「落ち着いてください! なにがあったんですか!」
俺は全力でそう叫ぶが、リンの炎は弱まるどころかますます激しく燃え上がる。熱された空気が頬をジリジリと焦がす。身体的な意味と精神的な意味の両方で汗が噴き出す。
「ルイが浮気した。ルイが。ルイが私を裏切ったんだ」
リンが片手に引きずった黒焦げの塊を凝視しながら呟く。地獄から響いてくるような声だった。やはりあの塊がルイか。
火柱の中から突き出した指をこちらに向ける。炎の中で目玉をギョロリと動かしマーガレットちゃんを見る。
「その人間だって今にお前を裏切るぞ。そうなったら可哀想だから私が今のうちに殺してやるよ」
思わず生唾を飲み込む。
酷い八つ当たりだ……それ俺関係ないじゃん!
そもそも浮気ってなんだよ。
……あっ。そういえばルイのヤツ、リリスと魔眼で魅了された勇者共に追いかけられてたんだったな。そうか。捕まって魔眼で魅了されたところをリンに見つかったのか? なんて間が悪いんだ。
「貴方は勘違いをしている。それはルイの意思ではありません。とにかくルイに話を――」
刹那、タイミングを計ったかのようにリンが片手に引きずっていた黒焦げの塊が眩い光となって消えた。魔族の炎に耐え切れず事切れたのだろう。むしろあの炎に巻かれて即死しなかっただけ大したもんだ。大したもんではあるが、それとこれとは別である。
俺はギリギリ歯噛みした。
ルイのヤツ、人が死にそうになっている時になに呑気に死んでんだぶっ殺すぞ。
「話すことなんてない。この目で見たんだ。ルイがデートしてた。たくさんの人間と」
リンの言葉に俺は首を傾げる。
……たくさんの?
リンが続ける。眼から零れる大粒の涙が炎の渦の中を舞う。胸を押さえながら苦悶の表情を浮かべる。湖の魔族との戦いで窮地に陥ったときだってこんな顔はしていなかった。
「楽しそうに追いかけっこして、最後にはみんなでルイに飛び掛かってた……ううっ、思い出すだけで胸がっ……」
ああ、リリスと勇者たちによる壮絶追いかけっこの挙句ルイが取っ捕まったのを目撃したんだな……
ん? それは浮気になるか? 普通ならないだろ。いや、魔族は軽いスキンシップ程度でも……というか肉体の接触そのものに大きな価値を見出しているような節が確かにある。
とはいえルイを追いかけまわして飛び掛かっていったのはリリスに魅了された勇者共だろ?
俺は声を張り上げる。
「ルイと一緒にいたのはほとんどが男ですよ。浮気ではありません」
「オトコってなんだよ! 難しいこと言って誤魔化そうったってそうはいかないぞ」
リンの言葉に俺は頭を抱える。
そうだった……こいつらに性別の話をしても無駄だった……。
言葉は通じるのに時々話が全然通じない。魔族と人間の文化や習慣には大きな隔たりがある。分かっていたが、最悪の形でそれが出てきてしまった。
くそっ、リンとは良好とまではいかずともそれなりの関係を築けていると思っていた。しかしそれが間違いだったんだ。圧倒的な戦力差がある。文化も常識も違う。そんな相手と対等な関係を築けるはずがなかったのだ。
と、その時。
俺のすぐ横でもう一人の魔族であるマーガレットちゃんが動いた。
といっても微かな動きだ。よく見なければ分からない程度の動きで首を横に振る。
リンが炎の中でハッとした顔をする。しかしすぐに視線を落とし、激しく声を上げた。
「なんで……なんでお前はそんなに余裕なんだよ。なんでそんな悟ったことが言えるんだよ……!」
えっ、今マーガレットちゃんなんて言ってんの? ねぇなんて言ってんの?
しかしマーガレットちゃんは相変わらずの植物的無表情。俺にその心の内を覗き見ることはできない。
魔族トークに興味津々の俺であるが、残念ながらそれを聞いている暇はなさそうだった。
「んんー? なんか見覚えがあるな」
空から降り立った新顔の魔族。体のところどころを覆う羽毛は血で赤く染まり、羽ばたくたびに血飛沫が地面に模様を作り出す。
クソッ、勇者を殺しつくした挙句に街を彷徨い始めたか。とうとう魔族が三体集結しやがった。しかもなんで教会に。ここは魔族の集会所じゃねぇんだぞ。
新顔の――“空の魔族”がマーガレットちゃんを見上げて首を傾げた。
「あれ? なんで君がここにいるのー?」
言い終わるより早くマーガレットちゃんが動いた。
教会を囲う塀を打ち砕きながらありったけのツタを空の魔族にぶち込む。
どうやら顔見知りらしい。そして決して良好な関係ではないらしい。
やはり魔族対魔族の戦いになるのか。しかしこうなってしまったら仕方がない。あとはもう、空の魔族にマーガレットちゃんが勝ってくれることを祈るほかない。そして祈りは無残にも砕かれた。
「なんか、前よりちっちゃくなったねー」
無邪気な声で言う空の魔族に、細かく輪切りにされたマーガレットちゃんのツタが降り注ぐ。
羽ばたき一つでこの威力。俺を抱きしめるマーガレットちゃんの腕に力がこもる。
しかしマーガレットちゃんも魔族だ。この程度の攻撃では致命傷には遠い。輪切りにされたツタが再生し、うねうねと蠢く。戦いはこれからだとでも言うかのように。
それを見上げて、空の魔族が両手を上げて歓声を上げる。
「やっぱり弱くなってる! よーし、今度こそゼッタイ息の根を止めるから」
今度こそ……?
俺はハッとした。
オリヴィエに拾われた時、マーガレットちゃんは種の状態だった。そしてシアンは教会に生えたマーガレットちゃんを見て「生きていたんですね」と言った。
種は仮死状態だったんだ。マーガレットちゃんは一度負けている。空の魔族に。そして。
無邪気な笑顔をリンに向け、空の魔族は意気揚々と言った。
「ね、また一緒に!」