魔王軍殲滅から数か月。
なにも変わらないように見えるこの街にもいくつか変化があった。
まず勇者が増えた。
英雄譚と言うものはいつだって人々の心を動かす。
だからといって初心者勇者がやっていけるほどこの街は甘くない。
きっと半年もすれば半分に減っているはずだ。
別にそれで構うまい。
勇者たちは嫌になれば他の街へ行けば良いだけのこと。
しかし彼はそうもいかない。
フェーゲフォイアー教会に新たな神官が赴任した。
「う、うわーっ!? 大丈夫ですか!?」
青年の纏った真っ白い神官服に早速赤い斑模様ができた。
床にできた血溜まりを踏んだせいだ。その中心にはあちこち食いちぎられたような傷のある金髪の女が浮かんでいた。
青年は辺りを見回す。
ステンドグラスから射し込む光が血塗れになった教会を鮮やかに照らし出している。
人の気配はない。自分がどうにかするしかないと気付き、青年は神官としての務めを果たした。
「あれ? あなた、確か魔王軍と一緒に戦ってくれた学生さん」
息を吹き返したカタリナが、その薄幸そうな顔の青年を見上げて首を傾げる。
しかし彼はもう学生ではない。
青年は笑みを浮かべる。人の良さそうな、しかしどこか困ったような笑み。
「担当神官の方はいらっしゃいますか? 街の入り口で出迎えていただけるとのことだったのですが、どこにも見当たらなくて」
その言葉に応えるように教会の扉が開く。
転がるようにして教会へ足を踏み入れた神官が、息を切らして青年の名を呼ぶ。
「ルカ君! ごめんごめん、宿屋の婆ちゃんに挨拶してて」
ルッツだ。
この青年――ルカ神官の案内や事務手続きをするためこの街を訪れていた。
ルッツは軽い自己紹介を済ませ、さっそくとばかりに扉の外を指差す。
「あとで諸々の書類を書いてもらうけど、でも今日くらいは街を見て回ったら? 俺、案内するよ」
「ありがとうございます。ところで、ユリウス神官は……?」
ルッツとカタリナが顔を見合わせる。
カタリナは黙って視線を落とし、ルッツは苦笑を浮かべて首を振った。
「ごめん。アイツは、もう」
「そう……ですよね」
残念そうに視線を落とす。
しかしそれはルカにとって意外なことではないようだった。
「ここの担当を外れて、その代わりに俺が赴任するんですもんね。もう王都へ発たれていましたか。せめて一目でもお会いできれば、と思っていたんですが」
「は? いや。街にはいるけど」
「え? ……ひっ」
薄幸そうな青年の顔が凍りつく。
おいおい。なんだそれは。これから一緒に働く先輩に向けて良い表情じゃねぇだろ? まずは礼儀ってヤツから教えてやらないといけないなァ~
俺は血に濡れた神官服を引きずるようにしながら女神像の陰を這い出し、可愛い後輩と肩を組む。
「ルカく~ん、久しぶりですねぇ。会いたかったですよ。仲よくしましょうね~」
「ユリウス神官!? ……えっと、どうしてそんなところに?」
「夜通しの蘇生デスマーチで死にかけているから今日は休ませてくれと周知していたにも関わらず教会に降って来たアホ勇者の死体を死ぬほど蘇生したくなかったので隠れていました」
カタリナがびくりと体を震わせる。
すかさず言い訳を口走った。
「ち、違うんですぅ。今日は死なないよう冒険を控えて魔物たちと仲良くできないか試行錯誤していたんですぅ。途中までは上手くいってたんですが」
「へぇ。友好的なオヤツが手に入って魔物たちもさぞやニコニコだったでしょうねぇ」
戸惑っているルカに、ルッツが割と大きめの耳打ちをする。
「寝不足でテンションがおかしくなってんだ。今日はもう使い物にならないだろうから明日改めて会わせようと思ってたんだけど」
「どういうことですか? ユリウス神官は異動になったのでは?」
そう。そこだ。そこなのだ。
俺は血塗れの床に膝を付き、ガックリうなだれる。
「上司と約束を取り付けました。異動になるはずです。なるはずですが……」
俺は確かに女神と約束をした。
そして俺は約束通りに魔王軍を撃退した。
次は女神が俺の望みを叶える番だ。そうだろ。なのに。
『良いでしょう。でも、今すぐにとは言っていません』
女神を自称するロリは悪びれもせず平然とそう言い放ったのだ。
冗談じゃない。そんな詭弁が通用するか。
俺は断固として抗議をしたが。
『フェーゲフォイアー教会は勇者たちの重要な拠点です。あそこを任せるに値する人間を貴方が育てなさい。話はそれからです』
「はぁ!? そんな、私の時はなんの説明もなく放り込まれて――」
『“自分の時代はこうだったのに”ですか? 年を取りましたね』
んだコイツ。腹立つ~!
