マッドがどうしてこんな強引なことしてまで俺をダンジョンに連れてきたのかはすぐに分かった。
「神官さん早く早く早く早く! ち、近くまで来てます。喰われるうぅ!」
生き残った最後の秘密警察が剣を手にガタガタと震えている。
曲がり角の向こうにいるのは紫のイボだらけの醜いカエル、ポイズンフロッグである。もう何人もの勇者がヤツに丸呑みにされては棺桶に変えられている。
恐怖で手先が震えないよう力をこめながら、俺は声をひそめて腰の引けた秘密警察を怒鳴りつける。
「静かにしてください貴方の声が大きいからこっち来るんですよ!」
ダンジョンの隅っこで大量の棺桶を抱え、蘇生をするのは至難の技だ。しかしやらねば今度は俺が死ぬことになる。勇者と違い、俺の命は替えの利かないかけがえのない代物だ。死の重みが違う!
お前もそうだろうが。なんでそんな落ち着いてんだ? マッドがのんびりとした動きで魔力供給ポーションを俺に差し出す。
「ユリウス君ポーション飲む?」
「貴方も手伝ってくださいよ!」
「俺がやってもポーション無駄にするだけだと思うからさ」
回復魔法程度なら問題なく使えるが、破門された元神官に蘇生は荷が重いようだ。全くできないわけではなさそうだが、体の修復に掛かる時間が俺と全然違う。多分技術とか手際とかそういう問題じゃない。やはり蘇生には女神の力が大きく関わっているらしい。
だからだ。だからマッドは蘇生の出来る正式な神官を――俺を連れてこざるを得なかったのだ。
このダンジョンを攻略するには文字通り、命がいくつあっても足りない。
「うあああぁぁぁッ!」
蘇生させるや否や、アイギスが剣を携えて角を飛び出していく。
カエルを踏みつぶしたような断末魔の悲鳴がダンジョン中に反響し、そして静かになった。俺たちは恐る恐る、曲がり角の向こうへ顔を出す。
紫の血だまりの中に、白い腹を向けてひっくり返ったポイズンフロッグとアイギスが佇んでいた。
「神官さん、お怪我は?」
「な、なんとか……」
俺は胸を撫で下ろす。ひとまず危機は乗り越えた。ひとまず、ではあるが……
やはりアイギスは強い。一騎当千とはこのことだ。ジッパーの探索と救助に彼女らを選んだのは正解だった。何度もルラック洞窟に潜っているだけあり、比較的危険の少ないルートや魔物への対策もよく考えられている。
秘密警察の働きぶりも、不安ではあるが思っていたよりは悪くない。単純な戦闘力ではアイギスにまったく敵わないが、地獄の訓練を耐え抜いた彼らとアイギスとの連携には目を見張るモノがある。もっと戦力になる別の人間を連れていくという案もあったが、これは大規模作戦ではない。出会うすべてのモンスターを倒す必要はないのだ。他のメンバーはすべてアイギスの補佐くらいが目立たなくてちょうど良い。
だがそんなアイギスをもってすら、このダンジョンの踏破は未だ叶っていない。しかも今回は足手まといを二人も連れている。
アイギスは剣に付いた血を振り払い、注意深く辺りを見回す。
「すみません、不覚をとりました。ここは我々にとっても未知の領域です。なにが起こるか分からない……あまり私から離れないようにお願いします」
「は、はい……」
先程の戦いで傷付いた秘密警察をマッドが回復させ、死んだ秘密警察を俺が蘇生させる。
俺とマッドがいるかぎり、我々が全滅することも戦力が減ることもない。しかし俺とマッドが死ねばすべて終わりだ……そして俺たちは甲斐甲斐しく外敵から守ってもらわねばあっという間に死んでしまう、赤ん坊も真っ青のか弱い人間である。
綱渡りだ。
順調そうに思えても、少しの油断で全滅しかねない。蘇生中はますます無防備にもなる。最速で終わらせなければ。
秘密警察全員の蘇生を終えた。また奥へ進まねばならない。絶望に押しつぶされそうだ。どうか生きて……できれば五体満足のままここを出られれば良いのだが……
誰かが俺の肩をトントンと叩く。なんだよ。振り返ると、この絶望的な状況に似合わぬマッドの満面の笑みが飛び込んでくる。
「ねぇねぇ、なんかさ。遠足みたいで楽しいよね」
テメー殺すぞ!!!
