「ん……? なんだありゃ? 大道芸でもやってんのか?」
なにやら広場の中央に、大勢の町人が集まっている。
かなりの人数が集まっているらしく、ちょっとしたお祭り状態のようだ。
そんな人々の視線の先には――なにやら見覚えのある姿が。
『え~、東区の有権者の皆様方! お集まり頂きありがとうございます! 本日は皆様に、東区の治世を預かるこのグレッグ・ドブソンからご報告がございます!』
満面の笑みを浮かべ、壇上に登って魔法拡声器越しに揚々と声を張り上げる、太った中高年貴族。
つい昨日俺たち夫婦の下を訪れ、つい昨日追い返した東区区長――グレッグ・ドブソンの姿が、そこにあった。
「あれ? 阿呆のグレッグ区長だ。昨日の今日なクセに、案外元気そうな面してるのな」
あんなに怯えた顔して、逃げるように帰っていったのに。
どうやらあまり凹んでいないっぽい。
思ったよりメンタルの強い奴だったのかな?
だったらレティシアを怒らせた腹いせに、もっと張り切って脅してやってもよかったかも……。
なんて俺が気の抜けた顔で思っていた――その矢先、
『かねがね皆様にお伝えしている区画整理事業でありますが……この度、無事行われることが決定致しました!』
グレッグ区長は――そんな驚くべきことを口にした。
「「――――ッ!」」
反射的に、表情筋が強張る俺とレティシア。
だが俺たち以上に驚いていたのは、集まっていた東区の聴衆たちだった。
「ま、待ってください! 区画整理って……私たちの住む場所はどうなるんです!?」
「そうだそうだ! 勝手に進めるなんて、認めないぞ!」
『ご安心を! 王都の有権者たる皆様方には、郊外に仮の住まいをしっかりとご用意させて頂きます! また補償として、工事期間中は有権者全員に衣食住を完全無料で提供致しますぞ!』
――グレッグ区長の言葉を聞いた瞬間、聴衆たちは信じられないといった様子でザワッとどよめく。
……衣食住を、完全無料で支給だって?
あり得ない。
そんなの不可能なはずだ。
東区の住民――仮に市民権を持つ者たちだけに限定したとしても、その数は膨大。
その全てに衣食住を無料提供するなんざ、パッと一週間分を試算するだけでも頭が痛くなるレベルだ。
一体どこにそんな財源が――?
いや、というより――そんな莫大な金を用意できるってんなら、どうして初めからこうしなかったんだ……?
そうすれば、俺たち夫婦に協力を仰ぐ必要なんてなかったはずなのに。
なにか――妙だ――。
聴衆である東区の住民たちは困惑した様子で周囲と相談を始め、
「ど、どう思うよ……?」
「衣食住が完全無料ってんなら、まあ……」
「むしろ大助かりなんじゃないかしら? 半年前の反乱以降、ウチは正直家計が苦しくて……」
徐々にグレッグ区長の甘言に傾き始める聴衆たち。
そりゃそうだろう。
一般市民である彼らに、財源の確保をどうやったのか――なんて想像もできないのだから。
「……レティシア」
「ええ、わかってる……なにかおかしいわ」
案の定、レティシアもグレッグ区長の話が奇妙であることに気付いているらしい。
壇上のグレッグ区長の話は続き、
『さて、区画整理事業でありますが――少々予定を変更致しまして、まず地下水道の埋め立て工事から開始します』
――そんなことを、宣言する。
同時に、またもザワッとどよめく聴衆たち。
「ち、地下水道って……」
「あの子たちがいる場所だわ……!」
「ど、どうすんだよ……このままじゃ……」
「で、でもよぉ、区長に逆らって衣食住無料がパーになったりでもしたら……」
「それにアイツらは、もう俺たちだって庇い切れねぇし……」
『旧地下水道の埋め立て及び新地下水道の建設は、明日にでも着工する予定であります! 住民の皆様にはご迷惑をおかけしないよう、十分に配慮して――』
聴衆たちの意思がまとまらない内に、矢継ぎ早に話を進めていくグレッグ区長。
彼らに考える暇を与えないつもりらしい。
「……ッ」
レティシアが身を翻し、走り出そうとする。
だが俺はそんな彼女の手を掴み、引き留めた。
「レティシア、待った」
「アルバン……! 私は――!」
「わかってるよ、あのガキ共の所へ行くんだろ? 俺も一緒に行くから」
「え……?」
「キミ一人で行かせるワケないだろ。俺もキミの隣にちゃんといる。だから焦るな」
そう言って、俺は妻の手をゆっくりと放した。
「さ、行こう。セラたちを縛ってでも連れ出さなきゃ、な」
レティシアを落ち着かせるために、ワザと少しおどけた言い方をする俺。
それを聞いた彼女はほんの少しだけ落ち着きを取り戻したらしく、コクリと深く頷いてくれた。
――そして俺たち夫婦は、セラたちのいる地下水道の入り口へ向かって走り出す。
だが……この時、俺たちは気付かなかったのだ。
壇上のグレッグ区長の口が――歪に笑っていることに。
▲ ▲ ▲
《セラ・イシュトヴァーン視点》
「お姉ちゃん……お腹空いた……」
ぐぅ、とベンのお腹が鳴る。
チビ助のベンはまだ六歳で育ち盛りだから、お腹が空くのも早い。
本当なら、なにか食べさせてやりたい所だけど……。
「我慢しろ。アタシだって腹減ってんだ」
「でも……」
