『『『ウウぅう~~~ッ!!!』』』
半魚人の群れを背に、俺たちは地下水道の中を走る。
幸いにも、奴らの走る速度はそこまで速くない。
加えて俺たちは、下水の流れとは逆の方向へと走っている。
下水の中を泳ぐ半魚人共にとっては下流から上流へと遡上する形となるため、向かい風ならぬ向かい水の状態だ。
これならば易々とは追い付けまい。
それと、子供たちか。
日頃から窃盗で逃げ足の速さが磨かれているためか、意外にもきちんと逃げられている。
大したモンだ。
もっとも……いつまでも逃げ切れるほどの体力はなかろうが。
「――なぁレティシア、グレッグが持ってたあの本のこと……なにか知ってるのか?」
走っている最中、俺はレティシアに尋ねる。
彼女はなにやら、グレッグ区長が持っている怪しい本のことを知っている様子だった。
「……ええ。彼は〝魔導書〟と呼んでいたわね」
「〝魔導書〟? それって魔法の使い方が書いてある教科書となにか違うのか?」
それなら学園に幾らでもあるが?
なんて思って聞き返す俺に対し、レティシアは「〝魔導書〟は魔法教本とは違うわ」と真剣な表情で答える。
「本自体に強大な魔力が宿り、所持するだけで禁忌の力を扱えるようになるという〝魔導書〟……。私も詳しいワケじゃないけれど、昔姉さんからそんな話を聞かされたことがあるの」
「へぇ……あのオリヴィアさんから」
「だけど、姉さんは〝魔導書なんてお伽噺の中だけの存在〟とも言っていたはず。もしもあの本が本物なのだとしたら……これは大変なことよ」
深刻そうな表情を見せる我が妻。
――魔法省の役人にして、魔法の専門家でもあるオリヴィア・バロウ。
彼女の魔法の技量や知識は、俺でさえも舌を巻く。
そんな義姉さんが〝お伽噺の中だけの存在〟と言ったなら、=それは実在しないモノと信じていいだろう。
そしてなにより……彼女が〝禁忌〟と呼ぶアイテムは、大抵ロクなモンじゃない。
以前の〝呪装具〟がそうであったように。
にもかかわらず――グレッグ区長は、その〝魔導書〟とかいうヤバめなブツを持っていた。
一体、何故?
どこで、どうやって手に入れたのか?
そもそもアレは本物なのか、それとも偽物なのか……。
とっちめた後で、色々吐かせてみてもいいかもな。
なんて思っていると――複数の道に枝分かれした分岐路が見えてくる。
「二人共、こっちだ!」
少し先を先導していたセラは、持っていたランタンの灯火を「フッ」と息で消す。
俺たちは彼女に導かれるまま、曲がり角を曲がって――真っ暗な窪みに全員で身を隠した。
『『『ウうぅ~~~ッ!!!』』』
ズドドドドッ――と分岐路に響く群れの足音。
何体もの半魚人が分岐路の中へ入ってくるが、
『……うゥ?』
半魚人の群れはしばし周囲を見渡すと、困惑した様子を見せる。
そして複数の群れに分かれ、それぞれの分岐路へと向かっていく。
すぐ傍にいる、俺たちの前を通り過ぎて。
どうやら――完全に俺たちを見失ったらしい。
奴ら、鼻はあまりよくないのかもしれないな。
いや、悪臭漂う下水が流れる地下水道の中にいれば、鼻なんて利かなくて当然か。
「……よし、全部行ったみたいだ」
窪みからヒョイッと身を出すセラ。
……なるほど、伊達にこの地下水道を根城にしてたワケじゃないらしい。
セラにとっては、この複雑に入り組んだ通路も庭みたいなモンなのだろう。
「やるじゃないかセラ。ちょっと見直したぞ」
「フ、フン……。それほりホラ、さっさと行こう。こっちだ」
プイッとそっぽを向き、彼女は再びランタンに火を灯す。
セラ先導の下、俺たちは分岐路の中の一つの通路へと入り、しばらく先へと進んでいく。
途中、更なる分岐路や分かれ道などがあって完全に迷宮の中を進んでいる感覚になったが、セラの足取りには一瞬の迷いもなかった。
半魚人共とバッタリ遭遇することもなかったことを考えると、奴らも道に迷っているのかもしれない。
俺たちにとってはラッキーだな。
そして――
「着いた。ここだ」
セラはランタンを掲げて、光で照らして見せる。
「ここって……オイオイ、道が塞がってるじゃねーか」
見ると――そこは老朽化によって崩落した大きな通路だった。
道がほとんど完全に瓦礫で塞がれており、行き止まりにしか見えない。
どうやら随分前に崩れた場所のようだが――
「いや、よく見て。ココに抜け穴があるんだ」
セラはランタンを動かし、塞がった通路の隅の方を照らす。
すると――そこには、小さな〝穴〟が空いていた。
「この抜け穴を通れば、最短ルートで地上に出られる。アタシたちも、ここはよく使うんだ」
「……これって俺、通れなくない?」
たぶんレティシアの体格でもギリギリだと思うぞ?
