「こんな街に急に連れてこられて、魔眼も使うなって……! 私にどうしろって言うんですか!」
絹を裂くようなリリスの慟哭が街の雑踏に響き渡る。
この街では悲鳴などありふれているが、彼女の声は雑踏の中でも良く響いた。行き交う人の視線を感じながら俺は今日数回目になる言葉を静かに繰り返した。
「魔物と戦って金を稼ぎなさい」
リリスは激しく首を横に振る。
「簡単に言わないでください。そんなこと私にはできません……!」
「そのセリフ聞き飽きました」
聞き分けのない初心者勇者に、俺は噛んで含めるように言う。
「できないと言うなら上司の言葉に従うまでです。殺して埋めて大司教様を呼びます」
「そんな……!」
リリスは布で覆った目に両手を当ててうずくまり、小さな肩を震わせる。
俺はしゃがみ込んでリリスの顔を覗き込んだ。
「泣いて誤魔化されるとでも思っているんですか? この街でそんなものになんの価値もありませんよ」
「そこまで言うことないじゃないですか!」
誰かと思えばカタリナだ。
雑踏を掻き分けて飛び込んできたカタリナがうずくまるリリスを守るように抱きしめる。
「急にこんなところに連れてこられて、不安に決まってるじゃないですか。そんな言い方ないと思います」
またコイツは余計なことを。
俺はカタリナを睨みながら吐き捨てる。
「なんにでも首を突っ込むのはやめなさい。なにも知らないくせに」
「どうしたんですか神官さん! いつも厳しいことは言うけど、そんなむやみに責めるようなことは言わないじゃないですか」
カタリナの言葉に、リリスは悲しげに微笑みながら静かに首を横に振る。
「ありがとうございます。でも良いんです。私は混血だから。普通の人と同じように扱ってもらいたいなんて……そんな願望はとうに捨てましたから……」
「そんな! この子が混血だからそんな酷い態度なんですか!?」
カタリナの視線に非難の色が混ざる。
俺は思わず深いため息を吐く。そしてリリスの腕を掴んで引き寄せた。
「良いから離れなさい!」
「きゃっ……」
「神官さん!」
リリスがよろめく。カタリナが叫ぶ。カタリナのローブの中に伸びたリリスの手からポロリと財布が零れ落ちる。
「……へ?」
地面に転がった財布にカタリナの動きが止まる。一方、リリスは目にも止まらぬスピードで地面に転がった財布を拾い上げ、纏ったボロ布の中にそれを隠した。
目の前で堂々と行われた犯行にカタリナが呆然と呟く。
「えっ……私の財布……」
街の雑踏がどこか遠くに聞こえる。
しばしの沈黙。時が止まったかのよう。沈黙を破り動いたのはリリスだった。
目隠しした顔を両手で覆い、小さな肩を震わせる。
「私が……っ! 私が混血だから……っ!」
黙れクズ!!
嘘泣きはお腹いっぱいだ。気付いてるか? 目隠しが全然濡れてねぇんだよ。
カタリナ、お前もなにボサッとしてんだ。俺はヤツに指示を飛ばす。
「早く取り押さえて! 振ってください」
「ふ、振る? 振るって……こうですか?」
カタリナが混乱しながらもリリスの胴に腕を回して持ち上げ、上下に激しく振る。
リリスのボロ布の中からジャリンジャリン音を立てておびただしい数の財布が転がり落ちた。異常な数に思わず顔が引き攣る。お前のボロ布の中には異次元が広がってんのか?
