「取れない……取れない……」
シャカシャカ、シャカシャカ。
「あ、あの」
シャカシャカ、シャカシャカシャカシャカ。
「取れないよぉ、洗っても洗っても取れないんだよぉ」
「なにが取れないんです?」
背後からの問いかけに、俺は首をぐりんと曲げて答える。
「血だよ、洗っても洗っても血が取れないんですよォ!!」
「ギャーッ!! 出たーッ!」
ひっくり返って尻もちをつくカタリナを見下ろし、俺はため息を吐く。
「なに遊んでるんですか」
「こっちのセリフです。なにやってるんですか」
「見ての通りですよ。カーペットを洗ってます」
「はぁ……なにもそんな“妖怪カーペット洗い”みたいな洗い方しなくても、普通に洗ったらいいのに」
誰が妖怪だ!!
このカーペットを染める血の少なくとも三割はお前のだぞ。
「でもなんで急にカーペットの洗濯なんてしてるんです?」
「来るんですよぉ、教会本部から視察がぁ」
俺は血塗れの手で頭を抱える。
なにを視察するのかは良く分からないが、教会本部の息のかかった連中がこの教会に来るのは確かだ。
人は見た目が九割という。暗い血塗れの教会にいる根暗そうな神官では言葉に説得力もない。
ここは教会を掃除し、誰もが魅了される爽やか神官さんにならねば……
俺はタライにぶち込んだカーペットをシャカシャカ擦り洗いする。
「落ちない……血が落ちないよぉ」
「無理しないでください。目が血走ってますよ。だいたい、この状況でカーペットなんか洗ったって……」
「そ、そんな! そんなこと……は……」
カーペットを洗う手が自然と鈍る。
そうだ、分かってるんだ。そんなことは分かってる。
俺が今やるべきはカーペット洗いではない。
現実から目をそらすため、簡単な仕事で手を塞いで忙しそうにしているに過ぎない。大きな仕事に手を付けられない理由を作っているに過ぎない。
俺はついにカーペットを洗う手を止めた。
ゆっくりと、手つかずになっている仕事の山を見上げる。
死屍累々がそこにはあった。
秘密警察ことアイギスさんの八面六臂の大活躍により、勇者は順調にその数を減らしていた。
そしてその残骸は物言わぬ肉塊となって教会に降り注ぐ。
本来なら俺はまず、この山を蘇生魔法で片付けねばならない。
でも……でも……!
俺は膝をつく。拳を握り締め、カーペットを殴りつける。グシャッ、と湿った音がして血飛沫が上がった。
「仕事を……したくないです……」
「職務放棄はダメです。早くオリヴィエ治してくださいよぉ」
一番仕事を持ってくる女が簡単に言ってくれる!
治しても治しても、勇者はどんどん死ぬのだ。
アイギスも俺に従順なようでいてそうでもないからな。そろそろ勇者殺しやめてくれって頼んだんだが、もにょもにょと良く分からない言い訳を口にしながら、鎧に付けた星を輝かせていた。
これだけ殺して成果が出ないのだ。なにか別の方法を探したほうが良いと思うのだが、どうやらアイギスの目的はもはや拷問魔探しではないように見える。
珍しく死に損なったカタリナさんがうるさいので、俺はオリヴィエくんを渋々蘇生してやった。
蘇生ほやほやオリヴィエくんは棺桶から体を起こしてため息を吐く。
「やっぱ僕らリエールいないとダメだね」
リエールは星集めに忙しいらしく、最近冒険には出ていないようだ。星を狙った末アイギスに返り討ちにされたか。俺もしばらく姿を見ていない。
どうすっかなぁ。教会に死体の山あったら印象最悪だけど、もうキリがねぇな。いっそ埋めちゃおうかな……マーガレットちゃんの根元に埋めちゃおうかな……
「神官さん、目が! 目がヤバいですよ。爽やか神官さんになるんでしょ。気を確かに!」
「そもそも視察ってなんです? なにを見るんですか?」
「私も知りません。勇者の離職率と死亡率がこの地域だけ段違いらしいので、まぁその辺かと……」
「ああ……」
オリヴィエが気の毒そうな顔をする。
あー、どうしたら良いんだ。
まぁ俺は善良な神官だからね。探られて困ることなんてない。が、だからこそ火のないところに煙を立てようとする人間も現れる。
例えば俺が禁止薬物を使って聖水を製造しただの、トゲトゲ爆発フグの毒薬で勇者に集団自殺するようそそのかしただの、挙句の果てに魔族と通じているだのとホラを吹く人間まで出る有様だ。
まったく馬鹿げている。ねぇマーガレットちゃん?
