不味い。不味いよこれは。
なんで俺がこんな思いしなきゃならんのだ。
俺は善意の塊だ。なんせ神官だからな。その俺が、気まぐれにとはいえ善意からやった行動の結果がこれか?
神は一体なにやってやがる。敬虔な信徒が過労死しそうになっているというのに、職務怠慢にも程があるんじゃないのか。
「いやぁ、困りましたね……ねぇ神官様。神官様?」
「……えっ?」
「大丈夫ですか? 相当疲れてるんですね。顔色が悪いですよ」
オリヴィエが心配そうに俺を覗き込んでくる。
「今日も死者が多いですもんね。この辺の魔物が凶悪なのは今に始まったことじゃありませんけど、まさかプラチナスライムまで凶暴化するなんて。つくづく魔境ですよ、ここは。しばらくは冒険に出られそうにありません」
うっ……
「ちょっ、神官様? 熱でもあるんですか。汗が酷いですよ」
お、俺は悪くない。俺は悪くないぞ。
そうだ、なにもあのプラチナスライムとは限らないじゃないか。ヤツらの生息数は多くはないが、だからと言ってあの一体しかいないなんてことはないだろう。スライムだって地面から湧いて出るわけではないんだ。親や兄弟がいたっておかしくはない。いや、いて然るべきだ。
だいたい俺が治療したプラチナスライムはなんとなく優しげだった。勇者の大量殺戮なんて大それたことをするはずがない。第一プラチナスライムってのは本来臆病な性格だ。人間を積極的に襲うような種族じゃないんだ。
そうだ、勇者が悪いんじゃないのか?
うん。そうだな。そうに違いない。本来温厚な性格のスライムを虐殺に走らせるような煽情的な弱さをしてる勇者が悪いのだ。
なんだよ、そんな目で見んなよ。文句あるなら口で言えよ。おっと、死人に口なしだったな。
俺は祭壇前に転がった勇者の濁った眼を閉じさせる。うえっ、プラチナスライムの銀色の体液でぬちょぬちょだ。
ん?
俺は振り返る。仮面越しに見えるギラついた眼。
「神官さん、ちょっとご同行お願いします」
言葉とは裏腹に、有無を言わさぬ勢いで俺の腕を掴む秘密警察たち。
一体なんだっていうんだ。
秘密警察たちは俺の疑問を察したかのようにニヤリと笑った。
「裁判ですよ」
*****
「――被告人の軽率な行動が勇者に多大な損害を与えたことは説明するまでもありません。我々秘密検察は被告人に死刑を求刑します」
ひっ。
こめかみのあたりから噴き出た汗が喉元を伝う。
暇に任せて傍聴席に集まった勇者たちから「殺せ」コールが上がる。
こんなのはプラチナスライムにぼっこぼこにされた勇者たちの八つ当たりだ。いや、違うな。ヤツらにとって魔物に殺されることなど文字通り日常茶飯事。そんなことで八つ当たりなどしていたらきりがない。これは暇つぶしだ。殺戮プラチナスライムのせいで冒険へ出られない勇者の暇つぶし。
だが暇つぶしで殺されるなんて当事者にしてみればたまったものじゃない。
他人事ながら同情するよ。
「ふっっっざけんなクソが!!」
秘密警察――いや、今は秘密検察だっけ? 黒ずくめの怪しげな集団に拘束されたグラムが力の限り叫ぶ。
罪人の悪態など傍聴席を沸かせる燃料にしかならないというのに。ほら、殺せコールが大きくなった。
しかしグラムは割れんばかりの殺せコールをねじ伏せるような怒声を広場に響かせる。
「裁判って言うならよ! 俺の話もちゃんと聞けよ!! た、確かに俺は金に困ってプラチナスライムを街に入れた。認める、それは認める! だがカゴから逃したのは死にたがりの馬鹿……カタリナだ」
「わ、私!?」
瞬間、殺せコールが弱まり傍聴席からカタリナが吐き出される。
泥沼法廷バトル――それはグラムをただ処刑するよりも暇を持て余した勇者を楽しませると判断されたようだ。
悲しいかな。この裁判において基準とされるのは法律でもましてや正義でもなく、“傍聴席にいる観客がどれくらい楽しめるか”なのだ。
さて、残念ながら柵に守られた観客からいつ首がとんでもおかしくない演者に落ちてしまったカタリナは、身を縮こませながらも自らの潔白を訴える。
「わ、私は……そんなの知りません。濡れ衣もいいとこです」
「ウソつくんじゃねぇ死にたがり! テメーが死ね!!」
おっと、水掛け論に発展しそうだ。どうする?
「では証人をここへ」
あぁ、証人とかも用意してんのか。公開処刑の前座かと思ったら、案外本格的な裁判だな。
ん? なんで背中押すの? えっ、証人って俺かよ!