ん? この財布見覚えが。俺はそれを手に取り悲鳴を上げた。
「私の財布! 気を付けてたのに、いつの間に」
「な、なに? どういうことですか?」
まだ状況を飲み込めていないのか。カタリナがおびただしい財布を前におろおろとしている。
俺は叫んだ。
「スリですよ! ちょっと目を離した隙にこれです。大司教様もとんでもないのを送り込んでくれました」
睨むと、カタリナに拘束されたリリスがまたメソメソと声を漏らす。
「だって、だって……魔眼も使えない私がお金を稼ぐにはっ……これしか……!」
「だから! 魔物を倒して金を稼ぎなさいって何回言わせるんですか!」
クソッ、イライラしてつい語気が荒くなる。
落ち着け落ち着け。感情的になってはいけない。
俺は大きく息を吸い、そして吐き出す。
「急に戦うのが無理ならまずは住み込みでバイトでもやりなさい。ちょうど今、宿屋の屋根裏があいてます。真面目に働くと約束するなら紹介しますから」
俺の最大限譲歩した提案に、リリスは手で顔を覆って泣き叫ぶ。
「どうして! どうしてこんなにたくさん財布がいるのに汗水たらして働かなくちゃいけないんですか!」
「だから人のこと財布って言うのやめなさい!」
もうコイツ嫌だ~!!
どう考えても俺の方が正しいこと言ってるのにはたから見ると“少女をなじる成人男性”というビジュアルのせいで俺の方が悪人みたいになるし! コイツもコイツでいかにも被害者じみた振る舞いするし! さっきから通行人の視線が痛い痛い!!
なんなんだコイツ。勇者に倫理観がないのは今に始まったことではないが、コイツのそれはちょっとジャンルが違うぞ。元の街でどんな生活してたんだマジで。
神官殺し云々はよく分からんが、コイツが罪人なのは間違いない。流刑もやむなし。
俺はグリンと首を曲げて苛立ち紛れにカタリナの顔を覗き込む。
「どうですか? 悪いのは私ですか? このままこの盗人放流して良いですかぁ? 私はそっちの方が楽なんですがねぇ?」
「すみません! 私が悪かったですから!」
カタリナが苦虫を噛み潰したような顔で抱えたリリスを下ろし、言う。
「盗みなんてやっちゃいけないのは当然としても……ここは王都みたいに大きな都市じゃないから、顔見知りが多くなります。悪い事ばっかりしていたらいつか痛い目にあいますよ」
その通りだ。
この街の勇者のヤバさは逃亡時に嫌というほど味わっただろう。二度も箱になったのに、学習しないヤツだ。
まぁ本人が望んでいないのに勇者なんてキツイ仕事をやらされるのは可哀想だとは思う。
だがこの街で暮らしている限り、コイツは嫌でも勇者としての活動をせざるを得なくなるだろう。
「長期間に渡り勇者としての活動を行っていないと加護を剥奪されることもあります。蘇生の利かない体でこの街を生き抜くのは至難の業ですよ。命を獲りに来るのは魔物だけではないんですから」
「どうして……っ」
リリスがすすり泣くようにして言う。
「どうして殺人が許されて盗みが許されないんですか」
はぁ? なに言ってんだ? そんなの……そんなのお前……あの……いや、殺人だって別に許されてるわけじゃないけど……ええっと……
俺はひと呼吸おき、静かに告げた。
「なにかを奪って良いのは奪われる“覚悟”のある者だけ。貴方にその“覚悟”がありますか?」
俺はそれらしいことを適当に言った。
とはいえ、どうやら的を外した発言でもなかったのかもしれない。
風が吹いた。いやに生温かい風だった。少し遅れて、飛沫が俺の顔を濡らす。視界が赤く染まる。
「……ごほっ」
リリスが一つ咳をした。その小さな咳からは想像できない量の血がリリスの口から漏れ出る。
小さな口から滴る血と胸から突き出た槍が彼女のボロ布を赤く染めていく。
目隠しが外される。瞳孔の開いた魔眼があらわになる。命の最期の輝きを誇示するように魔眼が赤く煌めいた。しかし魔性の力を発揮するほどの余裕はないのだろう。いや、そもそもリリスの背後に迫り彼女に槍を突き刺した張本人には最初から魔眼など通用しない。
頬に返り血を付けたエイダが肩越しにリリスの顔を覗き込む。その紅い瞳をベロリと舐めて囁いた。
「その目ちょうだい」