魔族は見知らぬ人間が血塗れで寝床、あるいは宝物庫へ侵入したことを怒らなかった。
それどころか狂喜しているようにすら思える。まるで旧知の友が自宅へ遊びに来たように。
「取り戻しに来たんだね? ねぇどれを? どれを返してほしいの? コレかな?」
ヤツは子供が新しいおもちゃを見せびらかすように触手で俺を抱え、高く高く掲げる。
アイギスが背筋の凍るような鋭い眼光を魔族に向ける。
「神官さんを返せ」
すると魔族は心底嬉しそうにキャッキャと声を上げた。
「わぁ! やっぱりコレは最高の宝物だね。でもダーメ、ボクのだもの。悔しい? 悔しいでしょ。そうだろうね」
「貴様……!」
睨み合う両者。空間を満たす空気が張りつめていく。
先に動いたのはアイギスである。甲冑を纏っているとは思えない身軽さで、風のように魔族へ迫る。
魔族も触手を持ち上げ、一斉にアイギスへ向ける。瞬間、俺を拘束していた触手がキュッと締まった。本人にとってはちょっと力んじゃった程度なのかもしれないが、俺にとっては文字通り死活問題だった。
「あぁ~! 死ぬ死ぬ死ぬ!!」
「おっと、大事な宝物が」
魔族はそう呟いて、俺をガラクタの山に下ろした。
お、折れてない? 俺は腹を確かめる。よし、大丈夫……
ここからだとアイギスと魔族の戦いが良く見える。
何度も敗北し、それでもなおマーガレットちゃんやリンとの戦いに挑んできた経験のなせる業か。あるいはただ単に甚振られているだけなのかもしれない。ヤツは“宝物”を取り戻しに来た人間を見るのが好きみたいだからな……とはいえ、少なくとも瞬殺は免れている。
しかし勝つことを期待しない方が良いのは確かだ。この混乱に乗じて逃げ出すよりほかに方法はない。
……ん? なんだ。先頭に誰もいないのに、棺桶の列がガラクタの山を登ってこちらへ来ている。
おいおい、先頭の棺桶足生えてね?
「ユリウス君! 無事かい?」
ビックリ箱感覚で棺桶をぶち破って出てきたのは、ピエロでも死体でもなく白衣のマッド男である。
お前生きてたのか。チッ、怪我もなさそうだ。
「まだ救出できてもないのにお願いばかりで申し訳ないんだけど、蘇生を頼むよ。逃げるにしても、この人数では難しい」
「人数がいれば逃げられますか!?」
「湖の中を行けばなんとか。ここまでプラチナスライムの血を辿って泳いだんだ。誰かの棺にお邪魔させてもらえれば、俺たちは安全に水の中を移動できる。棺は自動的に生きた勇者の後ろをついていくからね。泳げば何人かは魔魚にやられるだろうけど、全滅さえせずに洞窟を出られればあとはどうにでもなる。さ、彼女が時間を稼いでいる間に」
魔族のホームで、ヤツの目を盗んで果たして脱出ができるのか。嫌な考えをせずにはいられないが、他に方法も浮かばない。言われるがまま、俺はマッドの連れてきた棺桶を開けて蘇生に着手する。
マッドが俺のカバンからポーションを出しながらしおらしく話しかけてきた。
「ごめん、ユリウス君。まさかこんなことになるなんて」
「本当です。もう二度と私を巻き込まないでください。で、結局ジッパーは見つかったんですか」
「いや……」
マッドがしょぼくれた顔で首を振る。クソッ、ジッパーがいれば戦力的にも随分違ったろうに。
「どうしてジッパーもよりによってこんな危険な場所に」
「ジッパーに植えた触手拾ったのここだからかな」
「あの触手の産地ここなんですか?」
「うん。なんか落ちてたから拾って培養したんだ。だから故郷が恋しくなったんだと思う」
「……ジッパーのクズ触手あります?」
マッドが差し出した小瓶を手に取る。ミミズのような小さな触手が、小瓶の中で大暴れしていた。恐る恐るコルクの蓋を抜く。
足がないとは思えない程俊敏に瓶を飛び出した触手が、戦いを繰り広げる魔族の元へとあっという間に駆けていく。
「ん? あれ、まだ残りがあったんだ。わざわざ悪いね」
魔族が手でも振るみたいに触手を持ち上げる。
瞬きした次の瞬間、はるか遠くにあったはずの触手が目の前に迫っていた。
標的はマッドだ。
秘密警察の蘇生はまだ済んでない。俺たちでは攻撃を防げない。間に合わない!
鎌首をもたげた触手がヤツめがけて襲い掛かる。
しかしヤツの目と鼻の先で、触手はピタリと動きを止めた。
「…………?」
魔族が怪訝な顔で首を傾げる。
まただ。さっきも同じことがあった。まるで見えない壁に阻まれているかのように目の前でプルプルと震える触手を見つめ、マッドはぽつりと呟いた。
「……ジッパー?」
あぁ……
俺は色々と察してしまった。とても嫌な気持ちだ。
探すまでもない。ジッパーは既に目の前にいたのだ。彼女に植えられた触手はもともとあの魔族のものだ。そして今、ジッパーは魔族の触手に取り込まれ、同化してる。微かに残った彼女の意識が俺たちを傷付けまいとしてくれたのだろう。だが、それもいつまで持つか。
触手がマッドから離れ、隙を突こうと跳躍するアイギスの強烈な剣戟を防ぐ。さらに別の触手がカウンターとばかりにアイギスを薙ぎ払う。触手の動きは非常に鮮やかで、俺たちに見せた躊躇いのようなものは一切ない。触手の主導権のほとんどが魔族側にあるのは間違いない。
辛い宣告をしなくてはならない。俺はゆっくりと首を振る。
「残念ですが、ジッパーは――」
「うん、無事だね。良かった」
……無事? なのか?
マッドは俺の疑問を汲んだように続ける。
「摘出すれば多分大丈夫。しかし興味深いな。ジッパーを触手だけじゃなく彼女の内臓ごと取り込んだのか? なんのためだろう。単なる食事とは違うし」
なんかブツブツよく分からないことを言ってるが……本当かぁ~? 随分な希望的観測である。
だがマッドは本気で言ってるっぽい。一応尋ねる。
「摘出って、どうしたら良いんですか?」
「そうだね。まずあの魔物を殺すか、あるいは動けなくしてほしい」
「はは」
面白い冗談だ。まぁ一縷の望みをかけてアイギスの勝利を祈ろうじゃないか。
ん? アイギスはどこだ。まさかあの触手の下敷きになっている赤い染みがそうじゃないよな?
俺はマッドを見る。
「……最期のお祈りやっときます?」
「祈ったら天国行ける?」
「どうでしょう」
俺は投げやりに答える。祈りなんて有事の際はなんの役にも立たない。
だが祈らずにはいられない。それしか他に方法がないから。
頼む~! 誰でもいいから助けてくれ~!
もしかすると祈りが通じたのだろうか。だが通じた先は多分神なんかじゃない。いつだってそうだ。
凄まじい音がして、岩壁が崩落していく。
薄暗い地底湖を攻撃的なまでの光が照らし出す。まるで太陽が肉体を得たかのようだった。
マッドが手でひさしを作りながら呆然と呟く。
「なにあれ……神様?」
俺は首を横に振る。
「逆です」
全身に炎を纏った小さな人影は、身の丈と同じ大きさのハンマーを魔族に突きつける。
「ようタコ、久しぶり。殺しに来たぞ!」
湿気の多い場所が死ぬほど似合わない荒地の魔族さんが、崩れた瓦礫の上で凶悪に笑った。