俺が留守の間、どうしても蘇生させる必要があればマッドに頼むよう周知はしておいた。
しかしヤツに蘇生の義務はない。ましてや人命救助や人類の栄光なんてもののために命を張れるような立派な人間ではない。
だからヤツが蘇生をやっている姿には心底驚かされた。
それを伝えると、マッドはあっさり頷く。
「ユリウス君は帰ってこないし、蘇生はキツいし、もう逃げちゃおうかと何度も思ったよ」
「なぜ逃げなかったんですか」
「なんでかなぁ」
マッドは手についた血を払いながら首を傾げる。代わりに答えたのはウサギ頭の優秀な助手。ジッパーである。
「ドクターはこの街が好きなんですよ」
「まぁ堂々と触手生命体の運用実験ができる街は貴重だからね。それから、そうそう」
マッドがこちらを向いた。へらりと笑って言う。
「一緒にキメラを作る約束。まだ果たしてもらってないし」
そんな約束してねぇ~
俺は叫びたくなったが、すんでのところで堪えた。
ブランクのあるマッドがこんなハードな蘇生をこなすのは本当に大変だったろう。労いの言葉くらいは掛けてやっても良い。
触発されたか。ルッツもまた呟く。
「そっか。きっと俺もそうだ。この街を守りたくて、だからドラゴンに乗り込んだんだ!」
そうか~? 大司教様と本部の仕事から逃げ出したかっただけでは?
色々捻くれたことを言いたくはなるが、どれもこれも全部飲み込んだ。
理由はなんだって良い。
倫理観を落としたクズでも、怠けグセのある馬鹿でも構わない。
「始まったね」
教会に血と死体が降り注ぐ。
凄まじい数。相変わらずうんざりしてくる。
「ようやく勇者が本気を出せるよ。ユリウス君が帰ってきたから」
マッドが天を仰ぐ。
ここから戦場は見えないが、死体の状態で戦況は分かる。
勇者が攻勢に転じたのだ。
つまり、俺たちの仕事もここからが本番。
積み上がっていく仕事の山を前にため息を吐く。こんな大事な局面ではあるが、俺は純粋に仕事が嫌だなぁと思った。
が、今日の教会はワンオペ体制ではない。
「仕方ないですね。やりましょうか。もちろん手伝ってくれるんでしょうね?」
クズと馬鹿が各々頷く。
新感覚だった。
同僚がいるというのはこんなにも素晴らしいのか。
死体の山の減り方が全然違う。
マッドはもちろんだが、ルッツも以前よりは随分できるようになっている。蘇生の勉強をしたと言っていただけある。どんだけ王都の仕事嫌だったんだよ。
こんなの体験したらもう元のワンオペ体制に戻るの無理になるぞ。
なんとかしてこのままマッドを復職させられないだろうか。ルッツをフェーゲフォイアーに戻しても良い。ちゃんと仕事をするならだが。
俺たちの活躍が実を結んだ。勇者もなかなか頑張ったらしい。
降り注ぐ死体の数がにわかに減った。
蘇生させ、教会を飛び出して行く勇者の顔に余裕が生まれた。
「ヤツら、今までの勢いがなくなってます。勝ったも同然です」
蘇生させた勇者の一人が死んでたくせに誇らしげに言う。
なんてあっけない幕切れ。
まだ戦いは続いているようだが、勇者たちはすっかり祝勝モードだ。
しかし俺はどうにも切り替えられなかった。
確かに我々が優勢ではあった。勇者は蘇生ができ、拠点がすぐそこにある。
そんなのは最初から分かっていたことだろう。
本当にこれだけか? 長い間地下に潜っていたヤツらが、たったこれだけの策しか持たず俺たちに戦いを挑んだというのか?
俺の心配は、息を切らして教会へやってきたロンドにより現実のものとなった。
「魔王軍の本隊が内地に向けて進軍を進めています!」
空から戦況を見ていたロンドは魔王軍の動きをすぐに察知できた。
魔王軍は戦いを諦めたのではない。次の作戦に移行したのだ。
フェーゲフォイアーを押さえつつ、魔物に対して無防備な都市へ向かう。つい先ほどハーフェンを狙う部隊を潰したというのに、懲りないヤツらだ。
……いや。
ロンドの顔が蒼い。上空は冷えるが、それが原因ではないだろう。
「ハーフェンを狙った部隊とは規模が違う。間違いなく、あれが本隊です。目的地は――王都」
そこは人類の心臓部。
しかし平和な世界において、彼らは魔物との戦い方を忘れてしまった。
王都を守る武力――兵士も兵器も、全て対人を想定して運用されている。
魔物への備えをないがしろにしてきたツケ。そう言い捨ててしまうには、あまりにも被害が大きすぎる。
「ヤバいじゃん、どうするんだよ! だって、王都には――」
ルッツは言いかけた言葉を飲み込む。
そんなのは言わなくたって分かっていることだ。ロンドが拳を固く握り込む。王都には最愛の姉、アリア姫がいる。
もちろんそれだけじゃない。シャルルもいる。俺たちの恩師もいる。無辜の民が暮らしている。穏やかな日常を当然のように享受している。そしてそれらは、一度壊れたら元にはもどらない。
「勇者たちを向かわせるのかな?」
特に表情を変えずマッドが言う。
そうだ。動揺している場合ではない。今すぐに魔王軍を追いかけなくては。
とはいえ、話はそう簡単ではない。
「フェーゲフォイアーへの攻撃が止んだわけじゃない。全員に向かわれると困るな。それに――蘇生の問題もあるよね」
