「ん? うおっ、なんだここ?」
いつもよりジメジメした場所で目を覚まして驚く勇者たちのリアクションももう見飽きた。
次の蘇生に取り掛かりながら、俺はいつまでもうじうじまごまごしている迷える子羊たちに進むべき道を指し示す。
「見てお分かりの通り、大規模作戦です。標的はあそこにいる可愛めのタコです」
子羊たちが首を動かす。湖の魔族をその目に捉える。
焼ききれて数が減ったことを補うように触手が長く太くなり、今やこの空間の湖の八割程をヤツの触手に埋められている上、触手に支えられた本体は見上げるほど高いところにある。湖は当然のように勇者の血で赤黒く変色している。
子羊たちが首を動かして視線をこちらに戻す。
なんだその顔は。子羊が変な物でも食ったような顔で口を開く。
「……えっ、なにあれラスボス?」
「……大規模作戦って参加は任意ですよね?」
「そうですよ」
無駄な抵抗をする子羊たちに、俺はあっさり頷いてみせる。
そしてあちこちに棺桶の浮く血の池兼、魔族の暴れまわるバトルフィールドと化した地底湖を指さした。
「お帰りはあちらからどうぞ。ちなみに死ぬとここに帰ってきます。またお会いしましょう」
「ここは地獄ですか?」
「もちろん違いますよ」
俺は笑顔で言う。なに甘っちょろい事言ってんだ? 勇者は死ぬことすら許されない。なだらかな道を歩めると思うな。お前らの進む道はいつだって血で塗装されている。
「分かったらさっさと戦ってください。そしてできるだけ死なないでください!」
あとはもう泥仕合だ。
敵も先ほどのリンとの戦いで消耗している。触手を随分失い、体中火傷だらけだ。
一方、勇者はどんどん増える。ヤツらあちこちで死んでいるからな。森から、荒地から、草原から、街の酒場から、あらゆる場所で死んではこの場所に送られてくる。
女神の奇跡のお陰で魔力も潤沢。あとは俺の腕が持つかどうかだ……
「俺も手伝うよ。こんな時くらいは女神様だって放蕩息子に力を貸してくれるはずさ。君ほどの働きを期待されると困るけどね」
マッドが白衣の袖をまくりながら、俺の隣に腰を下ろす。
隣で共に戦ってくれる存在というものには無縁だったが……こんなにも心強いものだったのか。俺は素直にうなずいた。
「助かります!」
「……………………」
マッドがこちらをジッと見ている。
「なんですか?」
「ふふ、初めての共同作業……ワクワクしちゃうね。友達と一緒に同じ作業をするのって憧れてたんだ。俺はずっと一人でやってきたからさ」
「えっ……はぁ……」
曖昧に返事をすると、マッドが俺に手を差し伸べる。
「そこのペンチを貸してくれないか。頭蓋に刺さった釘が抜けなくてね」
「あぁ……どうぞ」
言われるがままペンチを取って差し出す。
マッドがペンチごと俺の手を握った。
「いっ!?」
マッドがニッコリ笑う。な、なんだ……?
得体のしれない行動に肌が粟立つ。脳内で本能が警鐘を鳴らしている。
しかし繋いだ手を引き裂くようにして我々の間に死体が降ってきた。その隙に俺はすぐさま手を引っ込める。
た、助かった……お礼にお前から蘇生させてやろう。俺はマッドとの間に降ってきた死体に目を向ける。息が止まった。
見覚えのありまくる女勇者が瞳孔の開ききったパステルカラーの目を見開き、ぎょろりとこちらを見ている。
「ひえっ……」
なにかが俺の足を掴む。俺は情けない悲鳴を上げながらひっくり返った。だから死体が動くなっつってんだろ!
……ん? いや、違う。俺の足を掴んだのはリエールの死体ではなく、触手だった。なぁんだ。
「ユリウスくーん!!」
宙づりになった俺を見て、マッドが悲鳴を上げる。
異変に気付いた勇者たちも一斉にこちらを向く。その隙を突かれ、いくつかの首が胴を離れ舞った。
「こんなにたくさんの人間が来てくれるなんて、嬉しいよ。やっぱり君は凄い宝物だ。でもボクの! これはボクのだから!」
まだ言ってるよぉ。
っていうかいくら女神が本気出しても、勇者が命投げうって戦っても、俺が蘇生できなくなったら詰みじゃん。魔族戦だからってなにハシャいでんだ、ちゃんと俺に護衛付けや!
