「サイアク、サイアク、サイアク……あー! 最悪!」
王都での奇跡の再会を果たしたロージャ。
崩れ落ちるように地面に膝をつき、頭を掻きむしっている。
空の魔族との対峙時、ユライにより火にくべられて死亡。そのあと大司教様に蘇生されてそのまま王都へ逃げてきたとのことらしい。
語彙が貧弱なのはおしゃべりキツネぬいぐるみの後遺症か。
しかしオリヴィエは怪訝な表情を浮かべる。
「僕は反対ですよ。神官さんやカタリナをオークションで売り払おうとした人でしょう? そんな人を作戦に参加させるなんて」
確かにロージャは危険な女だ。俺たちに恨みがあるのは確実だし、なまじ実力があるのもタチが悪い。
でも今はそんなのより気になることがある。
「あの、なにしてるんですか……?」
手鏡を覗き込み、オリヴィエは慣れた手つきで唇に紅を乗せている。視線だけをこちらに向けて当然のように言った。
「女装ですけど? 教会本部に忍び込むのに顔が割れると困るじゃないですか。変装しないと」
言っていることは理解できるが……女装のハードル下がりすぎだろコイツ……
呆れたように首を振り、オリヴィエは「仕方ないな」とばかりにこちらへ紅を差し出す。
「僕の貸してあげますよ」
「……は? なんで私が」
「神官様こそ顔が割れているじゃないですか。大司教様に歯向かうようなことをするなら変装は必須では? まさかなにも考えていなかったんですか?」
なんか説教されてしまった。
確かに教会本部には何人か知り合いがいる。だからこそ女装なんてとんでもない! そんなのバレたら地獄だろ。俺は激しく首を振った。
「絶対に嫌です! だって、ほら、体格が!」
オリヴィエと違い、俺の体は成人男性として骨格が完成している。顔だけ綺麗に整えても仕方がない。
するとオリヴィエは「あー」と唸り声のようなものを上げた。カバンからずるりと鮮やかな赤色の布を取り出す。
ん? うーん……
俺は目を擦った。もう一度それに目を凝らす。
何度見てもやっぱブラジャーだな……シリコンパッド入り……
「僕は使わないんですけど念のため持ってきてたんです。良かったらどうぞ」
良いわけねぇだろ殺すぞ。
「とにかく女装はナシです。ロージャ、あなたの力があれば教会本部への侵入など容易いでしょう?」
「まぁ、私の技術なら当然だけど。なんで私が」
「これは魔王軍に対抗するための非常に重要な作戦です。成功したらもう関わりませんし、ルイたちにもあなたのことは言いません」
ロージャは唇を噛み、反抗的な視線をこちらに向ける。口を開こうとした。なにか嫌味の一つでも言おうとしたのかもしれない。
しかしパステルイカれ女はそれすら許さない。
「大丈夫だよユリウス。もし、また、妙なことをしたら、私が」
一言一言、嚙み締めるように言う。パステルカラーの瞳を大きく見開く。ロージャの首筋を指先でなぞる。
一番妙なことをしている女がなんか言ってる。
しかし効果は抜群。ロージャは首を縦にぶんぶん振った。
「わ、分かったわよ! ただ、教会本部に乗り込むならせめて神官服くらいは用意しないと。もちろん血がついていないヤツを」
「なるほど。じゃあやっぱりその辺の神官を襲って身ぐるみを剥ぐしかありませんね」
「物騒なことを言うのはやめなさい!」
準備運動を始めたオリヴィエを制止し、俺はそびえ立つ教会本部に視線を向ける。
「神官服ならありますよ」
*****
ロージャの鍵開けにより窓から侵入。
周囲を警戒しながらも人気のない廊下を進んでいく。
俺は声を潜めて言う。
「この先です」
多分。そうだったと思う。
教会本部を訪れたのは学生の時以来だ。記憶が定かではない。しかし今はこの頼りない記憶を信じるほかないのだ。
「しっ……隠れて」
ロージャの指示で俺たちは足を止め、壁に張り付くようにしながら息を止める。
一瞬の間をおいて、曲がり角の向こうから扉の開く音がした。話声。足音。心臓の音がやけにうるさく感じる。
ここで捕まれば計画がパァだ。頼む、あっちへ行ってくれ。
俺の祈りが通じたのか。足音は徐々に遠ざかって行った。
思わず息が漏れる。だがロージャは既に足を進め始めている。振り向き、俺に非難めいた視線を向ける。
「ほら早く。案内してよ」
さすが、元とはいえ星持ち。
純粋な戦闘力ではオリヴィエやリエールに敵わないが、こういった潜入や鍵開けなどの技術は卓越している。
問題は俺の道案内が正しいかどうかだが。どうやらその点もクリアできたらしい。
見えてきた。ロージャは扉を少し開け、素早く視線をめぐらし周囲の様子を窺う。
「大丈夫。入って」
ロージャに促され、ぞろぞろと足を踏み入れていく。
更衣室だ。教会本部に籍を置く神官の数は多い。それを象徴するように、ロッカーも大量に並んでいる。当然、中には神官服も。
「さすがは星持ちですね。うーん、これは小さいな。はい」
「どうも」
ロージャに神官服を差し出し、俺は次のロッカーに視線を移す。
が、次のも小さい。王都の神官はちびっ子ばっかりか? 次はリエールに差し出すと、ヤツは嬉しそうに笑って受け取った。
「お揃いだね。まぁ私は誰かに憑いていけば変装はいらないんだけど」
だから憑いていくってなんだよ。
しかしオリヴィエは特に気にする様子もなく口を開く。