しかし俺が文句をいうより早く、ロリは俺の顔をジッと覗き込んだ。
そして甚振るように口を開く。
『今までワンオペは無理だ新任をこんなところに飛ばすなんてなに考えているんだと抗議をしてきた貴方が、まさか後輩を放って一人この地を離れるなんてことないですよねぇ?』
と、そういう事になったわけだ。
ルッツは俺の話に怪訝な表情を浮かべた。
「上司って誰だよ。大司教様か? でもあの人は……」
言いかけて、慌てたように口をつぐむ。
その話はまだ公にされていない情報だ。
とはいえルッツや俺が知っているくらいだからもうすぐ周知の事実になるだろう。
大司教様はその地位も罪もなにもかも置いて消えた。
その消息をあらゆる人間が探っているが、きっと見つからないだろう。
まぁどうでも良い。あの人の時代は終わった。そもそも、あんなに長い間休みもせず働き過ぎたのが良くなかったのだ。
あとはもう、好きなことをすれば良いと思う。
世界中を旅することが彼の夢だった。
回復魔法や蘇生はもちろん攻撃魔法や現代では失われているはずの移動魔法すら使えるのだ。
あの人はどこへだって行ける。どこでだってやっていける。今は一体どのあたりにいるのだろう。
そういえば最近、季節外れの雷が多い。
「……とにかく! 貴方には一刻も早く一人前の神官になっていただきます。スパルタで行きますから覚悟してくださいね」
「おいおいユリウス。いきなりそんなこと言ったら可哀想だろ。ルカ君、この前の戦いがトラウマになったりしてない? 急に大量の死体を見るのは結構キツいだろ?」
理解ある先輩ぶりやがってぇ。
俺はルッツを睨むが、当のルカは微笑を浮かべて首を振る。
「いいえ、死体は得意なんです」
「死体に得意とかある?」
「それに、ユリウス神官にご指導いただけるなんて感激です!」
俺を見るルカの目が輝く。
先輩からの好感度を上げようってか。分かりやすいことだ。その手には乗らんぞ。
と思ったが、彼の目の輝きは本物であるようだ。
ルッツが俺の背中を叩いた。
「ルカ君は自分で志望してここに来たんだ。良かったな、慕われてて」
マジか。
なかなか見込みのある若者だな。好感度上がるわ。俺は手のひらを返した。
「色々お話を聞かせてください。俺もユリウス神官の勇姿を見たかったなぁ。巨大な魔物の口に自ら飛び込み、中から食い破ったところとか!」
「……………………はい、そのうち」
「えぇ? ユリウスがそんなこと本当にしたのぉ?」
「いやぁ事実とはだいぶ――」
俺はルッツの足を踏みつけ、カタリナの口を押えた。
良いじゃないか。やや大袈裟に伝わっているようだが嘘ではないのだ。
案外、今に伝わっている古の勇者の伝説だって実際にはかなり脚色されているのかもしれない。
とすると、俺の活躍もどんどん尾ひれが付いて伝説になったり……いや、さすがにそれはないか。
「とにかく、今日の仕事は新人神官に街の案内をすること。ユリウスもそれで良いだろ?」
「他の勇者たちにもルカ神官の紹介をしないとですね。大丈夫ですよ。みんなとっても良い人たちですから」
そうかぁ?
