マズいことになった。
マーガレットちゃんとはいえ、魔族二体を相手にするのは分が悪すぎる。しかも一度負けた相手。そしてマーガレットちゃんはその戦いのときより弱体化している。
どうする。どうすれば。どうしたら……
俺は一通り策をめぐらせ、そして頷く。
これどうしようもないな。詰んだわ。俺はマーガレットちゃんの腕の中で脱力した。せめて楽に殺してくれ。
縦横無尽に飛び回る空の魔族は羽ばたきにより作り出した風の刃でマーガレットちゃんのツタを次々にちぎり飛ばしていく。正直、空の魔族との一対一でも勝てるか怪しい。ここにリンが参戦したら。きっとこの街は最悪の結末を迎える。
しかしその瞬間はなかなかやってこなかった。
「……ねぇなにやってんのー?」
痺れを切らした空の魔族が地上を見下ろしながらそう呼びかける。それでもリンは動かない。
「早く火つけてよ。盛り上がんないよ。あの時凄い楽しかったじゃん。リンが火をつけて、私が風を吹き込んで燃え上がらせてさ。また炎の渦とか作ってこの辺全部燃やそうよ。ねぇってば」
恐ろしい事を無邪気に言いながら空の魔族は懐っこくリンに放火をねだる。
しかしリンは答えない。
俺はハッとした。
リンはまだ迷っているのだ。勢いと怒りに任せて過激なことを口走ったが、それを行動に移すまでには至っていない。
希望を捨てて脱力するのは早計だった。もしかしたら、まだ詰んでいないのかもしれない。リンを味方につけることができれば。
俺は一発逆転起死回生のチャンスを狙って口を開く。吹きすさぶ風の音に負けないぐらいの大声で。
「ちゃんと話を聞いてください! ルイは浮気していません。全部あなたのためにやっていたんです」
「……私のため?」
リンが顔を上げる。こちらを見た。助けを求めて縋るような眼だ。俺の言葉に期待をしている。空の魔族の参戦に気が逸れてほんの少し冷静さを取り戻したのかもしれない。とにかく、人の言葉に耳を貸す余裕ができたんだ。
よし、やった。まだチャンスはある。
俺は希望を胸に口を開きかけて、そして閉じた。
やべー。ノープランだ。なんて言えばリンは納得するんだ。ルイの目を別の女に向けさせようとしていたなんて言ったら普通に俺が殺されそうだし……
「ねぇ、どういうことなの? 早く言ってよ」
リンがジリジリとこちらに近寄ってくる。
とにかく今は緊急事態。リンを納得させればそれで良いんだ。たとえそれが真実でなくとも。俺は口から出まかせをひねり出す。
「あ、貴方へのサプライズプレゼントを選ぶために弟たちと一緒に買い物をしていたのです」
浮気相手を妹だと主張する――浮気言い訳テンプレの応用だ。言い訳にしても陳腐すぎて人間ならちょっと厳しいが、魔族はアホだからイケるはず……!
俺は勝利を確信し、リンをジッと見る。リンは間髪入れず口を開いた。
「ルイ、一人っ子だって言ってた」
ああぁ~失敗した~!
ルイの家族構成なんて知るか!!
しかしここで黙るわけにはいかない。俺は泳ぎそうになる視線を必死になって固定し、堂々と口を開く。
「血の繋がった兄弟だけが兄弟ではありません。義兄弟。そう、義兄弟です」
俺はなにを言っているんだ?
リンが口を開く。
「なに言ってんの?」
俺は白目を剥いた。
くそっ……リンのヤツ、人間とかかわることで賢さと人間の常識を少しずつ身に着けてやがる!
というかなんで他人の浮気の言い訳を俺がしなきゃならないんだ……嫌になってきた……
「ねぇなんの話~? “ルイ”ってなに~? それって燃やすより楽しいの?」
空の魔族が退屈そうに言いながら口を挟んできた。リンはそれに答えるようにして吐き捨てる。
「どうかな。確かに全部燃やせばスッキリはするかもな」
ヤバい、完全に失敗したぞ。このくだらない失敗で街が燃えるのか? 嫌になってきた……
「リン! なにやってるんだ」
気力を絞って顔を上げ、俺はこの目を疑った。
ルイだ。ルイがいる。どうしてルイが? アイツは黒焦げになって教会へ転送されたはず。
いや、リンが引きずっていたあの黒焦げはルイじゃなかったのか? まさか、そんなはずは。
「さっきから話聞いてたけど、意味が分からないよ。俺が浮気? 誰かと間違えたんじゃないのか」
声も姿も喋り方もルイそのものだ。しかしコイツは。
俺は教会に降り注ぐ死体の山を思い出す。あらゆる勇者が転送されてきてはまた戦地に赴くため教会を飛び出して行ったがユライはまだ一度も死んでいない。
そうか、変身術。ユライはルイになら完璧に化けることができる。このチャンスを窺っていたのか。
状況と推理でアレがユライであるという答えを導きだしたが、もしそういったヒントがなければ俺があれを偽物のルイだと見破るのは困難だったろう。
元星持ち三人――ルイ、ロージャに比べればその実力は見劣りするとばかり思っていたが、アイツだってなかなかやるじゃないか。
本物のルイは黒焦げになって教会にいる。このまま押し切ってうやむやにしてしまえば。
「お前誰?」
リンの言葉にようやく見えた希望が掻き消えていく。
「誰って……俺の顔を忘れたのか?」
