「レオニール……ッ!」
ギリッという歯軋りと共に、俺は奴の名を口にする。
――何故、お前がここにいる?
――何故、お前はそんな格好をしている?
――何故……お前が、エルザの傍に立っている?
溢れ出る疑問の数々が困惑となって頭の中をかき乱し、顔を引き攣らせる。
「ア……アハハハハ! 驚いたみたいね!」
今の今まで苦虫を嚙み潰したような顔をしていたエルザが、急に得意気な笑い声を上げる。
そしてガバッとレオニールの腕に抱き着き、
「レオは私を選んでくれたのよ! 私のパートナーになってくれたの!」
「パートナー……だと……?」
「そうよ! 私の、私だけの〝騎士〟……! 私だけの〝主人公〟になったのよ!」
――〝主人公〟。
奴の口からその響きを聞いた瞬間――俺は吃驚する。
「エルザ・ヴァルランド……お前は……」
「いい? この世界はね、所詮〝ファンタジー小説〟の世界なのよ! 主人公はレオニール・ハイラントで、ヒロインはエルザ・ヴァルランド! この世界は本来、私たちのためにあるべきモノだった!!!」
エルザは叫ぶように語る。
溜まりに溜まった鬱憤を、一気にぶちまけるかの如く。
「それなのに……アンタとレティシア・バロウのせいで、なにもかも滅茶苦茶よ!」
「俺と……レティシアのせいだと……?」
「そうよ! レティシア・バロウは嫉妬に駆られて、期末試験でレオを殺そうとしてくる……でもそんなレオを私が助けて、そこでようやく二人は結ばれる――そういう物語だったのに……!」
エルザの怒りに満ちた言葉を受け――失っていたはずの記憶の断片が、徐々に蘇っていく。
そうだ……コイツは――〝エルザ・ヴァルランド〟は、ファンタジー小説の正ヒロインだった。
主人公が序盤の悪役を倒したイベントの後、お忍びで城下町に出ていたエルザはレオニールと遭遇。
その出会いを切っ掛けに二人は親しくなっていくが……そんな主人公たちに、レティシア・バロウは激しく嫉妬。
主人公であるレオニールに対して嫌がらせを繰り返し、最後は期末試験中に抹殺しようとしてくるのである。
……〝最低最悪の男爵〟に嫁がされ、さらにはその夫すらも主人公に破滅させられるという、あらゆる意味で〝幸せ〟を手にできなかった憐れな悪役令嬢。
ファンタジー小説のレティシアは、憎しみと嫉妬と孤独の末に気が触れてしまった、正真正銘の悪女だったのだ。
それが〝本当のレティシア・バロウ〟。
結局、彼女は主人公の抹殺に失敗。
むしろ主人公とヒロインの関係を明確な恋仲へと発展させてしまい、噛ませ犬となって敗れた彼女は、廃人のようになって学園を去る――それがファンタジー小説の物語だった。
だが――。
「元はと言えば……アンタがレティシア・バロウを愛したりしなければ……!」
忌々しそうに歯軋りを鳴らすエルザ。
そう――ファンタジー小説の展開とは異なり、俺がレティシアを溺愛したことで、物語の展開が大幅に変わってしまった。
さらにはレオニールが俺に敗北し、あまつさえ「オードラン男爵の〝騎士〟になる」と言い出したことで、根底から物語が壊されることに。
〝あの女が破滅しないと、私はこの世界で永遠に幸せになれないなんて……〟
あぁ……あの時に言っていた言葉の意味が、ようやく理解できたよ。
レティシア・バロウの破滅は、主人公とヒロインが幸せな恋仲となる明確な切っ掛け。
逆を言えば、レティシアが破滅しないと主人公とヒロインは恋仲へと発展しない。
……レティシアが破滅することは、決して外すことができない重要な通過点。
少なくともエルザはそう思っているのだろう。
だからどんな手段を使ってでも破滅させようとした……か。
「この世界で目が覚めた時、〝ああ、私は幸せになれるんだ〟って喜んだのに……! どうして!? なんで邪魔すんのよ!?」
エルザは目を血走らせたまま言葉を続け、
「アンタもレティシア・バロウも、どうせ破滅する運命なんだから――私たちの幸せのために、さっさと破滅しなさいよ!!!」
震える指先でこちらを指差し、激しい憎悪を向けてくる。
それに対し――。
「――ふざけんな」
ポツリと、俺は小さな声で答えた。
「じゃあなんだ? 今更、レティシアを破滅させれば全て元通りに――物語が本来の√に戻るとでも思ってんのか?」
「……!」
「お前が本来のヒロインだからなんだ? レオニールが本来の主人公だからなんだ? お前らの幸せなんかのために、レティシアは破滅しなきゃならないのか? レティシアが破滅すれば、全て解決だとでも思ってのか?」
――〝私の幸せ〟のため?
そんなことのために、レティシアは破滅しなきゃいけないのか?
そんなことのために――愛しい妻は、涙を流さなきゃならないのか?
――ふざけんな。
俺はレティシアを守ってみせる。
レティシアの笑顔を、妻との日常を守ってみせる。
運命だろうがなんだろうが、俺たちの幸せを壊そうとするなら叩き潰してやる。
世界がレティシアを認めないなら……世界の方を壊し尽くしてやる。
例え――その果てにこの身が焼け落ち、灰燼に帰そうとも。