俺はカタリナの言葉に懐疑的だったが、まぁ敢えて新人君を不安にさせるようなことは言うまい。
が、俺の気遣いもむなしく、さっそく新人君を不安にさせるようなできごとが起きた。
にわか雨のように血が降り注ぐ。一拍おいて、大量の死体が降って来た。
「な、なんでこんなにたくさん。今日は冒険しないはずでは……」
「街の近くにボスクラスの魔物が出たんです。申し訳ありませんが、蘇生をお願いします!」
俺の疑問に、蘇生を終えたアイギスが答える。
愕然とした。
後輩がいなければ人目もはばからずさめざめと泣いていたかもしれない。いや、今も少し泣きそう。
ルカを振り返る。彼の目にはまだ光が灯っている。
しかし遅かれ早かれ、この輝きは失われることになるだろう。
なら過度な期待は抱かせない方が良い。
憧れと期待で視界が悪くなっているだろう彼に現実を見せてあげなくてはと思った。
俺は蘇生を進めながら力なく笑う。
「求められる技術と責任は大きく、報酬は決して高くない。どうですか? この街が嫌になりました?」
しかしルカの顔は曇らない。
降り注ぐ死体を前に、どこまでも前向きに声を上げる。
「いいえ! 人類が平和に暮らせているのは皆さんの働きあってこそです。ここで神官の務めを果たせることを光栄に思います」
「そうですか……はは、いつまでそう言っていられるか」
「大丈夫です。だって」
ルカが目を輝かせる。
その薄幸そうな顔に弾ける笑みを浮かべた。
「俺、人が苦しんだり痛がったり死んだりするのを見るのが大好きなんです!」
俺は戦慄した。
ルッツと顔を見合わせる。酷い顔をしていた。多分俺も同じ顔をしているだろう。
どうやらまた性癖博覧会に出品できる人間が増えてしまったらしい。
リョナラー……しかも神官が……
そういえば魔王軍との戦いのときも楽しいとかなんとか言ってた。
あれってそういう意味だったのかよ。知りたくなかった……。
ど、どうする。今のところ俺の仕事に「厄介な後輩の世話」が追加されただけだぞ。
いや、大丈夫。ポジティブに考えよう。
俺はルカと少し距離を取りながら神官スマイルを浮かべる。
「死体を怖がらないのは良いことですねぇ。でもそれ、あんまり他の勇者に言わないでくださいね」
「隠蔽しようとしても無駄ですよ!」
思わず舌打ちをする。
カタリナだ。ルカに怯えた視線を向けながら助けを求めるように縋ってきた。
「お願いです神官さん、どこにもいかないでください。あの人怖すぎます」
「嫌だァ! 私は絶対異動してみせます!」
言ってからハッと口を隠す。
しかし放たれた言葉を引っ込めることはできない。
蘇生させた勇者共がぞろぞろと集まってくる。
「えっ……し、神官さん、どこかへ行ってしまうのですか……? 私を置いて……?」
「マジか。その場合、蘇生費のツケはチャラだよな?」
「いやいや困るよ。誰がプレイ後の僕を蘇生させてくれるんだい?」
「大丈夫だよパパ。私がこの街を平和で住みよい場所に変えてみせるから!」
「な、なによ。都合が悪くなったらそうやって逃げるの? あなたっていつもそう!」
あークソッ、やっぱり騒ぎになった!
集まって来た勇者共を追い払おうと口を開く。
が、俺が言うより早く後ろから声がした。穏やかな女の声だった。
「ユリウスが決めたことなら仕方ないでしょ」
蛇のような冷たい手が頬を撫でる。肩が重くなる。
視界がパステルカラーに染まった。
「大丈夫だよ。私はどこまでもついていくから」
俺はリエールの腕を掴む。
ほとんど反射的な行動だった。
「リエール! 貴方、普通に登場できないんですか!?」
言った。とうとう言えた。何で言えたんだろう。恐怖に慣れたのかもしれない。
リエールが目を見開く。
呆然としているようだった。初めて見る表情。
やがて顔を綻ばせ、言う。
「初めて怒ってくれたね。クセになりそう」
クセになるな!
纏わりついてくる勇者共を振り払い、怒鳴りつけた。
「うるさいうるさい! いいから戦いに行きなさい。魔物は待ってくれませんよ!」
ようやく魔物の存在を思い出したらしい勇者共が教会を飛び出して行く。
リエールもまた外へ向かっていった。カタリナに支えられるようにしながら、夢遊病患者のようにヨロヨロと。
「カタリナ、ユリウスに怒られたよ」
「ええ? 神官さんはいつも怒ってるよ。そんなことより聞いて。あの新しい神官の人、本当にヤバいから近付かない方が――」
「怒ってくれた……」
俺はルカの肩に強引に腕を回す。
コイツが俺にとって重要な存在であることには変わりない。
ワンオペ脱却、待望の同僚、蘇生の才能もありそうだし、俺のことを尊敬してくれている。
上手く育ってくれればここからの異動も夢ではない。
大事にしなくては。
たとえ特殊性癖持ちだとしても!
「貴方を歓迎しましょう。この街はいかなる者をも受け入れる。天国には程遠いですが、地獄というほど酷い土地ではないかもしれません」
勇者と魔物の交戦が激しさを増しているようだ。
死体がカーペットの上に山を作る。
血の雨が降り注ぐ。
それを浴びながら、俺は両腕を広げた。
「フェーゲフォイアーへようこそ!」
おわり
本編はこれにて終了です。
連載開始から約二年。
百万字近い長編になりましたが、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
ただ、コミカライズ最終巻が6月7日に出るため、それまで不定期に番外編を上げようと思います。
こういう話が読みたいといったリクエストがあれば感想欄で教えてください!