俺は裏庭に咲き誇るマーガレットちゃんに視線を向ける。今日も凄い存在感だぜぇ。
はっ。俺は頭を抱えた。
「……ああぁッ、マーガレットちゃんどうしよう!!」
教会に魔物が生えてるって冷静に考えてヤバいよね。
死にすぎて感覚が麻痺した勇者たちは丸め込めたが、本部から来る人間がこれを見たらどう思うか。これは責任問題になるぞ……
「なに言ってるんですか、マーガレットちゃんがここに居て何の問題があるというんですか」
ひっ……
オリヴィエくんの白目にブラックホールが浮かんでいる。どこまでも広がる深い闇。俺は慌てて視線を逸らす。油断すると吸い込まれそうだ。
コイツマーガレットちゃん絡むとIQが百くらい下がるんだよな。
「そう言えば花粉っ……マーガレットちゃんの花粉、まだあるんでしょう。下さいよ」
「……あ、あれはすべてポーションに使ってしまいました」
「嘘だ!! あるはずだッ、よこせぇ」
追い縋ってくるオリヴィエを引き剥がそうとするが、やはり力では敵わない。
俺はぶんぶん首を振りながら悲鳴を上げる。
「ダメですよ! 何に使うんですそんなもの」
「そうだよ、花粉なんて食べても美味しくないじゃん」
なにやら器を抱えたカタリナが口の周りを舐めながら心底どうでも良さそうに呟く。
器を満たしているのは、輝く黄金色の粘液。
「……なんですかそれは」
「あの植物から貰いました」
カタリナが液をべろべろ舐めながら裏庭に咲き誇るマーガレットちゃんに視線を向ける。
「な、なんでカタリナが蜜を?」
「なんか、小さい女神像運んで渡すとくれるんですよね。これがもう美味しくて」
「お前か! っていうかなんで人の部屋入ってんですか!」
カタリナはキョトンとする。
「ダメですか」
「ダメでしょ! なんで勇者ってのはこうデリカシーがないんでしょうね。あっ、もしかしてタンス」
「ええ、漁りましたけど。ろくなもんなかったので取ってませんよ」
コイツ……
しかしカタリナに詰め寄る時間はないようだ。
「なんで……神官さんはまだしもカタリナまで」
オリヴィエがわなわなと震える。
マズイぞ。眼中になかった人間に軽々とお宝をかっさらわれた時、人のプライドは崩壊する。
「ダメです、オリヴィエ」
「クソがっ! 離してください。マーガレットちゃーん!」
「セイッ!」
俺は祭壇に置いておいた女神像(小)を転がす。最近頻繁にマーガレットちゃんに奪われるので、スペアを用意しておいたのだ。
周りが見えなくなったオリヴィエは女神像を踏みつけ、無様に尻もちをついた。
「どうせマーガレットちゃんは蜜なんかくれないどころか殺されますよ」
死体は文字通り腐るほどあるのだ。これ以上俺の仕事を増やさないでもらいたいね。
オリヴィエは血塗れの床を這う。その闇を纏った視線は、マーガレットちゃんからカタリナの持つ器に移っていた。
「じゃあ……お前のを寄こせぇ!!」
オリヴィエは勇者の脚力を遺憾なく発揮し、飛び上がってカタリナに襲いかかる。
「い、いやぁっ! 離して、これは私の大事なっ……!」
カタリナもやめときゃいいのに、蜜を死守しようと体を丸める。
だが彼女は魔導師だ。剣士のオリヴィエに単純な力では敵わない。