俺なんかが無理に入ったら、途中で詰まって身動きが取れなくなる未来しか見えない。
怖……。
いやまぁ、レティシアと子供たちを避難させられるだけでも、俺としては大助かりなんだけど。
俺一人なら適当に半魚人を全滅させて、適当にグレッグ区長の首を刎ねられるし。
そんな風に自分を納得させ、俺は「ま、いいか」と相槌を打つ。
「とりあえず、レティシアと子供たちを外に出そう。俺のことはそれから考えればいい」
「アルバン――」
「俺なら大丈夫だから。さ、行くんだレティシア」
不安そうな表情をする我が愛しの妻。
俺にとっては彼女の安全が第一だからな。
率先して脱出してもらいたい。
そう思って、セラに目配せする。
「……わかった。それじゃあベン、レティシアさんを先導してあげて」
「う、うん……」
セラは一番小柄なベンという子供に案内役を任せ、彼はスルリと抜け穴の中へと入っていく。
おそらく子供たちの中で最も年少であろうチビ助のベンは、狭い抜け穴を通るのも全然余裕。
身動きが取れなくなるということも、まずないだろう。
「それじゃあ、次はレティシアさんが」
「ええ。うっ……せ、狭いわね……」
できるだけ身を縮め、どうにかこうにか抜け穴へと入っていくレティシア。
彼女はドレス姿だからなぁ……。
余計に狭く感じてしまうんだろう……。
とはいえ、やはりレティシアの細い体格ならば問題なく通り抜けられそうだ。
後は順番に――
『ウウぅ~~~ッ!』
――その時だった。
半魚人の唸るような鳴き声が、すぐ傍で鳴り響く。
一体の半魚人が俺たちのことを見つけたのだ。
今の咆哮は、仲間たちに居場所を伝える声ってトコか。
「チッ……」
俺はすかさず半魚人へと接近し、容赦なく斬り捨てる。
その個体は息つく間もなく絶命したが――
『『『ウウぅう~~~ッ!!!』』』
鼓膜を揺さぶる鳴き声と、数多の足音。
それが、どんどんと近付いてくる。
しかもこの足音と地面の振動……さっきよりも明らかに個体数が増えてる。
どうやら阿呆のグレッグ区長が追加で召喚したらしい。
この感じだと、今地下水道の中を這いずり回ってる半魚人の数は百は下らないかもな。
……おそらく三十秒とかからぬ内に、ここへ半魚人の大群が雪崩れ込んでくる。
子供たちを抜け道から安全に脱出させるのは……不可能となった。
『ア、アルバン――!?』
「レティシアたちは早く脱出しろ! こっちはこっちでなんとかする!」
抜け道の中から響くレティシアの声に対し、俺はそう答える。
いつまでもここにいたら、袋小路に追い詰められたネズミも同じ。
急いで移動した方がいい。
俺はセラと四人の子供を連れ、急ぎその場を後にするのだった。
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