「行くぞ!」
勇者たちが意気揚々と馬車を飛び出す。
血気盛んなヤツらだ。
死をも恐れず武器を取り、魔物たちに立ち向かっていく。
交わされる剣戟。飛び散る火花。噴き出す血潮。勇者たちが仲間の首を飛ばしながら鬨の声を上げる。
そう、仲間の首を飛ばしている!
「こんな時になにやってるんですか!?」
俺は馬車の中で悲鳴を上げた。
真っ先に馬車から飛び出して行った白装束共と秘密警察が前線で争っているのだ。
確かに道中の馬車の中の空気は良いとは言えなかった。一触即発と言っても良い。
だからといって敵を前に同士討ちとはどういうことだ。頭おかしいのか?
「アイギス! アイツらを止めてください。正気じゃありませんよ」
ひらりと馬車に飛び乗ったアイギスに俺は半泣きで縋りついた。
しかしアイギスは困ったように頷く。
「ええ、正気じゃありません。幻術にかけられて混乱し、同士討ちをさせられています。迂闊に近付けば餌食になる」
幻術?
なるほど、確かに良く見れば魔物たちから薄紫の霧が噴き出ている。あれが勇者たちを惑わせているようだ。
まぁさすがにこんな時に同士討ちはしないか……
いや、安心している場合ではない。
アイギスが鋭い視線を向ける。
「恐らくあれは本隊じゃありません。私たちの足止めのために切り離された部隊でしょう」
「じゃあこのまま睨み合っていたら間に合わなくなるじゃないですか!」
アイギスが重々しく頷く。
まずいことになった。近付かないと殺せないが、近付けば幻術にかかって同士討ちさせられてしまう。
一刻も早く先へ進まなくてはならないのに。
歯がゆいのはアイギスも同じだろう。しかし彼女では――近接戦闘を行うタイプの勇者ではヤツらと戦えない。
幸い、すべての勇者が幻術にかかったわけではなかった。
異変に気付き、幻術にかかる前に足を止めた勇者たちが馬車へ戻ってくる。
その中にヤツらに対抗できそうな勇者の姿もあった。
「――カタリナ、やれますか?」
あの霧の外にいれば幻術にはかからない。つまり遠距離攻撃ができる魔法使いならヤツらを倒せる。
カタリナの高威力の魔法なら短時間で魔物を蹴散らすことができるだろう。
戦いのことなど分からない俺にだってそれくらいは考えられる。カタリナだってとっくに気付いていただろう。自分ならこの危機を突破できると。
しかしカタリナの表情は決して明るいものではない。
アイギスも異変に気付いたようだ。彼女の肩に手を置く。
「頼んだぞカタリナ。君にしかできないことだ」
「っ……はい」
カタリナが前へ進み出た。
杖を構え、そして掲げる。その先端が向けられたのは、敵ではなく空。
宝玉が輝く。
辺りが薄闇に包まれる。見上げれば、快晴だった空を厚い雲が覆っていた。
“その杖は雷雲を呼び寄せ、幾千万もの魔王の手先を降り注ぐ雷で屠った”
神話の時代、古の魔王軍を屠ったというベアトリーチェの魔法を再現しようとしているのだ。
杖を持つ手に力がこもる。カタリナの眉間に皺が寄る。宝玉がより一層激しく輝く。
しかし雷が落ちることはなかった。
「ううっ……」
カタリナが崩れるように膝をついた。
雷雲が霧散していく。辺りに暖かな太陽の光が降り注ぐ。
俺は慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「魔導師ですらない大司教様にできたのに……私には、できない……」
虚ろな目。振り絞るような言葉。
手元に視線を落とす。そこにあるのは輝きを失った暴食の杖。
「やっぱり私にはこの杖を使う資格がありません」
ずっと気にしていたのか。
教会本部で大司教様がベアトリーチェの魔法を使っていたこと。そして自分には使えないこと。
しかしじっくり訓練をしている暇はない。
「カタリナ。無理にあの魔法を使わなくて良いんです。いつもの貴方で良いんですよ」
