「あの……初めて作ったから……うまくできてるか分からないんだけど……」
もじもじとはにかみながら視線を彷徨わせるリエール。
少し躊躇うような仕草を見せながら、後ろ手に隠したそれをそっとこちらに差し出す。
箱だ。白い箱。パステルカラーのリボンで飾り立てられた一抱えほどもある箱。俺が受け取れずにいると、リエールは教会の机の上にそれをそっと置いた。
長い髪を耳にかけながら、少し困ったような顔で首を傾げこちらを見上げる。
「どう……かな?」
額に汗が滲む。肌が粟立つ。腹の底から湧き上がるようなこれは、未知のものへの恐怖。
俺は理性でなんとかそれを抑え込み、箱に手を伸ばす。触れてまず感じたのは温かさだった。そして鼓動。生き物の腹に手を当てたときのそれを彷彿とさせる。
ゆっくり、ゆっくりと箱の蓋をずらしていく。中を覗き、俺は思わず声を漏らした。
「あぁ……」
中身。
文字通り化けの皮を剥いだ“人間の中身”がそこにはあった。
生きている。こんな状態で。
「殺してないし、ちゃんと喋れるよ」
パステルイカれ女が俺の耳元でそう囁く。
俺の手を包み込むようにしながら箱に手を添え、指先でトントンと軽くたたく。瞬間、箱が痙攣するように激しく震えた。中からくぐもった声がする。
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」
パステルイカれ女が俺の顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「ね?」
ね? って言われても……
どうすんの……どうすんのコレ……
触手被害者のみなさんこと教会の腕章を付けた男たちがこちらを遠巻きにしながら呟く。
「やっぱり神官にはロクなのがいない……」
は? 俺が手を下したように言うのはやめてほしいね。風評被害もいいとこだわ。
……待て。「やっぱり」ってなんだよ。まるで他の“ロクでもない神官”を知っているみたいな口ぶりじゃないか。
「ユリウス、気を付けて」
リエールが警戒するようにこちらに体を寄せ、教会の扉へ視線を向ける。
嫌な予感。
「残念です」
やっぱりそうだった。
勢いよく教会の扉を開き、颯爽と歩いてくる大司教様。今日も神官にはオーバースペックとしか思えない立派な杖を携え、生気のない顔に人工的な微笑みを張り付けている。
もうこの人の突然の登場にもあまり驚かなくなってきたな。
しかし腕章の男たちは違うらしい。拳を固く握り、歯を食いしばったその顔は恐怖で固まってしまっている。
彼らの前で足を止めた大司教様は人工的な微笑みを消し去り、青白い顔にわざとらしく失望の表情を浮かべる。
「“言葉を交わすな”“目隠しを外すな”“足の腱を斬れ”――私の指示を一つも守れなかったのですね」
そうか。彼らは大司教様の命令でこの少女を街に運んでいたんだな。
少女に逃げられ、ミスを隠蔽するために彼らは自分たちだけで少女を捕まえようとした。だから街の人間に事情を説明して助けを求めるわけにいかなかったし、俺が話しかけた時もヤツはギョッとしながら追い返すしかなかった。俺を経由して大司教様に話が伝わるようなことがあったら困るからな。
しかし彼らの涙ぐましい努力は水泡に帰した。
「も、申し訳ありません。ですが――」
彼らにも彼らの言い分があるのだろう。
しかし大司教様がそれに耳を貸すことはなかった。
「それで、これは」
心臓が飛び上がる。口内が急速に乾燥していく。
大司教様の興味は、とうとうリボンで彩られた生きた箱に向けられてしまった。
俺はとっさに口を開く。
「こ、殺してません! ちゃんと喋りますし! ね?」
俺はパステルイカれ女がやったように箱の側面を指でトントンと叩く。
が、箱は反応しない。
おいおいおいおい、ふざけんなよ。仕返しのつもりか? なんでもいいから喋れや!!
俺は藁をも掴む気持ちで箱を引っ掴む。それでようやく気付いた。震えている。
大司教様は小刻みに震える箱をジッと見下ろし、そして合点がいったように「あぁ」と声を漏らした。
「なるほど、この手がありましたね」
……どの手だ?
