「おはようアルバン。それと、おかえりなさい。剣の稽古お疲れ様」
レオニールとの熾烈な朝稽古を終え、個別棟へと帰った俺を――レティシアが迎えてくれる。
「ああ、おはようレティシア。それとただいま」
俺は携えていった剣を、コトリと静かに壁へ立てかける。
既に起床していたレティシアは俺の帰りを待ってくれていたようで、ドレスの着付けも完璧。
こうやって少し早起きして、俺のことを待っていてくれるのも、今や彼女の日課の一つ。
シャキッとした様子で眠そうな気配を見せない辺り、本当に出来る妻だよ。
とはいえ睡眠時間を削るのは身体によくないし、眠かったら無理しないでいいっていつも言ってるんだけどなぁ。
「レティシア……無理して俺の帰りを待ってなくてもいいんだぞ? 眠かったら寝てていいって、いつも言ってるだろ?」
「無理なんてしていないわ。夫が鍛錬に精を出しているのに、妻だけ惰眠を貪るワケにはいきません。いつも言っているでしょう?」
ピシャリと言い放つ我が愛妻。
うーん、愛しい。
彼女のこういうところは、本当に愛せずにはいられないよなぁ。
やっぱり俺の妻最高!
レティシアは俺の傍までコツコツと歩いてくると、
「上着、貸して頂戴。埃を払うから」
「ああ、ありがとう」
促されるまま俺は上着を脱ぎ、レティシアへと手渡す。
上着を受け取った彼女はクルリとこちらに背を向け、ブラシが置かれた机へと向かう。
――〝背中〟。
レティシアが背を向け、俺から離れていく。
その光景を見た瞬間、頭の中に再びノイズが走った。
同時に、さっき思い出した事実が無理矢理に想起させられる。
この世界が――〝ファンタジー小説〟の世界であると。
この世界にとって――俺とレティシアは〝悪役〟であると。
そして……この世界には〝主人公にとってのヒロイン〟がいるはずだ、と。
――怖くなった。
猛烈に、どうしようもなく。
俺は堪らなくなって足を動かし、
「そういえば、今日の夕食には上等なステーキが出るそうよ。あなたの好物だし、きっと――」
――背後から、レティシアを思い切り抱きしめた。
「…………アル、バン……?」
「ごめんレティシア……少しだけ、このままでいさせてくれ……」
なにを今更――。
今更、俺はなにを恐れてるんだ――?
俺は、怖いのか?
主人公のことが。
アイツにとってのヒロインが現れ、
アイツに欠けているモノが満たされ、
そして、アイツに敗れることが。
――ふざけるな。
俺は負けない。誰にも。絶対に。
レティシアは俺が守る。
俺はレティシアと共に在る。
それだけが俺の生きる意味なんだ。
破滅なんてするものか。
破滅なんてさせるものか。
だから――何処へも行かないでくれ――。
俺はレティシアの腹部に両腕を回し、ギュッと彼女の身体を抱き寄せる。
「……アルバン」
レティシアはそんな俺の手の上に、自らの細く美しい手をそっと重ねてくれる。
「あなたに一体なにがあったのかはわからない。でも大丈夫……大丈夫だから。私は、何処へも行かないわ」
▲ ▲ ▲
《レオニール・ハイラント視点》
「守るべき、大切な女性……か」
オードラン男爵に言われた、あの一言。
それがずっと、オレの頭の中でグルグルと巡っていた。
……自分で言うのもなんだけど、学園に入学した当初よりもオレは強くなっていると思う。
僅かな暇さえあれば剣の柄を握り、鍛錬に取り組む時間の密度は入学前の比ではない。
今なら一分とかからず、サイクロプスの首を一人で落とせると思う。
以前ならオードラン男爵と協力してやっとだったのにな。
もっとも、強くなったのはオレだけではないか。
Fクラスは全員が強くなった。
皆が皆、日を追うごとに強くなっている。
だが……それでも、誰一人オードラン男爵には敵わない。
強くなっても強くなっても、どんどんと離される感覚すらある。
なにが違う?
どうして違う?
オレは確かに強くなった。
でも、ずっと違和感がある。
オードラン男爵にあって自分に足りない〝なにか〟があるような、そんな気がしてならなかった。
そう――欠けている。
そして、さっきオードラン男爵が言ったあの言葉。
『俺にはある。レティシアだ』
……愛する女性のために、剣を振るう。
それは、そんなに強いコトなのだろうか?
それほど人を強くしてくれるのだろうか?
オレにはわからない。
オレはまだ、そういう風に誰かを愛したことはない。
けど――。
「……このままじゃ、一生オードラン男爵には追い付けないよな」
――嫌だ。
オレ自身、何故こんなにもオードラン男爵に追い付きたいと思うのかわからない。
ただ頭の奥底で、なにかが呼び掛けてくるのだ。
〝このままではいけない〟
〝なんとしてもオードラン男爵に追い付かなくてはならない〟
〝それがお前の使命だ〟――と。
「オレは……彼に追い付きたい。彼に勝ちたい……!」
オレの頭の中も、オレの心の中も、今やその一点に支配されている。
ただ、ただ〝アルバン・オードラン男爵を超えたい〟という想いに。
それ以外のことなんて――もうどうでもいいとすら思えるほどに。
「……オレにも、レティシア嬢のような女性が現れてくれたら――」
そんなことを呟きながら、重い足取りで学園の中を歩く。
すると――。
「……レオニール・ハイラント」
女性の声が、オレを呼び止めた。