風を切り裂くように空を行く。
王都は既に遥か遠く。振り向いたところで影も形も見えない。
カタリナとの再会を喜んでいる余裕もなく、俺たちは大急ぎで準備を済ませて王都を発った。
「フェーゲフォイアーの詳しい戦況は分かりませんが……嫌な予感がします」
「俺もそう思う」
ドラゴンの背に乗ったロンドの言葉に、吊られた籠の中でルッツが同意する。
俺はその脛を蹴り飛ばした。
「痛ッ!? えっ、なに?」
「なんでお前がついてきてんだよ!」
「いや……逃げるなら今しかないって思って」
魔物が攻めてきているフェーゲフォイアーに行くなど文字通り自殺行為だ。病みすぎだろ。マジで死にたいのか?
さらにドラゴンはもう一つ余計なものを搭載している。それはドラゴンの背に括りつけられていた。大きさはロンドの身長ほど。布をかぶせられていてその姿は見えない。
「余計なもの持ってきて……!」
「なんなんですか、あれ?」
「姫からの超重量級王都土産。領主様が持っていくって聞かなかったんです」
オリヴィエの問いかけに吐き捨てるようにして答える。
一刻も早くフェーゲフォイアーへ行かねばならないのに。余計な荷物を背負って到着が遅れたらどうするんだ。
「大丈夫よユリウス。焦らないで」
リエールがふわりと腕を絡ませる。心配そうにこちらを覗き込んだ。
「防衛戦だって凌いだし、湖の魔族だって倒したじゃない。いまさら魔王軍だなんて格落ちも良いとこだよ」
「……ええ、そうですね」
リエールの言う通りだ。おかげで冷静になった。
いや、冷静にはなってないな。違うところに気が行ってしまってそれどころじゃなくなったというのが正しい。
リエールもまた“土産”を持っていた。血の滴る麻袋。特に誰も突っ込まないから俺も突っ込まないけど。なんとなく正体分かるし……でも気にはなるよね……
「な、なんで……」
オリヴィエが呆然と声を上げる。痺れを切らしてとうとう突っ込んだかと思ったが違った。
指差した先――地上に広がる黒い影。魔物の群れ? いや、数が多すぎる。まるで軍隊のよう。
どういうことだ。フェーゲフォイアーはまだ先。少し前に港町ハーフェンの上空を過ぎ去ったばかりなのに。
考えられるとすれば。
「フェーゲフォイアーへの攻撃は陽動。魔王軍の本当の狙いはハーフェンなのでは」
フェーゲフォイアーは人類の最大戦力を保有する勇者の街。地理的には最も近いが、陥落させるのは難しい。
なら、やや距離は遠くとも落とすのが容易で人口も多いハーフェンを密かに狙うという作戦。奴らを追う勇者が見当たらないということは、その作戦は今のところ上手くいっているらしかった。
最悪だ。
ハーフェンのような大都市が占拠されればどれだけの民間人が犠牲になるか。彼らを人質に取られれば勇者も迂闊には攻められない。
そうだった。魔王軍は魔族やその眷属に比べれば貧弱。だからこそ戦略を練る。こちらの嫌がる戦い方をしてくる。
今までとは別ベクトルの強敵であることを認めなくてはならない。
「急いでフェーゲフォイアーへ戻って勇者に伝えないと」
「ダメだ。それじゃあ間に合わない!」
カタリナの呟きにオリヴィエが首を振る。
「今、僕たちでアレを倒すんだ。できるだけ早く」
フェーゲフォイアーの戦況も心配だ。しかしハーフェンを見殺しにするわけにもいかない。
急いで奴らを倒し、フェーゲフォイアーへと戻るのが最善策。
理屈は分かる。問題はその方法だ。
ルッツが頭を抱える。
「勇者三人で、敵は……数百体? 一体どうやって戦うんだよ!」
その通りだ。いくらなんでも三人ではキツイ。
だが、やりようはある。俺は女神像(小)を取り出した。お馴染みの手だ。
「いったん着陸して下さい。そこを教会にします」
防衛線や湖の魔族戦で使った技。女神の協力を得て、教会の機能をその場に移す奇跡。
あれをすれば死んだ勇者をここに転送させることができる。フェーゲフォイアーの戦線が手薄になるのは心配だが、今は他に方法がない。
久々の魔王軍復活。そしてかつてない人類の危機。女神も力を貸してくれるはず。
『貸しません』
すぐそばで返答があった。
青空が消え失せていた。代わりに視界を塗りつぶすのはどこまでも続く白い空間。目の前には腕を組んだロリ。不機嫌そうにこちらを覗き込む。
『特別な措置を講じるつもりはありません。通常の加護のみで戦いなさい』
「は……は? ど、どういうことですか。なんでですか!」
『あんな魔族の搾りカスも倒せないようでは話になりません』
……そうだった。女神が俺たちに特別な力を貸したのは魔族が絡んだ時だけ。魔王軍を構成しているのは魔族の元を離れた魔物たちだ。
勝って当然。女神はそう思っている。