想定外の反応に困惑していると、大司教様は感心したとばかりに頷く。
「最初からこうすれば良かった。場所も取らず運びやすくて、余計なこともできない」
えぇ……この状態になったら余計じゃないこともできないだろ……
コイツをこの街に連れてきてなにをさせる気なんだ……?
大司教様はこちらにスッと視線を移して言う。
「ではユリウス君、後ほど蘇生をお願いします」
「えっ……蘇生?」
思わず聞き返す。
蘇生ができるのは、洗礼を受けて女神より加護を授けられた勇者だけだ。
俺はパステルカラーのリボンに彩られた箱に視線を向ける。
「彼女は勇者なんですか? 魔眼持ちという話だったので、人ではないのかと……」
すると大司教様はこちらに向けた目をスッと細めた。
「天におられる私たちの女神様は寛大なお方です。勇者の門は誰にでも開かれている。忌まわしき血筋の者にも」
「まさか」
大司教様の言葉に、リエールがハッとしたように口元に手を当てる。
俺も負けじと拳を強く握った。
「そんな……!」
正直言えばなにがなにやら全然分からなかったが雰囲気にのまれて適当に話を合わせた。
大司教様は射抜くような鋭い視線を箱に向ける。そこにあるのは紛れもない敵意。
「彼女は魔物との混血です」
大司教様の口から飛び出した言葉に、俺は自分の耳を疑った。
混血だって? そんなことがありえるのか?
魔物と人の合いの子の話なんて都市伝説だろ。人面犬みたいなもんだ。
……そういえば本屋の隅にひっそり積まれたモンスター娘の専門誌を見かけたことがあるな。モンスター娘って好きな人は凄い好きだよな。メジャーとは言えないが狭く深い需要がある。まぁ否定する気はないけど俺は正直よく分かんないわ。こればっかりは好き好きだな。
そんな雑念も大司教様が箱にかけた一言で吹っ飛んだ。
「これからこの街で頑張ってください。活躍を期待しています」
「えっ!?」
俺の上げた半分悲鳴のような声を無視し、大司教様は続ける。
「原則、この街とその周辺から離れることは許しません。どうしても必要な際は理由を添えて必ず私に許可を求めてください」
「教会に勇者の行動を縛る権限はないはずでしょう」
大司教様の言葉に、リエールが冷静に異を唱えた。
洗礼による加護の付与および蘇生、解呪、解毒――教会は勇者と女神を繋ぎ、そして彼らをサポートする役目を担っている。決して教会が勇者を雇っているわけではない。我々と勇者の立場はあくまで対等であるはずだ。
聖騎士など教会と特別な契約を結んでいない限り、勇者は自分の好きな場所で自由に戦うことができる。
しかしどうやら彼女には事情があるらしい。
大司教様がこともなげに言う。
「彼女は本来であれば処刑されてしかるべき大罪人です。しかし特殊な生い立ちを鑑みて特別に贖罪の機会を与えることにしました。それがこの街で勇者として務めを果たすことです」
この街はいつから流刑地になったんだ……
俺は恐る恐る尋ねた。
「なにをやったんですか?」
大司教様は俺の問いになんの躊躇もなく答える。
「神官殺し」
俺は戦慄した。
そんな危険なヤツをよこすなよ……
というか、神官を殺した女がどうして勇者になれるんだ。一応、あまりに邪悪な心を持つ人間には勇者の加護が与えられないとされているのに。まぁ元よりガバガバ審査に定評のある女神様ではあるが……
「じゃあユリウス君、彼女のサポートをよろしくお願いします」
「私がですか!?」
突如向けられた矛先に思わずギョッとする。
しかし大司教様の表情は崩れない。
「ええ。もし彼女が勇者の名に恥じるような行動をとったら殺して埋めて私を呼んでください」
うっ……
相変わらず凄い事を平気な顔して言うなこの人は。
神官が勇者を殺して埋めろとか言って良いのかよ……
「でも、そんな事態を招くようなことはしませんよね」
小刻みに震える箱に向かって、大司教様はにこやかに言う。
「ユリウス君に埋められないようきちんと勇者としての務めを果たしてくださいね」