法廷に吐き出された俺は、困惑しながらも背筋を伸ばす。
そうだ、堂々としろ。大丈夫、俺は容疑者ではない。ただの証人なんだ。聞かれたことに答えればよいのだ。
「今のカタリナの証言はまったくの嘘です。彼女はプラチナスライムを逃してしまったことを認めていましたし、スライムを探して教会にも来ていました。プラチナスライムを食べるためだそうです」
「し、神官さーん!」
カタリナの助けを求めるように俺に向けられた手が、あっさりと秘密検察によって背中に回される。
すまんなカタリナ。だが法廷で情けは無用。
秘密検察がへらへら笑いながら俯くカタリナの顔を覗き込む。
「も~、嘘はダメですよ嘘は。ここは法廷ですから。次から嘘つくたびに指一本ずつ折っていきますからね~アハハ」
そう、ここは法廷だ。どこの世界に容疑者の指を折っていく法廷が存在する?
悪趣味な冗談……だよな?
とにかく法廷に妙な緊張感が生まれた。もう下手なことは言えない。俺だってそうだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! 確かに私も探してました。でも! でもわざとカゴを壊したわけじゃないんですぅ。わ、私は魔導師ですよ!? 非力な魔導師の女がちょっと触った程度で壊れるようなカゴに魔物を入れておくグラムさんに問題があるとは思いませんか?」
なーにが“非力な魔導師の女”だ。お前は真っ先に魔物の群れに突っ込んで杖で魔物ぶん殴るタイプの魔導師だろ。お前の死体見れば分かんだよ。
傍聴席から向けられる白い眼に射貫かれながら、カタリナがなおも声を張り上げる。
「ほ、本当なんですって! そうだカゴ。カゴ見せてください。証拠品です!」
おうおう、いつも死んでいるくせに死刑は嫌なのか。
しかし観衆は罪人の無駄な足掻きが大好きだ。秘密検察も準備が良い。すぐにカゴを法廷に出した。
昨日グラムが怒りに任せて投げ捨てたヤツだ。鳥カゴに似た形の、編み目の細かいカゴ。扉がひしゃげてしまっている。カタリナの肩を持つつもりはないが、確かに魔物を閉じ込めるにしては頼りない。
「そ、そのカゴでも十分にプラチナスライムを閉じ込めておけてたんだ。死にたがりが飛びついて壊すまではな」
「いいえ! いくらスライムでも、こんなオモチャみたいなカゴで閉じ込めておけるなんておかしいです! し、しかもあのスライムはただのスライムじゃない……みんなだって見たでしょう!? あれは、そう……殺戮の……いや、虐殺の……ううん、ジェノサイド! プラチナジェノサイドスライムです!」
なにカッコイイ感じの名前付けてんだ。
カタリナが「ハマった!」みたいな顔しながらカゴに手を伸ばす。
「プラチナジェノサイドスライムをこんなカゴで閉じ込めておけるはずないんです。……ん? これ」
カタリナがカゴをつうっと撫でる。
ヤツの細い指を濡らす、銀色の液体。
「ッ……!」
思わず息を呑む。
や、やばい。
「これ、血です。プラチナスライムの血ですよ。怪我してたんです。だからカゴから出る力がなかった」
カタリナは腕を組み、顎に手をやる。
「おかしいです……ジェノサイドスライムに傷なんてありませんでした。元気に勇者を殺戮してましたもん」
「な、なら別個体なのでは? 連れ去られたスライムは街中でひっそりと息絶え、仲間が仇を討つために殺戮を繰り返しているとか……無い話ではないでしょう?」
思わず口を出してしまった。良くない流れだ。なんとかこの流れを断ち切りたかったのだが。
「それは違います!」
ぐっ!?
な、なんだあの溢れる自信は。
傍聴席も殺せコールを忘れ、カタリナの推理に聞き入っている。
「目撃情報があるんです。街から飛び出していくスライムを多くの勇者たちが目撃しています」
クソッ、そういえばあの時勇者の群れが元気になったプラチナスライムを追いかけていたな……
「その時のスライムの動きは俊敏だったそうです。誰も捕まえられなかった。つまり、カゴから逃げ出し、街を出るまでの空白の時間にスライムは急速に傷を治したことになります。プラチナスライムは回復魔法を扱えないはず。とすると」
一呼吸置き、カタリナはすうっとこちらに視線を移して冷徹に言う。
「……神官さん。私たちがスライムを探しているとき、教会を出ていきましたよね。一体何をしていたんですか」
ひっ……
な、なんだよコイツ。名探偵かよ。
大丈夫だ、落ち着け。証拠はないんだ。表情を変えるな。平然と答えろ。
「なにって、散歩ですよ。そう言ったじゃないですか」
「雨の日に? 用もないのに散歩ですか?」
クソがッ!! いつも考えなしに魔物に突っ込んで死ぬくせになんでこういう時だけ頭が回んだよ!
