ルイとウサギは上手くやったらしい。
指揮官を失い、連中は統制された軍隊から烏合の衆に変貌した。
とはいえまだ相当の数が残っている。その殲滅を見届けるほどの時間はない。
「頑張ってくるんだよ。これは商店街一同からの差し入れだ」
宿屋のババアだ。
大量の魔力供給用ポーションを俺のリュックにガンガン入れていく。気持ちは嬉しいがあまりに重い。新手の修行か?
「魔力供給用のものもありがたいのですが、普通の治療用ポーションはありませんか。できればハイポーションが欲しい」
「治療用? アンタには回復魔法があるだろう」
「私が重傷を負ったら誰が回復魔法をかけてくれるんですか」
蘇生ほどではないが、回復魔法だって結構な集中力と技術を要求される。死にかけた状態で魔法を発動させる自信がない。
「ハイポーションなら教会にあるんじゃないの? 確か昔、星集めの景品にしてただろう?」
俺は静かに微笑んだ。
んなもんとっくに売り払ったに決まってるだろ。
しかしその効果は目の当たりにしたことがある。ハイポーションなら体にかけるだけで大抵の傷が治るのだ。
ただ、値段が地味に高く、普通の勇者なら蘇生したほうが安上がりということでフェーゲフォイアーにはあまり出回っていない。
俺の笑顔をどう解釈したかは知らないが、ババアはあっけなく首を振った。
「ごめんよ、売り切れだ。欲しければ勇者に譲ってもらいなさい」
「そうですか……」
残念だが売り切れならば仕方がない。
とはいえ、もうあまり時間がない。遠征隊の勇者たちがぞろぞろ集まってきている。そろそろ出発だ。
そしてただでさえ少ない俺の時間が想定外の事態によりさらに費やされようとしていた。
「どういうつもりですか。なにを考えているんですか。状況を分かっていますか!?」
「黙れ」
視界の端で銀色の光がチラチラと瞬く。
わざとそうしているんだ。俺が余計な抵抗をしないように。
かつてドラゴン退治のために振るっていた槍を聖職者の首に突きつけ、エイダが言う。
「状況が分かってないのはアンタの方。言う通りにしないと――」
俺は口を閉ざした。
確かに初めて会ったときから、ちょっと面倒くさい女ではあった。
それでも、人類の危機に瀕したこの状況で俺を拉致するような真似をするほど狂ってはいなかったはずだ。
「一体どうしてそうなってしまったんですか……!」
「お前のせいだよ!」
連れて行かれたのはフェーゲフォイアー地下監獄だ。
とはいってもぶち込まれたのは鉄格子に囲まれた冷たい地下監獄ではない。
白装束の看守の待機室、あるいは仮眠室といったところか。ベッド、小さな机や椅子、ガラクタの詰まった棚など生活に必要なあれこれが一式揃っている。
「お前にはしばらくここにいてもらう」
「どうしてこんなことを。なにが目的なんですか」
「も、目的?」
エイダが不意に困ったような顔をした。
しかしすぐに表情をこわばらせてこちらを覗き込む。人を殺す目つきだった。
「お前とこの街のせいで私の精神はめちゃくちゃだ」
「復讐なら相手が違うでしょう。私はなにもやってない!」
「いつまで減らず口が叩けるか楽しみだ」
エイダが手に持った槍をぐるりと回す。
なぜ俺がこんな目にあわなくちゃいけないんだ。一体これからどんな恐ろしいことをされるというんだ。俺がいなくなったら、魔王軍討伐作戦はどうなるんだ。
焦燥感。どうすれば良い。
懐にはアルベリヒから貰った護身用のナイフがある。バターナイフに毛が生えた程度の代物だが、うまくやれば致死量の失血を起こせる。
いや、しかし、でも――
エイダが手を伸ばす。俺の前髪を引っ掴み、凄む。
「少しでも長生きしたければ私の言うことを聞くんだ。まず最初の質問。素直に答えた方が身のためだよ」
エイダを見上げる。できるだけ怖い顔を作ってヤツを睨みつける。
うまくできているだろうか。分からない。しかし効果はあった。
エイダがサッと目線を反らした。前髪から手を離し、こちらに背を向ける。
「きょ、今日、なに食べたい?」
「……え?」
質問って、まさかそれなのか?
