「お……お久しぶりです、マティアス様。私のことを覚えていますでしょうか……?」
――エイプリルが、マティアスの前に立つ。
震える声を必至に隠しているようだが、生憎とバレバレ。
だが同時に、彼女の目は真っ直ぐマティアスの瞳を見つめて逸らさない。
その勇気と気持ちの強さは、ハッキリと伝わってくる。
「お前――」
マティアスはエイプリルの顔を見て一瞬ハッとするが――彼女とは対照的に、こっちはすぐに顔を背けた。
「……知らねぇな。お前となんざ会ったこともねーよ」
「い、以前王都の城下町で助けて頂きました! 危ない人たちに囲まれていたところを……! 本当に感謝しています!」
「俺じゃねーっつの。人違いだ」
「いいえ、人違いなんかじゃありません! あの時のあなたは、ホットドッグを食べていて――!」
「知らねぇっつってんだろッ!!!」
つんざくような怒声を上げるマティアス。
それを聞いて、エイプリルがビクッと肩を震わせる。
「いいか? 俺はアンタを助けてなんざいないし、その面に見覚えもない。感謝なんてされても迷惑なんだよ」
それは明確に突き放すような口ぶり。
こんなドスの効いた喋り方をするコイツを見るのは初めてだな。
……ったく、柄にもないことしやがって。
普段はずっとヘラヘラしてる軟派野郎くせによ。
――マティアスが今なにを考えてるかなんて、手に取るようにわかる。
コイツはエイプリルのことを覚えてるんだ。
それもハッキリと。
しかも自分に感謝してることもわかってる。
その上でシラを切って、わざとらしく突き放そうとしてるんだろ?
ウルフ侯爵家の家督争いに巻き込ませないために。
前にマティアスがシャノアの喫茶店に来た時、コイツはエイプリルを見てもなんの反応もしなかった。
今思い返せば、アレも演技だったんだろうな。
ウルフ侯爵家に関わった女は不幸になる――そう思っているが故に、意識的に女性との関わりを断っていたってとこか。
なんとも不器用な優しさだな……。
まどろっこしいというか。
俺には理解できん。
俺はレティシアが愛しいと思ったら、愛しいと言う。
レティシアを不幸にさせる奴は、誰だろうと踏み潰す。
不幸になるなら、力づくで幸せにすればいい。
不幸にしようとする奴が現れるなら、力づくで排除すればいい。
俺が彼女を幸せにしないで、誰が彼女を幸せにできるっていうんだ――?
俺はそう思って生きている。
そう思ってレティシアの隣にいる。
だからマティアスの考えは理解できんし、共感もできない。
とはいえ――見上げた精神ではある。
他人なんて不幸にしてなにが悪いんだ、と思っている阿呆貴族が多過ぎるからな。
それこそマウロみたいな。
そんな中で〝自分にとって妻となる女性を不幸にしたくない〟という考えを持っているのは、十分に立派だと言えるだろう。
少なくとも、俺はちょっとマティアスのことを見直した。
たぶんレティシアも同じことを思ってるんじゃないかな?
――俺はチラリとレティシアを見る。
すると彼女もこちらに目配せし、アイコンタクト。
ふむ……「そのまま。動いてはダメよ」か。
OK、伝わった。
これまさに以心伝心。
レティシアは事前にエイプリルへ『あなたが彼と面と向かい合ったら、そこから先は私たちは介入しない。あなた一人でマティアスに気持ちを伝えるの』と言ってある。
だから干渉しない。
ここから先は、傍観者に徹する。
……なにがあろうとも。
「わかったらとっとと出てけ。部外者が出しゃばってくんじゃねーよ」
「で、出て行きません! 私は、自分の気持ちを伝えるためにここへ来たんです!」
エイプリルは震える手をギュッと握り締め、
「わ、わ、私、私は……――私は、マティアス様のことが好きなんですっ!!!」
頬も耳も真っ赤にして、告白した。
「なっ……!?」
「助けて頂いたあの時から、もうずっと……! この気持ちを抑えられないんです! 諦めることなんてできません!」
エイプリルは言葉を――いや、〝想い〟を吐露し続ける。
必至になって、マティアスに伝え続ける。
腕どころか足までガタガタと震わせて、目尻に涙まで浮かべて。
こうして傍から傍観していても、よくわかる。
本当に、本気で、マティアスのことが好きなんだなってことが。
愛したい、愛してほしい。
その想いを伝える姿の、なんと健気なことか。
俺もレティシアのことが本気で好きだから、エイプリルの気持ちがわかる気がするよ。
好きって想いは、やっぱり抑えなんて利かないもんな。
そんなエイプリルの告白を受けたマティアスは、
「…………」
――沈黙する。
長く、永く。
部屋の中にシン……という静寂が訪れ、張り詰めた緊張感が漂う。
そしてようやく、マティアスは唇を動かす。
「……俺は、お前のことなんか好きじゃない」
「――っ!?」
「そもそも俺は、お前のことをよく知らない。あの時は偶然近くにいたから助けただけだ」
「そ、それでも、私にとってはかけがえのない思い出なんです! わ、私のことを知らないなら、これからたくさんお教えします!」
「二度も言わせんな。俺はお前が好きじゃないし、誰かを好きになることもない。だから出てけよ」
「出て行きません!」
頑なに退こうとしないエイプリル。
その姿を見たマティアスは痺れを切らした様子で「チッ」と舌打ちすると、
「どうしても出て行かねーなら……手ェ上げてでも追い出すぞ」
右腕を掲げ、彼女を殴る姿勢を見せる。
いや、正確には平手打ちか。
流石にグーで女を殴るようなクズじゃないもんな。
――どうしよう?
