「し……知らない! 俺は、俺は何もやっていない!!」
追い詰められた勇者はガクガクと震えながら地を這うように後退りする。しかし壁に阻まれ、その動きは止まった。
哀れな勇者は迫りくる死神騎士とゆかいな仲間たちを見上げて歯を鳴らすことしかできない。
「お前がスパイなのだろう」
「なんのことか分かりません!」
「ならば体に聞くまで」
アイギスは煌めく白刃を勇者に振り下ろす。
血飛沫を上げながら首を失った死体から、彼女は星のバッジを奪い取る。
やがて死体は光に包まれて消えた。
勇者は死ぬと棺桶に収納され、仲間の後ろをストーキングするようになる。パーティが全滅、あるいは元からソロの勇者が死ぬと近くの教会へ転移される。あの死体は近くの教会――つまり俺の教会に積まれている死体の山をさらに大きくしたわけだ。
「またハズレか」
勇者から奪った星を、アイギスは言葉とは裏腹にニコニコしながら血に塗れた鎧に付ける。
アイギスの鎧には今や満点の夜空の如く星が煌めいている。
「クソッ、どこまでも卑劣な種族だな。魔物というのは。ん? 貴様、何を見ている。怪しいな」
「いや、俺は別に……」
アイギスが新たなターゲットに目をつけたようだ。怪しい集団が哀れな勇者を囲むのを横目に、俺はコソコソと横を抜けていく。
あーあー、教会に積まれた死体の山がどんどん大きくなっていく。嫌だなぁ、帰りたくねぇなぁ。
本当は拷問魔にかち合わないよう教会に籠もってるのがベストなんだが、たまには外にも出ないと本当に頭がおかしくなりそうだぜ。
最低限の買い物は終わった。葡萄ジュースも買い込んだ。でももう少し別の店を見ていくことにしよう。
何を見ようか……俺は壺屋の前で足を止めた。どういう訳か勇者には壺を割る習性がある。店内も壺の破片だらけだ。
どうして割られてしまうものをみんな家に飾るんだろうなぁ。
「おいユリウス! やーっと見つけたぜ」
むっ、誰だ俺の名を呼ぶのは。
振り返ると、走ってくる神官服の男が肩越しに見えた。見覚えのある顔だ。
「あ……ルッツ? なんでここに」
「なんでじゃねぇよぉ。お前こそなんで教会にいないんだ。死体の山をひっくり返して探したぞ」
ルッツの言葉は冗談ではないようだ。神官服にあちこち血がついている。
「なんで俺が死体の山の中にいると思うんだよ。ていうかどうしたの? 来るなら連絡くらいよこせ」
「どうした、だと?」
ルッツの目の色が変わる。俺の胸ぐらを掴んでぐわんぐわん揺らした。
「お前が不甲斐ないからウチの仕事が増えまくってヤバイことになってんだろがーッ!!」
「ええ……?」
なんだコイツ、情緒不安定かよ。
でも全く心当たりがないかというとそんな事はない。
ルッツの職場は職業を司る神殿、ハロワ神殿である。
勇者を志す者はそこで洗礼を受け、足を洗う者もまたそこで手続きを済ませる。
ルッツはクマの浮かんだ顔をずずいと俺に寄せる。
「勇者辞めたいってヤツが多すぎんだよ! 魔物が強すぎって、ってんならまだ分かるよ? そうじゃなくて内部抗争が原因とか言うじゃん! なんなのマジで」
「それは俺も思ってる。なんならお前より思ってるから。“なんなのマジで”ってずーっと思ってるから」
トゲトゲ爆発フグの抽出毒による自殺作戦が功を奏したか、あるいは知能のある魔物を拷問なんて時間も手間もかかる事に動員するのが凄まじい無駄であることに気付いたか。しばらくすると魔物たちの拷問は止んだかに思えた。
ところが、事態は収束に向かわなかった。
街中で、奇襲のような形で行われた犯行だけは続いたのである。手際が良すぎて服毒自殺をする暇すらなく、防ぎようがないらしい。
ヤツはまず眼球をくり抜く。そのため誰も顔は見ていないが、拷問魔が街に潜んでいることは間違いない。
魔物が人に化けているというのが大方の予想である。
勇者ならば死んでも教会で蘇生できる。アイギス率いる一部の有志――通称秘密警察は目につく勇者を皆殺しにして人に化けた拷問魔を探そうとしていた。
だがどんな大義があろうと、傍から見ればただの殺し合いだ。
そのギスギスに絶望した勇者の大群が、もっと職場の人間関係が穏やかで安定した職業に就くべくハロワ神殿に殺到しているという話は耳にしていた。
