「ギャーッ!!」
俺は絶叫した。
久々に帰った職場兼自宅に死刑級の指名手配犯がいる恐怖といったら、想像を絶するものだった。
俺はババアに飛びつき、その逞しい胸板でわんわん泣く。
「騙されちゃいけません! そいつヤバいヤツですよ! 教会から破門されて、指名手配されてて、人面ヒュドラとかっ、とにかくヤバいヤツなんでヘブッ」
凄まじい衝撃。気付いた時、俺は教会のカーペットの上をゴロゴロと転がっていた。
な、なに……? 頬がじんじんする。く、首が取れるかと思った……っていうか取れてない? 取れてないか。
どうやら病み上がりの俺にビンタをぶちかましたらしいババアが、鋭い眼光を向けて言う。
「レディの体に気安く触れるものじゃないよ」
「アッ……スミマセン……」
首をさすりながら謝ると、ババアは腰に手を当ててため息を吐く。
「アタシはこの街が開拓地だったころから住んでいるんだ。もちろんコイツのことは知ってるさ。顔だって見たくなかったし、神官さんが教会にコイツを入れたくない気持ちも分かる。でも今は藁にも罪人にも縋りたい状況だったんだよ」
縋る?
俺は首を傾げた。俺のいない間に、勇者の人体改造をしなければならない事件でもあったのか? まぁこの街じゃあり得なくもないのが悲しいところだが……
「神官さんの留守中、先生が私たちの蘇生をしてくれてたんですよ! 闇オークション会場で死んだ勇者も、先生が生き返らせてくれました」
カタリナの言葉に、マッドもにこやかに頷く。
「まぁ破門されて女神様に嫌われてしまったのか、現役時代のようにとはいかなかったけどね。女将さんの監視付きだったし」
「あの、教会本部から臨時の神官が派遣されたはずでは?」
するとババアは頭痛を堪える様な表情でぽつりぽつりと話し出す。
「来るはず……だったんだけど、神官が待てど暮らせど来なかったんだ。本部に問い合わせても、到着をしばし待つようにとしか」
神官が来なかっただと? まぁあり得そうな話ではある。
来る途中魔物に襲われたか、あるいはフェーゲフォイアーが嫌すぎて逃げ出したか……
「近隣の教会はあまりに遠いからね。フェーゲフォイアーを拠点としてる勇者にとって、この教会はまさに命綱なんだよ。破門された大罪人の元神官の手だって借りたかったのさ」
なるほど。確かに元神官ならば蘇生もできるのだろうが。
……いや、待てよ。この街にはもう一人、正式な神官がいるはずだ。
「あの、ルッツは?」
尋ねると、ババアは静かに首をふった。
そうか……ダメか……
「君に会いにフェーゲフォイアーまで来たんだが、怪我をして療養していたと言うじゃないか。入院してたのが王都の教会付属病院じゃなければ俺が治療に行っていたところだよ」
マッド男がにこやかに言う。
俺は心から安堵した。よかった、王都で療養してて……
しかし、確かにヤツならばもっとスムーズに治療ができたのかもしれないな。そのへんの医者より人体に精通してるのは間違いない。
マッドは申し訳なさそうに眉尻を下げ、胸に手を当てる。
「オークションの時はごめん。気の合いそうな人間を見つけたものだから、つい興奮してしまって。俺は昔から人に理解されないことが多かった……孤独に生きてきたんだ。だからユリウス君と会えたのが嬉しくてね。でもそんなのは正常な友情じゃないって気付いたから、こうして君に会いに来たんだ。今からでも俺と友達になってくれないかな? 同じ職場で働いていたこともあるし、色々教えてあげられることもあると思うんだ」
ううむ、確かに他にこんな職場はない。俺の仕事の大変さを本当に理解できるのは、もしかしたらヤツだけなのかもしれない。
「先生いい人ですよ〜、それくらい良いじゃないですか〜」
カタリナが気の抜けた声で俺を揺すってくる。
うーん、でも子供じゃないんだから“お友達になりましょう”とか言われてもな〜
ん? マッドの白衣から本がバサッと落ちる。
「おっと、失礼」
そそくさと拾い上げるマッド。その見覚えのある表紙に、俺は思わず声を上げた。
「洗脳古今東西! それ私も持ってます〜!」
「えっ、ほんと? ユリウス君はどの洗脳が好き?」
「うーん、そうですね〜」
しかし俺がお気に入りの洗脳方法を口にするより早く、視界の端から巨体が俊敏に迫って来た。
「神官さんッ!」
「ヘブッ」
凄まじい衝撃。気付いた時、俺は教会のカーペットの上をゴロゴロと転がっていた。
な、なに……? 頬がじんじんする。く、首が取れるかと思った……っていうか取れてない? 取れてないか。
どうやら再び病み上がりの俺にビンタをぶちかましたらしいババアは、鋭い眼光を俺に向けて言う。
「なにか……なにか変だよ。しっかりしな!」
痛ってぇ。俺は頬を押さえて痛みに震える。
だがお陰で頭がスッキリした。というか、今まで頭がボーッとしていたことに気付いたというべきか。
こんなヤツと友達になるなんて正気じゃない。なんで俺はほんの少しでもコイツの提案に乗ろうと考えたんだ? まるでヤツへの警戒心がごっそりと切り取られたようだった。
俺はカタリナを見る。微妙に焦点があっておらず、足取りもふらふらとしている。
「なにやってるんですか〜、乱暴はダメですヘブッ」
同じくババアからビンタを受けて吹っ飛ぶカタリナ。
カーペットに転がったカタリナが、ババアをキッと睨む。
「痛いですよ! 何するんですか!」
焦点もしっかり合い、口調ももとに戻っている。ババアのビンタで正気を取り戻したらしい。
ヤツは体を起こし顔を上げるなりピタリと視線を留め、口を半開きにして固まる。
「カタリナ?」
カタリナは小刻みに震えながら手を伸ばしなにかを指差す。
「ああ! 窓に! 窓に!」
つられて窓を見て、そして窓を見たことを後悔した。
触手だ。マーガレットちゃんのそれとは違う、深海生物感のある吸盤のついた触手。
窓の隙間から侵入したそれが、うにょうにょと蠢きながらピンク色のモヤのようなものを発している。
「ひいっ!?」
恐怖に足がすくみ動けないカタリナと俺を尻目に、ババアが果敢にも地面を蹴って駆け出した。
「コラァッ!!」
さすがに素手では分が悪いと考えたか。片手に自分が履いていたサンダルを携えている。
完全にゴキブリ殺す時と同じ戦闘スタイルのババアが窓を飛び越えて行くのをただただ見守ることしかできない。
ババアの姿が見えなくなり、我に返った俺たちはすすっと視線をマッドに向ける。
「……“ジッパー”ですか」
ウサギ頭の名を口にすると、マッドは目を細め、照れたように頭を掻いた。
「へへっ」
やっぱコイツだめだ。
俺は静かに教会からの立ち退きを言い渡した。