「ないモンは、ない」
固い石畳の上で、アタシはゴロンと横になる。
――寒く、暗く、常に悪臭が鼻を突く地下水道の中。
すぐ傍の水路を下水が絶えず流れており、ザァザァという水音が嫌でも耳に入って来る。
オマケにそこら中をネズミが徘徊しており、不衛生極まりない。
灯りと呼べるモノは手元にある小さなランタンだけで、それがなければ足元も見えないような環境。
ここが、今のアタシたちの住処。
行き場をなくしたアタシたちの家だ。
ここを拠点に、アタシたちは窃盗を働いて日々飢えを凌いでいる。
だけど……最近、東区の衛兵の目がますます厳しくなってきた。
もう東区の中じゃ窃盗は無理。
南区や北区、場合によっちゃ西区まで行く必要があるけど……余所には余所の窃盗団やゴロツキ共がいる。
子供しかいないのアタシたちなんて、大人のアイツらに束になられたらなんの抵抗もできない。
これまではコソコソ隠れて、どうにか窃盗をやってきたけど……正直に言って、もう続けるのはもう難しいのかもしれない。
アタシたちは……色々な奴らに目を付けられ過ぎてしまった。
「セラお姉ちゃん……やっぱりあの人たちに保護してもらおうよ……」
若干言いづらそうにして、ヒメナが口を開く。
「私たちにご飯をご馳走してくれた、あの優しい貴族の夫婦……。あの人たちなら――」
「ダメだ!」
ヒメナの言葉を、アタシは強い口調で遮った。
「貴族なんて……偽善者なんて信じちゃダメだ!」
「でも……」
「アイツらなんて結局、金と権力のことしか考えてないんだ! アタシたちのことだって、体よく利用しようと思ってるに決まってる!」
そうだ。
貴族なんて……権力者なんて皆そうだ。
どいつもこいつも、自分のことしか考えてない。
だから――父さんは死んだ。
権力者の権力争いに巻き込まれて。
エルザ・ヴァルランドの反乱がなければ、父さんが死ぬこともなかったんだ。
それだけじゃない。
父さんは凄い人だったんだ。
優しくて強くて、貧しい人を差別しない気高い人だったんだ。
父さんみたいな人こそ、本物の騎士になるべきだった。
父さんみたいな人こそ取り立てられて、偉くなるべきだった。
それなのに……権力者共は父さんを虐めて、偉くさせようとしなかった。
アイツらが父さんの邪魔をしたんだ。
父さんが低階級の出身だからって。
権力者なんて……貴族なんて、アタシは信じない。
あんな奴らに保護されるなんて……絶対にゴメンだ。
「…………さあ、いいから皆もう寝ろ。明日は西区の辺りまで出てみよう」
「「「……」」」
身体を丸め、皆に背を向けるアタシ。
そしてそのまま眠りにつこうとしたのだが――
「――ッ!」
すぐにバッと起き上がる。
そして腰の短剣を抜いた。
――気配。
誰かが――いや、なにかが近付いてきている。
「……皆、下がれ」
子供たちも気配に気付いたらしく、アタシの背後に隠れる。
その、すぐ後――
――――ピチャリ、ピチャリ
『……ウぅ~……うゥ~……』
水気を帯びた足音。
唸るような低い鳴き声。
徐々に――ランタンが灯す光によって、その姿が暗闇の中から露わとなる。
だらりと垂れ下がり、ユラユラと揺れるヒレの付いた手足。
緑色の鱗で覆われた屈強な身体と、ズルズルと引き摺られる長い尾。
顔は魚とカエルを足して二で割ったようで、真っ赤な目がギョロリと飛び出ている。
また酷い悪臭を放っており、下水の臭いが充満する空間の中でもハッキリと鼻を突いてくる。
そんな、二腕二足の半魚人のような怪物が目の前に現れたのだ。
「コ、コイツ……〝サハギン〟か!? なんで王都の地下水道なんかに……!?」
昔、父さんから聞いたことがある。
世界には、海や川に潜む半人半漁のモンスターがいると。
きっとソイツに違いない。
でも、どうしてこんな場所に――
こんな怪物、今まで一度も地下水道の中に現れたことなんて――
「セ、セラお姉ちゃん……!」
「だ、大丈夫だ。アタシが守ってやるからな……!」
短剣を構え、切っ先をサハギンへと向ける。
サハギンの身体はアタシよりもずっと大きく、まるで熊のよう。
怖い――
モンスターと戦うなんて、初めてだ。
怖くて怖くて、今すぐ逃げ出したいくらい。
でもここで逃げたら、子供たちが――
それに――もしこの場にいるのが父さんだったなら――絶対に逃げたりなんかしない。
「……ッ!」
意を決し、戦う覚悟を決める。
直後、
『ウぅ~~~~ッ!!!』
サハギンが、勢いよくこっちに襲い掛かってくる。
明らかに得物を狩る目をして。
アタシはグッと短剣を握り締め、迎撃しようと構える。
しかし――その刹那――
『――――うゥ?』
ピタリ、とサハギンが動きを止める。
そしてズルリという生々しい音を奏でながら、縦半分に分かれた。
「え……あ……?」
突然の出来事に、茫然とするアタシ。
真っ二つになって青い血をぶちまけ、べチャッと地面に倒れるサハギン。
そんな、二枚におろされたサハギンの背後には――見覚えのある眼帯の男が立っていた。
「あぁ悪い。俺、生臭って嫌いなんだわ」
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