『もし、あんなのに負けるようなら。私は今度こそ異教の神に負けを認めなくてはなりません。その時は』
小さな顔がこちらを覗き込む。
押しつぶされそうな威圧感。低い声で、噛んで含めるように言う。
『貴方たちに見切りをつけ、イチから新たな生命を作ります』
創造主からの解雇通告。泣きっ面に蜂とはこのこと。
もはや笑うしかない。魔王軍の連中は自分たちに“神”がいないことを嘆いていたが――こんなのが欲しいか? 改めてそう言ってやりたかった。
退路は断たれた。特別措置も認められない。
白い空間が煙のように掻き消えていく。声だけが脳内に響いた。
『その代わり、ささやかな応援をしてあげています。今回だけですよ。感謝して存分に異教徒のカスを殺しなさい』
その物騒な言葉の意味は分からなかったが、考察している暇もない。
「――着陸は、ナシです」
ドラゴンの着陸準備を整えようとしていたロンドを手で制する。
他の勇者を呼べないなら、むしろ地上に降りるのは危険だ。
それほど強くはない。しかし数が多い魔物を倒すには広範囲魔法攻撃が一番良い。というか、それしかない。
「カタリナ。やれますか」
オリヴィエやリエールにはやれない事だ。
カタリナが強く杖を握りこむのが分かった。躊躇うような一瞬の沈黙。やがて重々しく頷いた。
「はい。やります」
カタリナが杖を構える。
いくらノーコンとはいえ、的は広く、圧倒的有利な上空からの攻撃。外すはずはない。光の玉が魔物を屠っていく。さすがの威力だ。……が、足りない。やはり数が多すぎる。キリがない。
こちらの存在にも気付かれた。進路を変える。森の中へ隠れる気か。
「カタリナ、点ではなく面での攻撃はできませんか?」
「……ベアトリーチェみたいにですか?」
様子がおかしい。
カタリナの顔色が悪い。死体の時だって、もう少しマシな顔をしていると思う。手が震えている。
こんな状態のカタリナを見るのは初めてだった。
オリヴィエやリエールも驚いているようだ。
「一体どうしたの? あの男になにかされた?」
あの男――大司教様のことだ。
カタリナは静かに首を横に振る。しかし唇を噛んだまま、口を開こうとはしない。
なにか他の策を考えなければならないようだ。
それですぐ思い付けば苦労はしない。しかし時間も無い。
ハーフェンが近い。
ほとんどの住人は勇者じゃない。厄介事にも慣れていないし、きっと有事の際のシェルターすら用意していないはずだ。
改めてゾッとする。取り返しのつかない死がすぐそばに迫っている。
声には出さないが、誰もがその事を感じている。空気が重くなる。
「こうなりゃみんなで石でも投げて戦うしかないぞ!」
ルッツは苦し紛れに適当なことを呟いたに違いない。
しかしなにがどこで役立つか分からないものだ。
ルッツの言葉も、姫からの超重量級王都土産も、無駄ではなかった。
俺は吊られた籠から乗り出し、身をよじってドラゴンを見上げる。そこにくくりつけられた鉄の塊。
「領主様――“それ”ここで使いましょう」
「えっ、今ですか!?」
頭上からロンドの困惑の声が聞こえてくる。
投石は人類最古の攻撃方法。長い時を経て様々な武器が開発され、その攻撃法もかなりの進化を遂げた。
それは王国謹製の最新式だ。大司教様に言わせれば「人間を焼く兵器」だが、魔物だって焼けないことはない。
籠の中で、オリヴィエが首を傾げる。
「なんなんですか?」
その問に答えるように砲撃音が響く。
大砲。
それが上空で運用されたのは恐らく人類史上初だったろう。
信じられない光景だった。
凄まじい爆発音。地上から立ち上る煙。ドラゴンの背から、次々と黒い球が放たれては地上で炸裂。
籠から身を乗り出した俺たちはその光景を呆然と見下ろす。
「……はは」
あっけないまでの突然の大逆転に思わず笑みが漏れる。
弱いなりに工夫して戦っているのは魔王軍だけじゃない。むしろそちらは人類の領分である。
見てるか薄情な女神様。俺は空を見上げる。
「人の力も捨てたものではありません」
瞬間、堰を切ったように籠の中で歓声が上がった。
「重火器ってすごいのね」
「これ、フェーゲフォイアーにも設置しましょうよ!」
「ロンド! それ俺にも撃たせろ」
圧倒的な攻撃。張り詰めた空気が一気に緩む。
頭上でも砲撃のたびに歓声が上がった。
「僕とドラゴンは最強です~!」
とんでもない殺傷力のオモチャを手に入れ、ロンドの機嫌は上々。正直負ける気がしない。
地上での爆発音はハーフェンにまで届き、人々を恐怖させたと後に知ることとなる。
歓声と砲撃音に包まれ、眼下に広がる勝ち試合を高みの見物。
目下の心配事といえば、そんな状況においてもカタリナに笑顔が戻っていないことくらいだった。