「うむ」
会心の出来だ。
俺は腕を組み、教会の壁に飾った額縁を見上げる。少し曲がっているかな?
手を伸ばし、額縁をちょいちょいと直す。これで良し。
「“いのちだいじに”」
俺は額縁の中の言葉を声に出して読み上げる。
良い言葉だ。勇者たちの脳みそか心臓に刻み付けてやりたいね。でもそれをすると蘇生に影響が出るから、こうして紙に書いて教会の壁なんぞに貼っている。
まぁ、どこまで効果があるかは疑問だが……
俺は真新しいわりに赤いシミに塗れたカーペットを見下ろして嘆く。
せっかく新築にしたのに、もうこれだよ。
できる限りの掃除はしたが、客人を迎え入れるにあたって完璧な体制を整えられたとは言い難いね。
だがもう時間は無いようだ。教会の扉が開く。
「よぉ、ユリウス。久々だな」
片手を上げてそう挨拶をする客人に俺は目を見張った。
俺の頭の中に王都でのろくでもない青春時代が駆け巡る。
教会の建物と共にぶっ壊された結界を張りなおすべく神官が派遣されるというのは聞いていたが、まさか神官学校の恩師に会えるとは。教会本部もなかなか粋なことをするじゃねぇか。
俺は優等生スマイルを顔に張り付ける。
「お会いできて嬉しいです、ラザロ先生」
「いやぁ、大活躍らしいね。神官なのに前線出たんでしょ? 凄いじゃん」
「いえ、当然のことをしたまでです」
この教師は特別生徒に慕われるようなタイプではなかった。だが俺はこのタイプの教師が嫌いじゃない。テキトーでむやみに生徒に干渉しない姿勢が良い。だからって大して話をしたことはないから特別好きというわけでもないが。
とはいえ、ここでヤツとの交流を深めるのは悪くない。この若さで神官学校の教壇に立っているという事実はラザロが有能な神官であることを示している。
俺は心のうちで舌なめずりをしながら、ラザロに椅子を勧める。腰を下ろせば口を開く余裕が生まれる。仕事とは関係のない雑談こそ、交流を深めるカギになり得るのだ。
「長旅でお疲れでしょう。道中トラブルはありませんでした?」
「ああ。ちゃんと護衛も付いてたからな。それに、実はここに来るのは初めてじゃないんだ」
「え? 前にも結界を張ったことが?」
俺の問いにラザロは首を振り、へらりと笑った。
「俺もここの神官やったことあるんだよ。数か月だけのヘルプだけど。この教会ってお前が入るまで長らく神官不在でさ。持ち回りでやってたんだよね。正直ここでの生活は地獄だったわ」
うぅ……
ラザロの担当教科は蘇生学だ。そのラザロすらここでの生活を“地獄”と形容した。やはりここは数ある教会の中でも最悪の環境ってことだ。
どうにかしてこの教会から逃れたい。そのためには力を持った協力者が必要だ。俺は拳を強く握り、ラザロを力強く見つめる。どんな細いチャンスも逃しちゃダメだ。コイツが俺を救う蜘蛛の糸になり得るかもしれないのだから。
だが俺の期待をよそに、ラザロはとんでもない事実を平然と呟いた。
「実はさ、この教会にお前を推したの俺なんだよね」
「……は!?」
「お前蘇生学の成績はトップだったろ。まぁシャルルほどの優等生じゃなかったけど器用だし、変に図太いとこあるしさ。向いてるかなと思って」
「ま、待ってくださいよ……教え子を地獄に突き落としたんですか……」
「不満だったか? でも噂を聞いてると、俺の勘は間違いじゃなかったと思うよ。現に上手くやってるじゃん」
くそっ、やってしまった。俺は頭を抱える。
この街で上手くやればやるほど自分の首を絞める!
俺は頭を抱え、背もたれに体重を預けて天を仰ぐ。
……くくく。いいぜ。なら、俺がこの街でどんな生活をしているか見せてやる。
臨時のバイト神官の見た地獄と俺の見ている景色は一味違うぜ?