「ああっ」
オリヴィエは蜜に満ちた器をぶんどり、整った容姿に似合わぬ醜悪な笑みを浮かべる。
「へ、へへ……蜜だぁ……」
しかしオリヴィエがそれを口にする瞬間は来なかった。
俺はぜぇぜぇと肩で息をする。
仕方がなかったんだ。
人の肉の味を覚えた獣は凶暴化し、村々を襲い血肉を食らうようになる。どうしても止めなきゃならなかったんだ。蜜を口にする前に……
俺は血に濡れた女神像をじっと見る。そして女神像の向こう側に倒れたオリヴィエを見る。
もっと穏便な方法があったのでは、なんて俺を非難する者もいるだろう。だがそれができるのはヤツよりも大きな力を持っている者だけだ。
俺は所詮非力な神官。不意打ちするのが精一杯。
「オ、オリヴィエ!?」
カタリナが床に伏したオリヴィエに駆け寄る。
そしてヤツは助けられた身であるにも拘わらず、俺に非難めいた視線を送る。
「なにもここまでしなくても良いじゃないですか!」
フ……フフフ……
思わず笑いが漏れる。
カタリナ。お前が俺にそんな視線を送るのは、オリヴィエのためじゃないんだろう? だって、口の端から涎が垂れている。
無残にも床に広がる蜜を見下ろす。オリヴィエの頭から漏れ出る血と混じり合い、不思議な輝きを見せている。
マーガレットちゃんの蜜の味を知ってしまったのは、お前も同じだ。そして、この凶行の目撃者を生かしておく訳にはいかない。
俺は女神像(小)をきゅっと握りしめ、足を踏み出す。
「いやぁっ! やめてぇッ」
へたり込んだカタリナが俺の足をガッと掴む。さすが勇者。凄い力だ。俺は易々とカタリナに引き倒された。
カタリナは雑魚すぎてビックリ、みたいな顔で俺を見下ろす。そしてにやぁ……と醜悪な笑みを浮かべた。
「あの植物に神官さんを差し出せば……もっともっと蜜がもらえるような気がします」
なっ、コイツ!
「ちょっと来てもらいますよ。へへ……恨まないでくださいね神官さん。あの蜜の魔力には抗えないんです」
「いやぁっ! やめてぇッ」
カタリナが俺をひょいと担ぎ上げる。
俺はその後頭部に女神像(小)を叩きこんだ。カタリナは俺を背負ったまま受け身も取らずどうと倒れる。
ふーっ、手こずらせやがってぇ。俺は女神像(小)を振り、纏った血を払う。
まぁ良い。今までのことは全部夢だった、そういうことにしよう。蘇生時に混乱して幻覚を見るのはたまにあることだ。
ギリギリ死んではいなさそうである。ささっと治療して素知らぬ顔をしよう。
「お、おい……」
あん?
俺は振り返り肩越しに教会入り口を見る。
息が止まった。
傷一つないピカピカの鎧。よく手入れされたサラサラの髪。
そんじょそこらの勇者や兵士とは纏っている気品が違う。騎士だ。本物の騎士だ。
「い、一体なにを……」
声も爽やかだ。訛りもなく、いかにも王都育ちですって感じ。
……視察だ。
騎士様がすすっと俺の手元に視線を這わせる。なんだ?
右手を見る。神官の必需品、女神像(小)だ。血に濡れていること以外なんの変哲もない。
俺は女神像を握りしめた右手を極々自然な動きで背中へと隠す。
そして完璧な神官スマイルを顔に張り付けて言った。
「迷える子羊よ、我が教会にどんなご用かな?」