《レティシア・バロウ視点》
――周囲の様相が一変する。
大地は凍り付き、猛吹雪が吹き荒れ、白雪と雹が宙を飛び交う。
私の身体から放たれた膨大な魔力が〝結界〟を作り上げ、その内部を極寒の聖域へと変貌させた。
『!? これは……しまった!』
直前までこちらに接近しようとしていたガスコーニュは一転、脱兎の如く身を翻して距離を放そうとする。
だがすぐにドンッと魔力の壁にぶつかり、逃げ道を失ってしまう。
その時ようやく、フードですっぽりと頭を隠した彼の姿がハッキリと露わになった。
『クソッ……〝結界魔法〟か……!』
「絶対零度のお味は如何かしら? 自力でコレを発動できるようになるまで、本当に大変だったのよ?」
――本来〔ブリザード・サンクチュアリ〕という魔法に、対象を閉じ込めておく結界の効果はない。
だが私は過去、この魔法の特性を変質させて〝結界魔法〟に昇華させたことがある。
ライモンドが作った〝呪装具〟に心を操られ、魔力を暴走させた時だ。
もっとも、私が発動した魔法がどれほどの威力だったのか、その詳細は後にアルバンやオリヴィア姉さんから聞いて知ったのだけれど。
あの時は〝呪装具〟によって魔力が増幅され、ほとんど茫然自失な状態での発動だったけれど――後になって思ったのよね。
〝あの魔法を自力で再現できないか?〟――って。
……〝結界魔法〟は極めて高度な魔法。
基本的に個人が単独で扱える魔法ではなく、本来であれば上級魔法使いを集めてようやく発動できるような代物。
加えて元々結界の効果を持たない魔法を変質・昇華させるとなれば、習得が困難を極めるのは疑いようもない。
でも、私の手には感触が残っていた。
あの魔法を発動した時の感触が。
それなら――と私は研究と工夫を重ね、この期末試験・決勝戦の直前になって、ようやく同じモノが再現できるようになったのだ。
時々、こっそりとオリヴィア姉さんに助力をお願いしていたのは秘密……ですけどね。
そうして今――私は私の意志で、〝結界魔法〟に昇華した〔ブリザード・サンクチュアリ〕を発動している。
空気すらも凍る世界の中で、ガスコーニュの衣服に霜が付き始める。
あと十秒もしない内に彼の身体は完全に凍り付き、身動きが取れなくなるだろう。
今だって刻一刻と、もの凄い早さで身体の自由が効かなくなっていく実感があるはず。
『チィ……!』
最後の足掻きとばかりにガスコーニュは弓を構え、弦に矢をつがえる。
絶対零度に当てられて肺が凍りかけ、既に指先の感覚も失い始めているはずなのに。
それでも真っ暗なフードの中から除く二つの眼光は戦意を失っておらず、的確に私の脳天を捉えていた。
『動きを封じるならば……動けなくなる前に仕留めるのみ……!』
「あら、私は風の壁で守られているのをお忘れかしら?」
『……ハッタリだな。〝結界魔法〟などという規模の魔法を発動しながら、同時に他の魔法を併用することなど不可能だろう』
看破するようにガスコーニュは言う。
……残念、バレちゃったみたい。
騙されてくれるかと期待したけれど、どうやらそこまで甘い相手ではなかったようね。
――そう、今の私は〔ウィンド・ウォール〕を発動していない。
Sランクの魔法である〔ブリザード・サンクチュアリ〕は魔力の消費が激しく、コントロールも難しい。
さらに〝結界魔法〟へと昇華したことで、扱いの難しさも燃費の悪さも極悪となっている。
とてもじゃないけれど、他魔法の同時発動なんて不可能。
つまり、今の私は無防備も同然。
ガスコーニュが看破したように、この〝相手が凍り付くまでの数秒間〟が、〔ブリザード・サンクチュアリ〕の弱点なのだ。
もっとも、対象の魔力を封じるという特性上魔法使い相手ならば弱点となり得ないし、並の人間ならば結界に閉じ込めた瞬間に寒さで戦意を喪失するはずなのだけれど。
あのアルバンやオリヴィア姉さんですらも、すぐに身動きが取れなくなったというのだから。
ガスコーニュの精神力はそれだけ並外れているという証、ということね。
あるいは狩人という職業柄、極寒という状況に耐性があるのか……。
いずれにせよ、敵ながら見事だわ。
『この一射で……貴様を仕留めてやる……!』
ほとんど凍り付いた手をガタガタと震わせながら、ガスコーニュは狙いを定めようとする。
しかし――。
「……いいえ、残念だけれど――」
「――――もう、勝負アリだから♠」
ガスコーニュが弓矢を放つよりも先に――彼の後頭部に、矢をつがえたクロスボウが突き付けられる。
そう――ラキのクロスボウが。
自分が背後を取られたのだと理解したガスコーニュは、真っ暗なフードの中で激しく目つきを歪ませる。
『なっ……いつの間に……!』
「フフン、ウチのことなんてすっかり忘れてたでしょ♣ アンタがレティシアちゃんとやり合ってる間に、こっそり回り込ませてもらったんだっつーの♦」
「そういうこと。完璧に作戦通りね」
『! ま、まさか貴様ら、初めからコレを狙って……!』
決着がついた後、ようやく私の狙いに気が付いたガスコーニュ。
ええ、その通り。
とは言っても、保険のつもりではあったのだけど。
私は〔ブリザード・サンクチュアリ〕の弱点を突かれることも、ガスコーニュが最後まで折れずに抵抗してくることも、一応は考慮に入れていた。
しかし如何に彼が用心深く警戒心の強い狩人だとしても、〝結界魔法〟に閉じ込められればラキのことを考える余裕なんてなくなるはず。
あと数秒で身体が凍り付くという極限の状況下では、必ず私を仕留めることに全集中力を注いでくるだろう――。
だからラキには事前に〔ブリザード・サンクチュアリ〕を使うことを教え、発動に合わせてガスコーニュの背後に回り込んでもらうよう算段を整えていたのだ。
そして最後までガスコーニュが戦意を失わないようであれば、背中にクロスボウを突き付けてあげて――。
結界の中が猛吹雪では、外の様子なんて見えないはずだから――と。
これならば、誰も死なせずに戦いを終えられると思って。
上手くいってくれてよかったわ。
ガスコーニュはラキの方に振り向きつつ、
『だ、だが何故だ……? 何故コイツは、〝結界魔法〟の中で動けるのだ……!?』
震える声で言う。
実際、ラキは〔ブリザード・サンクチュアリ〕の中に踏み込んでいるのに、身体が凍っていく気配はない。
彼女はピンピンしており、特に寒がる様子も見られない。
でも、そんなのは当然よね。
私は「ウフフ」と不敵に笑い、
「あら、この結界は私の魔力で展開しているのよ? 氷で封じる対象と封じない対象を分けるなんて、造作もないことですわ」
パチンと指を鳴らして〔ブリザード・サンクチュアリ〕の展開を終え、ガスコーニュを絶対零度から解放。
そしてコツ、コツと足音を奏でながら、彼に歩み寄っていく。
「ガスコーニュ・バセーテ……あなたは私が最初に岩陰から出た時に、迷わず矢を射るべきだった。私の心理状態を読むという挙動を見せた時点で……あなたはもう、女狐に化かされていたのよ」
『………………ハ、ハハ…………とんだ皮肉だ……。狩られる狐はお前らではなく、狩人である俺の方だったということ、か…………』
呟くようにそう言って――ガスコーニュは弓矢を手放し、地面へと落としたのだった。