「しっかし建て直したってのに造りは全然変わんないのな。どうせならガラッと変えちゃえばよかったのに。この女神像だって、もっとグラマラスに――ん? なんだこれ」
女神像の台座に手を這わせるラザロ。
俺は開いた手を口元にやり、大袈裟に驚く。
「あっ、ダメですよセンセー!」
しかしもう遅い。くく……まぁ、あえて止められないタイミングで声を上げたのだが。
ヤツが台座のボタンに手を掛けた瞬間、ビュンと風音を響かせてラザロの鼻先を巨大な鎌が掠めた。
「ひっ……」
石化でもされたみたいに固まるラザロ。
俺は「も~!」と初々しさと若々しさを前面に押し出した声を上げながらラザロに駆け寄っていく。
「むやみに触らないでくださいよ。あちこちに罠を張ってるんですから」
「わ、罠? 教会に?」
ラザロは恐怖に体を硬直させながら目線だけこちらへ向ける。
ヤツが驚くのも無理はない。普通の教会にはそんなもの必要ないからな。だがここは最前線の街、フェーゲフォイアーである。
「身を守るためですよ。勇者から。先生は使わなかったですか?」
「使わないだろ……ってか勇者が神官襲っても仕方ないじゃん……」
「世の中には想像以上の馬鹿や変態がいるんですよ」
俺は硬直したラザロにニッコリ笑いかける。
ではお忙しい中はるばる王都から来ていただいた大先生にお仕事をお願いするとしましょうかね。
俺は半ば強引にラザロを中庭へと連れていく。
いやぁ、良い天気だ。結界日和ですよこれは。
マーガレットちゃんも暖かな日差しを浴びて気持ちよさそうだ。
のびのびとツタを伸ばし、まっすぐに俺の体に巻き付ける。
「あー!? ユリウスーッ!!」
マーガレットちゃんに引き寄せられていく俺を見てラザロが悲鳴を上げている。
そんなに怖がることはない。マーガレットちゃんは特定の変態以外を殺さない、心優しい魔族なのだから……
「な、なぜ教会にこんなものが。アルラウネ? そんな雑魚じゃないな。いや、それよりも」
ラザロが目に見えて狼狽えている。
何を思ったか。地面を蹴って駆け出したかと思うと、高い塀をよじ登り始めた。
「なにやってんですか。危ないですよぉ」
例によってマーガレットちゃんに花粉塗れにされながら、俺はラザロに声をかける。
しかしラザロは俺の声を無視し、塀を乗り越えて教会の外へ飛び降りる。
逃げる気か? いや、そうではない。
マーガレットちゃんに持ち上げてもらい、俺は塀の上からラザロを見下ろす。
ヤツは塀の外をウロウロしながら塀を見上げたり俯いたりしてうんうん唸っている。
「なにしてんすか?」
「おい、塀より上に上がるんじゃねぇよ。うん、外からならあのバケモノは見えねぇな。よし。俺は中庭には入ってない。外からささっと結界はって、さっさと帰ってきた。オーケー、これでいくからな。俺は教会に生えた魔物なんて見てない」
こ、こいつ……真っ先に保身を……!?
ククク。なるほどな。だてに教会本部に身を置いてねぇわけだ。
コイツは良い。偉くなりそうだぜ。
俺の異動届は受理されない。こんなヤバい教会の神官になりたいヤツなんていないからな。ババ抜きと同じだ。俺がババを持っている限り、他の人間は安全。だから俺はカードを引く権利も手札を誰かに引かせる権利も取り上げられているのだ。
俺がこの教会から自由になるには、鶴の一声が必要なんだ。
ラザロは鶴になり得るかもしれない……俺はマーガレットちゃんに頬ずりされながらニンマリ笑う。
おや? これまた学生時代を思い出す顔が。
息を切らして中庭に入ってきたのはルッツである。良いところに来た。ヤツも母校の恩師の顔が見られるのは嬉しいだろう。
だが、そんなことを言い出せる状況ではないらしい。ルッツはマーガレットちゃんに絡まれた俺を見てギョッとしながらも、珍しく切羽詰まった声を上げる。
「大変だユリウス……また荒地の魔族が攻めてきたぞ!」
……どうやら、旧交を温める暇はなさそうだ。