「クソッタレ……クソがクソがクソが……! この俺が、あんな低能な弟なんぞに……!」
レティシアがエイプリルをウルフ侯爵家に相応しい〝花嫁〟にしようと、奮闘していた一方――ナルシスは噴火する苛立ちを抑えられないでいた。
家督争いにおいて劣勢となったナルシスが、ウルフ侯爵家当主となるのはもはや不可能に近い。
少なくとも、現状のままでは100%マティアスが当主になるだろう。
しかしマティアス派へ寝返った貴族たちに対し、下手な報復もできない。
何故ならバロウ公爵家と王国騎士団がマティアス派へと味方してしまったから。
如何に傲慢なナルシスと言えど、彼らと真っ向から争っても勝ち目はないことくらい理解できていた。
理解できていたからこそ、無性に腹立たしかったのだ。
「認めねぇ……認めねぇぞ! ウルフ侯爵家を……あの莫大な財産を手に入れるのは俺なんだ! 俺なんだよッ!」
別荘の部屋の中で暴れ回り、飾られていた花瓶や絵画、家具などへ八つ当たりしていくナルシス。
金貨数十枚、数百枚もの価値がある高級品が次々と壊され、ガシャーン! パリーン! という音を奏でていく。
〝金さえあればなんでもできる〟――。
ナルシスの頭はそんな思想に染め上げられていたが、これは逆を言えば〝金でどうにもできないことなど許せない〟という思考回路でもあったのである。
彼はハァハァと息を切らし、
「…………アイツは、一体なにをしてやがるんだ……! せっかく大金はたいて〝花嫁殺し〟を任せたってのに……!」
ギリッと歯軋りを奏でる。
――そんな時、
「……あーあ、もったいないの」
陰の中から声がした。
やや甲高く、幼い、少年の声が。
「くふふ……物に八つ当たりするなんて、大の大人がみっともないよ? 恥ずかしくないの?」
小馬鹿にするような台詞と共に、陰から浮かび上がるように小柄な体躯がゆっくりと現れる。
身長およそ140センチ半ば。
喪服のように黒いコート、白いシャツ、首元には黒リボン、そして真っ白な膝から太腿までが露出したショートパンツ。
細い手足に薄い胴体、そして端正な童顔はまさしく美少年のそれ。
見る者よっては、さながら芸術人形のような印象すら受けるだろう。
だがそんな〝玉〟に瑕をつけるかの如く、目つきだけはすこぶる悪い。
瞳も黒く濁っており、言い知れぬ威圧感がある。
当人もその目つきの悪さを自覚してか、長く伸ばした前髪で片目を隠している。
そんな陰をまとう少年の姿を見るや、ナルシスは歓喜と怒りが綯い交ぜになった表情を浮かべた。
「――ッ! ようやく戻ってきやがったか、ラファエロ! 遅ぇんだよテメェは!」
「酷いなぁ、これでも急いだんだよ? それに、子供には優しく接しないとダメってパパから習わなかった?」
くふふ、と煽るように笑うラファエロという少年。
そんな彼の態度に、ナルシスは「チッ!」と大きく舌打ちする。
「んのクソガキがよ……! なんのために大金はたいてお前を雇ったと思ってやがる!?」
ナルシスはラファエロに近付き、彼の胸ぐらを掴み上げた。
「殺し屋風情が……テメェは大人しく飼い主の言うこと聞いてりゃいいんだよ! あんまり舐めた真似してっと――!」
「……ぶっ殺すよ?」
――次の瞬間、ナルシスの首筋に分厚い鉈の刃があてがわれる。
か細い腕の少年が扱うには、あまりに似つかわしくない粗雑で重厚な得物。
ラファエロはそんな刃物をコートの中から抜き取り、まるで棒切れでも持っているかのように軽々と振るったのだ。
「なっ……!?」
「勘違いしないでよ、お兄さん。僕はお金が欲しくて依頼を受けたんじゃない」
「じゃ……じゃあ、なんだってんだよ……?」
「僕の暗殺者としてのデビューに丁度いいと思ったから、依頼を受けたんだ。っていうか、早く手を放してよ」
脅すような目つきでラファエロが言うと、ナルシスは慌てて掴んでいた手を放す。
ラファエロも鉈も引き、
「そもそも――国王の懐刀たる〝暗殺一家〟の人間が、お金だけで動くワケないじゃん? おバカさんなの?」
ニヤリと、可愛らしく不気味な笑顔をナルシスに見せた。
「でも――安心してよ。このラファエロ・レクソンが、しっかり〝花嫁殺し〟の依頼を果たしてみせるからさ♪」
「……」
「そうしたらきっとパパもママも……カーラお姉ちゃんだって、僕の実力を認めてくれるはずだから!」
「イカレたクソガキが……やっぱりテメェなんて雇うんじゃなかったぜ……!」
ナルシスの額から冷や汗が流れ落ちる。
――元々、ナルシスはラファエロを雇う気などなかった。
彼は初め、暗殺一家であるレクソン家に大金を払って〝花嫁殺し〟を依頼しようとした。
しかしレクソン家当主は「教義に悖る暗殺は受けず」と、ほとんど門前払いに近い形で拒否。
ナルシスは他に腕の立つ殺し屋を探す他なくなったのだが、そこに接触を図って来たのがレクソン家の三番目の子供、ラファエロだったのだ。
ラファエロはまだ十四歳という若年であったが、エリート暗殺者として育てられてきた生粋の殺し屋。
ナルシスにとっては渡りに船だったのだが――今頃になって後悔し始めていた。
ラファエロは――無邪気すぎる。
目を見ればわかる。
コイツは殺人を〝楽しい〟〝面白い〟と思ってやがる。
しかも本音を言えば「殺せるなら別に誰でもいい」とすら思ってるだろう。
まるで小犬の皮を被った快楽殺人鬼だ。
おまけに小犬のように嬉々として得物を狙うのに、主の言うことを聞こうとしない。
下手をすれば飼い主すらも噛み殺そうとする。
これじゃ場末の殺し屋の方がまだマシだ――と、ナルシスは内心で毒づいていた。
「そんなに怖い目で見ないでよー。ほらほら、ちょっと面白いこと教えてあげるから!」
ナルシスの考えを知ってか知らずか、ラファエロはどこからともなくピラッと一枚の紙を差し出す。
「あん? なんだこれは……?」
紙を受け取り、そこに書かれてある文章に目を通すナルシス。
そしてしばし読み進めると――彼の表情が驚きへと変わった。
「こ、これは……!」
「暗殺対象のことを調べ上げるのは、暗殺者の基本だからさ。あのエイプリルっておねーさんのこと、色々調べてみたんだけど……」
くふふ、とラファエロは笑う。
「こんな人がウルフ侯爵家の〝花嫁〟になろうだなんて、おっかしいよね! たぶんこれ、花婿も知らない情報なんじゃない? きっと秘密にしてるんだよ!」
その嘲笑に満ちた笑顔は、とてもとても楽しそうだった。
まるで新しい玩具を見つけた子供のように。
「どうせ殺しちゃうなら、さ……。なにもかも台無しにして、絶望のどん底に叩き落として、人として壊しちゃってから――それから死んでもらおうよ」