「それにさ、あの星はなんなの? 殺した獲物の耳収集するみたいな感覚?」
ルッツが声を潜めて秘密警察たちに視線を送る。
また哀れな勇者が首と星を取られている。俺は嘆いた。
「まぁ今やそんな感じになってるけど、もとはちょっとしたイベントアイテムだったんだよ……」
通称“お使いクエスト”。
それは勇者たちの戦力向上を目的に教会本部が不定期に企画するイベントである。
今回勇者たちに与えられたのは数個の星のピンズ。類稀なる戦歴を持つ勇者に与えられる金剣星章を模したものだ。
星にはそれぞれ与えられた勇者ごとに識別番号が付いている。自分のではなく、他人の星を集めることで様々な景品と交換することができるという企画だ。
教会本部としてはいつもと違うパーティーを組んで星を交換したり、ちょっとしたお願い事を聞いて人から星をもらったりすることを期待したのだろう。
つまり勇者たちの仲を深めるためのイベントだったわけだ。それが首狩り族の首収集イベントみたいになるんだから皮肉なものだな。
しかし教会で交換できる最高の景品は星十個のハイポーションだ。あると便利とはいえ、血眼になって星を集めてまで欲しいアイテムとは思えないが……
「ふふ、これがあれば……」
アイギスが薄笑いを浮かべながら胸に輝く星を撫でる。
そこで彼女はハッとした。あれほどたくさん付いていた星が、一つもなかったのだ。
「なっ……私の! 私の星が!」
「ふふふ。あなたの星?」
アイギスの耳元で囁く派手な髪色の女。
弾かれたように振り返るアイギスに、パステルイカれ女ことリエールさんは胸に輝く満点の星を誇らしげに見せつける。
「貴ッ様ァ……!」
「星を七百個集めればどんな願いも叶う……ふふ、ユリウスは私のものだよ。誰にも渡さない」
なにそれ初耳だよ?
アイギスがギリリと奥歯を噛む。
「貴様とはいつか衝突する日が来ると思っていた。来い……私こそ神官さんの盾であり剣。神官さんの貞操は私が守る!」
いや、俺の貞操どこにも賭けてないから。
百集めても七百集めてもハイポーションしかあげられないから。
こういうイベントやると、どういう訳かデマ情報が流行るんだよね。困ったもんだわ。
何やら激しい戦闘をおっ始めた二人に背を向け、俺はルッツの腕を引く。
「ちょっと場所を変えよう」
ここは危険だ。
俺はルッツを連れて仕方なく教会へと足を運んだ。
扉の外からでも分かる禍々しい空気。
恐る恐る教会の戸を開く。
ああ、やっぱり。
俺は嘆いた。祭壇が見えないくらいうずたかく死体が折り重なって山になっている。
そのまま扉を閉めたいのは山々だったが、脇ですすり泣く幼女が目に入った。
俺は彼女の元へ駆け寄った。
「ルビベル。どうしたんですこんなとこで。あまり見てはいけません、精神を病みますよ」
「神官さぁん……お兄ちゃんが動かないの」
「グラム……?」
俺は死体の山に目を向ける。
ついさっき死んだのだろう。山のわりと上の方に、グラムの死体が積まれていた。
「ごめんルッツ、少し待っててくれ」
俺はルッツにそう断り、グラムの蘇生に取り掛かる。
全く、子連れのくせに死んでんじゃねぇよ。
にしても、これは……
「酷い死体だな。一体何があったんだ……見ない方が良いよ」
グラムの死体をじいっと見つめるルビベルの目をルッツが覆う。
有志によるスパイ捜索ローラー作戦の被害者とは明らかに違う――痛めつけることを目的にした傷の数々。普通の子供ならば裸足で逃げ出すような無残な死体である。
しかしルビベルはルッツの手からするりと抜け出し、結局グラムが目を覚ますまで彼の側に居続けた。
「お兄ちゃん! 良かった、良かったよぉ」
「ああ、ルビベル……心配かけたな。俺は大丈夫だ」
目を擦りながら体を起こすグラム。その胸にルビベルが飛び込む。
感動の再会だ。俺も思わず目頭を押さえる。
が、忘れちゃいけない。俺はグラムに耳打ちする。
「そりゃあ大丈夫でしょう。私が治したのですから。ですが蘇生費の方も大丈夫なんですかね?」
「い、今は手持ちがない。ツケといてくれ」
「ああ?」
俺は労働に対する正当な対価を求める善良な神官である。にも拘らず、グラムは俺と目を合わそうともしない。
蘇生費踏み倒しを神は決してお許しにならない。さて、どうしてくれようか。