今更この戦いにおける神官の重要さに気付いた勇者共が俺を取り戻すべく攻撃をする。
しかしいくら勇者とはいえ、伸縮自在の触手により人類の手には届かない高さで宙ぶらりんになっている俺を救出できる者はなかなか現れない。
物理攻撃は無理だ。重力を無視してこの高さまで跳躍できる脚力を持つ勇者は少ない。
こういう時頼りになるのが魔法使いである。
湖を揺蕩う勇者の中から、大きな光の球が上がる。凄まじい魔力を感じる。一体誰の魔法だ?
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! コントロールがッ! 利かない!!」
カタリナだァ!!
ノーコンのくせに無駄に威力高い魔法使うんじゃねぇよ!
カタリナの杖の先にできた光の球が肥大化していく。俺に向かって声を張り上げる。
「当たったらごめんなさい! 歯食いしばってぇ!」
歯食いしばったとこでどうにかなる魔法じゃないじゃん絶対!
なんかバチバチ言ってるよぉ!
「コントロールできない魔法使うなって言ってんだろ!」
さすがはカタリナのパーティメンバーだ。オリヴィエが慣れた足さばきでカタリナにドロップキックをかます。
エネルギーの塊であろう巨大な光の塊ごと、カタリナがすっころんだ。光の塊が水に溶ける。刹那、水面に波紋が広がるように勇者たちの絶叫が連鎖する。
アイツ、水場で雷系統の魔法を使ったな? この状況で集団自殺とは、なかなか派手なことをする。
だがカタリナが自爆に巻き込んだのは勇者だけではなかった。
「あぐっ!?」
魔族の体がビクンと跳ね上がり、触手が大きく痙攣する。カタリナの魔法は魔族にも通用したらしい。
俺まで感電しないかが気がかりだったが、それは大丈夫そうだ。
しかし痙攣のせいで触手が緩んだ。俺は重力に従って地面へ吸い込まれていく。
下は湖だが、勇者の膝よりも浅い。この高さから落ちればただでは済まない!
「ああああっ! 助けて!」
しかし勇者たちは軒並み感電死しているか、体が麻痺って動けないでいる。
ヤバい、落ちる! 俺は目をつぶって空中で身を固くし、衝撃に備える。
刹那、俺はなすすべなく地面に叩きつけられた。全身をぶにょんとした感覚に包まれ、そのまま地面に押し返されるようにして数回ぶにょんぶにょんとバウンドする。
なんだここの土は。妙に柔らかい……もしかして俺、死んだ? ここは天国か?
恐る恐る目を開ける。視界に広がったのは一面の銀色だった。
「ジェノスラ!」
体のあちこちから銀色の血を零しながら、ジェノスラが嬉しそうにぷるぷるする。お前、そんな体で俺を守ってくれたのか。
こちらへ駆けつけた際にその巨体で何人かの勇者を潰したらしく、視界の隅にジェノスラに下敷きにされた勇者の残骸が揺蕩っているのが見えるが、俺は無視した。
「神官さんを取り戻した! なにを寝ている。勝利は目前だ、武器を取れ。命を捨てても一撃食らわせろ!」
アイギスの号令に合わせて生き残った勇者たちが鬨の声を上げる。しかし一撃食らわせる暇もなく、言ったそばから勇者の命が虫けら感覚で捨てられていく。
最後に残った命を燃やすように、ボロボロの魔族が触手を大暴れさせたのだ。
「ボクの宝物に! 触るなって言ってるだろ!!」
どうやら魔族さんは下等な眷属風情が頭に俺を乗せた事に激怒したらしい。
躾けのなっていない眷属に折檻しようとしたのか。魔族は触手をジェノスラに向ける。
しかし今の魔族にジェノスラに触手を割く余裕はない。もう無事な触手は数えるほどしかなく、勇者は文字通り死を恐れず剣を持って突っ込んでくる。
「もういい、もういいよ! 誰かに盗られるくらいなら――」
魔族は癇癪をおこした子供のように叫んだ。
「カイザースライム! 寄越せ。ボクのものにする」
えっ、なになに?
