目を覚ますと、見知らぬ部屋で椅子に縛り付けられていた。
「クソがーッ!! リエールどこだッ、出てこい!!」
俺は怯えた小型犬の如くギャンギャンと吠える。
くそっ、とうとうやりやがった。監禁とはベタな真似を。まぁ正直いつかやるんじゃないかとは思ってたけど、実際にやられると精神にクるものがある。
昨日なにがあった? 俺は必死に頭を回す。いや、特に変わったことはなかった。普通に自室で就寝したはず。まぁリエールならば眠っている俺を拉致することなど容易いか。
俺が騒いだのを聞きつけたか。鉄扉の向こうからトントンとリズミカルな足音が近付いてくる。
重い扉を軋ませながら入ってきたのは、パステルイカれ女――という俺の予想は見事に外れた。
ロージャだ。
「なぁんだ。リエールじゃないのか。良かったぁ~」
パステルさんへの行き過ぎた恐怖心から頭がバグった俺は、安堵感のあまり固い椅子の背もたれに体重を預けて脱力する。
ロージャは目を見開いて俺を見る。
「な、なぜリラックスしているの……?」
「秘密警察管轄の独房にぶち込まれていたのでは?」
なんとも解せないといった表情を浮かべるロージャに尋ねる。
するとロージャはふふんと鼻を鳴らした。
「あんな素人の拘束を解くことなんてワケないもの。それよりも、自分のことを心配したら? 庭に生えてる魔族。教会にどうしてあんなものがあるの? あんたが植えたの? なんのために? 答えなさい」
ロージャはそう言って、脱力しきった俺の髪をひっつかむ。イテテ。
なんだよ急に。前は植物のことなんてどうでも良いから星を返せとか言ってたくせに。言動が支離滅裂じゃねぇか。
はっ。そうか。これはロージャの単独行動ではなく、ルイの指示の元での計画的犯行。
なら逃げだすのは困難だ。よし、ゲロっちゃお。
「答えます答えますとも。勇者のオリヴィエってのがいるんです。顔は小綺麗なんですが変態でね。そいつがどっかのダンジョンから拾ってきた種をあろうことか教会に植えたんですよ。まったく困ったものですよね。もちろん魔物の種だなんて分かってたら命を懸けてでも止めていましたが。でもその時は戦いに疲れた勇者の癒しになればと思ったんです。で、育ってみたらあの強さでしょう。もはや駆除もできず。下手に暴れられては困るので、ああやって私が水などをやってご機嫌をとっているというわけです。危険な任務ですがね。街のためとあらば仕方がありません」
ロージャは呆然とした表情で俺の顔を見下ろす。
そして俺の髪をますます強く引っ張った。イテテ、やめろ抜ける抜ける。
「よくもまぁペラペラと。そんな嘘が通用すると思ってるの?」
「本当ですよ、全部真実ですって」
「まぁ良いわ。これからゆっくり話してくれれば良いから。神官の尋問って初めてだから緊張する」
ロージャは俺の髪から手を放し、その長い爪で俺の首筋をツツツとなぞる。
ま、待って待って。尋問でそこイジっちゃだめだよ。そこは一撃で仕留めるときにイジる場所だよ。いや、プロなんだからその辺は心得てると思うけど……
俺は念のため、恐る恐る尋ねる。
「あの、今まで尋問したのってどんな奴らですか?」
「んー? そうね、オークとかぁ、ゴブリンとかぁ」
ロージャはそう言いながらも俺の首をぐりぐりする。頸動脈を探しているのか?
俺は念のため彼女に人体の神秘について説明をしておく。
「人は通常そこを傷付けられると即死するんですが」
「え?」
首を傾げるロージャ。
……さすがに冗談だよな?
しかし魔物の尋問ばかりしていたのはマジっぽい。魔物に尋問なんて効くのかよ。
いや、そんな事より自分の心配だ。人間ってのは弱い。女神の加護で強化され、鍛錬を積んだ勇者ですらその辺のオークの拳をまともに受ければ普通に死ぬ。だからこそ、勇者には蘇生という救済措置が与えられているのだ。
そんな脆弱な勇者を下回る脆弱オブ脆弱な肉体を持ち、かつ女神の加護を持たない俺である。オーク感覚で拷問なんてされたら秒死ですよ。
なんなの? 最近俺の周りに“拷問”って単語多くない? 俺の職業神官なんですけど。
小鹿のように震えていると、ロージャは片目を閉じて魅惑的に微笑んだ。
「今道具を取って来るわね」
そう言って、ロージャは堅牢なドアの向こうに引っ込んでいった。
トントントントン……
リズミカルな足音が遠ざかっていく。
クソッ、逃げなきゃ逃げなきゃ。
ふざけやがって、俺はマゾじゃねぇ。この狂った世界で、性癖くらいはノーマルでありたいんだ……!