「あ、貴方たちがスライムがどうとか言ってわーわーうるさかったから、避難しただけです」
くっ、苦しい。苦しい言い訳だ。教会がわーわーうるさいのは今に始まったことじゃない。
不味いぞ。傍聴席から疑いの視線が向けられるのを感じる。
向こうにも証拠はないが、俺にも無実を証明する証拠がない。っていうか実際俺がやったんだし。
このまま騒ぎが大きくなって、俺がスライムを回復させていたのを見たなんていう連中が現れれば詰みだ。
泥沼法廷バトルを白熱させるために嘘の証言をする者すら現れかねないぞ。暇というのは時に人を狂気に染め上げる。
ふざけんな、なんで俺がこんな目に合わなきゃならんのだ。
なぁ、頼むよ神様。毎日こんなに勇者蘇生させてんだぜ。ちったぁ俺の祈りも聞いてくれよ。もう神様じゃなくても良い。誰か俺を救ってくれ!
「……ん? なんだ?」
俺の祈りが通じたのだろうか。
だが多分通じた先は神様じゃない。もっと邪悪でロクでもないもんだ。
「こ、これ……」
傍聴席最前列にいた勇者の一人が、銀色の液体を手ですくい首を傾げながら顔を近付ける。瞬間、液体は凄まじい勢いで飛び上がって顔に張り付き、べギョッという聞いたことのない音を立てた。張り付いた銀の液体が赤黒く染まっていく。
今まで柵の外の安全地帯からヤジを飛ばしていただけだった観客が一斉に悲鳴を上げた。
しかし石畳の隙間からジワリと銀の粘液が染み出し、瞬く間に傍聴席が銀色に染まっていく。逃げ惑う勇者たちに吹っ飛ばされ、俺はなすすべなく石畳の上に転がった。
「スライムだ! ジェノスラだ!!」
「ちょ、略さないでください。プラチナジェノサイドスライムなんで」
カタリナの文句など誰も聞いちゃいない。
これがジェノスラ……俺も勇者たちの話と死体の損傷具合から想像するしかなく直接見たのは初めてだ。しかし、これは酷い。
あの小さくて速いだけのプラチナスライムがいったいなにをどうすればこんなに大きくなるのか。
地面から染み出したスライムは一か所に集まり、くっつき、巨大なスライムへと変身する。
「た、助け――」
逃げ惑う勇者たちの断末魔をも飲み込み、ジェノスラの銀色の体が勇者の血により赤黒く変色していく。
体のあちこちから勇者の手やら足やら頭やらを突き出したその姿は、もはやスライムというより邪神とでも言われた方がしっくりくるくらいに禍々しい。
スライムはぷるんと丸い体から、にょきにょきと触手を生やしこちらへと伸ばす。
そして気配を消して難を逃れようとしていたグラムを鷲掴み、ぷるんとした体に放り込んだ。
「や、やめ」
悲鳴ごとスライムの体に沈んでいくグラム。
まだ食い足りないとばかりにさらに触手が伸びる。
「ス、スライムちゃん久しぶり! なんか雰囲気変わった?」
カタリナがフレンドリー作戦に打って出る。
「あ、髪切った?」
くだらないセリフと共にスライムの体に沈んでいく。
気付けば広場に集まっていた勇者はみなスライムに飲まれて消えてしまった。
あぁ、バチが当たったんだ。経験を積むためにプラチナスライムを追いまわしたバチが。
だが俺は神官だ。関係ない!
しかし勇者が敵わなかった魔物を俺がどうこうできるはずもない。逃げたいが、恐怖で腰が立たない。
俺はガタガタと震えながら、邪神と化したジェノスラを見上げる。
ジェノスラも俺をじっと見ているような気がした。その視線に、どこかデジャブを感じる。
「やっぱりお前、あの時の……」
ジェノスラがにょきにょきと触手を作り出す。
グラムやカタリナを飲み込んだ時とは違う、子供の腕のような小さな触手だ。そいつが俺の足へ伸びる。転んだときに擦り剥いたらしい。血が滲んでいた膝が、ジェノスラが撫でたことにより血でベッタベタになった。飲み込んだ勇者の血がジェノスラの体から漏れ出ているのだ。
多分心配してくれているのだろう。俺が回復魔法を使ったときの真似だったのかもしれない。しかし傷口に他人の血を塗られるのは正直気持ちの良いものではない。
俺は顔が引き攣りそうになるのを押さえながら、ジェノスラに言葉だけの礼を言う。
「ありがとう。私は大丈夫だから、もう森へお帰り」
スライムはぷるぷると体を揺らすと、溶けるように地面に吸い込まれていった。
静かになった広場で、俺は一人静かにたたずむ。
助かった……のか?
いろんな種類の危機が迫りすぎて、まだ整理が追いつかない。
しかし、結果的には助かった。ジェノスラのお陰で裁判も有耶無耶だ。やはり俺の善意の行動は間違ってなかったんだ。
とか思ったけどよくよく考えたらスライムを助けなければ裁判も起きなかっただろうし、結果的にも全然助かってなかった。
教会に帰ると、スライムに丸呑みにされた勇者の成れの果てが山になっていたからである。
これは過労死コースですね。