魔族が触手に力を込め、放射状に触手を伸ばす。いや、違う。広げてるのだ。御開帳である。
隠されているものには隠されているだけの理由があるものだ。広げた触手の根本には、可愛い顔に似合わない第二の口があった。
陸で生きる我々とはまったく異なった形の、ぽっかりあいた穴のような口。周囲を取り囲むように生えた歯は体の割に微細だが鋭利である。
「嫌だァ! 食べないで」
俺は絶叫した。
しかし魔族は安心しろと囁く。
「食べるんじゃない、取り込むんだよ。これで誰にも盗られない。完全にボクのものだ」
それは食べるのとどう違うの?
俺はジェノスラに必死で縋り付く。
頭の中の葛藤が漏れ出ているように、ジェノスラの体はぷるぷると波打っていた。
「このクソスライム!」
勇者の何人かが果敢にもジェノスラに立ち向かっていく。しかし魔族とジェノスラ両方を相手にできる実力も体力も我々人類は持ち合わせていない。瞬く間に湖を揺蕩う肉片と化した勇者たちが、その行動が果敢ではなく無謀なのだということを俺たちに教えてくれた。
ジェノスラの表面からニョキニョキと触手が生える。それは抱擁するように俺の体に巻き付いた。
魔族が手招きするように触手をうねらせる。
「カイザー、さぁ早く」
「ジェノスラ! やめ――」
俺の声は凄まじい風圧に掻き消される。
あれ、飛んでる? 俺飛んでる!?
違う、ジェノスラの触手にぶん回されているのだ。どんなに懐いていてもジェノスラは魔物だ。魔族の命令に背くことはできないのか。どんどん迫るタコ口。グロテスクな粘膜がぬめぬめ光って俺を歓迎している。
あっ、ダメだ。これ、死ぬ……
できるだけ楽に死ねるよう全身の力を抜いたその時。
「ッ!?」
体に走る衝撃。急停止により慣性が働き、内臓が片寄る気持ち悪い感覚に襲われる。しかしそんな気持ち悪さは目の前ギリギリに迫ったタコ口と微細な歯と、そこから噴き出す青い液体比べればなんてことはない。くっそ、生臭ぇ! なんだこれ! 犬のように頭を振って血を振り払う。視界が蒼く滲む。それでも、目の前で何が起きているのかはハッキリと分かった。
俺を掴んだ触手から枝分かれしたもう一本の触手が、タコ口にぶち込まれている。
いったいどれほど深く突き刺さっているのだろう。内臓をも貫いたのか。魔族は可愛い顔の方についた上の口からも青い液体を噴き出した。
「カイザー……お前……!」
魔族が緑の眼をカッ開く。勇者との攻防に使っていた触手が一斉に同じ方向へ向かっていく。
ふわりとした浮遊感に襲われた。落ちていく。重力に引っ張られて落下していく。なんだ、何が起きた。俺は体を捻り、触手の伸びた先を見る。
落ちながら見えたのは、魔族の触手にめった刺しにされズタズタに引き裂かれたジェノスラの姿だった。
「ジェ……」
「神官さん!」
ガシャンという金属音と軽い衝撃。
俺が落下したのはアイギスの腕の中だった。俺を肩に担ぎながらも、アイギスは風のように走り続ける。
茫然としている俺に、アイギスが言う。
「すみません。ここで下ろすとかえって危険なので、このままいきます」
「え……どこに?」
答えをもらうまでもなかった。
白銀の甲冑を纏い、成人男性を担いでいるとは思えない身軽さで触手を駆けのぼっていくアイギス。
怒りに我を忘れた魔族は弱小種族人間との対決など忘れ、自分を裏切った眷属への復讐にすべての触手を使った。
今更触手をアイギスに向けても、もう遅い。
「ああああぁぁッ!」
「ひいいっぃぃッ!?」
アイギスの叫びと俺の悲鳴が共鳴する。
アイギスの剣先が魔族の首元に届いた。そして……通った!
「あっ」
見開かれた緑の瞳に俺たちが映りこむ。
青い血をぶちまけながら、魔族の首が胴体を離れ舞った。
なにが起きたのか分からなかった。
生き残った勇者たちもぼんやりしている。実感がわかないのだろう。もしかすると心の底では勝てるなんて思っていなかったのかもしれない。俺だってそうだ。
って言うか俺たち人類がやったかというと微妙だ。漁夫の利感は否めないが、とはいえ……
この日、俺たちは初めて魔族から勝利と首をもぎ取った。