俺は隠し持っていた女神像(極小)を袖から出す。首を二回引くと、足の部分からシャコンと小さな刃が飛び出てくる。
前々から拉致監禁の予感はしていた。
こんな時のため、パジャマにも小道具を仕込んでおいて良かった。
しかし……こんな小さなナイフでは拘束を解くのが精いっぱい。
いや、たとえロングソードがこの場にあったとしてもロージャにはまず勝てまい。
とりあえず、俺はダンゴムシのように膝を抱えて椅子の下に隠れた。多分丸見えだ。
頼む~、誰か助けに来てくれ。
俺の可愛い聖騎士はなにをしているんだ! 仕方ない、この際パステルさんでも良いから。いや、やっぱりパステルさんは嫌かなぁ……
しかし部屋には誰も来なかった。そう、道具を取りに行ったロージャすら。
恐る恐る鉄扉に手を掛ける。
……鍵はかかってない。どういうことだ。罠なのか?
しかし悩んでいても仕方がない。扉の軋む音が俺の心拍数を跳ね上げさせる。しかし音に反応して誰かが近付いてくることはなかった。
やはり俺が囚われていたのは地下室だった。鉄扉を開けると、すぐに階段があらわれた。恐る恐る上ってく。
どうやら普通の小屋みたいだ。人気はない。ロージャになにがあったのかは知らないが、しめた。チャンスだ。
俺は必死になって外へ出る。不思議な力で扉が開かない――などもなく、普通に外へ出られた。
真夜中だ。酒場からも灯が消え、人通りはなく、街そのものが眠っているかのよう。
踏み出した俺の足が、びちゃりと湿っぽい音を響かせる。やべっ、水たまり踏んだ。
……ん?
俺は慌ててひっこめた脚を見る。水溜まりじゃ、ない?
煌々と輝く満月が街のシルエットを浮かび上がらせる。
ポツポツと続く惨劇の跡。血だ。あちこちにあるのは、俺が踏んだのは、水溜まりではなく血溜まり。
なんだ? 何が起きている? 昼間はこんなもの無かったのに。
「なっ……し、神官さん、どうしてここに」
突然かけられた声に心臓が飛び上がる。
俺は弾かれたように振り返り、その姿にほっと息を吐いた。
秘密警察だ。黒ずくめのヤツらの服は夜の闇によく溶ける。
これで安心だ。俺は助けを求めようと口を開きかけて、そのまま絶句した。
ヤツの背後にひっ付いているのは大量の棺桶。
秘密警察は怯えたような視線をあちこちに飛ばしながら俺の手を掴む。
「危険です、行きましょう」
「なにが起きたんです」
棺桶と並走しながら尋ねる。すると秘密警察はギリリと奥歯を噛み締めて言う。
「出たんです……バケモノが……」
「バケモノ?」
首を傾げて問い返す。
しかし、どうやら悠長に質疑応答できる状態にはないようだ。
何かを感じたらしい秘密警察隊員が、短く息を呑んで足を止める。
「マズイ……隠れて!」
俺は半ば無理矢理箱の中に押し込められる。くそっ、この箱魚でも入ってたのか? 生臭くて鼻が曲がりそうだぜ。
木の隙間から外の様子が窺える。秘密警察隊員君も積まれた箱の影に隠れたようだ。
だが……頭隠して尻も隠して、しかし棺桶までは隠せなかったらしい。隊員君を先頭に、棺桶たちが行列を作っている。
これじゃあ隠れている意味ないじゃないか。
その通りだった。
凄まじい勢いで街をかける小さな人影が、いとも容易く隊員君を見つけ出し短剣で彼の首を切り裂く。
あっけなく命を落とした秘密警察最後の生き残りは、血を撒き散らし一際激しく発光すると棺桶と共に消えた。全滅したため教会へ転送されたのだろう。
大量の返り血を浴びた人影が、人間には通常無い位置にある耳をピコピコと動かす。
血に濡れた刃が月明かりを浴びてギラギラと輝く。
俺は声を上げそうになるのを必死になって噛み殺す。
――――どうして、ルビベルが。
まるで夢遊病患者の如く、あるいは血に飢えた狼が獲物を探して彷徨うが如く、ルビベルはフラフラと歩き出す。
俺は箱の中から空を見る。
暗闇の中に、蒼白い月だけがぽっかりと浮かんでいる。
俺は変態紳士ハンバートの言葉を思い出した。
『予言しておきましょう。あなた方は必ずこの僕を頼ることになる』
『もうすぐ満月だ』