答えられずにいるとエイダが振り返った。槍を構える。
「聞こえなかったか!? 鼓膜ぶち破って二度となにも聞こえないようにしてやろうか!?」
「あー! ごめんなさいごめんなさい! ええと、その」
槍を構えたエイダがジリジリ近付いてくる。今にも殺しそうな、あるいは殺されそうになっているような顔をしている。凄まじいプレッシャーを感じる。
俺は頭に浮かんだ料理名をとっさに叫んだ。
「キツネ肉のハンバーグ!」
言い終わってからハッとした。
俺はなにを言っているんだ。どう考えてもさっき見たおしゃべりキツネぬいぐるみ&子キツネぬいぐるみのせいだ。
しかしなぜかエイダは勢いよく頷いた。
「仕方ないわね!」
叫ぶように言うと、エイダは長槍を器用に回して踵を返す。まさかと思ったが、そのまさかだ。エイダはそのまま部屋を出て行った。
少しすると床が軋む音が頭上から降ってきた。そしてドアの開閉音。
外へ出たのか。どこへ行ったというのだ。まさか。
静寂に包まれた部屋に俺の呟きが響く。
「キツネ狩り……?」
*****
よく分からんが、エイダが部屋から出て行った。
これはチャンスだ。一刻も早くここを脱出しなくては。
辺りを見回す。
ここは地下だ。窓はない。そしてこの部屋は看守用だ。人を閉じ込めておくためのものじゃない。監獄より脱出は難しくないはず。
ドアノブを回す。もちろん鍵がかかっているが、極めて単純な造りだ。
思わず笑みが漏れる。舐めすぎだろ。エイダは俺のことを室内犬だとでも思っているのか?
俺は棚をあさり、ガラクタの中から工具箱を手に取る。取り出したのはもちろん針金だ。
脱出劇の定番、ピッキングである。
片目をつぶり、狙いを定めて鍵穴へ。
あとはカチャカチャ、ガチャっと……あれ?
カチャカチャ、ガチャっと……んん?
クソッ、なんでだよ。針金さえあれば鍵って開くんじゃないの?
ああぁ~イライラしてきた。おらっ!
「あっ……」
俺はへし折れた針金を呆然と見つめる。
鍵穴に針金の先端が詰まってしまった。もうピッキングはできない。どうしよ。
ま、まぁ良い。ピッキングなんて盗賊スキル、俺にはない。
なら力づくで破るまでだ。
俺は部屋の隅から助走をつけ、扉に肩からぶつかる。
衝撃により、見事吹っ飛んだ。俺の体が。
「痛ってぇ~!」
俺は床を転がりまわりながら視線を扉に向ける。
びくともしてねぇ。
「あー、もう! クソッ!」
工具箱から金槌を手に取り、ドアノブを思いっきり殴りつける。
扉本体に比べるとノブの方は随分と軟弱だ。勇者の首のように簡単にもげてしまった。もちろんドアは開かない。
ふう。なるほどね。俺はもげたノブを手に天を仰いだ。お手上げ。
しかし意外なところにヒントは隠れているものだ。
あの天井。エイダの足音が随分激しく聞こえてきた。薄いんだ。なら壊せるかもしれない。
俺は机の上によじ登った。天井に向けてハンマーを振り上げる。手ごたえがあった。少なくとも扉を蹴破るよりは可能性がある。
ハンマーを振り上げる。何度も何度も天井に叩きつける。良いぞ、もう少し。
しかしさらに薄くなった天井から不吉な音が聞こえてきた。
ドアの開閉音。俺は慌ててハンマーを持つ手を止める。マズい。帰ってきた。天井には大穴。床にはその破片。俺は震えた。こんなの見られたら死ぬより辛い目に合わされるに違いない。
「よくよく考えたんだけど、キツネ肉のハンバーグってなに?」
ドアがガチャガチャと揺れる。
思わず息を呑む。どうする? どう隠す? どうしようもないだろこんなの!