「ごめんなさい神官さん。これっ、これあげるから」
ルビベルは健気にも星のバッジを取り出し、俺に差し出す。
なんて可愛いんだ。ほっこりした気持ちを胸に、俺はグラムに耳打ちする。
「お前幼女のヒモになる気か?」
腹の底から子供には聞かせられない罵詈雑言が湧いて出てくるが、それを口にするより早くルッツが俺の肩を揺すった。
「まぁまぁ、今や貴重な勇者だよ。優しくしてやらないと。でも勇者じゃない人間を戦いに連れていくのは良くない。危険すぎるよ」
「いえ……例の拷問魔にやられましたね。そうでしょうグラム。あの傷はどう考えても殺すために必要な傷じゃない」
しかしグラムはゆっくりと首を振った。
「いいや、秘密警察だよ。スパイ容疑をかけられて尋問を受けたんだ。アイツら無茶苦茶やりやがる。犬の手綱はちゃんと握ってろよな」
「……ほう?」
うずたかく積まれた死体のそばで、ルビベルがぴょんぴょんと跳ねる。
「私も勇者になりたーい!」
「おお、良い志だね。お兄さんが勇者にしてあげようか?」
「できるのー!?」
幼女の宝石のような瞳が放つ視線に気をよくしたのか、ルッツが得意げになって頷く。
「できるよ。なんせハロワ神殿の神官だからね」
「馬鹿なこと言ってないで早く戻ったらどうです。ハロワ神殿も仕事多くて大変なんでしょう?」
するとルッツは血塗れカーペットの上で子供のように地団駄を踏む。
「イヤだっ! 仕事したくない! っていうか、お前こそそいつら蘇生してやれよ」
「イヤだっ! 仕事したくない!」
俺もカーペットの上で地団駄を踏む。
成人男性が二人そろって地団駄を踏む。こんな地獄のような光景があるだろうか。しかしこの世は所詮地獄。
さらにルッツは熱々鉄板の上で責め苦を受ける亡者の如く脚をバタつかせながら叫びを上げた。
「俺はここで幼女と遊んで暮らすんだ! そうだルビベルちゃん、葡萄ジュース飲む?」
「わーい!」
「あっ、ちょっと。勝手に……仕方ないですね。一人二十五mlまででお願いします」
「ケチだなお前」
人の買ってきた葡萄ジュースを啜り、教会内を駆け回る二人。
アホだなぁアイツ。
まぁ良い。これでグラムと話ができる。
「これからどうするかちゃんと決めなさい。あの子のこと、それから……あなた、なにかトラブルに巻き込まれているのでは?」
「何言ってるんだ? 俺は何も」
「家族ごっこも大概にしてください。あの子のためになりませんよ」
すっとぼけた回答を繰り返していたグラムの顔色が変わる。
「お前に何が分かるってんだ。俺は……俺は!」
「おいユリウス、見てくれよ。ルビベルちゃんすげーよ!」
俺たちの会話は馬鹿のバカ騒ぎによって途切れた。
見ると……なるほど、たしかに凄いわこれ。
ルビベルが女神像(大)の頭の上にちょんと立っている。
凄まじいバランス感覚。と思ったら女神像(大)からするりと飛び降りる。彼女は空中で一回転しながらルッツの肩の上に飛び乗った。
「おお! 曲芸師みたいだねぇルビベルちゃん」
「うん!」
ルビベルはニコニコしながらルッツの首に足を絡める。
一見すると肩車だが、ルッツの顔がみるみる蒼くなっていく。
「さすが獣人は身軽だなぁ。ははは」
ルッツが白目を剥きながら笑う。
ルビベルは多分遊んでいるつもりなのだろうが、獣人の身体能力と神官のゴミ体力が掛け合わさると恐ろしい事態になる。
にも拘らず、ルッツはなぜかルビベルをおろそうとしない。なんだコイツ、ロリコンなのか? あるいは脳に酸素がいかず、正常な判断ができていないのかもしれない。
一体どちらだろう。見極めようとルッツを観察していると、彼は白目を剥いた状態で俺に顔を向けた。
「あ、そうだ。お前に言わなきゃならんことがあるんだわ」
「なんだ、遺言か」
「今度な、立ち入り調査あるから」
「は?」
「教団本部直属の、名前なんつったかな……まぁ誰かくるみたい」
「え? なに? どういうこと?」
「そりゃお前……こんな騒ぎ……前代未聞……」
そこまで言って、ルッツは力尽きたように床に膝をついた。
キャッキャと無邪気に騒ぐルビベルを、俺は慌てて制止する。
「ルビベルやめて。ルッツを落とさないで! ねぇ、もう少し詳しく! ねぇ!」