《レティシア・バロウ視点》
バチンッ――! という甲高い音が図書館の中に響き渡る。
ジャックはよろけて後退りし、茫然とする。
「あ……――」
「わっ、私にっ、触らないで……ッ!」
酷い息切れと動悸。
まだ鳥肌が収まらない。
生理的嫌悪感のあまり僅かに手が震え、額に冷や汗が滲む。
――気持ち悪い。
他者に対して、これほど拒絶反応が出たのは初めてかもしれない。
嫌悪と恐怖がない交ぜになって、吐き気すら覚える。
私は今すぐこの場から逃げようとすら思ったが――
「…………ウフ……ウフフフぅ……」
死んだ魚のようなジャックの瞳が、ギョロリと私へ向く。
「う……嬉しいなぁ……。こんな僕なんかを、本気でぶってくれるなんて……! すっごく、気持ちいいよぉ……!」
頬を赤く腫らした顔は、さっきにも増してより一層恍惚に染まり上がる。
ぶたれたというのに、心から喜んでいるかのように。
同時に――ジャックの瞳に宿る、ドス黒い殺意。
背筋が凍る。
本能的に、私は理解する。
ジャック・ムルシエラゴという人物は、断じて正気ではないと。
ハッキリと命の危機を感じる
彼は、私を殺す気だ。
四の五の言っていられない。
このままでは殺される。
抗わなければ――。
「――ッ!」
私は体内で魔力を練り、魔法を発動しようとする。
しかし――その刹那――
「――おぉ~っとぉ~!」
そんな声と共に、私たちのすぐ傍で何者かがズダーンッと盛大に転ぶ。
同時に大量の本が宙を舞い、バサバサと床へ落下した。
「い、いやはや~、ちょっと本を持ってき過ぎたかもしれませんね~。失敗失敗~」
そう言ってムクリと起き上がるのは、鍔の広い三角帽子を頭に被った小柄な少女。
幼げな顔には大きな丸眼鏡をかけており、長く伸びた金髪をルーズサイドテールにして肩から垂らしている。
さらに身体のすぐ傍には、彼女の背丈より大きな魔法用の杖がフワフワと浮いている。
如何にも魔法使いといった格好の少女だ。
――顔にも出で立ちにも見覚えはない。
ジャックと同じ一年生で間違いないと思う。
彼女は私たちの方を見ると、
「お、おやおや~? 喧嘩ですか~? いけませんね~、図書館は喧嘩する場所ではありませんよ~」
なんともおっとりとした喋り方で、私たちに注意を促す。
その姿を見たジャックは、恍惚とした表情から徐々にがっかりとした表情へと変化していき――
「……邪魔が入っちゃった……鬱だ……死のう……」
フラフラと身体を揺らしながら、どこかへと去っていってしまった。
な……なんだったのかしら……。
とりあえず、危機は去った……のだと思うけれど……。
「大丈夫ですか~? お若いんですから~危ない人には近付かない方がいいですね~」
丸眼鏡の少女は私の方に近付いてくると、なんとも気の抜けた朗らかな笑顔を見せてくれる。
――もしかしたら、助けてくれたのかしら……?
「え、えっと……ありがとう……? 助けてくれて……?」
「なんのことか~さっぱりわかりませんね~。でも~若い子に感謝されると~嬉しくなっちゃいますね~」
「……? 若いって、あなた一年生よね? あなたの方が若いはずじゃ……」
「へ? あっ、そ、そうでした~! 私の方がナウでヤングなバカウケちゃんなのでした~! うっかりです~」
「……???」
フワフワとした話し方をしつつも、慌てて訂正する丸眼鏡の少女。
まあ、細かいことはいいでしょう。
彼女が私を助けてくれたことは事実なのだから、しっかりお礼は言わないと。
私は改めてしゃなりとお辞儀し、
「コホン……危ないところをお助け頂き、本当にありがとう。改めてお礼申し上げますわ。あなたのお名前をお伺いしても?」
「私は~エレーナ・ブラヴァーツカヤといいますね~。よろしくお願いしますね~、レティシア・オードランさん~」
「あら、私のことをご存知ですのね」
「勿論~。あなたと旦那さんは~有名人ですから~。お知り合いになれて光栄です~」
エレーナと名乗った丸眼鏡の少女は、そう言って懐に手を伸ばす。
そしてなにやら取り出すと、
「お近付きの印に~どうぞお受け取りください~」
私の手を取り、掌の上に置く。
それは――小さな装飾の付いた首飾りだった。
装飾の部分には青い水晶のようなモノが付いており、とても綺麗。
見ていると、なんだか心が落ち着く気がする……。
「これは……」
「私特製の〝タリスマン〟ですね~。お守りのようなモノだと思ってください~」
「え……で、でも悪いわよ。私たち出会ったばかりだし――」
「いえいえ~お気になさらず~! ささ、どうぞどうぞ~。身に着けてみてください~」
「は、はぁ……」
なんだか押し付けられているような気もするけれど……まあ悪意はないようですし……。
それに〝タリスマン〟から微弱な魔力は感じるけれど、人に害を成すような魔法は込められていなさそう。
エレーナの善意を無下にするのも、気が引けるものね……。
問題はないでしょう――と判断した私は、〝タリスマン〟を首に着ける。
やはりと言うべきか、なにも起こらない。
「んん~お似合いですね~。このまましばらく着けておくといいですよ~。霊験あらたか~無病息災~さらには金運アップまで~、ご利益たくさんですよ~」
「そ、そうなのね……」
……なんでしょう、そう言われると逆に怪しく感じてきてしまうのだけれど……。
なんて思う私を余所に、エレーナは床に散らばった本の下へと戻っていく。
そして本を積み重ねて両手に抱えると、
「ではでは~、ご挨拶もほどほどに~これで失礼しますね~。またお会いしましょう~レティシアさん~」
そう言い残し、私の前から去っていった。
直後――私はふと思った。
そういえば……彼女も、いつの間に図書館の中にいたのだろう――と。
レティシアがドン引きするレベルって中々だと思うの(◔⊖◔)
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