ユライはまだ演技を続けるが、リンは吐き捨てるようにして言った。
「ルイの真似するのやめろよ。気持ち悪いな」
「……なんで分かった?」
変身術を解いたユライが、苦笑しながら頭を掻いた。
「完璧な出来だったと思うんだけど。幻術耐性がある? 魔法の無効化能力でも使った? あるいは――魔族には普通の生物には備わっていない特殊な感覚器官でもあるの?」
「なに言ってんのか全然分かんないけど。なんで分かったかって……そんなの決まってる」
リンが渦を巻く炎の中で顔を上げる。
一切の照れも恥じらいも言い訳も嘘もない、まっすぐな眼でユライを見ながら言った。
「ルイのこと好きだからに決まってんじゃん!」
ま、眩しい……物理的な意味でも精神的な意味でも……
「バレるのも当然か。取って付けた小細工と嘘で騙せるはずがなかったんだ」
魔族の圧倒的なパワーと素直さに気圧されたのは俺だけじゃなかったらしい。
ユライが静かに、しかし意を決したように言った。
「俺たちはいつだってそうだった。小手先の策を弄して表面だけを綺麗に整え、本質に目を向けず、根本的解決から逃げ出してきた。でもそれじゃあ進歩はないよな」
そう言ってユライが取り出したのは、呪いのおしゃべりキツネぬいぐるみだ。
リンが怪訝な顔をする。
「なにそれ」
「ロージャだ」
「は?」
リンにはロージャは死んだと伝えられていたはず。
急にぬいぐるみを持ち出しても理解が追いつかないに違いない。
リンを置いてけぼりにしたまま、ぬいぐるみを持った手を振りあげる。ユライは燃え盛る炎の中にそれを投じた。
燃え盛る炎が黒く染まる。耳をつんざく断末魔の悲鳴が響き渡る。
ロージャが燃えた。呪いとふわふわの毛皮から解き放たれたロージャはきっと教会に転送されていくはずだ。蘇生させれば自由と元の肉体を取り戻す。
眩い光となって消えていくロージャを眺めながら、ユライが呟いた。
「これで良い。またルイはおかしくなるかもしれないけど……いつまでもこんなこと続けるよりはマシだ」
ユライが偽りの安寧を捨てた。
大きな決断だったろう。葛藤もあったはずだ。なにせルイとロージャ二人の星を奪ってまでパーティに固執した男だからな。
しかしリンの表情は曇ったままだった。
「さっきからお前が言ってること一つも分かんない」
だろうね。
しかし事の詳細を説明している暇はないようだ。
血を撒き散らしながらユライの体が吹っ飛ぶ。風の刃をまともに受けたユライの下半身がマシュマロのように千切れ地面に散らばる。
リンがハッとして空を見上げる。
「なにすんだ、喋ってる途中だろ。邪魔すんな!」
リンの怒声に、空の魔族が腕を組んで頬を膨らませる。
「だからだよ。もうおしゃべり終わり。早く火ぃつけてよ」
リンは舌打ちをしながらユライの上半身に駆け寄る。
「結局どういうことだよ! なんにも分かんないし、なんにも解決してない。なのになんで……お前だけそんな満足そうな顔してんだよ」
リンが喚くのを見上げて、ユライは力なく笑った。
消えかけた命を燃やし尽くすように力を振り絞り、なんとか言葉を紡いでいく。
「ルイの気持ちはともかく……俺は、ロージャより君みたいな子の方がルイを幸せにできると思う……あとは……ルイを燃やすのをやめれば完璧……」
徹頭徹尾、自分の言いたいことだけ言ってユライは息絶えた。
輝く光となって消えていくユライを見下ろし、リンは握り締めた拳を震わせ唇を噛む。
「なんなんだよ。本当に意味わかんない。もやもやする。どいつもこいつも……!」
「わっ、火! 火だ!」
空の魔族が歓声を上げる。
リンの炎が渦を巻く。あたりの酸素を食い尽くさんばかりに大きく赤々と燃え上がる。戦火の匂い。呼吸により取り込んだ熱気が喉を焼くような感覚を覚え、俺は思わず息を止めた。リンがその手に作った火球が打ちあがる。
が、それは教会ではなくリンのほぼ真上へと向けられた。凄まじい速度で迫りくる火球を空の魔族がヒラリと避ける。
「どこ狙ってるの? 相変わらずヘタクソだな~」
「コイツ追い払ったらすぐにルイを生き返らせて」
空の魔族の言葉を無視し、リンがこちらを見上げてそう言った。
思いもよらぬ言葉に思わず言いよどむ。
「そ、それは――」
「守ってやるって言ってんの! このままじゃ何も分かんないままじゃん。だから……一回くらいルイに言い訳のチャンスを与えても良い」
やった……やったぞ。
リンを味方につけた! マーガレットちゃんとリンの共闘。安心感で胸が満たされていくのを感じる。
勝ったわ。敗北を知りたい。
リンの纏った炎が渦を巻いて燃え盛る。臨戦態勢に入った。
背負った巨大ハンマーを手に取る。ゴンッという金属質の音を響かせてハンマーが地面にめり込んだ。
リンがハンマーを取り落とした。いや、ハンマーの持ち手には腕がついている。肘から切断された燃え上がる両腕が。
「……あ」
肘から先を失った腕を見てリンが呆然と声を漏らす。
俺は空を見上げた。
無邪気な笑顔はそこになく、空の魔族はただ無機質な目でリンを見下ろしていた。
上空を渦巻く暴風の中で、それは酷く平坦な口調で言い放つ。
「もう良い。つまんない。死んで」