俺は死を覚悟した。
しかし扉が開くことはなかった。
「え? なに? 開かない」
よ、よかった。ドアノブぶっ壊した甲斐があった。
俺は被害者ぶって声を上げる。
「困りましたね、建付けが悪いんでしょうか」
「仕方ないな。ちょっと下がってて。蹴破るから」
「け、蹴破ったら私を閉じ込めておけなくなりますよ! 地下牢獄はゴメンです。工具かなにかを持ってきてください」
「探してみる」
いくら探しても工具なんて見つからないだろう。なにせ工具箱はここにあるからな。
やることは変わらない。天井に穴をあけ、脱出する。
壁越しに乱暴な物音が聞こえてくる。どうやら倉庫を探っているらしい。
その隙に天井を掘り進めていく。できるだけ音を出さないよう慎重に――
「ねぇ、探したけど工具ないみたい。……なんかさっきからうるさくない? なにしてるの?」
うっ。
手が震える。慎重にやっていたつもりだったのに。この建物、壁も薄いのかよ。白装束共め。工賃をケチりやがったな。
分厚い扉の向こうから疑惑の眼差しを感じる。
マズい。部屋の異変を感じ取られている。
「なんか、変なことしてるなら――」
「こ、こちらからも扉を開けられないか試していたんです!」
俺は命の危機の最中、パステルイカれ女のありがたいお言葉を思い出していた。
コツは“相手を否定しないこと”。
「キ、キツネハンバーグが楽しみで。その、地元の郷土料理なんです」
もちろん嘘だ。
しかし効果的な嘘だった。
「そ、そうなの? じゃあ、えっと、がんばろっかな」
階段を駆け上がる音。ドアの開閉音。そして静かになった。またキツネ狩りに戻ったか。
今がチャンス。そしてきっと、もうチャンスは来ない。
俺は懸命にハンマーを振り上げた。腕に疲労が溜まっても休まない。隙間から微かに光が漏れてきた。もう少し。俺は最後の一撃を天井に食らわせた。
確かな手ごたえ。開通だ。ようやく出られる。きっと今ならまだ遠征にも間に合う。俺は歓喜し、そして恐怖した。
壁に開いた穴からこちらを覗く顔が見えたからだ。
「なにをやってるの?」
エイダだ。
俺は微笑んだ。
「キツネハンバーグが待ちきれなくて」
「そうか。お前をハンバーグにしてやる」
天井を貫いた槍が俺の鼻先をかすめた。
「ひっ」
槍で拡張された穴から腕が伸びる。俺の胸ぐらを掴んだ。
望み通りに、しかし望まぬ形で一階へと引っ張りあげられる。
「二度と逃げられないようにする。物理的にも精神的にも」
エイダが槍を振り上げる。足の腱でも切るつもりか? 冗談じゃない!
俺は懐からナイフを取り出した。咄嗟の行動だった。エイダが目を見開く。驚いただろう。
攻撃のために向けられたナイフをさばくのは慣れているかもしれないが、目の前で自分自身にナイフを向けた人間への対応には不慣れなはずだ。
俺はナイフを逆手に取り、それを自らの体へ振り下ろす。
嫌な感触。
視界が赤く染まる。流れる血の温もり。エイダの手のひらを貫いた刃の先から血が滴る。
「本当に嫌なヤツ。私が止めるって分かっててやったんでしょ」
俺は弁解しようとしたがその時間を与えるつもりはないらしい。
ぬるりとした感触。手のひらを貫いたナイフごと俺の手を握る。
「どうしても行かなきゃいけないの?」
消え入りそうな声だった。
「死ぬかもしれないのに」
エイダの黒い瞳が揺れる。
その目に敵意はまるで感じられない。
あるいは、これが虚勢を剥いだ彼女の素顔なのかもしれなかった。
「まさか、私を危険な遠征に行かせないようにするために」
「お前なんか魔物の餌がお似合いだ」
人を威圧するような、いつもの声。
ナイフから手を引き抜きこちらに背を向ける。
俺にそれ以上喋らせまいとしているようだった。
「私は強い。こんな街、簡単に守れる。こんなものなくたって余裕で戦える」
こちらを見もせず、エイダがなにか投げてよこした。
ガラスの小瓶に入った輝く液体。ハイポーションだ。
「すぐに死なれちゃつまらない。お前なんか……せいぜい長く苦しんで死ねばいい。このクズ!」
言っていることもやってることもめちゃくちゃ。なんて面倒くさい女だ。
しかしそれが彼女なりのエールなのだろう。そう解釈しておこう。
「絶対生きて帰ってきます。街を頼みました」
俺はさっそく味方の血で汚れたナイフとハイポーションを懐にしまい、集会所を出る。
なんとか間に合ったようだ。遠征部隊の勇者たちが街の入り口に集まっているところだった。
「なにしてたんですか神官様。荷物放りっぱなしで」
オリヴィエに渡されたカバンをいそいそと背負う。なんかさっきより重くなっている気がする。
商店街の連中がさらに余計なアイテムを詰め込んでくれたらしい。
オリヴィエが不安げな視線を街の外へと向ける。
「結局フェーゲフォイアー周辺の魔物を殲滅するには至りませんでした。帰ってきたら街が全滅していた、なんてことにならなきゃ良いんですけど」
「きっと大丈夫ですよ。彼らなら余裕で魔物を屠り、簡単に街を守ってくれます」
特に根拠はない。確証もない。
でも、こんな時くらいは虚勢を張っても良いだろう。
俺たちは足を踏み出した。
「さぁ行きましょうか」