「思っていたより警備も手薄ですね。罠も設置されていないみたいだし」
「いや……罠設置してる教会はうちくらいなので……」
「へぇ。王都って平和なんですね」
そりゃあ平和だ。というかフェーゲフォイアーに比べればどこも平和だが。
王都周辺に魔物は少ない。兵士は潤沢にいるが、その戦力は勇者と比べるべくもない。
訓練で模造刀ばかり振っている兵士と、毎日死にながら戦う勇者とを比較するのは酷と言うもの。
……カタリナ程度の勇者でも、隙を見れば王都から逃げ出すことくらいできそうなものだが。そうできない理由があるのか。
オリヴィエも不安げにため息を吐く。
「カタリナがすぐに見つかれば良いのですが。リエール、カタリナは本当にここにいる?」
リエールがスッと目を細める。
「匂いがする。女の匂い」
「えっ、ホント? 近い?」
「すぐそこ……近付いてる……」
リエールが素早く頭を振り、周囲に視線をめぐらせる。
「あの女はどこ?」
……ロージャが、いない。
サッと血の気が引いていく。ただ隙を見て俺たちから逃げただけなら良い。だが、あの性悪がそれだけで溜飲を下げるだろうか。
嫌な予感がする。こういう時に限って俺の予感は当たる。
「そこです。不審者が!」
女の声。続くように近付いてくる大勢の足音。
……マズい。
「急いで逃げましょう神官様。壁を伝って上階へ行きます」
オリヴィエはなんの迷いもなく窓から身を乗り出す。
さすがに身軽だな。俺には無理だ。落ちて死ぬ。
「ユリウス! 一緒に隠れましょう」
リエールがなんの迷いもなくロッカーに飛び込み、こちらへ手招きする。
しかしロッカーはそれほど大きくない。一人隠れるのも厳しいのに、二人なんてとても。
……いや、リエールの隠れたロッカーが妙に広い。外見からは信じられないくらいに。物理的にあり得ないくらいに。リエールの背後にどこまでも闇が続いている。そこから伸びた幾本もの影の腕が手招きしている。リエールが妙に白い手を差し伸べる。
「おいで」
俺は静かに首を横に振った。
行けば二度と帰ってこられないような気がした。
「私は神官です。本部にいても不法侵入にはならないしいくらでも言い訳ができます。私が気を引きますから二人でカタリナを探してきてください」
「っ……そんな!」
「大丈夫です。あとで落ち合いましょう」
議論を重ねる時間はない。
オリヴィエは黙ってうなずき、窓の外へ飛び出していく。
リエールは口惜しそうな顔をこちらに向けるも、ロッカーの扉はひとりでに閉まった。
それとほぼ同時に、出入口の扉が開かれる。
「ちょっと、なにやってるのよ!」
どかどかと更衣室に足を踏み入れる神官たち。
俺は神官スマイルを浮かべて彼女たちと向き合う。
そして何が悪いのか分からないとばかりに首を傾げる。
「どうしました? 私はただ着替えていただけなんですが……」
「ここ! 女子更衣室なんですけど!」
えっ……
神官スマイルが凍り付く。
どうりで神官服のサイズが小さいと思った。
い、いや大丈夫。落ち着け。部屋の外に分かりやすくそう書いていない方が悪い。
俺は申し訳なさそうな顔を作り、身の潔白を示すように両手を挙げる。
「失礼しました。本部に来るのは久々で、部屋を間違えてしまったようです」
好青年じみた表情を作り、柔らかな物腰で言う。にもかかわらず、駆け付けた女性たちから悲鳴が上がった。
彼女たちの視線を辿る。俺の挙げた右手。いつのまにか握り込んでいた鮮やかな赤い布。オリヴィエが持っていた女性用下着……
「下着泥棒よ!」
神官服を纏った褐色の肌の女がそう叫ぶ。
その声に嘲笑が混じっていることに気付いたのは多分俺だけだろう。
「ロージャ……!」
最悪だ。嵌められた!
手品みたいな技を使いやがって。
俺は思わず右手を強く握り込む。シリコンパッドが手の中でぐにゃりと形を変えた。
「こっち来なさい!」
「暴れるな!」
勇者たちならいざ知らず、俺は普通の神官だ。
女性ばかりとはいえ多勢に無勢。一応逃げ出してみたが瞬く間に取り押さえられた。
床の冷たい感触を頬に感じながら、俺は必死に頭を回す。
まだだ。まだ起死回生のチャンスがあるはず。考えろ考えろ考えろ……
考えた末にたどり着いた結論。
もう無理だ。完全に死んだ。社会的に。
「みなさん、大丈夫でしたか!?」
頭上から声と足音が降ってくる。今度は男の声だ。誰かが呼んだのだろう。頭を押さえつけられているため顔を上げることはできないが、神官服の裾がチラリと見えた。
「あとは私たちにお任せください。異端審問室へ連行します」
い、異端審問室……!?
体がひとりでに震え出す。いよいよ大事になって来た。
俺は二人の男たちに脇を抱えられ、無理矢理立たせられる。
女性神官たちからの罵倒を背中に受けながら引きずられるようにして歩いていく。ロージャの蔑むような笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
お、終わった。こんなとこで。こんなバカみたいな理由で……
「おい。おいユリウス」
耳元で囁かれる聞きなれた声。
ハッとして顔を上げる。俺は泣きそうになった。持つべきものは友達だな。
俺の両脇を拘束――いや、支えているのは本部勤めの旧友たち。
シャルルとルッツが俺の顔を覗き込んで力強く言う。
「助けに来たよ」