「ま、まぁまぁ。落ち着いて神官さん」
「ここダンジョンだから。変な小競り合いしないでくださいよぉ」
「神官さん意外とキレるんだよなぁ……」
秘密警察に羽交い絞めにされ、マッドから引き剥がされる。
しかし当のマッドは笑顔を崩さない。
「良いね。友達って感じ」
コイツの中の友達の概念どうなってんの?
もうダメだ……コイツにまともな感性を期待した俺がアホなのだ。
俺は秘密警察に全体重を預け、ゴツゴツした洞窟の天井を眺めながら口を開く。
「ジッパーは、近いですか?」
マッドが小瓶を取り出す。中で蠢くジッパーのクズ触手が激しく暴れまわっていた。
「近い。かなり近いよ」
喜ばしい知らせに多少気分が晴れる俺だが、対照的にマッドの顔は曇っていく。
「冒険も終わりかぁ……共に苦難を乗り越えることで友情も深まるっていうけど。深まった?」
俺は無視した。
お前との間に深まる友情などハナから持ち合わせてはいない。
「神官さん不在の間、先生が教会を守ってくださったことは感謝しています。ですが神官さんへの仕打ち……許されるものではありませんよ」
そうだよなぁ? そうだよなアイギスぅ。アイツ酷いヤツなんだよぉ。
俺はその赤髪をわしゃわしゃとしながらアイギスに縋る。
「っていうかなんでこんなとこに助手さんいるんですか? しかも一人でって、自殺願望でもあるんですか?」
俺が数刻前に聞いた質問と全く同じことを秘密警察が尋ねる。
するとマッドも先ほど俺に言ったのと全く同じことを答えた。
「里帰りだと思う。ここは彼女の故郷だからね」
「えっ、やっぱあの人魔物なんだ……」
んなわけないだろ。適当なこと言いやがって。
ジッパーの故郷は野盗に襲われ燃え落ちたと聞いている。どちらかが嘘を吐いているのだとしたら、それはマッドの方に違いない。
大方、研究の材料でも取りに行かせて戻れなくなってしまったのだろう。それだと格好がつかないからくだらん嘘で誤魔化してるんだ。
俺はデカいため息でヤツらの会話をかき消す。
「今はとにかく先へ進みましょう。説教と事情聴取はここを出てからです」
「そうだね。なにが起こるか分からない。ここの魔物は性格悪いから」
……ん?
俺はなにか引っかかるものを感じてマッドを見る。
「まるで来たことがあるような口ぶりですね」
「うん。来た事あるよ。こんなに深くまで来たのは初めてだけど」
マジかよ……すげぇなコイツ。死ぬのが怖くないのか?
あの教会で長く働くと自分の死すらどうでも良くなるのだろうか。恐ろしい。
「ん?」
いでっ。
アイギスが急に立ち止まるものだから、彼女の背中にゴツンとぶつかる。
「どうしました?」
「いえ……誰かに見られているような気がして」
秘密警察たちが一斉に辺りに目を配る。しかし俺たちの目に特に異常は映らない。アイギスも同様だったようだ。視線をゆっくりと前に向ける。
「気を付けて進みましょう。道が細くなっています」
地底湖に張り巡らされた足場は大理石のようにツルツルとしていて、非常に滑りやすい。そして湖には恐ろしい魔魚がうようよしている。
俺は息を吐き、リュックを下ろした。足が棒のようだ。毎日教会に押し込められている俺が、今日はもう何時間歩いた? 限界だ。
「すみません、誰か持ってくれませんか?」
俺のおろしたリュックに秘密警察がわらわらと群がる。
「リュックでかすぎじゃないですか? パンパンだし」
「人でも入ってるのかと思いましたよ」
んなわけねぇだろ。
……んなわけねぇよな?
