煌めく白銀の鎧が汚れるのも構わず、神官服を纏った肉塊を抱く。
「神官さん……神官さああぁぁぁぁん!!」
お前もか。
俺はアイギスさんの肩をちょんちょんとつつく。
「どうしたんですか」
「あ、あれ?」
アイギスは肉塊と俺を交互に見る。ややあって、彼女は恥ずかしそうに肉塊をカーペットに叩きつけた。
「失礼……ええと、なんだっけ。あっ、大変です神官さん!」
アイギスは凛とした騎士の顔を取り戻し、深刻な声色で告げる。
「魔物に動きがありました。……報復です」