《レティシア・バロウ視点》
ブンッ、とパウラ先生が大きく右腕を振り抜く。
その――刹那。
パウラ先生の目の前の全てが、五つに切断された。
私たちを襲おうとした傭兵たちだけではない。
通りの左右に連なる建物も、
歩道に植えられた樹木も、
何本も並び立つ街灯も、
彼女の眼前からおよそ四十メートル内にあった全てが、五つに斬り裂かれたのである。
傭兵たちはまとめて肉片と化し、樹木や街灯は薙ぎ倒され、建物は砂埃を巻き上げながら倒壊を始める。
――凄まじい。
あまりに凄まじい斬れ味。あまりに凄まじい破壊力。
あの〝糸〟……おそらく極細の鉄線だ。
魔力が流れないと目視することも難しい、極めて細い鋼鉄の糸。
それに魔力を流すことで自由自在に操り、準全範囲攻撃の武器としている。
なにより恐るべきは、その操作の精密性。
あやとりのように糸を絡めて人体をバラバラにしたかと思えば、今度は一気に引き伸ばして広範囲を薙ぎ払った。
しかもそれだけ精妙な操作を、最低限の魔力でやってのけた。
お陰で私は最初、糸の存在に気付けなかったほど。
こんなこと、指先から伸びる糸を完全に自分の身体の一部にできていなければ、絶対に不可能。
……きっと今見せてくれた技なんて、彼女ができる芸当の氷山の一角に過ぎないのでしょうね。
どれほど応用が利く技なのか、想像できないくらいだもの。
改めて……パウラ先生が敵でなくてよかったと、心から思えるわ。
「ん~、ちょっとスッキリしました! でもまだまだ暴れ足りませんね!」
グ~ッと背伸びをして見せるパウラ先生。
しかし、
「――うおおおおおおおおぉぉぉ!!!」
物陰に隠れていた傭兵が、バッと彼女へと斬りかかる。
どうやら油断する隙を狙っていたようだ。
「! パウラ先生、危ない!」
「おっと……」
パウラ先生は再び指先を揺らし、糸を操ろうとする。
けれど――
「――取り込み中、失礼」
間に割り込むかのように、傭兵の目の前に〝顔〟が降って来る。
真っ黒の忍装束をまとい、首に鮮血のような真っ赤なマフラーを巻いた特徴的な格好の男性が、宙吊り状態で突然彼の目の前に現れたのだ。
それも――完全になにもない空中で、宙吊りの格好になりながら。
「んなっ……!?」
「遅い」
忍装束姿の男性は右手に持った苦無をヒュンッと振るい、傭兵の首を斬り飛ばす。
ほんの一瞬の出来事だった。
「大事ないか、パウラ女史」
「おや、これはこれはバスラさん! いやぁ、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね!」
「油断めされるな。エルザ第三王女が雇った雑兵共はそこら中にいる」
忍装束の男性は宙返りして地面に着地。
するとすぐに私と視線を合わせ、
「……こうして直にお目通りするのは初めてだな、レティシア・オードラン夫人。以前、愚息の件で夫君には世話になった」
「! もしかして……あなたはレクソン家当主の――!」
「然り。バスラ・フィダーイー・レクソンとは俺のことよ。いつもカーラと親しくしてくれて、礼を言うぞ」
うやうやしく頭を下げてくれる忍装束の男性。
勿論、彼の名はよく知っている。
国王の懐刀にして、ヴァルランド王家が唯一正式に認可する暗殺一家の当主、バスラ・フィダーイー・レクソン。
王国を随一の暗殺者にして、カーラのお父様でもある人物だ。
バスラさんは頭を上げると、
「貴君たち、王城に向かっているのであろう?」
「! どうしてそれを……?」
「つい先程、オードラン男爵が王城に押し入ったばかりだからだ」
「――ッ!」
その報せを聞かされ、私の心臓がドクンと強く跳ねる。
……アルバンが王城へ入った。
それはつまり、既にレオニールと刃を交えているかもしれないということ。
落ち着いて――大丈夫――。
アルバンなら、きっと無事だから――。
私は自分にそう言い聞かせ、グッと奥歯を食いしばる。
バスラさんは言葉を続け、
「……今この瞬間、まさしく天下分け目の時。そして国の命運を握るのは、貴君らオードラン夫妻だ」
「……」
「夫君へは借りがある。故にこのバスラ、レティシア・オードラン夫人を王城までお守りさせてもらおう」
彼がそんなことを申し出ると、パウラ先生は「おお!」と嬉しそうに声を上げる。
「ということは、私とバスラさんの二人でレティシアさんを護衛することになりますねぇ! これは面白い!」
「うむ。なにも案ずることはない。だから――夫の下へ走るのだ、レティシア・オードランよ」
落ち着いた口調で、鼓舞するように言ってくれるバスラさん。
そんな彼の励ましを受けて――ようやく私の口元に微笑が戻った。
「ええ……ありがとうございます。急ぎましょう、アルバンの下へ」