《ユーリ・スコティッシュ視点》
……どれほど歩いただろうか。
気味の悪い洞窟の中を一歩一歩進み、レティシア夫人の影を探す。
オードラン男爵の姿は、とうの昔に見えなくなった。
彼が斬り殺したモンスターの死骸がまるでカーペットのように地面に敷き詰められているので、後を追おうと思えばできる。
だが、それでは意味がない。
オードラン男爵と同じ道を辿ったのでは、なんのためにここへ来たのかわからない。
彼よりも先にレティシア夫人を見つけねばならないのだから、彼が探していないルートを見て回る必要がある。
未だレティシア夫人がどこにいるか不明なのだし、手分けして捜索するという意味でも。
幸いと言うべきか、オードラン男爵がモンスターを片っ端から斬殺していってくれたため、私が奴らに襲われることはなかった。
……モンスター共は彼に気を取られて、私など眼中に入っていないだけなのかもしれないが。
ともかく私は、入り組んだ洞窟の中を敢えてオードラン男爵とは違う道を進んでいるのだが――
「…………」
……本音は違う。
私は、オードラン男爵を見ていられなかっただけだ。
彼は――恐ろしい。あまりにも。
傍で彼が戦っている光景を見ているだけで、恐怖のあまり全身から血の気が引く。
あの覇気に当てられただけで、唇が震えてカチカチと奥歯が鳴る。
私は、あの〝化物〟の傍にいられなかったのだ。怖くて、怖くて。
そしてもう一つ理由がある。
私は……自分が恥ずかしかった。
私は自分より凄い人間なんて、昔のお兄様以外はいないと思っていた。
けれど違う。私は世界を知らな過ぎただけだ。私は所詮、井の中の蛙だったのだ。
――惨めだった。
なにも知らず意気揚々とオードラン男爵に挑もうとし、その剣技を目の当たりにしただけで震え上がってしまった自分が、惨めで仕方なかった。
なにも知らずオードラン男爵へ勝負を挑もうしていたことが、恥ずかしくてどうしようもなかった。
文字通り格が違う。次元が違う。
彼は人間であれど、私と同じ存在などではない。
お兄様が敗れたのは当然だったのだ。
お兄様が彼を〝王〟と崇めたのは必然だったのだ。
だが私は認めなかった。認められなかった。
なにかの間違いか、偶然か、でなければお兄様が堕ちただけなのだと、そう自分に言い聞かせていた。
……勝負になんてならない。
私とオードラン男爵では剣士としての――いや、生き物としての格が違う。
彼が百獣の王たる者だとすれば、私は虫ケラだ。
踏み潰されるのを待つだけの、ちっぽけで惨めで哀れな存在だ。
理解してしまった。骨の髄まで理解させられてしまった。
彼は生まれながらの覇者だと。
覇者となるべくして生まれた、本物の暴君なのだと。
そんなことすらわからず、わかろうとせず、彼に挑もうとしてた自分の姿は、なんと愚かだったことか。
オードラン男爵の傍にいると、その現実をまざまざと見せつけられている気分だった。
……私は後悔し始めていた。
ここへ来たことを。
しかし同時に、ここでオードラン男爵の器を目の当たりにしたことで、一つの疑問を抱く。
――イヴァンお兄様は、どうしてオードラン男爵の傍に立っていられるのだろう?
お兄様は、何故未だに心が折れていないのだろう?
私は――こんなにも心がへし折られてしまったというのに――と。
「……イヴァンお兄様」
ポツリ、とお兄様の名を呼ぶ。
そうして力なく洞窟の中を歩いていると――なにやら開けた空間へと辿り着く。
「……ここは?」
周囲を見渡すが、人影はない。
ここにはレティシア夫人はいないようだ。
そう思い、私は道を引き返そうとしたが――
『……ユーリ・スコティッシュ』
――誰かが、私の名を呼んだ。
「え――?」
振り返る。
けれどやはり、どこにも人の姿はない。
『そうだ……ユーリ・スコティッシュ……。お前も……殺すつもりだった……』
――ドサッ、と天井からなにかが落ちてくる。
それは落下した直後はピクリとも動かなかったが……数秒後、突然立ち上がる。
そう、立ち上がったのだ。
――――人間の足が。
より正確に言えば、人の下半身。
真っ二つに両断されて胴体より上が消失し、腹部より下だけの片割れとなった人間の肉体が、独りでに動いて直立している。
「なっ……!」
『僕が……〝王〟となる……。〝王〟となって……ママを手に入れるんだ……』
脳の奥に直接響くような、不気味な声。
次の瞬間、その下半身は切断面から緑色の肉塊を噴出させる。
『マ、ママは……聖母サマ、は………………〝母体〟ハ、オレのモノだ』
――途中から、明確に声が変わった。
まるで喋っている途中、なにかに乗っ取られたかのように。
声はオドオドとした少年のモノから、低音の枯れた老人を彷彿させるゾッとした声質になる。
そして溢れ出るように湧く肉塊は、徐々に形を成していき――
腕や頭が生え――
それは――名状しがたき――
「な……なん、だ……お前は……!?」
私の前に姿を現した存在。
頭足類を思わせる触手の生えた頭部、
ギョロリと開いた六つの目、
水かきと鉤爪を備えた巨腕、
ヌメヌメとした体液で覆われた、どこか不定形で不完全さを思わせる緑色の巨躯。
生き物と呼ぶには、あまりにも冒涜的な形――。
それを見た私は――酷く精神を揺さぶられた。
恐怖で手足が震える。
今にも腰を抜かしそうで、正気を保てなくなりそうな自分がいる。
私は碌に身動きすら取れず、その名状しがたい怪物を視界に収めることしかできなかった。
『〝母体〟ハ、オ前ナンカニ、渡サナイ……!』
怪物は私へ襲い掛かってくる。
鉤爪の付いた腕を振り被り、叩き潰そうとしてくる。
だが恐ろしさのあまり足が竦み、回避もままならない。
紛うことなき〝死〟が直前に迫る。
私はもうダメだと、両目を瞑る。
けれど――その時だった。
「――なにをしている、我が誇らしき弟よ」
弟より優れた兄は、存在しまぁす!(大声)
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