俺は念のためリュックを開ける。よし、大丈夫。パステルカラーのものは一つもない。
「なに入ってるんです?」
「ポーションとか、あとは冒険に必要そうなあれこれを」
「冒険に必要……ですか? これ?」
「ええ」
秘密警察がリュックの中を覗き込む。
「女神像、葡萄ジュース、キャンディーに……うわっ、このビキニアーマーべとべとする!」
「ビキニアーマーではありません。水筒です」
「鍋じゃなかったんですか?」
ビキニアーマーはマーガレットちゃんに貰ったものである。さすがに蜜が満ちたままぶち込んだらリュックの中が悲惨なことになるので、蜜は容器に移して持ってきた。ゲン担ぎだ。あとはダンジョンに入ってから「うわ~、あれを持ってきておけばよかった~」と後悔しながら死にたくなかったので、なんか目に付いた使えそうなものは片っ端から持ってきてみた。
そう答えると、秘密警察達は呆れたように目を回す。
「神官さん時々馬鹿ですよね」
「自分で持つか、余計なもの捨てて下さい」
んだとコラ。
馬鹿に馬鹿と言われたことは死ぬほど不快だったが、ここで言い争っても仕方がない。俺は渋々リュックを背負う。
瞬間、内臓がふわりと片寄る感覚。ひとりでに視線が天井を向く。
「ッ!?」
荷物の重みでバランスを崩した!?
すべてがスローモーションに見える。秘密警察達が目を見張って、慌てたようにゆっくりと近付いてくる。
やばいやばいやばいやばい、水路に突っ込む! 俺は必死に手を伸ばす。しかし秘密警察の伸ばした手が指先を掠め、徐々に遠ざかっていく。
くそっ、こんなとこで! 幾度も死線を超えてきた俺がこんな地味な死に方してたまるかよ!
しかしもはやこの状況から自力で体勢を立て直す方法など無い。不味い、水路には魔魚が――
「神官さん!」
ゆっくりと流れていた時間が元に戻る。
俺の伸ばした手首を誰かが掴んでいる。その手を辿り、俺は思わず泣きそうになった。アイギスだ。一瞬で俺の元へ駆け寄り、手を掴んでくれたのか。
俺は社交ダンスの女みたいなエレガントな恰好のまま、ホッと胸を撫で下ろす。
「すみません。助かりました」
「いえ……でも、なにか変です。妙に重……」
アイギスが俺を引っ張り上げようと力をこめる。イテテ、肩が軋む。しかしなかなか起き上がれない。やっぱ荷物重すぎた?
アイギスの右腕が飛んだ。
「え?」
血飛沫が俺の視界を赤く染める。意味が分からない。
痛みより先に驚きが来たらしく、肘から先を失ったアイギスが目を見開いて俺を見ている。
アイギスの顔が徐々に遠くなる。バチャン、と激しい水音がしたきり、辺りが静寂に包まれる。どこか遠くから俺を呼ぶ声が聞こえるような気がする。
湖に落ちた? いや……引きずり込まれた!
俺はなんとか浮上しようと藻掻くが、なにかに浮上を阻まれている。沈んでいく。どんどん、どんどん。この湖に底はないのだろうか。
なんだ? なんだ? なにが起きてる?
俺はパニックになりながら手足を必死に振り回す。もうどっちが上か分からない。息苦しい。だんだん意識が遠のいていく。暗い。何も見えない。
いや、一つだけ見えた。
端正な顔をした緑の眼の怪物が大量の触手をうねらせながらこちらを覗き込んでいた。