しかしカタリナは首を横に振る。打ちひしがれたように項垂れて。
「いつもの魔法すら、今の私には満足に使えません」
まずいことになった。
魔法に影響が出るほど追い詰められているとは。
しかし今はここを突破する方法を考えなくてはならない。
とはいっても、もう取れる選択肢はいくつもない。
アイギスが唸る。
「弓や魔法、それから投石。とにかく少しずつでも遠距離攻撃で削っていくしかありません」
「それでは時間がかかりすぎるのでは」
「ですが他に方法が……」
「私に任せてパパ」
集まった勇者の中から声が上がる。
メルンだ。
「私たちなら霧の中に立ち入らずにアイツらと戦える。馬車が通れるよう押さえるから、みんなは先に王都へ向かって」
「でも、それでは貴方たちが」
「すぐに後を追うから。あいつらを片付けた後で」
メルンは年齢の割に幼く見える、無邪気な微笑みを浮かべる。
「だから、私に任せて」
「……頼みました」
メルンの指先からおびただしい数の糸が伸び、白装束共と接続されていく。
彼らは一斉に駆け出した。まるで一つの生物のような統率の取れた動き。
そして前線で三つの部隊に分かれる。
魔物たちと交戦する者。同士討ちする勇者共を引き剥がして霧の外にまで引きずり出す者。そして息絶えた勇者たちの収まった棺桶を馬車へと運び込む者。
思った通り、メルンの遠隔操作で動く白装束共は霧の影響を受けずに活動ができる。
だが問題も浮き彫りになった。
やるべき仕事に対し白装束共の数が少なすぎるのだ。前線で棺桶になっていた白装束共を蘇生しても、まだ足りない。
メルンが細かく指を動かしながら、額に汗をにじませる。
「っ……駒が足りない。これじゃあ、いつまでも馬車を通す道が作れない」
「――君たちとうちの隊員は前々からいがみ合ってきたな」
アイギスだ。
しかめっ面でメルンの元へと歩み寄る。
「それもそうだろう。こんな他人任せの戦い方、必死に訓練を積んできた隊員たちが認めるはずはない」
確かに秘密警察と白装束共は仲が悪い。戦い方だけの問題ではない。(自称)自警団とカルト教団が仲良くできるはずないのだ。
とはいえ、こんな一大事になにを言い出すのか。
俺はアイギスを諫めようとしたが――どうやらその必要はないらしい。
アイギスが力強く声を張る。
「しかし、今は君の力に頼るほかない。うちの隊員を貸そう」
メルンが目を見開き、そして微笑んだ。
これは人類の総力戦。
カルト教団も傍若無人な自警団も手と手を取り合い、目の前の強大な敵に立ち向かおうとしている。俺は感動に打ち震えた。
しかし、必ずしも“上”の決定が末端にまで行き渡っているとは限らない。
「えっ!?」
「き、聞いてない……」
俺はそんな秘密警察たちの困惑の声を聴いたが無視した。
「ありがとうアイギスさん。じゃあお言葉に甘えて……行きます!」
メルンの指先から伸びた糸が、ものすごく嫌そうな顔をした秘密警察共のうなじへ差し込まれていく。瞬間、秘密警察共の嫌そうな顔がさらなる嫌悪に歪んだ。裸足で毛虫を踏み潰したような顔だ。
頭を抱え、うなじを掻きむしる。なにかを拒絶するように叫ぶ。
「あっ……ああっ、なんか流れてくる!」
「どうしたんですか。なにが流れてくるんですか」
「し、思想! 思想が――」
物騒な言葉を吐いたかと思うと、秘密警察たちが一際大きく体を震わせ――急に静かになった。
顔を上げる。その顔にもう嫌悪感はみじんも感じられない。あるのはただ穏やかな微笑み。俺の手を取り、言う。
「あなたは神を信じますか?」
なにか良からぬものを流し込まれてしまったのは確実だ。
良からぬものを流し込んだ張本人が悪戯っぽい笑みを携えて耳打ちをする。
「やったねパパ。これでまた、街が平和に近付いたよ」
本当だね。やったぁ。俺は白目を剥いた。