王都へ進軍する魔王軍を勇者たちが追いかけて討つ。
フェーゲフォイアーの教会を拠点とするいつもの戦い方とは違ったものになるだろう。
蘇生は大きな問題の一つだ。戦場がどこになるかはまだ予測ができないが、恐らく死んだ勇者はフェーゲフォイアーではない、最寄りの教会に転送されることになるだろう。
そうなると戦線への復帰は難しい。戦線と街との距離の問題もあるし、なによりそこの神官が蘇生に慣れている可能性は低い。
穏やかな田舎の教会に急に勇者の死体が降り注いだら、そこの神官は面食らうだろうな。可哀想に。
他人事のように考えていると、急に矛先がこちらへ向かった。
「フェーゲフォイアーの精鋭勇者たちを討伐に向かわせます。そこに一人、蘇生できる方に同行していただきたいんです」
えっ……
俺は息を呑んだ。
ここには蘇生できる人間が三人いる。
だがロンドは俺を見ていた。縋るような目で。尊い無辜の民の命を守るために。
しかし忘れてはならない。
俺も無辜の民の一人だし、誰よりも尊い命だ。
討伐隊に同行するということは前線で蘇生に当たるということ。
女神の特別措置も当てにできず、前線を走り回って棺桶状態の勇者を蘇生していく羽目になる。
命の危険がある、どころの話じゃねぇぞ。“ハチャメチャに運が良ければ命だけは助かるかもしれない”みたいな、そんなレベルだ。
ふざけんなよ!! 絶対に行きたくねぇ!
し、しかし。この場で己の命惜しさに「行きたくない」とは言い難い……
「あ、俺は行かないから」
マッドがさらりと言う。
俺は息を呑んだ。こ、こいつ言いやがった。俺は慌てて口を開く。
「そんな。王都の――いや、人類の危機なんですよ。なんとも思わないんですか!」
「そうだね。どうでも良いかな」
くそっ、やられた。
こいつはそれが言える人間だった……!
ロンドからも特にリアクションはない。そう言われることを予期していたんだろう。
な、ならば。
「なぁルッツ、お前」
「うん。俺、行くよ」
「いやいや、そう言わずに――え?」
耳を疑った。
コイツ、本当にルッツか? ルッツに化けた魔物が街に入り込んでいるんじゃないか?
ロンドも驚きのあまり目を見開いている。ルッツとロンドは親戚だ。昔からヤツのことを知っているからこそ、そんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。
「な、なんで?」
「俺はさ、のんびり暮らしたいんだ」
ルッツが窓から外を見る。
なにを言い出すんだ。俺はルッツに疑いの視線を向ける。どんな違和感も見逃さない。
「日がな一日ゴロゴロして、お腹が減ったら食べたいモノ食べて、夜中にフラフラ出歩いて昼まで寝ていたい。でも魔物に支配されたらそんな生活はできなくなるから。ここが俺の踏ん張りどころなのかなって」
……いや、これは本物のルッツだな。
クソニート野郎だとは思っていたが、予想以上に気合の入ったクソニート野郎だ。
マッドにとっても意外だったらしい。感心したように言う。
「君、意外に勇気あるんだねぇ。問題は技術力が追い付いてないとこかな」
「うっ……」
そう。ルッツの蘇生技術は向上している。
しかしこの作戦で要求されるのはそんなレベルではない。
最前線で、最低限の時間で大量の勇者の蘇生を済まさなくてはならない。そんなことのできる人間は多くない。っていうか一人しかいない。
分かってる。最初から分かってるよ!!
「あ~! 分かりました分かりました分かりましたよ」
頭を抱え、早口で捲し立てる。
もうヤケクソだった。正直いえばめちゃくちゃ行きたくない。なんで俺ばかりこんな目にあわなきゃならないんだ。これは完全に神官の仕事の範疇を超えている。
しかし仕方がない。
俺だって魔物に支配された世界なんて御免だ。
血の雨が降るのはフェーゲフォイアーだけで十分。勇者が死にまくるのは最悪だが、勇者じゃない人間が死ぬのはもっと嫌だ。
だから。
「行きますよ私が!」
ロンドがパッと顔を輝かせる。
「ありがとうございますユリウス神官! では速やかに準備を」
「待ってください。タダで、とは言っていません。いくつか条件があります」
お願いをするなら今がチャンス。
人類を救う大仕事だ。こっちも命を張っている。巨大なニンジンをぶら下げてもらえないと頑張れない。
「この戦いが終わったら、フェーゲフォイアー教会に神官を派遣してください。できれば数人。今回の戦いでも分かったでしょう。この教会を一人で運営するのは無理なんです」
俺が討伐隊に入るというのも、代わりに教会を守ってくれるマッドとルッツがいたからできた事だ。
ロンドが重々しく頷く。
「分かりました。交渉してみせます」
「それから。これは他の勇者には内緒にしていてほしいんですが」
俺はそこで言葉を切った。
まだ迷いがあった。
しかし――正直、このままやっていく自信がない。
こんな命懸けの仕事を振られるなんて、神官を志した時には思いもしなかった。おまけに女神はこの一大事に力を貸さないとか抜かす。まったくふざけている。
……この戦いが終わるまで。それまでの辛抱だ。
俺は迷いを振り切り、そしてロンドに告げた。
「神官をやめます」