アラーニェから話は聞いた。
新しい魔力供給ポーションもかき集めた。
他、あれこれアイテムをリュックに詰め、準備は整った。あとは一刻も早く戦地へ戻るだけだ。
しかしそれが難しい。
まっすぐに馬を走らせても数時間かかる。途中で魔物に襲われるようなことがあれば、きっともっと。
しかしその悩みは我らが領主様とそのお友達によって解決した。
「僕のドラゴンに乗せてあげます!」
火を噴くトカゲとの空中散歩はできれば遠慮したかった。上空は寒いし、風で揺れるのも嫌だ。
しかし背に腹は代えられない。
俺は渋々ロンドの提案に乗った。
そして準備を整えてドラゴンの元へ向かう。乗客は三人。
俺、ロンド、そしてハンバート。
「……なんで貴方が」
「二人だけじゃ危険だろう? 僕がエスコートしてあげるよ」
確かにドラゴンに乗っていくとはいえ、俺とロンドだけでの旅は少々心もとない。
とはいえハンバートか……嫌だな……
ロンドも同じことを考えているらしい。ドラゴンに跨りながら舌打ちをする。
ハンバートがあまりにも嬉しそうに笑うので、俺はロンドを庇うようにしてドラゴンの背に跨った。
「転職おめでとう。神官さんもいよいよこちら側の人間か」
どちら側だよ。お前と一緒にするな。名誉棄損もいいとこだ。
みるみる高度が上がっていく。地面が遠く離れていく。
下を見ていると眩暈がしてきそうだ。俺は少し近くなった空を見上げ、気を紛らわすために口を開く。
「伝説の勇者たちが今の私たちを見たら怒るでしょうか」
話題はなんでも良かったが、それが口をついて出たのはロンドとハンバートがいたからだろうか。
彼らと、そしてカタリナは伝説の勇者の血を引いている。
カタリナはその重圧に押しつぶされそうになっていた。先祖と違い、杖を使いこなせない自分に絶望していた。
彼らはどう思っているのか純粋に気になった。
一瞬の沈黙。
「なんでそんなこと気にするんですか?」
ロンドが怪訝そうに振り返った。
同意するように後ろからハンバートの声が上がる。
「怒っていようと喜んでいようと関係ない。これは僕らの人生で僕らの戦いなんだから」
さすが自分の欲望に忠実に生きている人間は言うことが違うな。
カタリナにも言って聞かせてやりたい。
いや、もうその必要はないか。
不自然に厚い雲が集まっている。
ひっきりなしに空が光り、稲妻が瞬いている。
カタリナの魔法だ。
戦場はすぐそこ。それはすなわち敵への接近を意味する。
空を舞う魔物の群れが近付いてくる。
小型の魔物だった。血色の悪い少女の肉体にコウモリの羽がついている。
「……僕の出番かな」
ハンバートがすっくと立ちあがった。
振り向いたロンドが肩越しに言う。
「いや、あれくらいならドラゴンのブレスで――」
「僕の出番だな!」
ロンドの言葉をかき消すように言って、ハンバートはこちらを見た。
「あとは頼んだよ神官さん。世界を救ってくれ」
「待っ――」
俺が手を伸ばすのとハンバートがドラゴンの背を蹴るのは同時だった。
伸ばした手は風にはためくハンバートの上着をかすめたが、間に合わない。
落ちていく。
俺は慌ててドラゴンから身を乗り出す。
その光景に思わず涙が滲む。
降って来た変態を魔物たちは空中で八つ裂きにした。
なのに――なんて満足そうな顔をしているんだ。
こんな人類の重要な局面で自殺か。お前はご先祖様に怒られろ。
「降下します。着陸に備えてください」
うっかりウジムシでも見てしまったような視線を落として、何事もなかったかのようにロンドが言う。
眼下に戦場が広がる。魔物と人間が入り乱れて戦っている。
そこにドラゴンが着陸するスペースなどあるようには見えないが。
どんどん降下していく。地面が近付いてくる。
そして。
「今です!」
なにが?
そんな疑問を口にする間もなく、俺はドラゴンの背から滑り落ちていた。
「ちょっ!?」
落ちていく俺に、ロンドは無邪気な笑顔を向けた。
「もう死なないでくださいね!」
扱いが雑過ぎる!
内臓が浮く感覚。そして背中に衝撃。
死――んでない?
「し、神官さん?」
馬車の上に着地できたらしい。
こちらを覗き込む見慣れた顔。思わず笑ってしまった。いつもと立ち位置が逆だったから。
神官学生の青年もどうやら無事のようだ。
俺の代わりにこの戦線の維持に努めてくれたのだろう。拙いながらに蘇生も行ったのかもしれない。服は血塗れで疲れた顔をしているが、こちらを見る顔にはどこか満足げなものがあった。
「私が戻るまで、ちゃんと守れたじゃないですか。カタリナ」
零れ落ちそうなほど見開いた目に涙が溜まっていく。
そしてカタリナは杖を振り下ろした。
「痛ッ!? なにすんですか!」
「こっちのセリフですよ! なんで勇者になったこと言わなかったんですか!? 本当に、もうダメかと思ったじゃないですか」
「それは――」
「そうですよ!」
馬車の周囲から声が上がる。
俺が帰ったことに気付いてきた勇者共が棺桶を引きずってわらわらと集まってきていた。
俺を見上げて、勇者たちが嬉しそうに言う。
「これで神官さんも何度でも死ねますね!」
俺の命の価値が今まさに暴落した。
こうなるから言いたくなかったんだよ……