止めに入った方がいいか?
チラッとレティシアの方を見てみる。
だが彼女は腕組みをしたまま、微動だにしない。
ジッと両者を見守り続けている。
助ける気はない、か。
相変わらず、俺の妻は肝が据わってる。
なら俺も、最後まで見守るとしますか――
「「…………」」
いつでも平手打ちが出来る体勢のマティアスと、涙目のエイプリルが睨み合う。
鋭い目つきで脅しをかけるマティアスだが、エイプリルは一歩も下がる気配はない。
まさに男と女の一進一退の攻防。
気持ちと気持ちのぶつかり合いだ。
そして――
「…………ったくよぉ」
先に折れたのは、マティアスの方だった。
掲げていた右腕を下げ、エイプリルに背中を向ける。
「……お前はわかってねーよ。ウルフ侯爵家に嫁ぐ女が、どんな末路を辿っちまうのか……」
「いいんです」
気丈な声で、エイプリルは答える。
「どんな末路を辿ったとしても、私はいいんです。後悔なんてしません。私は――マティアス様のお傍にいたいんです」
「……」
彼女の言葉に対し、マティアスは沈黙で返す。
しかしレティシアがわざとらしくスゥっと息を吸い、
「マティアス、お返事は?」
催促するように尋ねる。
すると、
「――だあぁ! わかった、わかったよ!」
いよいよマティアスも観念したらしく、頭をガリガリと掻きながら大きなため息を吐く。
「とりあえず〝仮〟だ! 〝仮の花嫁〟として、当主が決まるまで付き合ってもらう――これでいいな!」
「――! あ、ありがとうございますっ!」
「言っとくが、ちっとでも嫌気が差したらすぐに逃げろよな。それにぶっちゃけ、命の保証もできねーから」
「はい! わかりました!」
とても嬉しそうに返事するエイプリル。
そんな彼女の様子に「本当にわかってんのかね……」と不安がるマティアス。
続けてマティアスは、
「それと……あんがとな」
「え?」
「そこまで真剣に〝好きだ〟って言ってもらったのは、初めてだったわ。……だからその、そのことにだけは礼を言っとく」
相変わらずエイプリルの顔を見ないまま、耳を赤くして言う。
そんな、あまりにもらしくないマティアスの姿に俺はフッと笑い、
「おいおい、素直じゃないなマティアス? 嬉しいなら嬉しいって、もっと堂々と言えばいいだろうに?」
「う、うるせーぞオードラン男爵! ホントお前ら、人の気も知らねーで……!」
珍しく照れ臭そうにするマティアスをからかう俺。
この場にイヴァンの奴もいれば、大笑いしていたに違いない。
事態を見守っていたハインリヒという執事は「えぐっ、えぐっ……!」と嗚咽を漏らし、流れる涙をハンカチで拭う。
「〝花嫁〟が見つかってよかったですなぁ、マティアス坊っちゃん……! これで旦那様に顔向けできます……!」
「そんな泣くなって……あくまで〝仮〟だって言ってんのに。それに――まだなにも解決してねーよ」
喜ぶハインリヒとは対照的に、マティアスの表情はまだ晴れない。
「兄貴は大勢の貴族を味方に付けたままだ。〝花嫁〟が見つかったからって、すんなり俺が当主になれるとは思えねぇ。こっちが不利なのは変わらな――」
「ああ、それなら大丈夫よ」
マティアスの台詞に、レティシアが割って入る。
それも余裕たっぷりの、悪役令嬢らしい微笑を浮べて。
「もう――手は打っておいたから」