「えっ……うえっ……」
「やれるやれるよお前ならやれる頑張れもっと頑張れよ!!」
顔面をびしょ濡れにさせてえずくフェイルの頬にルッツがマグカップを押し付ける。
彼らの前にそびえるのは、妙な輝きを放つ大きな樽。そこから液体を汲んではフェイルの喉に流し込む。
なんだこの地獄絵図。罰ゲーム?
何も知らずこの部屋に飛び込んできた者はそんな感想を抱くことだろう。
だがこれは立派な宗教的儀式だ。
“洗礼の儀”
女神の奇跡の結晶とかいう得体のしれない石、“聖晶”を溶かした水を飲み干す。女神の加護を受ける者はみなこの儀式を行うのだ。
俺も神官になるときやらされた。これが地味にキツイんだ。味は少し甘いくらいで飲みにくくはないんだが、量が多くてな。とはいえ、ここまでじゃなかったが。
「ほら頑張れ、男の子だろ。ルビベルちゃんだって飲んだんだぞ」
「ほ、本当に……げほっ、飲んだのか……?」
「飲んだよっ!」
ルビベルが得意げな表情で胸を張る。
だが、恐らくルビベルの飲んだ聖晶水の量はもっと少ない。詳しくは俺も知らないが、飲む水の量には個人差がある。それを決める要素の一つが恐らく体の大きさだ。
小柄な女性の聖晶水の量はボウル一杯程度。体のデカい男だと金ダライ一杯分くらい出されてヒイヒイ言ってたか。
……にしても、樽一杯ってのはさすがに見た事ねぇな。ルッツのヤツ、計算間違ってねぇか?
「飲むまで勇者になれない。吐いたら始めからだ。時間かけてもいいからちゃんと飲むのだぞ」
ルッツに尻を叩かれながら、フェイルは聖晶水を胃に流し込んでいく。
こりゃまた地道な作業だ。時間がかかりそうだぜ。
「いやぁ、嬉しいなぁ。この短期間で二人も新勇者が誕生するとはなぁ」
馬鹿がマグカップに水をすくいながらニコニコとしている。
こっちの気も知らずのんきな奴だ。勇者になったあとのフォローは俺がやんだぞ。
俺は早くも水死体のような顔になっているフェイルに尋ねる。
「本当に良いんですか? 一度勇者になればそう簡単には辞められませんよ。お父様はこの事知ってるんですか? 今ならまだ間に合います。悪い事は言いません。王都に帰って普通に騎士やった方が」
「ち、父上は……関係ありません。それに……もう決めたことです。罪を犯した私を救い赦してくださった神と神官様に、うえっ、この身を捧げます」
フェイルは息も絶え絶えに、クソ真面目なトーンでふざけた事をのたまう。
わぁい、狂信者の姉に続き弟の妄信者ゲット。俺は白目を剥いた。
さて、現実から目を背けるように小さな拷問魔に視線を向ける。こっちも問題なんだよなぁ。
しかしロリコンが俺の視界にぬっと入り込んでルビベルを覆い隠した。
「た、頼む。ルビベルに悪気はないんだ。助けてくれとは言わない。見逃してくれ」
ほう。
殺人未遂者がいっちょ前に親のような顔をして。クソムカつくぜ~。ドマゾロリコンのくせによぉ~。
ただなぁ……拷問癖のある獣人幼女の勇者とか、もはや教会でも面倒見切れないよな。しかも勇者になれたってことは、俺たちの信仰する女神様が認めた人間ってことだ。
ガバガバ判定に定評のある女神様らしい結末だが、教会は神の決定に逆らえない。一応本部に報告書を提出したが、多分無視されるだろう。
俺はたっぷりと考えるフリをし、やれやれと口を開く。
「分かりました。ただし――」
俺はしゃがみ込み、ルビベルと視線を合わせる。
「拷問はいけないことですよ。もうしないと約束して下さい。そのフラストレーションはすべて魔物にぶつけるんですよ」
「うん……」
「ただしグラムになら良いです」
「ほんと!?」
ルビベルの宝石のような目が一層輝きを増す。
そしてグラムの目がヘドロの沈む死んだ川のごとく濁った。
このことは他の勇者には当然秘密である。
ただでさえ勇者同士ギスギスすることも多い。トラブルの火種は隠しておいた方が何かと都合良いだろう。幸い、拷問魔の正体に辿り着けた者は今のところいない。
ただ、不安があるとすれば。
「俺が介錯した不審者はどうなってる?」
グラムの言葉に、俺は首を横に振る。
ルビベルに拷問された最後の犠牲者。グラムに介錯されてあの場から姿を消したものの、うちの教会には転送されていなかった。
勇者が死んだ場合、一度でも敷地に足を踏み入れたことのある最寄りの教会に転送される。男の顔に見覚えはなかった。別の街から来たばかりで、まだ教会に入っていなかったのかもしれない。
ヤツは俺たちの会話を聞いていたから、ルビベルの正体にも気付いているはずだが。
「ま、いないものは仕方がありません。いざとなればあなたが罪を被って袋叩きにされなさい。なぁに、死ぬかもしれませんが蘇生はさせてあげます」
「他人事だと思って……」
朗らかに談笑している俺に向けてルッツがマグカップを向けた。マグカップで人を指すな。
「っていうかお前、こんなとこでのんびりしてていいのかよ。視察あんだろ?」
「えっ? 視察ならもう終わっただろ。ですよね、フェイル?」
俺はフェイルを見やる。
だがフェイルはキョトンとした顔で首を傾げるばかりだ。
ルッツも呆れたように首を振った。
「何言ってんだよ。まだ来てないだろ。だいたい、視察に来るのは勇者のハズだぞ」
えっ……?
じゃあフェイル、お前なんなん?
「俺は……うぐっ……姉様が大暴れしていると聞いて、個人的にここへ来ました。視察がどうとかは俺は良く分かりません。ずみません」
全身から力が抜けていく。
なんてタイミングで教会来てんだお前……
*****
まぁね、裏を返せば視察チャレンジ二周目にトライできるってことですよ。
フェーゲフォイアーの勇者をほとんど殺しつくしたお陰で、秘密警察の活躍も一段落したらしい。綺麗とまではいかないが、とりあえず教会に死体の山はない。
本部から遣わされた勇者ともあれば、相当のエリートに違いない。きっと勇者の中の勇者。勇者の上澄み。勇者食物連鎖の頂点!
さぁ視察隊よ、いつでも来い! そして俺と太い太いパイプを作るのだ!
「……ええと、フェーゲフォイアーの街へようこそ。あの、大丈夫ですか」
教会に足を踏み入れた三人の勇者。
一人は苦笑しながら静かに頷く。一人は不機嫌そうに足元に視線をやる。もう一人は返事がない、ただの屍のようだ。
「とりあえず蘇生してもらえます?」
「ええ、それはもちろん構いませんが」
俺は言われるがまま棺桶の蓋を開ける。
酷い出血だが、その割に体の傷は少ない。
致命傷は、首筋に入った美しいまでの切れ目だろう。頭と胴体を綺麗に分断している。この切り口。研ぎ澄まされた斬撃の痕跡に他ならない。こんな神業ができるのは――
「街へ入った途端、頭のおかしい女に襲われたのよ。まったく、どうなってんのこの街」
「赤髪の女騎士に魔物に成りすました勇者がどうとか難癖をつけられまして。神官さん、心当たりありませんか?」
めっちゃある。